第五章:港区妖怪のいない街
東京・港区。
二週間前に社会見学で訪れたあの日以来、暁と禊はこの街にたびたび足を運ぶようになっていた。
目的はただひとつ───“じゅるじゅる”の様子を見に行くため。
「ほら、今日もいた。あのビルの裏口んとこ」
「わかりやすい妖怪だな……」
じゅるじゅるは相変わらず、金髪を半分まとめ、半分ぼさぼさにした格好で、廃棄された弁当箱をあさっていた。
周囲の人間には“ホームレスっぽい美人のお姉さん”程度にしか見えていないらしい。
最初は無愛想だった禊にも、最近ではまとわりつくようになっていた。
「みー君、みー君ってば〜、今日も冷たい目ぇしてるぅ♡」
「その呼び方を真似るなッ!」
そう。“みー君”というのは、最近になって暁が禊を呼ぶときに使い始めたあだ名だった。
「だって、“禊”って字、読みにくいもん。みー君のがかわいいでしょ?」
「可愛くていい名前がつくと、人格が崩壊する呪いでもあるのかお前は……?」
「えへへ。あ、いけない!そろそろポンデを投げつけられる時間だ!それじゃあ私は行くね!」
そんなやりとりも、今では日常だった。
───が、その“日常”は、突然、壊れた。
ある日、いつものように裏通りのコンビニ跡地を訪れてみると───じゅるじゅるの姿が消えていた。
「……あれ?」
「……いないな」
ただの外出かもしれない。でも、何か引っかかる。
この場所に、あれだけ執着していたじゅるじゅるがいないという事実。
「……うーん、まぁ、いいか」
「お前、冷たいな……」
とは言いながらも、禊もまた“まぁ、いいか”と歩き出した。
物怪であるはずの彼女まで、そう思ってしまった自分に戸惑いを感じながら。
二人は駅へ向かって歩き始めた。その途中───。
道端のカフェテラスから、何気ない会話が聞こえてきた。
「ねぇ知ってる? 港区にできたあの新しい建物、すっごい大きいやつ」
「うんうん、あれでしょ? “ポンデ教団”って組織が建てたんだって。なんか、食と心の再生をテーマにしてるらしいよ」
「ポンデ……? なんか、ドーナツみたいな名前だよね〜」
「でもなんか、夜になると妙な歌が聞こえるって噂だよ?」
暁と禊は、ぴたりと足を止めた。
港区にできた謎の教団組織。
食と心をテーマに。
奇妙な歌。
「……ねぇ、みー君」
「言うな。その名前で、こういうときだけ真面目な顔するな」
「じゅるじゅる君、巻き込まれてるかもね」
禊はわずかに目を細めた。
じゅるじゅるの異様な“食”への執着。
最後にじゅるじゅると会った時に言っていたあの言葉───「そろそろポンデを投げつけられる時間」。
それが、“ポンデ教団”と繋がっている可能性。
───不穏な気配が、港区のビルの隙間に、静かに満ちていた。