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鈍色の花  作者: 花南
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02

 昼間の食堂は学生でごった返している。だいたいの生徒たちは自分よりも若い。

 別に気にはしていない、自分より年のいった生徒もたまには見かけるし、若すぎて興味半分で入学し、そして挫折して去っていく生徒もいる。

 ギーは食堂で昼食のカレーを食べながら、レポートに使うための資料に目を通していた。この食堂のカレーはちょっとギーの舌には辛いと感じる。しかし午前中講義をずっと拝聴していた脳はエネルギーを求めているため、カレーは美味しく感じた。

 手元にある資料にはバラバラ殺人のピンナップがついており、カレーを食べるときに見るものではないなあと自分でも思うのだが、いかんせんのんびり食事は食事、レポートはレポートと分けていられるほど時間が許さない。

 講師たちは次々と臨床例を出してくるのだ。その事件のほとんどがこんな内容である。うんざりするような宿題の量とあんまりな内容にこの四年間よくぞ耐えたと思った。

「ギー、カレー食べながらバラバラ殺人見るのやめろよ」

 隣からクラスメイトのチェスター=クラークが注意する。チェスターは薄茶色のネコ毛に薄い青のつり目だ。猫のような顔をしているとよく思う。自分よりもけっこう年下の彼の手にも、やはり資料が握られていた。

「あなたこそミートソース食べつつ猟奇殺人事件読むのやめたらどうですか?」

「時間ねえんだよ。教授がどんどん宿題つくるから」

 シカゴにきて四年の月日、毎日殺人事件の記事ばかりを新聞紙で読んだ。ここ、警察学校では猟奇的事件や強姦殺人、そんな内容ばかりを研究している。

 ギーも今年で卒業の予定だ。しかし内容の陰惨さには慣れているはずなのに、毎日狂った資料ばかりを目にしていると、どうしても頭が痛くなってくる。

「僕この仕事向いていないのかなあ……」

「あ?」

 チェスターがフォークを止めて、こちらを振り返る。ギーはスプーンを咥えたまま、半眼で言った。

「だって、資料見ていてわくわくしたことないんだもの。いつも『うわあ、怖いなあ』って思いながら勉強しているから」

「常識あることけっこうじゃねぇか。ただの犯罪マニアに犯罪心理学者は務まらねえ」

 ミートソースの飛沫を飛ばしながらパスタを啜り、チェスターは言った。

「だいたいお前、クラスの中じゃあ優等生だろ?」

「そうでしたっけ?」

 優等生だったのか、初めて知った。真面目に勉強していることなんてほとんどなかったのに。講師の言っている内容をメモしたあとは、ひたすら今日のお昼は何を食べようかと考えているくらいだ。むしろチェスターのほうが真剣そのものな目で講師を睨みつけている。

「毎回、レポートもテストも五番までに名前入ってるじゃねえか」

「そりゃそうでしょう、Aしか貰ったことありませんから」

「自慢かよ」

 チェスターが呻くように言って、資料のページをめくる。半歩遅れて、ギーも次の資料に目を通す。

 仕方がないじゃあないか。真面目でなくとも、優等生としての人格が備わっていなかろうと、勉強のコツさえ知っていればある程度の点数は押さえられるのだから。

 しばらくギーとチェスターはそれぞれのお昼を食べながら、資料の最後の行までくると次のページを捲る、という作業を繰り返した。

 ぶっ、という何か吹出す音が聞こえる。続けて「きたねぇな」という声。ギーは後ろを振り返った。

「お前らの無神経っぷり、嫌いだ」

 ギーの写真が目に飛び込んで、ヌードルを吐き出したようだ。見た感じ、アジア系の顔立ちだ。若くはない、ギーと同い年くらいだが、新入生なのだろう。

 ギーはぺこりと頭を下げて「すみませんでした」と言う。人にも見えるように資料を掲げるのはやめにして、こっそり背を丸めて読もうとしたときだった。

「てめぇなあ! 食事中に切断部の写真も見れない奴はプロファイラーなんて目指すな!」

 チェスターが隣から大声で新入生に怒鳴り散らす。何か言いたげに眉をひそめた男を気にも止めずにチェスターは背を向けて再び食事を再開する。ギーはその様子を見ながら、そっと背をさらに丸めて、隠すように資料に目を落とした。

「卒業したらチェスターはシカゴ市警察に入るんですか?」

「まあな。お前は故郷に帰るのか?」

「アメリカの食事はともかく不味いんですよ。僕はイタリアとフランスが懐かしくて仕方ありません」

 両親が死んだ頃はもう住みたくないと思っていた母国は料理が美味すぎた。そしてアメリカという国は色使いからしてエキセントリックだし、盛り付けからしてダイナミックだし、そして味付けに至っては褒め言葉をどう見つけようとしても見つからない。

 独創的だね、この原液そのままの味。と言うのが精一杯。イギリス料理のほうがまだ塩味しかないという理由で納得がいくくらいだ。

 耐えられない。食事のバリエーションが貧困なのだけは耐え難い。卒業したらとりあえずアメリカ以外の場所に移住するぞと決めていた。

 常日頃から「卒業したら料理の美味いところに行くんだ」と言い続けるギーに、チェスターはいつものように

「食べ物のことしか基本考えていないよな。お前って」

 と言った。

「そうですね。食べ物は大切です、文化ですから」

 そう返す。

 ここらへんは「おはよう。元気?」「まあまあ。そっちは?」と同じくらい、チェスターとギーの中では慣用句に近い。

 フランスとイタリアが懐かしいと言いつつ食べているのはチキンカレーだ。インドも英語圏だったなあ、などと考えながら口に運ぶ。

「最後の年って実際に警察の方と提携して卒業論文書くんですよね?」

 先に卒業していった先輩たちが頭を抱えていたのを思い出す。卒業論文は解決された事件ではない、リアルタイムで進行している事件だ。解決しなければ被害者は増えるし、被害がある程度の数にならないとプロファイリングはできない。苦悩がにじむのだろうと推測する。自分が苦悩するかはさておき。

「ああ。生の死体見ることになるかもな」

 チェスターが応じる。たぶん見ることになるだろう。写真でも苦手な、ぐちゃぐちゃの死体とのご対面は覚悟しておかなければいけない。

「拷問された死体、悪魔崇拝、バラバラ死体、どれも見たいとは思いませんね」

 カレーを一口口に運ぶ。この話をしながらカレーを美味しいと感じる自分は少し何かが麻痺しているのかもしれない。

「ギー、今のうちに肉食っておくべきだぞ。ミートがしばらく受け付けなくなる可能性がある」

「チェスターは僕の食欲を嘗めてるでしょう。どんなときでも食べることだけはおろそかにしないこの僕を」

 無駄なことを言い合ったところで昼休みの終わりを告げるベルが鳴った。学生たちはめいめいトレイを片付けて各教室に散っていった。ゆっくり食べていたギーは急いでカレーを口に掻きこむ。ちゃっかり食べきっていたチェスターは「お先」と言って学生の海に消えていった。

 次の講義はなんだっけ? と考えながら、口をもぐもぐ動かす。人がまばらになった頃ようやく食べ終わり、食器を片付けて講義室に滑り込んだ。その三十秒後にサリンジャー教授が入ってくる。

(僕は絶対に優等生じゃあない。)

 優等生は時間のぎりぎりまでカレーを味わっていたりしない。きっとそういう人は教室で予習しながらビスケットとか齧っているのだ。

「卒論の班を割り当てるぞ」

 サリンジャーが名簿を見ながらそう言った。ギーは最前列に座っているチェスターを見る。背筋がぴんと伸びているところを見ても、前のめりになってるところを見ても、彼はやる気満々だ。

(いっしょの班だといいのだけれども)

 この四年間、当然のようにチェスターといっしょに宿題をやってきた。同じ班がいいなあと教授に視線を送ってみる。

「チェスター=クラーク、B班」

 B班はけっこう人が割かれている。大きな事件なのかもしれない。

 名簿はアルファベット順に読み上げられていく。B班、B班と心の中で呟いてみる。

「ギー=ワロキエは班ではなく、単体で卒論を受けてもらおうか」

「え?」

 ちょっと待て。なぜそんな特待生扱いなのだろう。

「グレン=ランカスターはE班」

 教授は何事もなかったかのように続けて名簿を読み上げる。なぜだ、なぜ自分だけそんな扱いなのだと思っていると、教授は最後にこう言った。

「ワロキエくんは人の宿題をいっしょにやる癖があるから、卒論は単体だ」

(しませんよ、そんなこと。卒論なんですから)

 ノートやら宿題やら、色々な人に見せていたのがこんなところで仇になるとは。

「ずるをしたらすぐにバレるからな? 心してかかるように」

 心理のプロであるサリンジャー教授はそうとだけ言って、講義室をあとにした。生徒たちはすぐに今発表されたグループに分かれる。ギーはもちろん一人ぼっちだ。チェスターも真面目にB班で固まっている。

 ぶすっとした表情で周囲を見渡しながら、椅子を引いて立ち上がると教授を追いかけた。

「サリンジャー教授」

 静かな廊下を足早に歩いていた教授を呼び止める。サリンジャーは振り返り、「なんだね?」と言った。

 黒い髭もじゃの顔は熊のようだが、目は優しいのが印象的な教授だ。

「いくらなんでも一人はひどいでしょう。そんなに悪いことをした覚えはありません」

 不平をもらすギーに、サリンジャーは薄く笑って言った。

「本当の理由が聞きたいかね?」

「ええ。ぜひとも」

「よろしい。そう言うと思って手紙を用意しておいたよ」

 サリンジャーはそう言って、白い封筒をギーに渡してきた。

「家に帰ったら見なさい。誰にも見せちゃいけないよ?」

 そう言って教授は踵を返すと、自分の研究室に向かって歩いていった。

 ギーはその白い封筒を見て、イタズラ好きの教授サリンジャーのことだから真面目なことは書いてないだろうと思った。きっと内容は、おしりぺんぺんとか、そんなスラングとも言えないような小馬鹿にした言葉だ。

 ここで見ても構わないだろうと思って封筒を破る。

――僕は、君が嫌いだ。

 そうとだけ便箋に書かれていた。ギーは「ちっ」と思わず舌打ちする。

 理由にならないと思いながら、サリンジャーを追いかけるのはやめにした。この教授の愛情とも嫌悪ともつかぬ言葉は今までにだっていっぱいもらった。

「君さ、プロファイラーに向いてないよ」

「常識って知ってる? ワロキエくん」

「犯罪マニアのほうがまだ人間らしい感情持ち合わせてるんじゃあないかな」

「嫌悪って感情を知らない君に僕は嫌悪しているところだ」

「気持ち悪いね、これだけ犯罪者に同情できるなんて」

「君はいつか人を殺したいと思うんじゃあないかな?」

 以下続く、サリンジャーの執拗なまでの「犯罪者を愛してはいけない」というメッセージ。否、誰も愛していないギーに対して「犯罪者を仲間だと思っちゃいけません。彼らはあなたよりはマシな感情を持っています」というメッセージ。

(ええ、わかっていますよ。僕は冷めてる)

 心を揺さぶられるのは、自分が「冷たい」ということを見抜く一部の人間と、チェスターだけだ。チェスターはすごい、あいつはどこまでも自分のことを信じている。絶対にこっちがあっさり手のひらを返したように裏切るとは思っていない。チェスターのどこまでもまっすぐすぎる性格に、ギーは半ば矯正された部分があった。

 彼と会わずにいたら、たぶんサリンジャーのこの手紙は「嫌いだ」の部分が「大嫌いだ」になっていただろう。

 サリンジャーは愛情にあふれて優しい教授だ。ギーはこの教授のことがもちろん好きだし、尊敬している。しかしサリンジャーは自分に対して敬意を払わない。ギーのことを軽蔑する対象として見ている。

 別に嫌悪されたからって嫌いになる必要はない。無礼に対して無礼で返すのは畜生にも劣る行為だと思いながらも、尊敬している教授からの嫌がらせは自分の心を鈍く抉る。

 手紙を鞄に仕舞って、警察学校の玄関を目指した。

 今日はステーキにしよう。肉を食べておけとチェスターも言っていたし、何か元気づけるものが欲しい。

 なんにせよ、卒業に向けての一年が始まる。

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