第9話グリーティング
一通り挨拶を済ませ、演者達が手を振りながら控え室へ戻った。観客は彼らを拍手で見送る。しかし、劇が終了したにも拘らず、担当教師の退場を促すアナウンスは流れない。
「これ、もしかして片付けをやらされる流れじゃね?」
男子生徒の1人が興醒めするような憶測をして、周りの生徒達は不満を漏らし始めた。昨日、卒業式の後片付けをしており、前向きな意見など出ない。
担任教師が最愛の『兄様』の前で体裁を取り繕って、生徒達を労働力に使う可能性は十分ある。男子小学生がパーカーのフードを被って、観客席へ忍び足で逃亡を図った。
数秒もしないうちに、後ろから茉理が彼を抱き上げて確保する。母猫に首根っこを咥えられた子猫の如く、オパールは無抵抗だ。当分、彼女の癒しペット枠が辞められない。
「オウチ、オウチデンワ、オウチデンワ」
「アォーン、アォーン、アォーン」
彼の宇宙人らしき物真似は周りに聞き流されてしまうが、妙な鳴き声だけ女子生徒達は笑いを堪える。何かしらの意味が込められていたようだ。
子ライオンを抱っこしている茉理は、動物の生態に疎いのか、通じていなかった。人心掌握術に長けている一方、動物の知識が希薄だ
彼女は列の定位置に彼を運ぶと、スピーカーから担任教師の声が聞こえる。生徒達の予想外の告知を行う。
『間も無く、グリーティングを開催致します』
新たなイベントに、生徒達は喜ぶ。しかし、石津が内容を把握出来ず、後ろの茉理へ質問した。ミーティングと類似する語感から楽しさは伝わらない。
「キャストと記念撮影出来たり、ちょっと話したり出来るイベントだね。私の予想通りならだけど」
彼女がオパールを床へ降ろしながら答えた。テーマパークの思い出はほぼ無い彼にも、楽しさが少し伝わる。キャスト全員と交流を持つ男子小学生は、ツクモの数少ない台詞を引用した。
「どんな女がタイプかな?」
「少なくとも、メイドと金髪女以外だな」
低身長にコンプレックスを抱いている事を察し、オパールがそれ以上言及しない。高身長の両親から生まれた彼は、順当に成長すれば同じく高身長の男子となるだろう。
5分後、ステージ上に演者達が集合し、グリーティングは開始される。担任教師と副担任が不在の中、学級委員の男女は独自に指示を出し、列をステージの方へ誘導した。
一般観客達も参加しており、ステージ横の階段下に長蛇の列が形成される。演者達は観客の指示で様々なポーズを取り、撮影された。やはり、同級生3人組と女子中学生役が人気だ。
リコのメイド設定を持つクロイもそれなりの頻度で、観客に呼ばれて主人の隣へ立つ。オパールの両親と叔父は日陰へ追いやられている。先程まで半裸だったトウジが服を着ており、しっかり役らしい格好だ。
撮影や軽い会話で満足した観客の横切る姿を彼らはしばらく眺めた。しかし、数分程経ち、ようやく1人の女性が出番の無い演者達の元へ来る。
白いブラウスと、黒のスカート姿の彼女は、左右の肩に垂らしたお下げを揺らす。担任教師と然程変わらない背丈だが、靄のように朧気な印象だ。
長いまつ毛、猫のような大きな瞳、左目尻下の黒子など、異性から高い評価を抱かれる顔立ちは当然、注目を集めてしまう。
女性の姿を視野へ入れた、ツクモとトウジは声を出して驚く。アクションスタント担当のサトルだけ彼女の首を凝視するだけだ。黒いチョーカーが女性の色白肌を際立たせていた。
「ふふっ学生さん、あそびましょう」
「遊ばないから帰ってくれ」
ツクモは間に入って2人の接触を阻止しようとするも、聞く耳を持たれない。彼女の脇を通り抜けて、ブラウスの女性がサトルの首筋に両手を回す。そして、引き寄せ、彼の耳を甘噛みした。
下手に強引な手段を使うと、逆上される為か、ツクモは苦虫を噛み潰したような表情で見守る。耳から口を離し、女性が右手をサトルの左手へ運んだ。親指と人差し指で薬指の指輪を摘まむ。
「今日、嫁子来ているのに、大丈夫かな」
茉理の隣にいたオパールは苦笑いを浮かべる。横の彼女がその名前を聞き、怯えながら彼の手を握った。すっかり関わりたくない人物と認識している。
彼女の自由を許していたサトルが女性の片手を掴む。動じず、額を重ね合わせ、生温かい吐息を吐く。微睡むような甘い匂いは理性を鈍らせてしまう。
捕食寸前のサトルが、彼女の艶やかな毒を無表情で耐える。妖艶な笑みの女性は彼の後頭部を押さえ、とうとうキスを行った。サトルの唇へ舌を潜り込ませようとする。
しかし、彼の歯に侵入を拒まれた。彼女の火照りが冷めず、腰へ両脚を巻き付ける。誤解を生みそうな体勢で相手の熱を味わう。心身共に、強く依存している。
背後から黒いレザージャケットの女性は足早に迫り、迷惑行為を働く女性の太腿へ膝蹴りを入れた。
群青色のサイドスリットスカートに見覚えがある茉理は視線を逸らす。彼女へ執拗な暴力と蔑称を与えた女性だ。
片脚の力を入れられなくなり、彼女が転落する。幸い、サトルは咄嗟に抱き寄せて事無きを得た。ツクモは額を押さえて溜め息を吐く。彼女もレザージャケットの女性が苦手なようだ。
不意打ちを受けたブラウスの女性は、苦悶の表情となる。既婚者に毒牙を掛けた事への罪悪感が皆無だ。配偶者の性格を良く理解していた、レザージャケットの女性は追撃を行わない。
サトルがブラウスの女性をお姫様抱っこして、ステージの下まで運ぶ。異性の扱いは比較的甘めだった。それ故に、深い心の闇を持つ異性が彼に寄り付く。
前髪を切り揃えているレザージャケットの女性は、勝手に『剥がし』係員として、観客達の動向を監視した。サトルが帰って来ると、暇なトウジはニヤニヤと笑いながら茶化す。
「ゴジョウ家のボンは嫁の尻に敷かれているじゃねぇか」
「惚れ抜いて一緒になった男や」
妻の愚痴を引き出されてしまう前に、レザージャケットの女性は話題を打ち切る。もう1人のトラブルメーカーがこちらへ来ながら彼女の意見に異を唱えた。
「私の家内はどこかの副店長と違って、私達を照らす温かな月の光ですわ」
「オレが極道者と言いたいんだな? 良し、ゴロの作法を教えてやる」
睨み付けて低い声を出すツクモは、トウジに手首を掴まれる。彼女の一人称が変わった時は大抵、相手を殴りに行く合図だ。怒らせているにも拘らず、クロイが白々しく悲鳴を上げて、サトルの背後へ隠れた。
演者達の様子をしばらく眺め、ようやく石津はステージの上まで順番が回る。彼がズボンのポケットからスマートフォンを出し、高専生3人組を撮影した。実物の同級生達のように輝く笑顔だ。
リコとクロイを撮影した女子生徒の1人は、有名な場面の再現を頼む。サトルがリコを片手で持ち上げないといけない。想定外の要望に、ダッキーのサトルとリコは、困惑しながら顔を見合わせる。
「良いじゃないかサトル。意味はある。意義もね、大義ですらある」
「んー、女子ってああいう幻想的な光景って好きだよね」
隣の2人が面白がって、同級生設定の彼を焚き付けた。断れない流れを作られて、サトルは渋々リコの腕を引っ張りながら1人の演者の元へ向かう。
「何か浮いとる」
2分足らずで戻り、彼の片手に持ち上げられていた彼女が本家の台詞を出す。無責任な発言をしていた2人は拍手し、女子生徒が喜びながら何回も撮影する。
それなりに良い撮影を済ませた石津は、茉理の後ろ姿を見つけてそちらへ行く。ちょうどオパールがトウジとツクモに挟まれている、実質家族の集合写真を撮影していた。
「オパールの所は家族仲が良いね」
撮影者の彼女は、白い宝石のようなケースに入っているスマートフォンを彼へ返す。そして、近くの『剥がし』係員が付くサトルの元に恐る恐る近付いた。
「わ、私がサトルにお姫様抱っこされている写真、撮って欲しいんですけど」
「そうか、死ね」
係員は回し蹴りを放ち、驚きのあまり、茉理が尻餅を搗いてしまう。更に、くぐもった声で痛みを訴える彼女の背後へ回り、レザージャケットの女性は制服の上から下着のホックを外す。
茉理が虐められていても、石津は彼女を助ける度胸が無かった。尻を押さえて前屈みとなる茉理は、形振り構わず、一応心配していたサトルへ重要な作業を任せる。
「サトル、ブラのホック留めて欲しい!」
外した当人が悪態を吐きながら彼女の背中を手を伸ばす。すると、茉理は肘打ちで拒んだ。生理的嫌悪感をレザージャケットの女性に抱く。
「私、同性に背中を触られるの、気持ち悪くて無理なので、止めて貰います?」
侮蔑の意思が伝わる低い声を彼女は出す。不服そうに鼻を短く鳴らし、レザージャケットの女性が茉理の頭を叩く。従順性の無い女子と彼女は水と油だ。
指名された彼が正面からしゃがんで、下着のホックを留める。係員の非礼を詫び、サトルは立ち上がって、不機嫌な女性の背後へ回った。呆れている表情で彼女を抱き締めた。
「そうくるか!! 女誑しめ!!」
心情を理解して貰え、レザージャケットの女性は大層嬉しそうな表情を見せる。扱い辛い性格が担任教師と似ており、好みの異性もやはり同じだ。
係員の機嫌が戻った後、彼は茉理をお姫様抱っこし、事前に渡されている、彼女のスマートフォンで石津が撮影した。本当のカップルのように、楽しそうな茉理の笑顔は彼の不安を煽る。
感情を押し留めて、石津が降ろされたばかりの彼女にスマートフォンを戻す。撮影された写真を確認し、茉理はロック画面の候補に検討する。
彼が左側の階段へ向かおうとして、また妙な女性の登場によってステージは騒がしくなった。茉理とオパールが賞賛する。
振り向いて、石津は騒ぎの元凶を確認した。リコと同じ髪形とヘアバンドの女性が、ノースリーブのティアードワンピースを着て歩いている。
透き通った海のような青色の生地、肩口のフリル装飾は真夏の少女を表す。バンドが数本の交差したゴムで構成しているサンダルも履いていた。季節外れの薄着だ。
しかし、劇のメインヒロインを食ってしまう魅力を持っており、結婚式で花嫁より目立つ格好の女性と同じく周りに疎まれやすい。彼女は立ち止まり、赤面しながら右人差し指を立てて、宣言する。
「て、テンゲン様がわ、妾で、妾がて、テンゲン様なのだ!」
小心者の女性が脱兎の勢いで、サトルの所に来て、顔を胸へ埋めた。猫を抱いているように、彼が微笑みを零す。その様子は画になる為、観客や生徒達が撮影した。
メインヒロインより目立つ小心者の女性は、茉理同様、サトルのお姫様抱っこでオパールに撮って貰う。2人を美男美女カップルと呼ぶ声も出始め、係員が憂さ晴らしに、配偶者の横腹を殴る。
タイパ重視する猿...読者向けに内容の解説を載せておきます。
〇オウチ、オウチデンワ、オウチデンワ
映画「E.T」の真似です。オパールの父親、ユーザーがふざけてE.Tのぬいぐるみに青い柔道着を着せて居間に飾っており、オパールは7歳までE.Tをブラジリアン柔術家と勘違いしていました。
(柔道着にブラジリアン柔術の名門、Gracieの刺繍までしてあります)
〇アォーン、アォーン、アォーン
発情期特有の雌猫の鳴き真似です。男子小学生のオパールが真似していたので、笑われていました。
〇ふふっ学生さん、あそびましょう
「姑獲鳥の夏」のオマージュです。学生時代の物書きが友人の代わりに恋文を渡し、相手の15歳少女からいきなり誘惑されました。
〇ブラウスの女性
チョーカー以外の格好は上記の少女と同じです。倉持久遠、産みの父親から家庭内暴力を受けた影響で心に深い闇を持つ呪詛人です。
小学生の頃、イケメンDVダメ男へ成長しそうな三中と出会い、一目惚れしました。
しかし、長年、わざと彼を怒らせるような事ばかりしていたせいで、苦手意識を持たれている悲しい27歳児です。
それでも2人きりの時間だけ、激しく求められる程、愛されています(彼女の依存症が悪化する原因です)
家族に不幸があり、倉持家に養子縁組しました。
〇レザージャケットの女性
嫁の染子、略して嫁子、自分の子供に懐かれている一方、夫や年下の知人異性へ理不尽な暴力を振るう加虐性愛者です。
過度な精神的肉体的DVへの反抗で、何度か夫に凌辱(シチュエーションの一種)されていますが、夫婦関係は良好です。
久遠と巡の事を妖怪変化と認識し、夫から引き剥がす事を諦めています。
去年の誕生日プレゼントにせがんで、ジャケットとスカートを買って貰い、オシャレな非行少女を気取っています(思春期時代の場合、彼女のママに怒られる為)
その格好を披露し、「〇ンキの前で単車を見せびらかす、ヤンキー中学生の年上彼女みたい」と夫に言われ、ヤキを入れました。
惚れ抜いて一緒になった割には夫を「お前」や「おっさん」と呼んでいる、鬼畜な27歳児です。
〇惚れ抜いて一緒になった男や
「新極道の妻たち 惚れたら地獄」の岩下志麻(役者名)姐さんの台詞です。彼女の髪形を良く真似ている人物が三中の祖父です。
〇ゴロの作法
「網走番外地」シリーズの主人公、橘が大立ち回りをする前に出す決め台詞が元ネタです。
ゴロは素手ゴロ(徒手喧嘩)の短縮名詞です。
邦画二大派閥のうち、高倉健派が夏鈴と巡と絹穂。菅原文太派はユーザーとオパールと三中です。
〇意味はある。意義もね、大義ですらある
「呪術廻戦」、夏油傑の台詞です。物語のシリアスな場面を台無しにする最低な引用です。
〇そうか、●ね
〇そうくるか!! 女誑しめ!!
上記と同じ元ネタです。記憶が無くとも三中は短い期間に嫁の嫉妬深い性格を把握しており、相手の気持ちを尊重して怒りませんでした。
〇茉理がブラのホック留めをサトル(三中)に頼んだ理由
別の作品のセルフパロディです。サトルに留めて貰えば自慢出来て、尚且つ、嫁子へ細やかな仕返しが出来ます。
〇茉理は巡も嫁子と同じく嫌悪しているかどうか
80点の蔑称や妙な精神攻撃被害を大して気にしていません。下さない事をいつまでも引き摺る性質で無い為、嫌悪していません。
〇小心者の女性
大友絹穂、ユーザーの従妹であり、三中が溺愛している妹分です。
下品な事を嫌う一方、三中の手に欲情している節を見せています。
彼女も三中を溺愛しているので、もし嫌われた場合は心変わりするまで凌辱します。
兄さんの優しい笑顔を隣で見られる事が幸せな26歳女性です。(三中と職場が同じです)