私的自伝
子育て、介護、病、不倫、借金
子供が産まれた。
長男、凌。可愛い男の子だ。私24歳。
初めての子育て。大変だった。
正直子供なんか欲しくなかった。私は、自分が一番大切で、まだ遊んでたかったし、子供を可愛いと思った事なんて、1度もない。
しかもこの凌って長男が、小児喘息持ちだった。産まれてきたからには、しょうがない。ゼーゼーし始めたら、病院へ連れて行った。電動チャリなんて物は、ない。普通の自転車で、坂道走って、病院へ通った。で。即入院。この繰り返し。凌が初めて、喋った言葉は、パパ。本当に、ちっとも可愛くない。でもゼーゼー始めると、心配で、すぐ病院へは連れて行ってた。何故心配だったんだろう。
次男が産まれた。名前は、翔。私が付けた名前だ。私26歳。
次男。顔は、ジャニーズみたいな凌の顔に比べたら、可愛いくないのに、翔に関しては、始めから、可愛いくて、仕方なかった。可愛い私の翔も小児喘息だった。凌ほどでもなかったのが、せめてもの救い。私の翔は、心雑音が発覚した。肺動脈弁狭窄症。それって何⁇でも生活、運動の規制は、なかった。良かった。心からそう思った。夜、チャリで、後ろには、凌乗せて、前には、翔抱っこして、チャリ走らせる生活と、凌は、入院になるから、翔連れて、隣の駅まで、チャリで、通う生活が続いた。
凌3歳。何故だろう。片目だけ、ぱちぱちする、チックみたいな症状が、出始めた。何故⁇私が、たまに手を挙げてしまうから?何故⁇心配で、喘息で、かかっていた病院に相談してみた。脳波測ったら、てんかん派が出た。てんかんって何⁇てんかんって…とりあえず喘息の薬に、てんかんのお薬の生活が始まった。
そんな大変な生活の中、秋田に住んでた旦那のお母さんが亡くなった。旦那が言う。実家の自営業が失敗して、借金がある。破産宣告させたお義父さんをうちで、みたい。と。え?それって、相談じゃなくて、もう決定だよね?
そして、2DKのせまいウチで、大人三人、子供2人の生活が始まった。厄介だったのは、破産したから、一年位、年金が出なかった事。そして、引っ越して、我が家が欲しかった私なのに、旦那も連帯保証人で、家が買えなかった事だ。狭い中、旦那と大喧嘩をして、実家に帰った事が1度だけある。凌を残して。私は、凌も連れてく気だったのに、凌は、お義父さん、旦那から、離れない。凌が心配だったけれど、実家へ帰った。母は言う。子供を捨てた。と。その夜は、泣いた。可愛い顔の可愛くない凌を捨ててしまった。一つだけ救いだったのが、この時の私は、旦那を心底愛してた事だ。結果、一日で、狭い我が家へ帰った。離婚も考えてた私は、この実家に帰った一日だけで、実家と、我が家の間の居酒屋のバイトを決めた。凌を捨てた日。
夜中の生活と幼稚園
凌4翔2歳。私27歳。
昼間10時から3時まで凌、翔、幼稚園、私22時から、4時までのバイト生活が、スタートした。バイトが、ずっとしたかった私。久しぶりのバイト。20時に旦那が帰ってきて、交代で、育児を離れて、22時から、居酒屋で、バイトする私。久しぶりのバイトは、楽しかった。育児をしてるより楽しかった。男好きの私には、うってつけのバイト先だった。若い男の子、年上の男の人達、お客さん、みんなが、ちやほやしてくれる。働く事が本当に楽しかった。家に着くのは、朝6時。凌、翔のお弁当を作って、チャリで、幼稚園まで送る。送った後寝る予定が、寝れない、寝ない生活を二年続けた。貯まったお金で、実家の近くの4LDKの賃貸も借りた。
不倫
もともと男好きの私。若すぎる私。当然過ちも犯した。1人の男性を好きになった。相手も私を好きだ。と言った。当然、する。そんな生活も続いた。
恋の代償
翔を病院へ連れていった帰りの事だ。地面が揺れた。地震かと思った。地面が揺れてたまんま家に帰り、寝る体制をとった。息ができない。救急車を呼んでもらった。看護婦さんが言う。息ができないのは、精神だから。と。精神科を紹介された。それでも納得出来なくて、ありとあらゆる検査をした。結果、何も以上なし。何故地面が揺れるの?何故息が出来なくなるの?身体が、鉛の様に、重い。
これが過ちを犯した私の罰なのか?更年期障害の様な、いわゆるホットフラッシュみたいな症状も始まり、家から、出れなくなった。この時点で、やっと、精神科の扉を開いた。精神科も、紹介された病院は、家から、電車に乗らなければ、着かない。電車にも乗れない。旦那は、車で、送ってくれない。しかたないから、一駅、一駅、途中下車して、トイレに行く。たった4駅なのに、かかった時間は、1時間以上。診察の結果は、鬱病。私は、自分がパニックかと思っていた。鬱病って、なんだろう?私は、精神的には、元気なのに、身体が辛い。息ができない。地面が揺れる。外出したいのに、怖くて、家からも出れない。当然の事ながら、仕事は、辞めた。そして不倫相手とも連絡を経った。凌が小学生になる年だった。
病と介護
元来真面目な私は、精神科から、処方された薬をきちんと服薬した。自分の事で、手がいっぱいなのに、お義父さんの様子が、この頃おかしくなった。旦那の事も私の事もわからない。旦那を急かして、病院で、検査をしてもらった。結果、痴呆の始まりだ。手いっぱいの中、区役所へ行き、相談する。ケアマネを付けて貰い、ディサービスに通って貰う。送り出し、お出迎えの生活が始まった。そんな日々が続いた時の事だ。お義父さんに、イライラした私は、罵倒した。お義父さんは、壁に穴を開けた。もう、ダメだ…怖くなった私は、区役所に行き、特養の空き待ちを登録した。本当は、直ぐにでも施設に入れたかった。だって、おむつを変える事なんて出来ない。お風呂に、どうやって入らせていいか分からない。いや、そもそもお金がない。お金で、苦しめられた、お義父さんの面倒なんて、みれない。旦那は、何もしない。当然の事ながら、喧嘩の毎日が続いた。私は、自分が鬱病で、普通に面倒が見れない事を何度も何度も強く主張した。その成果があった為か、1年ほど、介護生活を続けたある日、特養の空きが出た。特養に入れて、年金だけで、賄えるんだろうか?そんな考えもよぎったが、直ぐ特養に入れた。
昼間のお仕事
お金がない。お金がない。焦った私は、昼間のバイトを決めた。薬は、処方された物をきちんと飲んでたからかなんだろうか?身体の辛さは、なくなっていた。外出もやっと出来るようになった。子供が小学生になった事もあり、昼間10時1時で、働くようになった。病気だから、だろうか?トイレが気になって、気になって、しょうがない。飲食しか出来ない私は、昼間のピーク、昼ピーとの戦いが始まった。お金は、一生懸命貯めた。旦那の給料も良かった。順調にお金が貯まったある日、旦那の借金が発覚した。ごめん。と旦那が言う。頑張った私の貯金は、一千万を超えていた。百万ほどの借金を直ぐに返した。そして、又借金、返す。この繰り返しの生活もしばらく続いた。不倫でもしてるんだろうか?良くも悪くも似た者同士の2人だ。きっと旦那も経験しただろう。と。私は、確信している。
ポチる私と買い物依存症
せっかく貯まったお金が、どんどん減っていくからだろうか?ある日一つのサイトを見つける。ソウルベリーと言うネットの服屋だ。もともと服好きの私は、いわゆる、ネットショッピングにハマってしまった。寝る時間を削って、ネットを見る。欲しい物をポチる。外出しては、服、靴、バッグを買う。毎日毎日買う。自分は、使わない物は、買わないから、買い物依存では、ないと思っていたけれど、いわゆる買い物依存症と言う物だろうか?何もなかった4LDKの部屋いっぱいに、私の買った物が、散らかる。いわゆる汚部屋の始まりだ。たくさんの服、化粧品、全部私の物ばかりだ。この頃メイクも服も365日変えたい、変えられる。自信があった。当然の事だが、一気に貯金もなくなった。そして、寝ないで、ネットを見続けた結果、待っていたのは、またも病だった。血が昇ってくかの様に、頭が痛いし、重い。また仕事が出来なくなった。真面目に精神科に通ってた私は、精神科の先生に訴える。頭に血が昇ってる感覚が、ずっとある。と。先生は、言った。そう言う更年期障害のような症状は、気の巡りが悪いのだ。と。そして漢方を処方してくれる、整体師を紹介された。怪しみながら、真面目な私は、精神科、整体に通い続けた。
凌の手術と病名判明
凌小学6年生。今まで、一般級に通ってた凌。勉強には、付いてけない、友達も出来ない。おかしいと常に感じていたが、小学生6年の担任の先生が親切で、凌が、中学からは、支援に切り変えた方がいいんじゃないか?と言ってきた。と同時に、病院からもMRIの結果、レントゲンに陰が映ってる。と言われて、てんかんの外科的手術をしている静岡か東京の外れの外科的治療をしてる病院を紹介された。どちらも同じ位の時間だったが、東京の国立の病院の方が、通い安いと思った私は、国立を紹介してもらった。そしてこの病院で、初めて凌が難病指定の限局性皮質異形成で、ある事を知った。手術をすれば、てんかんは、治るのかと思っていた私達だが、凌の場合は、手足の神経を通っている所に、てんかんの焦点があるので、手術をしてもよくならないグレーゾーンな子だ。と言われたが、私達は、リスクを考えた上で、手術を望んだ。そして病院で、知能を計って貰い、知能もグレーゾーンで、ある事を知った。一般級にするか、支援に切り替えて行くかの選択を委ねられたが、私は、迷わず支援を選んだ。手術を望んだ私達の選択は、正しかったのだろうか?凌のてんかんは、逆に酷くなって、いわゆる倒れるてんかんへと変わってしまった。そして右手にも軽い麻痺が残ってしまった。
中学生になった凌。どこかで、倒れてないかと心配する毎日。そして、この頃から、てんかんの痙攣も出る様になった。痙攣は、1分位の短い物だったが、その1分間が、すごく長く感じる。びっくりして、救急車を呼んでしまった事も何度もある。心臓がバグバグするって、こうゆー事を言うんだ。と思った毎日が続いた。そして体調が、戻った私は、仕事を又始めた。凌の事もあり、介護の資格を取って、介護職を始めた。お義父さんの介護も碌に出来なかったのに。
介護と私と不登校
翔も中学二年生になった。翔が、何故か学校に行きたがらない。問い詰めると、部活の子にいじめられた。と泣いた。初めのウチは、怒って、なんとか学校へ行かせようとした。だけど、外に出ない翔。私は、翔が学校へ行くのを諦めた。当然だが、部活、学校、いじめた側とは、戦った。そして、学校と区役所のカウセラーなる物にも真面目な私は、通った。でも言われる事は、簡単に言うと、私達が虐待していないか?だった。そして、カウンセラーと学校は、繋がっている、学校側もいじめを認めない。私達を虐待親子に仕上げると言う内容だった。最悪だ。翔が学校へ行かない毎日。家の中が、真っ暗だった。
そして凌高1。擁護学校の選択をした私。何故か、大丈夫?ってばかり聞いてくる。毎日毎日、大丈夫?と確認する凌。何度も大丈夫だ。と言う私。何度も繰り返してたが、介護の仕事を初めた私。正直疲れていた。もう本当に、疲れて、大丈夫?と言う凌に、お願いだから、死んで。と言い放った。凌を言葉で、殺した私。
翔が、ウチから、出なくなって、一年が起とうとしていた。クラス発表。友達が、ウチに来て、クラス表を持ってきた。そして三人の教師が、うちにくる。翔に、言う。不登校の子達が通うスクールへ通うか?高校もある。と。成績がない翔。私も不登校のスクールを何件も見に行っていた。翔は、中3から行ける。と先生に言う。その言葉の通り、翔は、中3から、毎日休まず学校へ通った。翔は、言った。普通の高校に通いたい。一年間勉強してない翔の為に、初めて、塾を探した。そして、部活を辞めた翔は、毎日、学校、塾へ通う。塾の先生が言う。今は、私立でも内申がなければ、入れてくれない。と。私立も目安をつけて、翔と見に行った。なんとかもうすぐで、入れそうな高校を見つけて、見学相談会で、私は、推薦でいれます。と宣言した。担任にも推薦で、この私立に入れる。と宣言した。成績が、推薦を貰える成績になった。私立だけど、翔の言うふつーの高校ってやつに入学した。高校生になった翔は、部活なんてやらないと思っていたのに、陸上部へ入った。毎日学校へ通う翔。1日も休まず、成績も優秀だった。大学に入りたい。と翔が言う。私立のバカ高い月謝で、貯金は、なかったけど、大学へ行っていい、と、私は、言った。塾代までは、出せなかった。成績は、推薦を貰える範囲だったので、推薦を貰いなさい。と、しつこく言う私に、翔は、一般で、良い大学に入る。と、宣言した。その宣言通り、いわゆる滑り止めだったが、それなりに名の知れた大学にストレートで、合格した。
幻聴、幻覚の始まり
凌は、擁護学校の担任が良かったのだろうか?大丈夫?と言う癖が、だんだん出なくなっていた。私は、介護の仕事に、夢中だった。夢中になれば、なるほど、頭、首、腰が痛い。痛い日々が続く。仕事に夢中になり過ぎて、又ねれない夜が続いた。そんな忙しい中、薬を飲み忘れる日々が続いた。いつもの様に、仕事をしていた私の耳に、死ねば。と皆んなが囁いてくる。びっくりして、常勤に、帰りたいと言った。私が、おかしくなったのだろうか?いや、精神は、もうやられてたけれど。知らない車の中から、死ねば。と叫ばれる。怒った表情を向けた。携帯電話が鳴った?誰かが、凌が、家出したと言う。帰りの時間に帰ってこない凌。私は、外を探しに行くのを何度も何度も繰り返した。探しに行ってる間も知らない皆んなが、死ね。と言う。知らない皆んなに、険しい表情を向ける私。頭の中の声が言う。あれは、重要な紙だから、持ち帰れ。病院中のゴミを持ち帰る私。頭の中の声が言う。あれは、必要だから、買いなさい。声が聞こえるままに、買い物する私。翔が、私の親に、ママが、おかしい。と電話したらしい。弟と、お母さんが飛んで来た。凌が連れてかれる。と、声が言う。険しい表情を向ける私。どうやって、仕事を辞めたのか、わからない。流石に旦那が動いた。初めて病院へ連れてかれた。診断の結果は、統合失調症。入院させたい。と旦那は、先生に言った。そして、入院出来る病院迄連れてかれた。入院施設を見る。お風呂には、一週間に2回しか入れない。と言う。古い病院だった。入院してる人達は、皆んな、おかしな表情をしている。私は、旦那に言った。入院したくない。旦那は、こんな何処に入院させたくない。と、泣いた。その夜ずっと夜の生活なんてなかった私を旦那が泣きながら、ごめん。と言いながら、抱いた。薬を服用してる長男が、私の薬も管理した。ママこれ、飲みなさい。僕も飲むから。と。そんな毎日が続いた。仕事を辞めたせいか、身体の痛さは、徐々になくなっていった。
ある日凌の主治医に言われた。凌のようなグレーのような子でも新しくもっと深いところ迄手術が出来る様になった。と。私は、もう凌を手術なんて、させたくなかったが、凌が、言った。手術をして治したい。と。私達は、二度目の凌の頭の手術に踏み切った。凌の痙攣、倒れる発作が、嘘の様に無くなった。そして、凌は、知的の子が働く施設で、働き始めた。
凌も統合失調症⁇
しばらくは、平穏な日々が続いた。私の幻聴、幻覚も無くなった。もう、何処から、何処迄幻覚で、幻聴なのか分からなかったけれど。
ある日、凌がウチに置いてある多くのお酒を飲み干した。朝玄関先に倒れてる凌を見て、旦那が怒っている。その日凌から、電話があった。追いかけられている。と。帰って来た凌は、ベランダに出る。ボーっと宙を見上げている。私の中の警戒音が、激しく鳴った。危ないから、入りなさい。と言った。凌は、ウチに大人しく入った。しばらくすると又ベランダに出る凌。次の瞬間目を疑った。七階のベランダの手すりに、凌が手を広げて、立っていた。どうやって凌を手すりから、おろしたのか分からない。とにかく、旦那が帰ってくる迄ベランダの窓には、近づかせなかった。知能は、小学生の凌だが、力は、大人。力では、敵わない。必死に翔を呼んだ。翔が、ベランダに出ようとする凌を、歯がいじめにしてる間に、旦那に電話した。幸い旦那は、家の近くだった。すぐ帰ってきて、ベランダに出ようとする、凌を旦那、翔で、歯がいじめにしてる間に、警察を呼んだ。家に何人もの警察官が来た。措置入院の手続きが終わり、近くの病院へ運ばれた。凌は、自殺をする可能生があった為拘束された。しばらくは、凌に会えなかった。会えた時には、表情が変わって、歯をカチカチとする凌。コミニケーションが取れない凌になっていた。先生は、統合失調症の可能性がある。と言った。措置入院は、ずっと出来ない為家に返された。帰ってきた凌は、七階のベランダから、飛び降りようとする。措置入院、退院。措置入院を繰り返した。家には、凌がベランダから飛び降りない様、鍵という鍵をかけた。玄関にも内側から出れない様鍵をかけた。しばらく会話の出来ない凌との生活が始まった。もちろんお風呂どころか、トイレも自分では、出来なくなっていた。オムツを使っていたが、飲む量が多いのか、必ず尿は、床に漏れた。家では、面倒見きれない。と、グループホームに入れようとしたが、自立してない凌では、無理だ。と言われた。途方に暮れる私と旦那。頭を2回も開けた影響なのか?国立の病院で、相談したら、即入院。薬の調整に入った。3ヶ月くらいかかっただろうか?家に主治医から連絡があった。薬の調整が順調に終わったので、向かいに来て下さい。と。本当に?今迄だって、ずっと調整してもらっていた。又家に凌が、戻ってくる。病院に向かいに行った私達は、凌を見て、びっくりした。会話ができる。会った瞬間にわかった。元に近い凌の表情だった。奇跡的に、薬の調整が、上手くいったのだ。歯をカチカチする癖と、ヨダレは、残念ながら、残ってしまったけれど。でも私達は、心底喜んだ。
現在
凌は、今又薬の調整で、入院している。カチカチと、ヨダレが気になる。と。1度出てしまった付随運動は、残念ながら、治らないと主治医は、言ったが、凌が、満足する迄入院させたいと私は、思っている。そして、毎日凌から、電話が来る。面倒だが、話し相手になる。
翔は、無事に良い職場に恵まれた。
現在の私。48歳。又飲食店で、働き始めた。十年近く働いてなかったが、なんとかなっている。トイレの問題は、今も続いてる。そして、買い物依存症も続いている。1度綺麗にした家も、又汚部屋化している。
私は、この物語が、売れると信じてる。そして、旦那もこの小説を読む日が、くるんだろうか?墓場まで持って行くと決めていた秘密を書いてしまった。この小説を見た旦那が、どうゆう態度に出るのだろう?私は、旦那が怖い事を1番知っている。慰謝料を請求されて、離婚しているかもしれない。私の物語は、まだまだ続くのだろうか?とりあえず、この物語をネットに載せて、ジャンプの小説カ部門にも投稿してみようと思っている。
願わくば、凌、旦那と仲良く暮らしていたい。
旦那へ