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鈍色の花  作者: 花南
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08

◆◇◆◇

 濡れた皮の首輪が喉に貼りつく。首輪をつけたまま風呂に入るものではないとギーは思った。

 風呂もトイレも使えない監禁状態でなかったことは幸いだ。髪の毛を洗って髭を剃り、シャワーを浴びて返してもらった服に着替えた。

 これで下着を替えられたらさらによかったのだが、贅沢を言っている場合ではない。今日で攫われて何日目になるのか、ということを考えた。

 食事を運ばれた回数だけで考えるならば、まだ一週間そこそこ、経ったか経たないかくらいだろう。

 自分を繋いでいる鉄の鎖を恨めしく見た。首輪で繋がれている状態では逃げるのは難しい。この首輪の下が痒くなったときに掻けないのがすごくもどかしいんだよな、と思いながら。

 アランは車でこの根城に通ってきているようだ。普段はひとりきりで暇な時間をすごさなくてはいけない。食事は一日一回という最低限のものしか食べさせてくれない。暇な上にお腹が空くという状況がなんともいえず腹立たしい。

「シフォンケーキ食べたいなあ。ふわふわのスフレも食べたいなあ」

 舌の上で味を想像するだけで空腹を満たす術を覚えた。独り言でケーキを作るときにかけているBGMを口遊んでいると、アランが姿を現した。

「何を歌っていたんだ?」

「僕作曲の、ショートケーキのサンバです」

「君は前々から思っていたが、お菓子作りが本当に好きなようだね」

「そうですね。プロファイラーでなくケーキ職人になるべきでした」

 そうすればこんなところに拘束されることもなかったのだろう。まあ後悔しても仕方がないが。

「アランはケーキが好きですか?」

「大嫌いだよ」

「美味しいのに」

 アランがクリームチーズとブルーベリージャムを挟んだベーグルを取り出した。今日の晩御飯はベーグルのようだ。

「ケーキなんて、嫌いだ」

「誕生日のときとか、ケーキ食べませんでしたか?」

「一人きりで食べる誕生日ケーキなんて、美味しくもなんともない」

 ベーグルを渡されて、ギーはそれに噛みつきながらアランは一人っ子なのだろうと考えた。異性の親の愛を欲しがる、犯罪者はエディプス・コンプレックスの人間が多い。

「子供の頃からずっと誕生日はひとりで?」

「記憶している限りでは、両親とも私のことは放置していたからな」

 劣等感、アドラー理論も成立しそうだ。

 犯罪心理学者は何もプロファイラーだけではない。囚人たちのカウンセリングを行うのも犯罪心理学者たちの仕事だ。過剰に同情してはいけない、癒す立場と癒される立場に分かれてはいけない、話すときは対等でなければいけない、聞き手に徹底すること、など色々教えられた。

「お誕生日、いつですか?」

 何より、素直な真心で接しなければいけない。

「僕と誕生日をお祝いしませんか?」

「……誕生日はもっと先だ。お前は生きちゃいない」

「じゃあ、少し早めにお祝いする必要がありそうですね」

 真面目にそう言ったギーを見て、アランが目をぱちくりとさせる。

「お前を殺す相手の誕生日を祝うのか?」

「いけませんか?」

「あれじゃあないのか? ストックホルム症候群」

「かもしれませんね」

「私は、お前のことなんてなんとも思っちゃいないよ」

「別に助けてもらおうと思って媚ているわけじゃあありませんよ。ただ、僕も誕生日をひとりで祝うことが寂しいのを知っているだけです」

 ギーが真面目な顔をしてそう言うと、アランはやや沈黙をはさみ、言った。

「明日、ケーキを買ってきてやるよ」

 ギーは少しだけ嬉しそうに頬笑んだ。これは決してストックホルム症候群などではない。心が通う瞬間というのは、たとえ相手が犯罪者だとしても嬉しいのだ。



◆◇◆◇

 チェスターはその日、夜遅くまで署の部屋に閉じこもっていた。

 猟奇殺人の地理的な情報をひとつずつチェックし、大きな地図を広げるとそれに赤い画鋲を刺していく。

 一番離れた点同士を結んだ直径で丸をコンパスで描くと、次は電卓で距離を計算しながら犯行の地理的重心を探した。全部の距離を合計した値が一番短くなるところが、その人間のアジトである可能性が高い。

 画家の居住地はその重心の点から大きくずれていた。だから先輩プロファイラーたちは画家が犯人だという可能性を少し軽視している。

 地図に書き込みをして最後に重心に赤い×印をつけた。

 山奥かどうかは分からなかったが、たしかにシカゴの中心からかなり離れたところだった。あの占い師の言葉を鵜呑みにするつもりはないが、画家に一度会いにいってみる必要があるだろうか。しかし、それが引き金でギーが始末されたらたまったものではない。プロファイラーの自分が近づくのは危険だ。もちろんサムが近づくのはもっと危険だ。


 レインマンは、昨日の今日に菓子折りつきでやってきたチェスターを見たときに、目を瞬かせた。

「こんにちは、チェスターくん」

「頼む。お願いがあって、きたんだ」

「なんでしょうか」

 その時点でなんとなく察しているようなレインマンは顔をしかめている。チェスターは一呼吸おいて言った。

「画家のアラン=アレキサンドラに会ってくれないか? もっと濃い情報が欲しいんだ」

「僕に猟奇殺人犯と会えと言いますか?」

「お前しか頼れる人がいないんだよ」

 レインマンは困った顔をして、「報酬は高いですよ?」と言った。

 レインマンは傘を掴むと、チェスターの車に乗り込んだ。

 ほどなくして、降り始める雨。本当に雨男なのだな……とチェスターは思った。

 画家の居場所を教えてもらうと、レインマンは車を降りてアトリエに入った。

 画家は大きなキャンバスに絵を描いていた。どれも美しい風景画である。

「人物画は描かないのですか?」

 客を装って、レインマンはそう言った。アランは顔をあげて、「気に入ったモデルがいないから」と言った。

「とか言って、実はいいモデルを見つけていたりするんじゃあないですか?」

「そう思うかね?」

「ええ。僕の占いはよく当たるんですよ」

「君は占い師か」

「ええ、そうです」

 レインマンは頷いて、絵画の縁を触った。

「この絵……実にいい出来栄えですね」

「そうか?」

「この景色、どこの景色ですか?」

「ラベンダー園の近くの景色だよ」

「一枚コピーをいただいてもよろしいですか? 気に入るようだったら、後日もう一度買いにきます」

「ありがとう」

 レインマンはアランからポストカードを受け取ると、アトリエをあとにした。

 車の中に戻って、チェスターにそのポストカードを渡す。

「ラベンダー園の近くにギーくんはいます」

 その絵画の景色は、レインマンが昨日スケッチした景色と似たような景色だった。

 チェスターはすぐさまサムに連絡をとった。

 サムは「お前はそこで待っていろ」と言って、電話を切った。

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