辻斬り怨霊秘話
この小説には、流血、グロテスク、後少々禁断要素が含まれております。ご注意下さい。
ある江戸の一画では、男ばかり狙って斬られる辻斬りが発生して、庶民らを震えあがらせる時期があった。実に九十八人もの被害者が出ていた。
町奉行所も捜索するのだが、犯人の手掛りは一行に掴めない。まこと巧みに逃げ隠れしていて、庶民らの心には暗雲が立ち込めていた。夜は極力外出をしないように、との達しもでた。
だから夜四つともなれば町役人らと自警団らが行う見廻り以外、江戸の街には人影は無い筈なのだが、それでも出歩こうとする者が中にはいる。そうそうその様な災難がふってかかる訳もないだろう、と高をくくっている者である。
ある浪人もそう考えていた一人だ。彼は何より剣の腕にも自信があった。万一辻斬りと相対したところで、返り打ちにしてやるまでだ、とさえ考えていた。だから彼は行き着けの煮売り酒屋で一杯ひっかけた後、今日も人影の絶えた夜の大通りをフラフラと我がもの顔で歩いていた。
そんな彼の耳に、誰もいない筈の闇の向こうから足音が聞こえてきた。その草鞋を摺る音は複数でないから、巡邏の者達でないのは明らかであった。
辻斬りか、と思って浪人が身構えたところ、闇を剥がして出てきたのは、まだ若い少年であった。
ほっ、と一息ついた浪人だが、おかげでいっぺんに酔いが醒めてしまい、少々腹をたて、正面から歩いてくるその少年に、こら坊主、驚かせるんじゃねぇ、との文句を言った。しかし少年は堪えた様子もなく近付いてくる。
ふと、浪人者は不審に思った。よく考えれば、こんな夜更けに、しかも外出を禁ずるお達しの出ているこの様な時期に、なぜ少年が一人でうろついているのか。おかしいではないか。
それと察してよくよく少年を見てみる。羽織袴で腰に刀を差したいでたちをしていて、どこぞの武家の子息の様だが、気になったのは目つきが妙にきつい点だ。禍々しい光を宿した妖しげな目つきに、浪人は寒気がした。まさかこやつが辻斬り犯ではなかろうか? との考えに至った時、目前まで近付いて来た少年はそっと柄に手をかけ鯉口を切った。
「お主で九十九人目……」
少年の口から溢れ出た呟きは、うら若い娘が発する澄んだ声である。一瞬、男装したしおなごであろうか、とも考えたが、柄に手をかけたままヒタヒタと近付いてくる少年に身の危険を感じて激昂した。
「怪しげなやつ!」
腰を落とし、刃鳴りと共に抜いた刀を正眼に置いて迎え撃つ態勢となる。
彼の剣の腕は、元いた藩でも随一であったから、たかが年若い小僧ごとき一刀のもとに斬りふせてくれようぞ、との意気で少年を睨みつける。
ただ少年はそうした浪人者の殺気に満ちた構えなぞに奥する気配を全くみせず、無表情のまま擦り寄って来る。
突如走りこんで来て抜刀した少年が鋭く打ち込んできた。
浪人はこれを擦り上げて首もとに一太刀浴びせようして刀を振り上げたが、虚しく宙を切っただけであった。直後、浪人者の左右両手首から血飛沫が上がった。手首ごと飛んだ刀が地に落ちた。
ぎゃっ、と手先を無くして叫んだ浪人は、その場から逃れようとしたものの、背を向けた途端背後からばっさり斬られて揉んどりうって倒れると、しばし痙攣した後絶命した。
仰向けになって絶息した浪人の背から、多量の血が流れでて来る。少年はその様を凝視していたが、やがて血振りして納刀すると、後一人、後一人、との呟きを残してその場から立ち去って行った。
翌朝、またも出た辻斬りに沸く江戸の町のとある武家屋敷で騒動が起った。その武家の子息が、私室にて自害していたのだ。
短刀で腹をかっ捌いて果てた姿の息子を見て、両親と家臣共々皆驚き嘆いた。何故、かような所業に至ったのか皆目検討つかぬ風であった。
ただ、息絶えた少年だけは、事の成就を全うしたかのごとく満足そうな笑顔であった。
その武家の子息が謎の自害を起こした話はたちまち江戸町民らに知れ渡った。やがて幕府の調べで、怨霊の仕業であろうとの結論に至った。
実はこの家の家系を遡ると、やがて戦国の世にあってさる武士の嫁にいきあたる。戦に負け捕虜となったその女は、兵士百人から辱めを受け、自害した。その時、いずれ男百人呪ってやろうぞ、との言葉を残していたのだ。
つまりその霊が少年に憑依し、自害という形で百人目を殺し、無念を晴らせて成仏した、という事であったが、少年の家の者達にとってみれば何の慰めにもなろう筈もなく、ただただ悲しみに暮れるばかりであった。
江戸ではそれ以来辻斬りがやみ、元の町へと戻った。
了