勝手に婚約破棄されましたが、喜んで応じます
大広間の重厚な扉が静かに閉じられると、煌びやかなシャンデリアの光に照らされた緊張の空気が漂う。
公爵令息セリオン・カーヴァルは、端正な顔立ちに鋭い青い瞳、金色に近い栗色の髪を整え、静かに息を整えた。胸の奥には複雑な思いが渦巻く――
対する公女エリーナ・ヴァレンタインは、淡い銀色の長い髪を肩まで緩やかに流し、深い緑色の瞳が鋭く光る。高貴な気品と自由奔放さを兼ね備え、淡いピンクのドレスに身を包んだ姿は、大広間に立つだけで周囲の空気を支配する。
「……よく聞け、エリーナ。私たちの婚約は、ここで破棄する」
セリオンの声は低く、硬い。だがその内心は震えていた。彼の心は、密かにエリーナに「止めてほしい」と願っているのに、言葉は冷たく響いた。
(好きなのに、どうして自分からこんなことを言ってしまうんだ……。でも、エリーナは完璧すぎる。自分から頼ることも、甘えることもできない)
エリーナは一瞬息を呑む。だが次の瞬間、自然に微笑みが浮かぶ。
「まあ、そうですか……喜んで応じますわ」
広間中の人々が凍りつく。婚約破棄に「喜ぶ」者などいるはずがない。セリオンも目を見開いた。
「……は?」
「ええ、もうこの婚約、私には重荷でしかありませんでしたもの。貴方と結ばれる義務感なんて、まったく無意味ですわ」
エリーナは優雅に歩み寄り、セリオンの前で立ち止まる。その瞳は真っ直ぐで、微笑の裏には揺るぎない誇りと、少しの皮肉が混じる。
「でも、婚約破棄の理由くらい教えていただけますか?
私の何が貴方にとって耐えがたかったのか、非常に興味がありますの」
セリオンは唇をかみ、視線を逸らす。心の中は矛盾だらけだった。
(言ったのは俺だ……でも止めてほしい……!)
「そ、それは……お前の……気高さが、俺には重すぎる、とでもいうか……」
エリーナはくすりと笑う。「ほほう。なるほど、私の価値が重荷ですって? 嬉しいお褒めの言葉ですわね」
その笑みは冷たくもなく、むしろ鋭く、セリオンの胸に突き刺さる。彼は思わず後ずさるが、それでも目を逸らせない。
「ならば、これからはお互いに自由ということで――
私はもう、貴方の求めに応じる必要はありませんし、貴方も私の足枷を外してもらえた。実に、すばらしい解放ですわ」
セリオンの心臓は、矛盾した感情で張り裂けそうだった。好きなのに、止めることも、頼ることもできない。完璧な彼女に、自分は何もできない。
「……だが、エリーナ、俺は……」
「ご安心ください。私に心配など無用ですわ」
その瞳は鮮やかに光り、自由の輝きを放つ。縛られていた鎖が解けた瞬間、彼女の完璧さに圧倒され、セリオンはただその場に立ち尽くすしかなかった。
「……なるほど。お前、単なる公女じゃないな……」
「ええ、その通りですわ。私はエリーナ・ヴァレンタイン、自由で華麗に生きる者ですから」
エリーナは大広間を去る。背中には誇らしげな光が宿り、セリオンは胸の奥で、止めてほしかった自分の願いが叶わなかったことを痛感する。
けれども、心の奥底には確かな期待もあった――いつか、自分の思いに気づき、自由に堂々と生きるエリーナと、改めて真正面から向き合う日が来ることを。
そして、二人の物語は、皮肉と恋に満ちた新しい幕を開けたのだった。




