第六章:ポンデ、ポンデ
港区の中心に───異様な建物がそびえ立っていた。
真新しい白い壁面は、やけに光を反射し、夜の照明を眩しく弾いている。
入口には警備員もいなければ、看板もない。ただ、見上げればガラス張りの上層階にポンデのドーナツ型のモニュメントがくるくると回っていた。
「ポンデ教団」
街中の噂にしか聞かなかったその名は、今やこの建物を象徴するキーワードになっていた。
暁と禊は、夕暮れの中、静かにその建物へと近づいていく。
「……じゅるじゅる君、あんな目立つ建物の中にいたりして」
「もしそうなら、あいつが“妖怪の誇り”を捨ててることになるな。元からあったのか怪しいが」
冗談めかす禊に、暁はふっと笑った。
二人は建物の裏手、駐車場の角───人目の少ない場所へ回り込む。
そこで、聞こえてきたのは……あの声だった。
「ポンデ! ポンデ! 早く私にください!!」
あわてふためいたような高い声。
───間違いない。じゅるじゅるだ。
ふたりは壁の隙間から、そっと覗いた。
そこには、とても奇妙な光景が広がっていた。
地面に四つん這いになり、口をだらしなく開いたじゅるじゅるがいた。
金髪はさらに乱れ、頭の複数の“口”は空を仰いでパクパクと音を立てている。
その前に立つのは───
灰色のスーツを着た、長身の男。
灰色の髪は肩まで伸び、口元には整った髭。
端正な顔立ちが余裕をにじませている。
───その男が、持っていたのは大量のポンデドーナツの入ったカゴだった。
「よろしい、じゅるじゅる。これは君のための食事だ」
男がカゴを掲げ、ドーナツを空中に放り投げる。
「ポンデ――!」
叫ぶと同時に、じゅるじゅるは信じられない跳躍で地面を蹴った。
口と髪の“口”すべてを開き、ドーナツを空中でパクリと食らう。
───落下する前に、すべてを喰い尽くした。
「…………」
静寂の中で、じゅるじゅるは嬉しそうに尻尾のような髪を振っていた。
壁の裏から、その様子を見ていたふたり。
「……」
「……」
「まるで犬」
声が重なった。
暁も禊も、まったく同じ感情だった。
あまりにもシュールで、異様で、どうにもならない何かを見た。
「……帰ろっか」
「うん。今見たこと、全部忘れよう」
二人は静かにその場を離れ、港区の街の灯りを背にして家へと歩いていった。
それはまるで、この街の異常を正常と錯覚していく感覚のようだった。