こんな出会い
続かないかと。
「−−−ッ!!」
ミスったやっちまったヘマした!
文字通り、銃弾の雨をかいくぐりながら人のいない路地裏を走り抜ける。レンガ造りの建物の隙間を縫うように走り抜け、鉛玉を避けるように建物の影へと滑り込む。
息が弾む喉が痛む指先が痺れだす。
それでもとにかく縺れる明日を必死で動かした。
背後から迫りくる死神どもから逃げのびる為に!
(夕食時までは計画通りだったんだ!)
このままいけば、問題なく逃げられる。ボスも兄貴分も、誰もコチラの裏切りには気付いていない。どうしたって悪事に慣れずに擦り切れた心も、絶対に逃げてやると誓った思いも…。
三年前、突如全ての日常は消え失せてしまった。
それまでは、飢えたことも争いに巻き込まれたこともなかった。平凡な日々を生きて、時々退屈に欠伸を噛み殺すくらい。それすらも、今思えば懐かしさすら思う。決して帰ってこない日常。
なんでそうなったか、なんて知らない。
知っているのは、この街の裏社会を、圧倒的な力で支配していたファミリーが、たった一晩で壊滅してしまった、それだけだ。
誰が、とか、なにが、なんて考える時間なんてなかった。圧倒的な王がいなくなった。その情報は瞬く間に拡散され、導き出された結果は、今まで兵士たちだった奴らの権力闘争。そして、巻き込まれたのは兵士ですらなかった、自分たち、有象無象。
周囲から一人、また一人と友人が消えた。
まずはいち早く危険を感じ逃げ延びた人、バカな自分は大袈裟だと苦笑しただけだった。
だけど一週間待たずして、その考えが正解だったと知った。
この辺では珍しかった電子計算大学通いの、パソコンの腕に目をつけられた自分は、ある日突然攫われた。
なにもわからないまま、一台の旧式のパソコンの前に座らせられて、ハッキングとついでに電子マネーの金庫番のような仕事を押し付けられた。
自分ならそんなこと、絶対にしない。わけの分からないものに財布を握らせるなんて。
でも、奴らはそうさせた。脅迫と暴力をたてに、コチラの抵抗心をへし折った、つもりで……。
混乱する思考と飛び跳ねる心臓を無理やりおさえこみ、すぐには逃げられないという結論だけ出した。少しの抵抗と、甘んじて受けた数発の拳で、なびいたフリ。あとは、時間と共にクリアになっていく頭で導き出した、数年がかりの脱獄計画。
(兄貴分の浮気現場にかち合う事で発覚なんて…ッ!!)
意外にも伊達男の兄貴分が、婆専なんざ知りたくも無かったが、それ以上に、脱獄計画の要の場所が、彼御用達の連れ込み宿だと知っていれば
(間違っても、こんな場所には行かなかった!!)
「――――ッ!!?」
後悔が、泣き言交じりの悲鳴に変わる。
左足が破裂した感覚。激烈な痛みに、目の前が紅く染まった気がした。
レンガ造りの通りから、ぱっと開けた先には街灯に照らされた仄暗い公園に転がり込む。
痛みと酸欠で朦朧とする頭だから、障害物の少ないこの場所が危険だ、なんて考えることもできない。
力の入らない足が宙が砂を削るけど、すぐにもつれて、容易に地面へと転がる。
「ちっ、手間かけさせやがって…。」
「…ッ、…はッ」
背後から聞こえる声が思いの外近くて、肩が震えた。這いつくばる。砂を蹴る、少しでも、前へ…
と
「なんだぁ、このガキ」
逃げようと宙を掻いた指先が、何かにあたる。
先にその存在に気付いた兄貴分は、訝しげに顔を歪めた。そして、振り向いた視界の先で、彼は至極なんでもないような顔で銃を構えた。
「面倒臭ぇ、しね―――」
――― 死ぬのは手前ェだ、クソ野郎
夜の闇に凛と響く声と、巻き上がる血風に背筋が泡立つ。
一刀両断。
真っ二つにされた兄貴分の上半身は それこそ、『なんでもないような顔』で、地面に転がった。
「ったく。人様の子を、言う事かいて面倒臭ェだと?何処の田舎育ちだ。子は鎹って言葉知らねぇのか?」
――― おいで 。
かけられた言葉に反応して動き出した存在が、まだ小さな子供だったと気づいたのは、その姿を抱きとめる相手が、あまりにも柔らかい『母親』の表情をしていたから。
まさに、慈愛というのを体現したその表情。
「……。」
その頬にはベッタリと返り血がふちゃくしていたけれど……。
街灯に照らされた公園で、子を抱きとめる親の姿に、言いしれぬ違和感と安堵感、二つの相反する感情が湧き上がる。
そうこうしている内に、子を抱いた親らしき人物は、手に持った東洋の、これは刀というものだっただろうか?その刃先を突きつけてきた――
「で?」
「……ぇ」
――地面に転がるこちらの、さらに後ろへ。
「何処まで斬っちゃっていいわけ?」
「…え?」
「面倒だから全部斬るか?手前ェも含めて。」
「マジかよ、容赦ねぇなオイ。子連れ狼ならぬ、子連れ母熊かよ。」
「出産後って、周りが全て敵だからなぁ。」
「マジで!?子供産むと修羅の国へ強制異世界転移なの!?」
「子供守るってソウイウコトヨ。」
「オカマバーのママみたいに……。」
…いうなよ、という言葉は続けられなかった。
兄貴分意外にもう数人がコチラを追っていたのは分かっていた。途中から姿も見ていた。ド素人の自分だって把握していた追手と、それ以外に追加三名。
少しのざわめきと驚愕の後に、間を置かずに迫る黒服達。
長さ約1メートルほどの刃から血煙が巻き上がったと思った瞬間、全員が息を止めて地面に転がっていた。
「マ、ジ、ですかぁ……。」
助かった、よりも、本音の言葉を吐き出して、ため息と震えを抑え込む。
昼とは打って変わった夜の公園の凶悪な雰囲気に、たたずむ相手は間違いなく昼の住人のような『子連れ』の皮をかぶっていた。
左手で子を抱き、右手は真っ赤に染まった長尺刀。東洋人なのか二人とも同じような黒色の髪と目をした。似たような一張羅の、どこにでもいる、何でもないような母子。
脳がバグを起こしそうな理解不可能な光景にめまいがしてきた。
「斬られて、ないねぇ。」
「斬ってねぇよ。失礼だな。」
抱かれた子は慣れているのだろうか、こんなわけのわからない光景にも身じろぎ一つしない。恐怖も何もかも知らない顔で、帰り血に濡れた頬のまま、小さく欠伸を始めた。
「ああ、悪い。もうおねむの時間だな。」
帰るか、と一言つぶやく。うなづくように子は、母親の胸元に額を埋める。血糊で汚れた刀を適当に背負うと、彼女は幼子の背をポンポンと叩いた。
そして
「どうする?」
「へ?」
突然かけられた声に、間抜けな声を返してしまう。
少し目を細めた彼女は、
「このままいても仕方がねぇだろ、医者くらいは教えてやるか?」
どうにも、母親とは程通り話し方をする相手に
「どうも……」
――― ご相伴に、預かりますわ……。
行く当ても、先もない自分は、片足を引きずり、立ち上がった。