5 『幽霊の噂』
「……おい。おまえの言う噂とやらは、信じていいんだろうな?」
ラディスの言う、とある噂を信じて1ヶ月。
その噂の元の街をしらみ潰しに調査しているが、あまりの進展の無さに、思わずそんな言葉が口から零れ落ちた。
「疑ってんの? ひっでえな。俺の情報が間違ってたことある?」
心外だ、と言ったように、ラディスは大げさに嘆いてみせる。
「お前の腕は信じているが、こんなに外ればかりだと、愚痴のひとつも言いたくもなる」
「だあから、あんたは探すの付き合わなくていいって言ったろ?」
情報ってのは、集めんのに根気がいるもんなの。
気を長~く持たなきゃ、やってらんないの。
だからあんたには向いてないって言ったのに。
ほれ見たことか、と言わんばかりにラディスの口から出てくる言葉に、少し居心地が悪くなり、目の前の食事を無言で片付けることに専念した。
ルークが、『クロ』の担当責任者に任命されてから、一ヶ月半が経つ。
はじめの半月は、仕事の引き継ぎで慌ただしく過ぎていった。
それが終わり、さあ次の予告が来る前に少しでも『クロ』についての情報を集めようとしたところに、ラディスがある噂を掴んできた。
それは、『クロ』に繋がるかもしれない噂だった。
「出るらしいんだよ、あの街。……幽霊が!」
「……はあ?」
もったいぶったように口を開いたラディスの突拍子もない言葉に、思わず呆れた声が出てしまった。
お前、この半月姿をまったく見せないと思ったら……。
お前のデスクだけだぞ、まだ片付いてないのは!
周りを見てみろ!
部下たちの「まった変なこと言い出した」という、呆れたものを見る目を!
「お前な」
「あ~! 待って待って! 続きがあるんだって! お説教するなら、全部聞いてからにして!」
文句をたくさん凝縮した一言に、ラディスは慌てたように言葉を重ねた。
「クロに関係するかもしれないんだって!」
その一言に、ルークはぴたりと動きを止める。
「……本当か?」
「本当だって! まあ、とりあえず最後まで聞けって!」
いい加減なやつに見えるが、ラディスの情報は、外れたことがない。
だから、単独行動をここまで許しているのだ。
半月分の仕事の成果、見せてもらうか。
そう思い、ラディスの話に耳を傾けることにした。
*
あの街ってのは、ヴェニカのことなんだか。
そう、聖都に次ぐあの大都市だ。
あそこはさあ、広いし、奥に入り込めば入り込むほど、迷路みたいだろ?
え? 行ったことねぇの? じゃあ、今度連れてってやるよ。
でな、最奥のほうまで入り込んじまうと、本当に出てこられなくなっちまうんだよ。
地元民でも、なかなか抜け出せない。
観光客なんかは、ヴェニカに行ったら、大通りからは決して外れるなって言われるぐらいだしな。
……さあ、ここからが本題だ。
で、最奥に運悪く迷いこんじまって長いこと出られないと……出るんだって、幽霊が。
あ! まだ信じてねえな? 本当だって!
……まあ、それが本当に幽霊かどうかは定かではないけどな。
幽霊じゃなくて、この街の精霊なんじゃないかって言うやつもいるしな。
とにかく、迷いに迷って、体力的にも精神的にも疲れきってどうしようもなくなったところに、そいつは現れるらしい。
ここからは、そいつに直接会った子供に聞いた話だ。
あ、そいつは、比較的子供とか女とか老人とか、そういうやつの前に姿を現すことが多いんだ。
その子は地元の子なんだが、友達と鬼ごっこをしていて、いつもは入っちゃいけないって親から言われてる奥のほうへ、気がついたら入ってしまっていたらしい。
慌てて出ようとするけど、道がわからない。
むしろ、慌てて進めば進むほど、奥に迷いこんでいる気すらする。
疲れはてて、心細くて、泣き出しそうになったとき、ふと、笑い声が聞こえてきた。
『クスクスクス』ってな。
『誰?』って訪ねても、笑い声は応えてくれない。
耳を澄ますと、その笑い声は、ある曲がり角の向こう側から聞こえてくることがわかった。
普段なら、いくら子供でも怪しいと思うところだが、その時は一人きりの心細さが勝ったらしい。
その子は、その曲がり角へと駆け出した。
そうして、角を曲がったが、そこには誰もいない。
今度はその次の曲がり角の先から、先ほどの笑い声が聞こえてきた。
『待って!』って、追いかけるけど、角の先には、また誰もいなくて、次の角から笑い声がするばかり。
……ああ、誘ってんだろ?
でも、その子にとっては、今はその声が唯一の希望だ。
その子は、そうやって声を追いかけ続けた。
何度も何度も同じことを繰り返したある時、ふと笑い声以外の音が聞こえてくることに気がつく。
はっと、顔を上げてそちらの角を曲がれば、そこはその子も知っている人通りのある道だった。
帰ってこられた。
そのことにほっとした後で、そういえばあの笑い声はと思い、少し引き返して最後に笑い声が聞こえてきた角を曲がってみた。
……何があったと思う?
……『何もなかった』んだ。
そこは、本当に何もない行き止まりだった。
その子は不思議に思いながらも、迷路のような道から出られたことを喜びんだ。
それから、いいこだねえ。
誰もいない道に向かってお礼を言って、行き止まりを後にしたんだ。
そうしたら、またあの笑い声が誰もいなかったはずの後ろから聞こえた。
気になって、もう一度角を曲がって確かめてみたけれど、やはりそこは何もない行き止まりだった、ってお話だ。
*
不思議だろ? と言って、ラディスが笑う。
「おい、今のどこに『クロ』に繋がる要素があったんだ」
「やっだ! アイスくんたら、せっかち~! そんなんじゃ女の子にモテねえぞって、あ! あんたはモテすぎて困ってんだったなあ」
なんだこいつ、顔面蹴り飛ばしたいと思ったときには、もう足が出ていた。
しかし、残念ながら、紙一重で避けられる。
「あ! ぶ! ねえ~! ったく、もうちょっと心に余裕ってもんを」
そこまで言いかけて、ルークの足が再び上がったことに気づき、ラディスは慌てて口を閉じた。
「はいはい。『クロ』に繋がる要素な。ちゃあんとありますよ~だ。あ、ちゃんと話す! 話しますから、足引っ込めて!」
「最初からそうしろ」
「ひでえやつだ。まったく! まあ、その子に聞いたんだよ。他になんでもいいから思い出すことないか?って。そしたらこれがビンゴでさあ!」
もったいぶった話ぶりにいらいらしながらも、続きを促す。
「その子は何だって?」
「見たんだって、一瞬だけ。曲がり角を曲がった瞬間に、その次の角に消える『黒髪』を」
思わず、ラディスの顔を見る。
『黒髪』。
それが本当なら、確かに『クロ』に繋がる情報だ。
なんせ、やつは伝説の『黒髪黒目』なのだから。
「姿は見えなくて、靡いた髪だけを見たらしいけど、それが『黒髪』だって言うのは、確かなんじゃないかと、俺は思う」
「なんで言いきれる?」
「だあって、その子目ぇキラキラさせてさ『すっごいきれいだった』って言うんだぜ? そんなに人を魅了するなんて、『黒髪』以外ありえないだろ?」
確かにそうだ、と 納得する。
『黒髪』というのは、とても貴重な存在だ。
加えて、『黒目』も。
どちらかひとつでも、何十万人に一人の確立だと言われている。
そのどちらも持ち合わせている『黒髪黒目』など、もはや伝説的な存在だ。
それくらい、この国で『黒』は貴重な色だった。
それと同時に、魅力的な色でもある。
ただ『珍しいから』では、済まない何かが黒にはあった。人を魅了する何かが。
……それこそ、人を狂わせるほどの何かが。
ああ、嫌なことを思い出しそうだ。
だから、こんな仕事受けたくなかったのに。
甦りそうになる嫌な記憶を無理矢理押し戻して、ラディスに話の続きを待った。