出会いの話
昔ながらの典型的と言ってもいい日本家屋の我が家のそこそこ広い庭に一匹の黒猫が迷い込んできた。縁側でぼんやりとしていた私の目の前にちょこんと愛くるしく座る黒猫に私はすぐに目を奪われる。周りの風景がぼやけて黒猫しか見えなくなる。
猫が地球上の動物の中で一番大好きな私は突然の来客を大歓迎で迎え入れることにした。私は艶やかな黒い毛並みに吸い込まれるようにして手を伸ばす。
「君はどこから来たのかなあ~?」
しかし、無情にも私の手は猫パンチによって弾かれた。
「野良猫さんなのかな?」
確かに黒猫の眩しい金色の目を見てみるとその眼光の鋭さから野良猫だろうということがわかる。野良猫ならばこのくらいの警戒心があって当然、むしろ逃げないということはある程度人間になれている証拠だ。
「癒されるなあ……」
この黒猫は野良猫なのにとても毛並みが美しい、どこか高貴な雰囲気を纏っていて何だか近寄りがたい。
「おい」
「ん?」
どこからか声が聞こえた、自分が呼ばれたのかと思ったがこの声には聞き覚えがないし。家には私一人しかいない。外を歩いている人の声が聞こえてきたのだと考えて私はまた黒猫に目を向ける。
相も変わらず黒猫は私の方を鋭い視線で見ている、品定めされているような気がするのは気のせいだと思いたい。
「聞こえないのか?」
「え……」
発せられた声は私の近くから聞こえてきた。私の近く、それも正面から聞こえる気がする。
黒猫をちらりと見る、黒猫は大きく口を開いた。
「あんただよ、あんた!」
「わ、私?」
「そうだ、何だ、聞こえてたのか」
「ね、ねねね……」
「は?」
「猫がしゃべったあああああ!」
私は頭を抱えた。黒猫が私に負けないくらいの大声で「うるせえ!」と言っているが気にしない、まさか私は幻聴を聞いているのだろうか、猫好きを拗らせてとうとう危ない世界に足を踏み入れてしまったのか。
「先に言っておこう、俺は猫じゃない俺は……」
「は?」
黒猫は堂々と可笑しなことを言った。猫じゃないと言った彼はどこからどう見ても黒い毛並みの四足歩行の猫だった。猫以外の何者でもないはすなのだが。
「えっと、鏡お持ちしましょうか……」
「話を聞いてくれ。自分が猫の姿になっているのは分かってる、俺はつい先日まで確かにあんたと同じ人間だった」
「……」
「あんた信じてないだろ……まあいい、無理もない」
「はあ、」
渋い男性の声でしゃべる猫が現れただけでも驚きなのにその猫が自分は人間だと言い始める、自分が何かの物語の世界にでも入り込んでしまった気がしてきた。
穏やかな春の日に似つかわしくない気まずい沈黙が私と黒猫の間に流れる。黒猫は私の方を見ておらず遠い目で虚空を眺めていた。何だかとても絵になる光景だった。咄嗟に私は傍に置いてあった携帯に手を伸ばしてカメラアプリを立ち上げた。
カメラのレンズを向けられた黒猫は明らかに不快そうなオーラを隠さずに醸し出している。
「何をしている」
「……」
パシャと軽やかな音が静かな庭に響き渡った。
「勝手に撮るな、盗撮だぞ」
「いやー隠れて撮ってはないので犯罪ではないですよー」
「横着なやつ……」
「えへへ」
黒猫は伏し目がちにため息を吐く、いちいち絵になる猫だ。
「突然の申し出ですまないが俺をこの家に居候させてはもらえないだろうか」
「居候?」
「ああ、昨日野宿をしたのだが春だとはいえ夜は寒くてな。無理にとは言わないので家族に話を持ちかけてはくれないだろうか……」
「良いですよ」
「……いやあんただけの問題ではないだろ」
「私一人で暮らしてるんです、だから良いですよ」
「一人?こんな大きな家に一人か」
「はい」
黒猫は何か考えている様子だった。何を考えているのだろうか。
「どうしたんですか?」
「……女一人の家に上がり込んでもいいものだろうか」
「猫なのにそんなこと気にしなくていいですよ」
「俺は人間だ!」
「どうぞどうぞお上がりください」
黒猫は不服そうにしていたが縁側から我が家に入った。
「お邪魔します」
こうして私と黒猫の同居がはじまったのだった。