エコでリサイクルなクリーンのHito-Typeロボ
♪チャー チャララ チャーラー チャー チャララ ラー♪
スピーカーから、エルガーの行進曲[威風堂々]第一番中間部が、流れ出した。
依田エコサイクルクリーンセンターの従業員は、作業を一旦止め、その場に待機する。
危険地帯や注意地帯にいた従業員は、慌てて安全地帯に駆け込む。
センターのスピーカーから[威風堂々]が流れ出した途端、センター周辺の住民は、家の窓や出入り口を、すべて閉め始める。
対して、センターに最も近い小学校は、[威風堂々]が流れ出した途端、すべての窓を開け放つ。
校庭で体育の時間を過ごしていた児童は、運動を一旦止めて、空を見上げる。
合同授業をしていた二クラスの担任教師は、『やれやれ』という面持ちで、顔を見合わせる。
担任教師二人は、厳しい顔をして止まった児童を見つめていた体育教師を、見つめる。
体育教師は、二人の視線に気がつくと、苦笑して、つぶやく。
「まあ、しょうがないか」
♪チャー チャララ チャーラー チャー ララララー チャンチャン チャラララララ チャンチャン チャラララララ♪
第一番中間部の勇壮なサビの部分は、終わりに差し掛かっていた。
センター内の従業員は、センター裏のスペースに、目を向ける。
そのスペースは、町中のスーパーの、駐輪場くらいのスペースだった。
小学校の児童達は、気を入れて、センター上空に目を向ける。
♪ チャン チャン チャン チャン チャー♪
第一番中間部のサビをアレンジしたメロディが、終わった。
一瞬の静寂。
静寂の後、メロディと交代するように、地面から重低音が沸き上がった。
センター裏の、背の低い雑草が生い茂るスペースの、地面が動く。
地面は小刻みに振動すると、スペースの中央部に、縦線を描いた。
縦線は、急速に、その太さを増していった。
太さを増すと共に、立体感も増していった。
見ると、縦線を頂点に、左右四角部分の地面が、せり上がっていた。
側面から見ると、縦線を頂点にして、浮き上がった地面を上部の二辺、元のままの地面を底辺とした、二等辺三角形になっていた。
地面はますます浮き上がり、ついに頂点にスペースが生まれた。
パカッと音がするように、縦線は開き、そのスペースを広げていった。
まるで、跳ね橋が船の通行に合わせて開くように、地面は立ち浮き上がり、開く。
地面は、そのまま立ち上がり続け、元の地面と垂直になった地点で止まった。
縦線は、線と言うより、もう既に、地面が開けたスペースと一体化していた。
地面が開けたスペースの中に、人がいた。
頭部が無い物体を、人と言うのなら。
身長三メートル程の物体を、人と言うのなら。
人は、三角形の椅子に、ダラッと座っていた。
椅子は、一点を前方、二点を後方にして、設置されていた。
人は、後方の二点に肘を置いて、ダラッと座っていた。
その姿は、湯船のへりに肘をおいて、♪いい湯だな♪と湯に浸かっているおじいさんを、彷彿とさせる。
バシュ‥バシュ‥バシュー!
バシュ‥バシュ‥バシュー!
バシュ‥バシュ‥バシュー!
空気を排出する大きな音が、ほぼ同時に三回起こった。
人型の物体を乗せた三角形は、音と共に、地表に近づいて来た。
地面に空いた穴の中で、上昇を始めていた。
地面にポッカリと空いた、四角形スペースの中で、三角形の占める割合が大きくなって来る。
四角の空きスペースのかなりの部分を、三角形が占めた時、三角形は、空中に飛び出した。
飛び出した三角形は、斜め下から見ると、三つの頂点に、ブースターが付いていた。
ブースターは、下向きに噴射されており、その力で三角形は上昇していた。
三角形は、空中に飛び出し、地表と充分な距離のある上空で、ホバリングした。
数秒ホバリングすると、ブースターの噴射を後方に向けた。
前方へ飛行する為、三角形の一点を前面に、二点を後面にして、すべてのブースターを後方に向けた。
人型の物体は、相も変わらず、三角形の中に、ダラッと座っていた。
よく見ると、三角形の下方は半円形になっており、人型はその中に、両足と下半身を突っ込んでいる。
言うならば、赤ちゃん用の歩行器に、赤ちゃんがダラッと入り込んでいる風だった。
通常の歩行器よりも、かなり斜めに体を滑り込ませながら、人型は三角形の中に、落ち着いていた。
センターの従業員は、出動して行く三角形を見つめ、センター上空を過ぎ去ると、元の業務に戻った。
平均して一日一回は必ず出動があるので、従業員には日課だった。
エルガーの[威風堂々]も、覚えてしまっていた。
もっとも、第一番中間部アレンジバージョンだが。
センター周辺の住民は、音から三角形の出動を知る。
ちょうど今頃、我が家の上空を飛び過ぎて行く頃に、違いなかった。
にしては、音は、轟音や騒音と言うには程遠かった。
少し大きめの音に過ぎなく、窓も多少しか震えていなかった。
これでは、街中のスピーカーや叫び声の方が、よっぽどうるさかった。
もっとも、家の上空を、何かが定期的に通る不安感は、あったが。
三角形は、小学校の上空も横切った。
窓から外を注視していた児童は、三角形を見つけると、クラスのみんなに大きい声で知らせる。
「来たで!」
「「「ほんまに!」」」
一人の児童の合図に、そこらじゅうの児童が一斉に答える。
クラス全員が、いちどきにザッと波が押し寄せるように、窓際に押し寄せる。
授業を行なっていた教師は、『こん時は、しゃあないか』とばかりに、教科書を教台に置いて、自分も窓際に行く。
「せんせい、あそこあそこ」
「え、どこや?」
児童の一人が、後からおっとりと窓際に来た教師に、指差して教える。
三角形は右側を見せて、小学校の上空を横切った。
三角形を見つけた児童から、三角形に向かって、手を降り始める。
瞬く間に、窓際に押し寄せた児童全員が、手を振る。
一クラスや二クラス、一学年や二学年だけではなかった。
教室で授業していた全クラスが、窓際で手を降っている。
理科室や視聴覚教室にいたクラスも、手を振っている。
校庭から見ると、ほとんどの窓が、降られる手に埋め尽くされ、なにかほんわかと幻想的だった。
校庭でも、手を振っている。
が、校舎にいる児童と違い、斜め上に向かって、手を振っている。
児童全員が、手を上げて振っている。
クラスの担任二人と体育教師も、『日課やもんな~』てな感じで、手を小刻みに振っている。
三角形が、小学校の真上に来た時、ダラッと座っていた人型が動く。
体の向きを右に向け、左手を振る。
校舎の児童も校庭の児童も、その動きに気が付き、歓声を上げて、更に大きく手を振る。
プログラミングされたお約束。
教室の窓辺から、校庭の上から、人型の仕草を眺めていた教師達は、思う。
『『『あいつ、学校が休みの日も、手振るからな~』』』
喜んで手を振りまくる児童達を尻目に、教師達は複雑な思いを抱えて、人型を見送る。
三角形は、愛想をふりまけるだけの高度を保ちながら、学校上空を、依田エコリサイクルクリーンセンター周辺住宅地上空を、飛び過ぎて行った。
町の中心地にさしかかって来ると、三角形は高度を下げ始めた。
この町は、中心地及び繁華街にも、一定の距離毎に、スペースのある公園が設置されていた。
三角形は、公園の上空に来ると、ブースターを三つとも下に向けた。
ブースターは、噴出する空気を徐々に弱めて、ソロソロと下方に降りて来た。
三角形の三頂点は、ブースターのすぐ前に、三輪車の車輪大のタイヤを出した。
三角形は、タイヤのサスペンションにわずかなショックを吸収させて、スーーーと着陸した。
ダラッと座っていた人型は、三角形が着陸するや、足の裏をしっかと地面に踏ん張る。
そして、体を起こすと、三角形の中で‥歩行器の中で、スクッと立ち上がる。
身長三メートルの赤ちゃんが、歩行器の中で、まっすぐ立っている風だった。
三角形は、人型が腰を据えていた下方の半円部分を、左右にパカッと開いて収容した。
人型の体は、三角形から開放され、人型と三角形の間には、スペースが生じた。
三角形は、ブースターから、再び空気を噴出した。
地表から数十センチ浮き上がると、タイヤを仕舞った。
そのまま上昇を続け、先程の高度まで上昇した。
降下を始めた位置まで戻った三角形は、その位置でホバリングを開始した。
人型は、バンザイの体勢で、三角形から抜け出て、その体勢を保っている。
例えるなら、“ちっちゃい子が、お母さんに上着を脱がされた格好”、と言えばいいだろうか。
ここまで「人型、人型」と言って来たが、人型は人の形には、程遠かった。
胴体は、樽を縦に二つ重ねたような形状を成していた。
二つの内の、上部の樽胴体の、真ん中のふくらみ左右から、縄状のものが飛び出していた。
左右各自の縄の先には、複数の関節を持つ棒が、五つ付いていた。
下部の樽胴体にも、同じ部位に、同じようなものが付いていた。
これらはおそらく、腕と脚と思われる。
頭部が無い以上、どちらが腕でも脚でもいいと思うのだが、彼の中では明確に区別されているらしい。
上部の樽胴体の、真ん中のふくらみ部分。
つまり、左右から、縄状のものが飛び出していた部分に、スマイルマークが設置されていた。
ちょうど、神社の絵馬堂に掲げられている絵馬のようにガッシリと、スマイルマークが前に迫って来るように、幾分斜め気味に設置されていた。
そのスマイルマークのフェイス板は、口の右端に、ちょっぴり舌を出していた。
事件は、現場で起こっていた。
現場は、人型がいる公園から、百メートル弱のところだった。
人型は、歩き出す。
体の左右から脚が出ているので、『カニがに股で、歩きづらい』と思うのだが、器用に右足左足交互に出して、スッスッと歩いて行く。
人型は、そのものズバリ、HT(Hito‐Type)と呼ばれていた。
人間が、“自分ができないことや、したくないこと”をさせる為に、開発したロボである。
よって、“人間の形体やサイズに合わせて、作られた人間社会”に、役立つよう作られていた。
その為、HTの基本形態(胴+腕+脚)は人間と同じにされ、そのサイズも上下(身長)三メートル、左右(幅)一メートルが上限となっていた。
ロボと言えば、鉄バンバンのメカニカルなものが、アニメや現実でも大多数だった。
が、HTは、そうではない。
見た目こそ、人間とは程遠い。
が、対組織は、今までのロボより人間に近かった。
俗に、昆虫は外骨格と言われ、動物は内骨格と言われる。
云わば、今までの鉄バンバンメカニカルロボは、昆虫だった。
対して、HTは、動物(人間)だった。
人間の骨に相当するカーボンが人の形を成していて、カーボンは強化ゴムに包まれいた。
カーボンの骨格とゴムの皮膚の間には、空気が圧縮され、ギュウギュウと詰め込まれていた。
簡単に言うなら、大きなバルーンロボ。
単純化するなら、ゴムの皮膚と圧縮空気を取れば、線で書ける最も単純な人体。
あるいは、ピクトさん。
そのHTの愛称として、“ピクトさん”と呼ばれてもよさそうなものだが、そうは呼ばれていなかった。
そのHTの正式名称は、ONC048型HT 通称 エコリサイクルセンターロボ。
そこから取って、愛称は“エコリン”である。
県警が、愛称を全国的に募って、そこから選び出して命名した。
見事、最優秀作品に輝いたのは、隣のそのまた隣の地方に在する県の主婦だった。
すべてに於いて思い入れの無い愛称だったが、民で財でも官でも、その愛称で定着した。
エコリンは、現場に向かっている。
ここ最近、HTを使った犯罪が急増していた。
元々、HTは、人間が“自分ができないことや、したくないこと”をさせる為に開発されたので、人間よりも身体能力が高い。
おそらく、平均して、十倍以上は高いだろう。
その能力を活かして(?)、様々な犯罪が横行していた。
エコリンは、二つ目の角を曲がる。
角を曲がると、現場が見えて来た。
最もポピュラーでお求め安い価格のHT、“BLC048型HT 通称 ポニーシュシュ”が、こじゃれたレストランをぶっ潰していた。
レストランは半壊状況で、今ここで止めるよりは、もう少し暴れさせて全壊状況にした方が、保険が適用されやすく、補償金額も大きくなるように思われた。
そして、その方が確実に、レストランのオーナーは喜ぶと思われた。
エコリンは、既に現場に到着していたが、高則は動かない。
「高則さん、エコリン来てますよ」
「ああ‥分かってる‥もうちょっと‥」
高則は、相棒の順治の指摘にも、動じない。
『もう少し、壊させてやろ』
高則は、ポニーシュシュに蹂躙されるレストランを、眠そうな眼で、リラックスした体勢で、見続ける。
ゴボッ‥‥ドサッドサッ‥‥
ポニーシュシュの一撃をくらい、レストランの屋根は大きな穴を空けた。
その穴を基点として、レストランの屋根は崩れ、ついに屋根全体が崩れ落ちた。
『潮時やな』
高則は、眠そうにしていた眼を見開き、体勢を起こす。
サポートビークル(ほぼ車)の助手席でダラッとしていた高則は、背筋をシャンと伸ばして、シートに腰掛ける。
手元に立ち上げてあったノートパソコン、と言うよりノートブックのキーボードに手を添える。
運転席の順治は、高則のメリとハリを、いつもながら感心して見つめている。
『“やるときゃやる”、やね』
順治の感心を受けながら、高則は、キーボードの〔GO!〕ボタンを押す。
待機していたエコリンは、ようやっと動き出し、暴力を振るうポニーシュシュの方へ向かう。
高則は、歩み始めたエコリンを確認すると、キーボードから手を放す。
両手の平を後頭部に持っていき、指を組み合わせると、体を反り返らせ、伸びをする。
そして、両手を後頭部にした姿勢のまま、シートに深く座る。
「エコリンに、任せといていいんですか?」
順治は、キーボードから手を放した高則に、不安を訴える。
「大丈夫や」
高則は、順治に軽く答えて、続ける。
「基本アクションと、有り得るパターン対処アクションをプログラミングしたUSBを突っ込んであるから、よっぽどの予想外事態が起きん限りは、大丈夫や。
危惧するのは‥‥」
「危惧するのは‥‥」
「心配なのは‥‥」
「心配なのは‥‥」
「早よ片付き過ぎて、「他の現場にも行ってくれ」って言われることやな」
順治は、のんびり構える高則に、半信半疑である。
『そんなに早よ片付くか?
ポピュラーな機体とは言え、相手はHT。
ポピュラーなだけに、データはどの機体よりも充実してるはず。
ほんま、大丈夫か?』
大丈夫だった。
ポニーシュシュの横暴は、エコリンが乗り出して、数十秒で収拾された。
エコリンは、ポニーシュシュの前に立つと、両腕を垂らして、ポニーシュシュと対峙する。
二体が、時が止まったように対峙すること、数秒。
‥‥ヒュッ‥ガッ!‥‥
いきなりエコリンは、ポニーシュシュの横っ面を張る。
HTには頭部がないので、正確には、フェイス版の横‥腕の付け根部分を張る。
エコリンの一撃は、ポニーシュシュの八重歯のかわいい女の子が描かれたフェイス版を、歪める。
同時に、ポニーシュシュの、二段樽のような胴体上部分‥腕が付いている上部分だけが、九十度ひん曲がった。
ポニーシュシュは、右腕を真ん前に、左腕を真後ろにして、小刻みに振動した。
背骨(ピクトさんの真ん中の線)が、曲がり折れているに違いなかった。
ポニーシュシュは、振動を次第々々に弱め、やがて完全に停止した。
この間、数十秒。
『速え‥‥』
順治の胸の内に答えるように、高則は口を開く。
「まあ、基本スペックが、百倍は違うやろうからな~。
“大人と子ども”を超えて、“スーパーヘビー級レスラーと乳幼児”くらいの差ちゃうか」
『何の問題も無いし、何の不思議も無い』と思わせるように、高則はサラッと言う。
「後片付けは、いつものように任せるとして、俺らは帰るか」
高則はそう言うと、キーボードの〔HOME〕ボタンを押す。
エコリンは、潰れた家屋及び壊れたポニーシュシュから、きびすを返す。
そして、がに股スッスッの歩き方で、現場を後にする。
今来た道を戻って行くエコリンを確認し、高則はノートブックを閉じる。
「さて、俺らも帰ろうか」
「はい」
順治は体を起こし直してハンドルを握り、サポートビークルを出す。
高則はシートに深々と身を沈め、目を閉じる。
依田エコリサイクルクリーンセンターに戻る途中、順治は、三角形にダラッと座り乗っているエコリンを見かける。
上空高く飛ぶ三角形に座るエコリンの姿は、『一仕事終えて、やれやれ』を連想させる。
「そんなに仕事してへんけどな」
順治は、こっそり、つぶやく。
つぶやいてしまって、助手席に一瞬、目を走らせる。
高則は、眠ってしまったのか、はたまた目を閉じているだけなのか知らないが、ピクッと動かずに、沈み込んだ姿勢を保っていた。
三角形は、行きより二倍速以上で、小学校上空を飛び去った。
何人かの児童と何人か教師が気付いたが、窓際に寄る間もなく、手を振る間もなく、三角形は、さっさと飛び過ぎて行った。
もちろん、エコリンが、体の向きを変え、手を振るなんてこともなかった。
教師の何人かは、思った。
『ま、そんなもんやね』
児童の何人かも、思った。
『まあ、そんなもんやろーなー』
三角形にダラッと座ったエコリンは、「そんなもんです」と言うかのように、微動だにせずに、ダラけた体勢を保持していた。
高則と順治は、依田エコリサイクルクリーンセンターに戻って来る。
三角形とエコリンは、一足先にセンターに戻って、既に格納されていた。
「タカさん、エコリン、着いてますね」
「あー、ほんまやなー。
一息ついたら、見に行ってやろう」
高則は、順治の言葉に、むっちゃ緊張感の無い返事を返す。
おそらく、考えること無しに、条件反射の返事であろう。
“山!川!”みたいな。
順治は、高則の返事に、ひそかにゲッソリして、ビークルを止める。
順治は、車を降り、歩き出す。
高則は、順治の後を、ひょーひょー歩いて、付いて行く。
順治はどちらかと言えば、すっすっ歩く。
すっすっ‥ひょーひょー‥
すっすっ‥ひょーひょー‥
二人は、モールス信号というかアナログ信号というか、そんなリズムを刻んで、歩いて行く。
そして、部屋の前に着く。
順治が、ドアに手を掛け、右に開ける。
取っ手に手を掛け、右に引き開ける。
入り口の引き戸を開けると、畳敷きの部屋の中に、男が一人座っていた。
「おかえりー」
男は、ちゃぶ台を前に、湯呑みでお茶をすすっている。
「ただいま、です」
「ただいま帰りました」
高則と順治は、相次いで、挨拶を返す。
ちゃぶ台前の男は、ちゃぶ台横下にあった、布巾をかぶせてあるお盆から、湯呑みを二つ取り出す。
ポットから急須に湯を注ぎ、湯呑みに急須からお茶を注ぐ。
その湯呑みと朱塗りの菓子椀を、高則と順治の前に置く。
「まあ、座って一服せいや」
二人は、ちゃぶ台を前に座ると、ちゃぶ台に置かれた湯呑みを手に持つ。
湯呑みからお茶をすすり、菓子椀の中から煎餅を取り出す。
バリバリ‥‥バリバリ‥‥
バリバリ‥‥バリバリ‥‥
高則と順治は、バリバリハーモニーを奏でながら、煎餅を噛みしだく。
「今日も、うまいこといったみたいやな」
「速攻でした」
「瞬殺でした」
男への、高則と順治による本日業務報告は、一瞬で終わった。
男も「短か!」とかツッコまずに、二人の報告を『ふ~ん』みたいな感じで聞き、了承する。
ズズッズズッ‥‥バリバリ‥‥
バリバリ‥‥ズズッズズッ‥‥
ズズッズズッ‥‥バリバリ‥‥
三人は、静かに穏やかに、沈黙を保って、お茶を飲み煎餅を食する。
「ああ、さっき、本部から連絡あったで」
「なんて言ってきたんですか?」
「明日の会議、時間変更やて」
男と順治の会話を聞いて、高則は『やれやれ』と思う。
本部の会議は、よく時間が変わる。
高則は、『はてさて』とも思う。
HTを使った犯罪の急増に対処する為、県警は、HT犯罪取締りに特化した部署を設けた。
それが、HT部HT課である。
HT部には他に、KT(Kemono-Type)課があるが、それはまた、別の話である。
HT部HT課は県警本部に置かれ、HTそのものも、HTを補助するサポートビークル(ほぼ、車やバイクなど)も、県警本部に配置されていた。
エコリンは、最新鋭の機体・能力を有し、そし次代の動力の本格的活用を目指して開発されたプロトタイプだった。
よって、実際の現場で実績を積み、県警全体に配備が決定するまで、本部とは違う場所で勤務していた。
エコリンの動力は、廃棄物‥つまりゴミだった。
ゴミを焼却したものを超圧縮し、形状と重量共に、ジャーマンソーセージ大にする。
大体、数百トンのゴミが、一本のソーセージに圧縮された。
その施設を持つのは、県内で、依田エコリサイクルクリーンセンターのみであった。
よって、エコリンは、エネルギー確保の観点から、依田エコリサイクルクリーンセンターに配備された。
が、エコリンというハードだけでは、役に立たない。
エコリンを動かすソフトが無ければ、エコリンを動かす人間がいなければ。
県警は、HT部HT課の下に、分室を置くことにした。
HT部HT課依田エコリサイクルクリーンセンター分室を。
その分室に配属されたのが、高則、順治、そして、ちょこんと座っていた男‥室長だった。
エコリン部隊は、まったく警察っ気の無い、離れ小島のようなところから日々の業務に励んでいることになる。
ズズッズズッ‥‥バリバリ‥‥
バリバリ‥‥ズズッズズッ‥‥
ズズッズズッ‥‥バリバリ‥‥
三人は引き続き、静かに穏やかに、沈黙を保って、お茶を飲み煎餅を食する。
「エコリン、メンテナンスせんでええのか?」
室長が、二人のどちらでもにも向けて、言葉を掛ける。
「今回の出動は、速攻で終わったから、ちゃっちゃと見るだけみたいな感じで、ええんとちゃいますか?」
「一応、マニュアルにもあるし、報告書作って報告せなあかんから、そういう訳にもいかんやろ。
まあ、「目を皿のようにして」とは言わんから、見て来てくれ」
「はい。
順治、行っといて」
「は?」
室長の眠たそうな真っ直ぐした視線と、高則の『さも当然』とした視線を受け止め、順治は刹那的には、戸惑う。
が、この日課的なやりとりはもう慣れっこになっていたので、次の瞬間には、返事と共に、部屋を出て行く。
「了解です」
順治は、高則や室長の態度に、不満やなんやかんやを通り過ぎて、もう慣れっこになっている。
例えるなら、「腹減りすぎて、もう食う気無くなったわ」ってな感じで。
すっすっすっすっ、と歩く順治は、エコリン格納庫に着く。
格納庫と言っても、プレハブの倉庫に過ぎないが。
順治は、人が一人、屈んでやっと入れるくらいのドアのノブを廻す。
廻らない。
「ああ、忘れてた」
順治は独り言を言うと、ノブの上の鏡に、顔を近づける。
数秒、間があって、ドアの鍵が、ガチャン!と開く音がした。
今度こそ、順治はノブを廻して、ドアを開けた。
順治は、腰を屈めて、「よっ」と中に入る。
格納庫の中は、暗かった。
基本的に、窓にはフィルムが貼ってあるので、日の光りは、淡黒い光りしかもたらさなかった。
壁の隙間から、細長い光りや薄い光りが入り込んでいたが、格納庫全体に明るさをもたらすには、到底至らなかった。
順治は、朧に見える格納庫内を、慎重に進む。
電源盤を見つけると、まず主電源のレバーを上に揚げる。
そして、四つのスイッチをすべて、OFFからONにする。
格納庫内のLED電灯が、すべて燈る。
空調設備が、空気の出し入れを開始する。
格納庫内の一角にある電算ブースに、小さく光りが燈る。
電算ブースはDJブースくらいの規模で、デスクトップパソコンが二台あるきりだった。
電算ブースのすぐ横には、整備用具・予備部品などが整理されて置かれた一角があった。
エコリンは、その前にいる。
格納庫の真ん中に、三角形にグタッと座って、鎮座ましましていた。
眠っているように、頭を心持ち、後ろに倒し気味にしていた。
順治は、エコリンを見上げると、つぶやく。
「うん、お疲れさん」
順治は、サンカクリンの後部に、廻り込む。
サンカクリンの後部にもぐり込み、エコリンの臀部を支えている、サンカクリン下部の半円形の前に、たどり着く。
半円形の椅子の、後部の中央部を開くと、エコリンの樽尻がドーンと出て来た。
そこらのロボよりは人間っぽいけど、明らかに人間とは違う樽尻が出て来た。
大きさ一つとっても、とても人間じゃない。
よく見ると、臀部の真ん中上部には、ヒップバッグらしき造形がしてあった。
順治は、そのヒップバッグに付いている、□の文字の下線が空いた様な、“コの文字90度左回転の取っ手”を掴んで、上に揚げる。
ヒップバッグの中は、左右二区画に分かれていた。
左の区画には、USBの挿入スロットが、左方縦に三つ、右方も縦に三つ、計六つのスロットが並んでいた。
右の区画には、大きなソーセージ直径大の真ん丸の穴が、左方縦に三つ、右方も縦に三つ、こちらも計六つの真ん丸穴が並んでいた。
六つのUSBスロットの内、左方縦三つのスロットが、埋まっていた。
六つのソーセージ穴の内、左方上一つの穴が、埋まっていた。
順治は、USBスロットから、左方中央と下の、二つのUSBメモリを引き抜く。
ソーセージ穴に埋まっている、ソーセージ大のスティックのようなものの側面に目をやり、ウンウンとうなづく。
順治は、確認が済んだと見え、ヒップバッグの扉取っ手を掴み、ヒップバッグを閉じる。
HTは、基本、自立で稼動する。
人間が、操作、コントロール等をする必要が無かった。
備え付けられたUSBスロットに、プログラムを保存しているUSBメモリを差し込むことで、HTは活動することができた。
USBメモリに保存されているプログラムは、HTの活動が一区切りする毎に、その活動情報を反映して、日々更新された。
よって、HTは、経験を積めば積むほど、あらゆる事態に、柔軟に的確に対応できるようになった。
HTのUSBスロットには、そのプログラム用USBメモリと、活動情報データ収集用USBメモリと、サポートビークルからの無線通信用USBアダプタが、差し込まれていた。
その為、HTには、三つ以上のUSBスロットを備え付けることが、標準化していた。
ソーセージ穴は、廃棄物を超圧縮して、エネルギーとして詰め込んだ、ジャーマンソーセージ大のスティックを補給する穴だった。
ソーセージスティックは、エコリンの動力として開発された。
通常、HTの動力は電力だが、昨今の社会状況をおもんばかった国・県・国策企業等々側が、国民へのポーズ(またはアピール、またはエクスキューズ)として、開発された。
ソーセージスティックを補給する穴は六つあるが、六つ使用することは、めったに無かった。
大体、一本のスティックで、三回出動分の動力をまかなうことができた。
順治は、エコリンとサンカクリンの状態を、調べ始める。
依田エコリサイクルセンター分室には、三人しかいない。
室長と、高則と、順治と。
現場作業から事務作業まで、この三人で廻していかなくてはならなかった。
もちろん、組織がまるで違う、センターの従業員の手を借りるわけにはいかなかった。
つまり、順治に、様々な仕事がのしかかって来た。
比率で言うと、室長20%、高則30%、順治50%くらいだった。
そんなわけで、メカニックも兼ねる順治は、エコリンとサンカクリンを調べ始める。
今回の出動では、エコリン、サンカクリン共、外傷は認められなかった。
内部機器の異状も、見受けられなかった。
『まあ、瞬殺、やったしな~』
順治は、“すべてに異状無し”を確認すると、エコリンに話し掛ける。
「今回も、お疲れさん。
次も、よろしくな」
エコリンのフェイス板に、日の光りが当たった。
日の光りは、フェイス板に、陰影をもたらした。
エコリンは、スマイルを、更にスマイルして見えた。
「おっと。
サンカクリンも、お疲れさん。
次も、頼むで」
「ついでかよ!」とツッコミを入れることもなく、サンカクリンは、たたずんでいた。
日の光りを浴びて、威風堂々と、たたずんでいた。
順治は、電源をすべて落とし、プレハブエコリン格納庫を後にする。
順治は、分室に、戻る。
順治が戻ると、室長は顔を上げて、言う。
「本部から、出動要請あったで」
室長の口から、本日二度目の出動となる、本部からの出動要請が知らされる。
まさに、高則が危惧していたことが、発生したらしい。
溜め息をついている高則を措いといて、室長は、順治に出動要請の内容を伝える。
今夜、埠頭の倉庫で、賭場が開かれる。
通常なら、ギャンブル対策部博打対策課のみの出動なのだが、賭場に二体のHTが配備されているという情報が入り、分室にも出動要請が来た。
詳しい出動時刻は、追って連絡するが、おそらく深夜になると思われる。
とのことだった。
順治は、至極当然の意見を口にする。
「本部のHTだけで、イケるんちゃいますか?」
室長は、大人の事情を口にする。
「たぶん、新聞にもテレビにも、大きく取り上げられるやろうから、分室のHTを出してくれやて。
“環境に優しいHTを使って、日々、治安維持に努めている、あなたの警察です”を、市民にアピールしたいんやろな」
『めんどくせーなー』
順治は、強く思ったが、上司命令には逆らえない。
公務員で、給料は税金からもらっているし。
その給料の額を決めるのは、上司(室長除く)やし。
おそらく、順治以上に『めんどくさく』思っているであろう、高則もあきらめた顔をしている。
高則と順治は、深夜に出る予定の出動指令まで、分室に待機することになる。
定時に帰宅できずに。
警察に勤めている以上、定時帰宅は“絵に描いた餅”だった。
実際、少しもままにならず、高則と順治は、一度も定時に帰ったことが無い。
が、センターの従業員は、まぎれもなく、役所勤めの地方公務員だったので、定時と同時に、スイスイスイーッと、帰宅する。
定時から一時間後には、すべての電気が落とされ、宿直室以外は、人っ子一人いなくなる。
♪キーンコーンカーンコーン キーンコーンカーンコーン♪
スピーカーから、定時の鐘が鳴った。
センター内は、にわかに騒々しくなった。
バリバリバリバリ‥‥ガリガリガリガリ‥‥
ガシュガシュガシュガシュ‥‥モグモグモグモグ‥‥
ゴックン
ズズー‥ズズー‥‥ ふう
「ほな、帰るわ」
チャイムが鳴るやいなや、室長は、手にしていた煎餅を、急いで噛み砕く。
急いで噛み砕いた煎餅を、急いで呑み下し、急いで胃にお茶で流し込む。
そして、二人に告げる。
いつもながらの急変に、高則と順治は、妙に感心する。
二人が、定時に帰ったことが無いのと同じくらい、室長は、残業したことが無かった。
『お前は、工場勤めのパートのおばさんか!』と思うくらい、切り上げがよかった。
「ほな後、よろしく」
室長は、一言目の「ほな、帰るわ」を告げると、蒸着をするように、すばやく着替える。
そして、二言目の「ほな後、よろしく}が言い終わらない内に、事務所から出て行く。
チャイムが鳴って、ドアから室長が出て行くまで、その間数分。
この人には、“仕事の区切りを付けてから”という思考が、無いらしい。
いや、仕事が少ないから、余裕を持って、区切りを付けているのかもしれない。
ってゆうか、仕事してるのか?
高則と順治は、軽やかに室長が出て行ったドアを、呆けたように『もう慣れた』ように、見つめる。
数秒後、二人は、思い思いの姿勢を取る。
高則は、二つに折り畳んだ座布団を枕にして、寝っ転がって、雑誌を読む。
順治は、畳の上に正座して、文庫本を読む。
チャイムから十分も経たず、依田エコリサイクルクリーンセンター内は、ざわめきが落ち着き、再び静寂に包まれた。
ほとんどの従業員が帰ったらしい。
おそらく今、センター内に残っているのは、分室の二人に、センターの宿直室の数人だけだろう。
順治は、『ああ』と思い付いて、ちゃぶ台と同じ高さの電話台のところへ、膝歩きでにじり寄って行く。
電話機の内線ボタンを押して、1番のメモリーボタンを押す。
ボタンにプリントされた“1”の数字が、剥げ剥げになっているメモリーボタンを押す。
メモリーボタンの1番には、宿直室の番号が記憶されていた。
トゥルルル‥トゥルルル‥
トゥルルル‥トゥルルル‥
トゥルルル‥トゥルルル‥
トゥルルル‥トゥルルル‥
なかなか出ない。
順治が、受話器を置こうとした時、ガチャッと音がした。
「はい、宿直室です」
電話に出た声には、聞き覚えがあった。
「あ、糸田さんですか。
分室です。
今日、たぶん夜遅くに出動があるんで、よろしくお願いします」
順治は、今日の宿直当番の一人らしいセンター従業員 糸田に挨拶し、用件を伝える。
「ああ、順治君かいな、いつも、ご苦労やな。
了解や。
頑張りや」
「はい、ありがとう御座います。
よろしくお願いします」
順治は、糸田の声に安心して、相手の言葉に、愛想よく良く返事する。
依田エコリサイクルクリーンセンターと、県警察本部HT部HT課依田エコリサイクルクリーンセンター分室(長い)は、まるで異なる組織に属している。
たまたま、“同じ敷地内に、違う組織の拠点が存在する”、というだけだった。
よって、あまり交流が無く、交流が無い為に、お互いが実際何をしているのか、まるで知らなかった。
知らないことが、無頓着を生み出すのなら、まだ良かった。
が、センター従業員の間では、知らないことが、『分室って、何やってるのか分からんで、胡散臭いな~』の疑心を生み出していた。
それが、ますますお互いの、心理的距離を遠ざけた。
よって、より交流が無くなり、より交流が無くなった為に、お互いが実際何をしているのか、より知ることがなくなった。
まさに、負のサイクル、負のスパイラル。
そんな仲ではあるが、センターの従業員にも、何人かの分室の理解者がいることはいた。
その一人が、糸田だった。
宿直室へ“分室残業のお知らせ”を入れた場合、暗に明に、センター従業員から皮肉を言われることが多かった。
午後五時以降、深夜早朝問わず、大きな音を出して、大きな機械を動かして、大きな図体が飛び出して行くのだから、無理もない。
が、糸田と数人の従業員は、そんな分室の仕事を理解し、快く対応してくれていた。
順治は、「ふう」と一息付くと、受話器を置く。
ちゃぶ台の前に、にじり戻り、ちゃぶ台の上に伏せた文庫本を、取り上げる。
順治は、背筋を伸ばし正座して、再び文庫本を読み始める。
高則は、相も変わらず、寝転がった姿勢で、雑誌を読んでいる。
そのまま、さして会話も交わさずに、二人は数時間を過ごす。
文庫本を読み終えたところで、順治は、高則に話し掛ける。
「タカさん」
「なんや?」
「夕飯、どうしましょ?」
「う~ん。
深夜の予定ゆうても、いつ指令あるか分からんから、食うのに手間のかかるもんはあかんやろな~。
俺は、パワーバーでええわ」
「じゃ、僕も、そうします」
順治は、冷蔵庫から、パワーバーを取り出す。
パワーバーとは、県警支給の、ナッツ類や十六穀類がチョコレートコーティングされた、棒状の食べ物である。
なんとかーズとか、なんとかメイトとか、なんとかジョイとか、あんな感じの食べ物である。
高則と順治は、各自、ナッツバー一本と大豆バー一本を、お茶で口と喉を潤しながら食べる。
一本当たり、約200キロカロリーなので、各自400キロカロリーは摂取したことになる。
これで、今回の出動には、充分間に合うと思われた。
が、出動中に、“急激腹減り動けない”は、起こり得る。
その時の用心に、順治は、パワーバーを四本、出動備品入れリュックに突っ込む。
出動準備も整い、後は指令が来るのを待つだけ。
高則は、読書(雑誌の)に、いそしむ。
順治も、読書(文庫本の)に、いそしむ。
分室に、静かな沈黙の、それでいて重くない空気が流れた。
♪タタタターンターン タタタターンターン タタタターンターン ターンタター ♪
電話機のスピーカーから、ワーグナーの楽劇の前奏曲[ワルキューレの騎行]が流れ出した。
「来たか」
「来ましたね」
高則と順治は、各々のリュックを引っ掴むと、リュックを背負いながら、分室を飛び出す。
タンッタンッ‥ヒューヒュー‥
タンッタンッ‥ヒューヒュー‥
二人は、先程戻って来た時とは打って変わり、デジタル信号を刻むように、廊下を駆け抜ける。
建物を出、エコリン格納庫に、順治が先にたどり着く。
順治は、まじまじと、ドアノブの上の鏡を見つめる。
ガチャンと鍵が開き、二人は、格納庫の中に飛び込む。
二人は、格納庫から飛び出す。
駐車場に止めてあるサポートビークル(ほぼ車)に、向かう。
運転席に順治、助手席に高則が乗り込む。
現場の地図や対象の詳細などの情報は、本部からビークルに送信してあった。
順治は、ナビ画面で現場の位置を確認すると、ビークルを発進する。
高則は、リュックからノートブックを出す。
そして、ノートブックのモジュラージャックと、ダッシュボードのモジュラージャックを、ケーブルで繋ぐ。
ノートブックの画面には、現場の地図と現場の状況、今回の出動内容などが映し出された。
「現場は、やっぱり、埠頭の倉庫やな。
そこで、賭場が開かれているらしい。
HTが二台配置されているから、博打対策課が手入れしている間、HTの相手をしてろってよ」
高則は、画面に示された情報を要約して、順治に伝える。
「賭場っていうからには、今度の相手は、ヤクザとかマフィアが使う、用心棒型HTですか?」
「ああ、バウンサータイプやろな。
なんや、厄介そうやな」
順治の問いに、高則は『やれやれ』といった口調で答える。
高則は、目をへの字にして、口をサラダボウル型にして、一見スマイル顔で答える。
が、その視線は、ノートブックの画面を、じっと見つめている。
が、その視線が醸し出す雰囲気は、画面をとらえているのかいないのか、判然としなかった。
『ああ、始まった』
高則が、この態勢に入った時は、思考が急速廻転している時で、周りのものを見ているようで見ていなかった。
必要最低限の生命維持活動は行なうが、それ以外のパワーはすべて、思考をめぐらすことに集約された。
順治は、高則と出合って間もない頃、この状態に出くわした時、『すわ!高則さん、死んだ?気失った?』と思い込んだ。
が、高則は、トイレにはちゃんと行くし、食べ物をちゃんと食べ、飲み物もちゃんと飲んだ。
『まあ、早い話、ほっとけばええか』
順治は、こう結論付けて、高則のするがままに任せておく。
今、高則は、相手のHTとの格闘を、シュミレーションしているに違いない。
情報をまとめ、状況を分析し、戦略を立て、用いる戦術・戦法を選択しているに違いない。
ビークルは、小学校の側を通りがかった。
上空を見上げると、星空の中、エコリンとサンカクリンが、飛び進んでいた。
エコリンは、体の向きを右に向け、左手を振る。
夜の小学校に向かって、灯りの無い校舎に向かって、誰もいない校庭に向かって。
プログラミングされたお約束。
「調子ええみたいやな」
いつのまにか、思考没頭していた高則が、エコリンを見上げている。
『抜け目無い人やな~』と、順治は妙に感心し、返事を返す。
「そうですね。
ちょっと、かわいそうな気もしますが」
高則は、順治の返事に、怪訝そうな顔をする。
「なんで?」
「だって、『誰もいないのに手を振ってるのって、なんや寂しいなー』と思って」
順治の答えに、高則は苦笑を浮かべて、言う。
「だって、機械やん。
それ、感情移入、感情投影やで」
『そう言われたら、そうなんですけどね。
タカさんみたいなリアリストには、俺はなれません』
順治は、高則に心の中で反論しながらも、口に出すことはしない。
社内は、静かで張りつめた、だけど、ぎこちなくはない沈黙に包まれた。
ビークルは、街灯の中を、町の灯りの中を、進んで行った。
ビークルは、埠頭の中を、暗闇の中を、進んで行った。
ヘッドライトで切り裂かれた暗闇の中に、倉庫が浮かんでは消え、浮かんでは消えしていた。
埠頭の倉庫街。
灯りは、ほとんど無く、ビークルのヘッドライトのみが、行き先を照らす頼りだった。
順治は、外の景色と、ナビの地図表示を、小まめに交互に見る。
現場は、もう近いはずだった。
「もうそろそろやな」
高則の言葉をキッカケに、順治は、ビークルを止め、ヘッドライトを落とす。
高則と順治は、赤外線眼鏡を顔に嵌める。
これで、暗闇でも、日の出や日の入りほどの視界は、確保できた。
順治は、その視界を頼りに、ノロノロとビークルを動かす。
暗闇の中、ノロノロノロノロ動いているビークルは、相手の目と鼻の先の距離に出るまで、気づかれる恐れはなかった。
ノロノロ‥ノロノロ‥
ノロノロ‥ノロノロ‥
ノロ‥‥
ビークルは、止まった。
「タカさん、あれ」
「ああ、あやしいな」
その倉庫だけ、入り口の前に、体格のいい男が立っている。
黒いスーツに黒のネクタイ、黒いサングラスに黒靴を履いた、黒ずくめの格好だった。
スーツの合わせから覗くワイシャツが白でなければ、暗闇と同化して、まったく気づかなかったに違いない。
高則と順治は、ビークルをその場に止め、男を観察することにする。
十数分後、ビークルの横を、ベンツが滑らかに通り過ぎて行った。
ベンツは、男のいる倉庫の前で止まった。
ベンツから降りて来たのは、ラルフローレンと思しきグレースーツ姿の恰幅のいい男性と、シャネルと思しき黒のワンピースを着た、ふくよかな女性だった。
男性は男に、葉書らしきものを手渡す。
男は、その葉書を確認し、表裏を念入りに眺めると、その葉書を男性に返す。
そして、左手を、入り口の方へ、手の平を上にして水平に動かす。
「ようこそ、お越しくださいました。お入りください」のジェスチャーらしい。
男性と女性は、入り口を開け、倉庫の中に入る。
男は、元のポジションに戻り、辺りを見回し始める。
「決まり、やな」
「決まり、ですね」
賭場が開かれているのは、この倉庫に違いない。
ナビの表示も、この地点を指し示していた。
ナビは、エコリンを乗せたサンカクリンが、埠頭入り口の広場に着陸したことも、表示していた。
エコリンの足ならば、ここまで十数秒で到達するだろう。
「ほないくか」
高則は、ノートブックのキーボードの〔GO!〕ボタンを、押す。
ナビの地図上では、▲の点から●の点が生み出された。
●の点は、みるみる、サポートビークルのいる現場まで近づいて来る。
地図上の●の点が近づいて来るにつれ、音も近づいて来た。
ザッザッザッザッ‥ザッザッザッザッ‥
ザッザッザッザッ‥ザッザッザッザッ‥
エコリンは、鉄バンバンメカニカルロボではなく、カーボンとゴムでできているので、、体重の重い動物が歩行する音を立てる。
ガシャンガシャンとか、ズシンズシンとか、鉄の機械が移動する音は、立てない。
エコリンは、ビークルの側まで来たが止まらず、倉庫目掛けて歩き続ける。
倉庫前にいた男は、出し抜けに目の前に登場したエコリンに、驚く。
驚きつつも、慌てる手でケータイを取り出し、どこかに連絡する。
ザッザッザッザッ‥ザッザッザッザッ‥‥
エコリンが倉庫にたどり着いた時、男の姿は、倉庫の中に消えていた。
その代わり、新たな音が二つ、辺りから聴こえて来た。
‥カシャンカシャン‥カシャンカシャン‥
‥カシャンカシャン‥カシャンカシャン‥
その音は、金属より軽い音を響かせていた。
‥カシャンカシャン‥カシャンカシャン‥‥
‥カシャンカシャン‥カシャンカシャン‥‥
二つの音は、倉庫の入り口前まで来ると、音を止めた。
倉庫の入り口に、仁王立ちするエコリン。
そのエコリンの左右に、HTが二台、同じく仁王立ちしていた。
HTは二台とも、身長・横幅ともに、エコリンと変わらなかった。
蓋付きの丼を縦に重ねたような図体をしており、上の丼の縁から腕が、下の丼の縁から脚が伸びていた。
両方とも、上の丼の蓋にフェイス版が付けられていた。
左のHTには、超A級スナイパーの顔をシンプルにデザインにしたもの、右のHTには、世界的大怪盗の顔をシンプルにデザインしたもの、が描かれていた。
どちらの顔ネタ元も、カタカナと数字の混ざった名前だろう。
丼の前面には、何か図柄のような、文字のようなものが書かれていた。
上の丼には、カタカナの“ハ”の文字のような、デザイン化された富士山のようなもの。
下の丼には、カタカナの“エ”の文字のような、デザイン化された線路の断面のようなもの。
上下を合わせて見ると、鰹節屋か蒲鉾屋の屋号のように見えた。
“ヤマ○”や“○○サ”の屋号のように。
高則は、順治に訊く。
「今回の賭場の親というか世話役は、どこやったっけ?」
「山江組です」
「ああ、そうやったな。
どうりで」
高則は合点すると、相手HTの情報を、検索する。
相手HTの画像を取り込み、県警のデータベースに流す。
検索結果は、一秒とかからずに、ノートブックの画面に表示された。
[ TLF048型HT 通称 チロリン
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
反社会的集団間で、多く流通している。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
---スペック&詳細---
機体は、強化プラスチック製。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
賭場における用心棒としての使用が多い。
また、複数で集団作り、行動することが多い。 ]
高則は、順治に、また訊く。
「今回の賭場って、何の賭場やったっけ?」
「丁半博打ですよ。
サイコロ二つ振って、偶数が出たら丁、奇数が出たら半、ってやつです。
今は、壺は、使わないらしいですけど」
『賭場で、丁半博打で、サイコロで。
サイコロで、丼やから、チロリンね。
なるほど』
高則は、一人納得すると、エコリンとチロリン一対二の対峙に、目を移す。
ウーーーーーーーーーー
ファンファン!‥ファンファン!‥ファンファン!‥ファンファン!‥
県警のパトカーが早くも、倉庫に駆けつけて来た。
今頃、倉庫の中は、てんやわんやに成っていることだろう。
パトカーは、次々と倉庫前に止まると、続々と警官を吐き出した。
警官達は、次々と倉庫に入り込み、倉庫の中からは、続々と騒音が上がった。
何かがひっくり返る音や、何かが割れる音。
バン!‥‥ドシャ!‥‥ガシャーン!‥‥
誰かが怒鳴る声や、誰かが泣く声。
なんやお前ら‥‥おとなしくしろ‥‥ああ‥‥
倉庫の中の賭場会場が、お鍋をひっくり返したような騒ぎになっているのに、二体のチロリンは、一歩も動けなかった。
エコリンが、見事に、その動きを封じ込めている。
ポジション取りが、絶妙だった。
チロリンが少しでも倉庫側に動いたら、エコリンから先手を打たれるに違いない。
「タカさん、今回も楽勝ですか?」
順治は、何の気無しに訊く。
「本部からの情報では、エコリンとチロリンの能力差は、基本スペックでは、エコリンの方が数十倍上やな。
でも、目の前のチロリンは、アップグレードしてるやろうし、二体いるから、そうおいそれとは片付けられへんやろな」
高則は、順治に答えるも、エコリンVSチロリン二体の対峙から、目を離さない。
チロリン二体が、エコリンに向かって、動き出した。
カシャカシャカシャンカシャン‥‥
カシャカシャカシャンカシャン‥‥
チロリン二体は、数メートルの距離まで、エコリンの前に近づくと、縦に整列した。
スナイパーフェイスのエコリンが前、怪盗フェイスのエコリンが後ろだった。
縦に整列したチロリン二体と、エコリンの間には、膨れ上がった緊張感を秘めた静寂が漂う。
順治は、気づく。
高則のポジション取りに、気づく。
高則は、いつもは、キーボードに手を添えているものの、シートに身をゆだねて、ゆったりと座っている。
今は、キーボードに手を添え、シートから背中を離し、前のめりになって、三体の対峙を見つめている。
高則が、『いつものようには、いかへんやろな』と思っている気持ちが、そのポジション取りに現われていた。
順治は、そんな高則の様子を見て、いつものような心構えでいた自分に慌てて、シートから背中を離し、改めて背筋を伸ばす。
膨れ上がった緊張感に裏打ちされた静寂は、サポートビークルの中にも蔓延していた。
高則も順治も、何も言わず、十数秒が過ぎた。
ブォーーー‥‥という音、ヒュンヒュン‥‥という音、ブロロロロー‥‥という音など、夜の静寂であっても、埠頭には、様々な音が響いていた。
静寂に、ふと、切れ目が入った。
俗に言う、“一瞬のエアポケット”。
俗に言う、“今、天使が通った”。
その瞬間を突いて、チロリン二体は、動いた。
縦に並んだまま、エコリンへ迫って来た。
キューーーンーーー‥
キューーーンーーー‥
車輪の廻る音を立てて、チロリン二体は、あっと言う間に、エコリンの目前に迫った。
おそらく、足裏に、ホイールが仕込んであるのだろう。
前にいるチロリン‥スナイパーフェイスのチロリンが、エコリンの目前まで距離を詰めた。
が、そこで、スナイパーチロリンは、急停止した。
始めから図っていたかのように、ピタッと止まった。
スナイパーチロリンが止まった瞬間、スナイパーチロリンの背中から、何かが見えた。
スナイパーチロリンの背中越しに、怪盗フェイスのチロリンが飛び出そうとしていた。
怪盗チロリンは、スナイパーチロリンを目くらましに使い、エコリンに覆いかぶさろうとしていた。
きっと、口があれば、こう言いたかったに違いない。
「ジェットストリー‥‥」
みなまで言わせる間を、エコリン及び高則は、与えない。
「二体じゃ、無理やろ」
チロリン二体のフォーメーションとその動きから、高則は、敵の攻撃方法を読み切る。
スナイパーチロリンが止まり、怪盗チロリンが飛び出そうとした刹那、エコリンは動いた。
その反応速度は、数百倍は、汎用HTに優っていた。
そんな速度なので、いくらアップグレードしていようとも、チロリンは対応できなかった。
エコリンに口があれば、こう言っていたことだろう。
「そこらのHTとは違うのだよ、そこらのHTとは!」
エコリンは、空中へ、伸び上がる。
スナイパーチロリンの右肩(正確には、蓋の右側)に、左足を乗せ、左脚を伸ばして、スナイパーチロリンの頭上へ伸び上がる。
伸び上がっただけ、ではなかった。
エコリンは、右脚の膝(正解には、鋭角に曲げた右脚の中ほど、の先)をスナイパーチロリンのフェイス板に、突き入れる。
スナイパーチロリンは、フェイス板の真ん中‥超A級スナイパーイラストの鼻部分を、ボッコリ凹ませる。
伸び上がったエコリンは、スナイパーチロリンの背中から飛び出した怪盗チロリンの、目前に飛び出す。
エコリンは、数十センチの距離にいる怪盗チロリンに向かって、右拳を打ち出す。
怪盗チロリンは、フェイス板の真ん中、世界的大怪盗イラストの鼻部分を、ボッコリ凹ませる。
ボコッ‥ボコッ‥‥
スタッ‥‥
ドシーンンン‥ドシーンンンンンン‥‥
チロリン二体は、相次いでフェイス板を凹ませて、バランスを崩した。
空中に舞っていたエコリンは、軽やかに地面に着地する。
チロリン二体は、相次いで仰向けに、その体を倒した。
エコリンは、「潮時だな」と言いたげに、右の手の平で右腰(正確には、右脚の出ているちょっと上の部分)を、大きく叩く。
“決め技”のポーズだ。
エコリンの右腕の、皮膚に相当するゴムが、体の中に収容される。
エコリンの右腕は、骨に相当するカーボンが、剥き出しになる。
カーボンは、ビヨンビヨンと、しなやかさ及び強度を、感じさせた。
「あの~、ちょっといいですか?」
順治が、質問する。
「なんや?」
この期に及んでの質問だが、高則は、イラつきを見せずに訊き返す。
「なんでエコリン、腰叩くんですか?」
高則は、三体の闘いから、目を離さずに答える。
「“間”作りやな」
「“間”‥ですか?」
謎が深まる高則の返答に、順治は重ねて訊いてしまう。
「あの決めポーズは、歌舞伎の見得みたいなもんや。
相手が『へっ?』とか『何する気や?』とか思って、つかの間フリーズしてくれるやろ。
その一瞬の隙を突いて、決め技を繰り出すわけやな」
高則は、一時も三体の闘いから目を離さずに、スラスラと答える。
順治は、妙に感動を覚える。
『ほー。
あの一見無駄なポーズ決めに、そんな効果があったとは。
しかも、そこまで考えて、動かしてたとは』
ビヨンビヨン‥ビヒヨンビヒヨン‥ビヒヨュンビヒヨュン‥ヒヨュンヒヨュン‥ヒュンヒュン
右腕カーボンの響き出す音が、変わって来た。
右腕カーボンは振り廻され、円を描き、円の残像を明確にしていった。
円を描く廻転速度が上がり、残像が明確になるほど、音は変化していった。
右腕カーボンは、鞭のように、しなっていた。
それは、女王様の鞭やゾル大佐の鞭と、競馬の騎手の鞭の、合いの子のような強度を持っているように見受けられた。
ヒュンヒュン‥‥‥ヒュンヒュン‥‥ヒュンヒュン‥ヒュンヒュンヒュンヒュン‥‥
右腕カーボン鞭は、ますます廻転速度をあげてゆく。
肉眼ではもはや、エコリンの右腕が、花の無い花束になったようにしか見えなかった。
右腕カーボン鞭の響かせる音に誘い込まれるように、凹スナイパーチロリンが、仰向けに転がった状態から、上体を起こした。
ほぼ同時に、凹怪盗チロリンも、上体を起こした。
糸仕掛けの傀儡人形のように、縦に折り重なるように倒れていた二体、ほぼ同じタイミングで、体を起こした。
『この時を待っていた!』かのように、エコリンは、右腕カーボン鞭を振るう。
頭上に円を描いていた廻転運動から、サイドスロー気味の水平運動に移行して、エコリンは、右腕カーボン鞭振り廻す。
右腕カーボン鞭は、凹スナイパーチロリン&凹怪盗チロリンへ、真っ直ぐ飛んで行く。
一閃。
右腕カーボン鞭は、二体を、水平に振り斬る。
凹チロリンは二体とも、上体を起こした姿勢で、右腕カーボン鞭に襲われた。
凹チロリンは二体とも、上半身と下半身に、切り離された。
地面には、二体の凹チロリンが四つになって、転がっていた。
両端に細長いものを備えた、蓋の付いた丼が四つ、震えていた。
四つの丼は、細長いものの先を擦り合わせて、震えていた。
『○○が手を擦る足を擦る、やな』
高則は、四分割された凹チロリン二体を眺めて、心に感想を漏らす。
凹チロリンの上下前面に書かれていた屋号は、別れてしまうと、何かの記号か文字に見えた。
上の丼の屋号は、デザイン化された富士山のようにも、カタカナの“ハ”のようにも見えた
下の丼の屋号は、線路の断面のようにも、カタカナの“エ”のようにも見えた。
高則は、凹チロリンがもう抵抗しそうにないことを確認すると、キーボードの〔HOME〕ボタンを押す。
エコリンは、別れて転がる凹チロリンに背を向けると、来た道を帰って行く。
埠頭の外れでは、サンカクリンが、健気に待っていることだろう。
「ほな、後は任せて、俺らも行くか」
「はい」
賭場の手入れ・検挙と、凹チロリン二体の後片付けを、博打対策課に任し、高則と順治は、現場から引き返す。
運転をしている順治は、一瞬腕時計を見て、言う。
「数時間待機したわりには、速かったですね」
前に集中している順治は、前から目を離さずに、高則の返答を待つ。
前方の風景を見つめていた高則も、前から目を離さずに、高則に返答する。
「ああ、早よ帰って風呂入って寝たかったから、速攻でカタつけた。
全然、遊ぶ気無かった」
順治は、高則の返答を聞いて、古き良きNWA王者を思い出す。
『すごいなー、メリハリ付けて、思うがままやな。
反則負けでも、六十一分フルタイムドローでも、自由自在やな。
俺も、この域にいけるんやろか?』
上(正確には、HT部部長)から、「次に配備されるエコリンの相棒は、お前だから」と言われている順治は、ちと不安を覚える。
目を瞑ってシートに深く座り込む高則を、チラチラ横目で見ながら、順治はサポートビークルを走らせる。
埠頭を過ぎて町中に入った時、上空を飛ぶ、エコリンを乗せたサンカクリンに気づく。
エコリンは、サンカクリンに、深く座り込んでいる。
順治は、ことわざが二つ浮かぶ。
『 “この親にして、この子有り”
“ペットは、飼い主に似る” 』
もう一つ浮かぶ。
『 “夫婦は、似てくる” 』
高則を乗せたビークルと、エコリンを乗せたサンカクリンは、依田エコリサイクルセンターへの帰路を急いだ。
センターにビークルが戻った時、既にエコリン&サンカクリンは、センターに戻っていた。
高則は、分室に戻ると、「じゃ、お先に」とばかり、すぐさま風呂場へ飛んで行く。
センターには、従業員専用の風呂場が、設けてあった。
本来、風呂場は、センター従業員の為のもので、県警に属する分室のメンバーは使えなかった。
でもそこは、見て見ぬ振りというか暗黙の了解というか、こっそりと、でも堂々と、分室のメンバーは使っていた。
そして、とっとと高則が風呂に行ったということは、「俺が風呂から上がって来るまでに、エコリンの点検しとけよ」ということだった。
ジャーーー‥‥
コポコポコポ‥‥
ふうふう‥ふうふう‥‥
ずっ‥ずずっ‥‥
順治は、畳に正座して、ポットから急須に、お湯を入れる。
急須から湯呑みにお茶を入れ、息を吹いて冷ましながら、お茶を飲む。
『ほっ』と、ほっこりしたところで、順治は腰を上げ、よーそろとプレハブエコリン格納庫へと向かう。
順治が、エコリン格納庫から戻って来ると、既に高則は、風呂から上がっていた。
畳の上に、結跏趺坐して座り、湯呑みに入れた珈琲牛乳をすすっている。
「おお、お疲れさん」
Tシャツにハーフパンツ姿の高則は、既にくつろぎスタイルで、雑誌を見ている。
今だ勤務中の雰囲気を漂わせる順治の姿と、すっかりリラックスした雰囲気を漂わせる高則の姿は、場の雰囲気に大きなギャップを、じわじわと起こした。
なにかしら、気まずい雰囲気がじわじわと忍び寄って来たのを、高則は敏感に察する。
そこで、『何?何も気にしてないし、何も気づいてないよ』というポーズを取る為に、高則は順治に問い掛ける。
「エコリン、どうやった?」
順治は、高則が巧みに、場の雰囲気を切り換えようとしていることに気づく。
が、真っ当に返事を返す。
「全然大丈夫、です。
メモリ、入れときました」
「ああ、ありがとう」
エコリンの、ヒップバッグの中のUSBスロットに挿入されている、活動情報データ収集用USBメモリには、一日分の活動データが保存されている。
その、活動情報データ収集用USBメモリを、一日の出動を終える度、電算ブースにあるノートパソコンのUSBスロットに、挿入することになっていた。
ノートパソコンには、エコリン活動プログラムがインストールされている。
ノートパソコンには、活動情報データ収集用USBメモリから、その日のエコリンの活動データが吸い上げられた。
エコリン活動プログラムは、その日のエコリンの活動データを反映して、日々アップデートされた。
数時間かけてアップデートされたプログラムは、エコリンのプログラム用USBメモリにコピーされた。
このUSBメモリを、ヒップバッグの中のUSBスロットに挿入することで、エコリンは日々更新され、日々新しい動きを身に付けていった。
言うなれば、(経験的、ソフト的には)絶えず強くなるのが、エコリンだった。
ハード(機体)が壊れたり古くなっても、ソフト(プログラムを保存したUSBメモリ)さえあれば、新機体でも、それまでの機動力を発揮することができた。
だが、エコリンのUSBメモリを、一般的なHTのUSBスロットに挿入しても、無駄だった。
エコリンプログラムUSBメモリの能力を、余すところ無く発揮させようと思ったら、そこらへんのHTでは、役不足だった。
ソフトが求めるスペックと、ハードのスペックが違いすぎるので、そこらへんのHTは動かなくなった。
おそらく、プログラムの指示が速過ぎて高度過ぎて、何言ってるのか分からなくなって、理解できずに行動停止に陥る為だと思われた。
よって、エコリンを悪用しようと思えば、エコリンそのもの(ハード)とプログラム用USBメモリ(ソフト)の、両方が必要だった。
が、それでもまだ、充分とは言えなかった。
確かに、エコリンとプログラム用USBメモリがあれば、エコリンは動かせた。
が、それでは、あくまでプログラムされた動作内でしか、エコリンは動かなかった。
こちらの思惑通りに、エコリンを動かすには、“もう一つ”必要だった。
高則の使っているノートブックが、それだった。
そのノートブックは、エコリンのサポート仕様に特化していた。
その為、誰でも扱える物というわけではなく、エコリンのパートナーとして、修練を積んだ者にしか扱えなかった。
だから、こう見えても、依田エコリサイクルセンター分室に配属されるということは、エリートの証明だった。
どうも、そうは、見えないが‥‥。
そんなわけで、『エコリンを、自分の意のままに使ってやろう』と思えば、エコリン本体、プログラム用USBメモリ、エコリン専用ノートブックの、三つともが必要だった。
よって、エコリンが悪用される恐れは、万に一つも無かった。
もし、≒パイロットの、エコリンの相棒が寝返ったら、その限りではないが。
『ま、それはないな』
と、順治は、変な安心をする。
高則は、リアリストで、あらゆる物事を費用対効果‥コストパフォーマンスで計るところがある。
ただ、順治は、『タカさんは、それだけやないな』、と感じている。
順治は、『タカさんは、基本的にはリアリストだけど、その判断基準は、損得やギヴテクだけではない』、と思っている。
高則の判断基準には、『矜持やロマンも入っている』と、順治は感じている。
“頭はクールだけど、心はホットな人”
“ロマンティックなリアリスト”
それが、順治の高則評である。
『それに反することは、絶対にしいひんな』という安心感があるので、エコリンを‥高則を、順治はある意味、信頼している。
ひとりだけで、風呂上りに珈琲牛乳をすすって、ほっこりとしている高則に腹が立たないのも、順治の、高則への信頼の、賜物だった。
「それと」
「おお?」
高則は、順治の付け加えを、『まだ、あんのか?』という顔をして、うながす。
「ソーセージ、あと一回分くらい、イケそうです。
でも、一本くらい入れといた方がいいでしょうね」
ソーセージとは、エコリンの動力現源である、廃棄物を超圧縮したソーセージスティックのことである。
「おお、そうか。
また、もらっといてくれ」
依田エコリサイクルセンターのソーセージスティック管理部に、ソーセージスティックをもらいに行くのは、順治の役目だった。
高則と室長は、ソーセージスティック受領の許可書に、検印(ほぼ、盲印)を押すだけだった。
順治は、「はい」と軽やかに返事をしたが、すぐに気掛かりな顔をして、高則を見つめ直す。
「この間、糸田さんから、気になること聞いたんですけど‥‥」
糸田は、センター従業員の中では珍しい、分室の理解者である。
『まだ、なんかあんの?』という顔で、高則は順治を、見つめ返す。
「最近、ソーセージスティックのできる数が、少なくなっているそうです」
「ああ、そうなんか」
高則は、興味が無いのか、些細なことと思っているのか、そっけない返事を順治に返す。
めげずに、健気に、順治は言葉を続ける。
「県の市区町村一斉に、ゴミ袋の有料化を実施したら、ゴミの出る数量が、例年の十%ダウンくらいになったそうです」
「ええことやん」
「でも、その分、ソーセージスティックができる数も、減って来そうです」
「オールで見たら、ゴミが減って来る方がええやん」
高則は、あくまで、“オール目線のリアリスト”だった。
「でも、ソーセージスティックは減って来そうやのに、HT犯罪は増えて来ていて‥‥、ちょっと不安です」
順治は、正直に、懸念を話す。
高則は、唇をにこやかに、両端を上向きに引き絞って、順治に問い掛ける。
「ほな、ゴミが増えた方がええんか?」
「それは、あかんと思いますけど‥‥」
高則は、“にこやか”を“にっこり”にして、順治に言う。
「ほな、それでええやん。
HT犯罪が起こる限り、HTの取り締まりは続けなあかんのやから、ソーセージスティックが使えんようになったら、何か上が考えるやろ。
ソーセージスティックを、何か他の動力に置き換えるなり、エコリンを使うのを止めて、他のHTを使うなり。
俺らは、俺らのHTをキッチリ動かして、犯罪を取り締まったらええねん」
プロフェッショナルなのか、クールなのか。
楽天的なのか、客観的なのか。
割り切りがいいのか、他人事なのか。
順治は、納得しているけど、何かが足りないような。
彼女や友人と楽しい時を過ごしているけれど、ふっと寂しくなる時のような。
美味しいシチューなんだけど、美味しいココアなんだけど、ふと舌に玉が残るような。
順治は、そんな感じにとらわれて、高則を見つめる。
高則は、慈しむような包み込むような、ちょっと寂しげな“にっこり”を見せて、順治に微笑み返す。
順治は、その“にっこり”に、何か意味は分からなねど、ちょっと戦慄する。
その“にっこり”からは、覚悟というか矜持というか、そのような気持ちがビシビシと弾き出されていた。
「ほんじゃ、俺も、風呂入って来ます」
「おお、行っといで。
俺は今日、ここに泊まるけど、ジュンはどうする?」
「俺も、今日は、泊まります」
「ほな、布団敷いとくわ」
「よろしくお願いします」
順治は、タオルと着替え一式を抱えると、分室を出て行く。
高則は、分室を出て行った順治の後を、数秒見つめる。
そして、苦笑いして、口元をゆがめる。
高則は、ちゃぶ台を端に寄せると、押入れから、布団を二組取り出す。
二組とも敷くと、奥の一組の中へ、自分の体を滑らせる。
豆電球以外の、すべての電燈を消し、高則は床に着く。
順治が風呂から上がり、分室へ戻って来ると、高則は既に眠り込んでいた。
スウウウウーーーー‥‥スウウウウーーーー‥‥と、寝息いびきを立てている。
順治は、高則の緩んだ寝顔を、数秒見つめる。
そして、苦笑いして、口元をゆがめる。
順治は、空いている布団に潜り込み、眠りに就く。
♪タンタンタ タンタン タンタンタ タンタン タンタン タンタン タンタン タンタン タンタン タンタン タン♪
次の日の早朝。
朝靄も晴れ切っていない、午前六時三十分頃。
依田エコリサイクルセンターの中庭では、ラジオ体操のメロディーが流れていた。
中庭に設置されたスピーカーから、ラジオ体操第一が流れていた。
体操をしているのは、センターの夜間勤務明け従業員。
その中に、高則と順治も混じっていた。
完全に混じっている、という訳では無く、センター従業員の固まりから、少し距離を置いていた。
お互いの心理的距離感‥溝を表わすかのように、センター従業員とセンター分室員の間は、開いていた。
♪タンタンタン タンタンタ タンタン タン タン ター♪
ラジオ体操のメロディーが、終わった。
深く深く、深呼吸をして体操を終えると、センター従業員は、三々五々帰って行く。
高則と順治は、立ち去る糸田と数人の従業員と、目礼を交わす。
「おお、おはよう」
「「おはよう御座います」」
高則と順治が分室に戻ると、室長は既に、お茶をすすっていた。
湯呑みを携える室長からの挨拶に、二人は返事を返す。
ちゃぶ台を畳間の真ん中まで引き出し、ちゃぶ台を前に、室長は風雅に、お茶をすすっていた。
室長は毎日、休みの日で無い限り、この時間帯に出勤している。
が、ラジオ体操には、一度も出たことは無い。
定時(八時三十分)よりも、かなり早く出勤するが、片付けておきたい業務があるわけでもなく、ゆったりしたい時間が欲しいらしい。
室長は、依田エコリサイクルセンターの、ほんの近くに一人暮らししているので、『家は、寝に行くところ』ぐらいにしか思っていないのだろう。
高則と順治は、折り畳んで端に寄せてあった布団を、押入れに仕舞う。
埃が舞い上がり、窓からの朝日に反射して、キラキラと光った。
が、埃が舞うのも気にせず、室長はお茶をすすり続ける。
ジャーーー‥‥
コポコポコポ‥コポコポコポ‥
コポコポコポ‥コポコポコポ‥
室長は、二人が布団を仕舞い終える時を見越して、ポットから急須にお湯を入れる。そして、二人の湯呑みに、お茶を注ぐ。
ちゃぶ台を前に、室長は正座をし、順治も同じく正座をし、高則は結跏趺坐をして座る。
ずずっ‥‥
ずずっ‥‥
ずずっ‥‥
三人は、ほっこりとお茶をいただく。
♪タタタターンターン タタタターンターン タタタターンターン ターンタター ♪
電話機のスピーカーから、ワーグナーの楽劇の前奏曲[ワルキューレの騎行]が流れ出した。
昨日と違い、何の前連絡も無しに鳴り出したので、『何や何や』と、おっとり刀で室長は、受話器を取り上げる。
室長は、「ふんふん」と、受話器に向かって相槌を打ち、「了解」の声と共に、受話器を置く。
「何ですか?」
順治が訊くと、室長は『朝イチから、すまんな』という顔をして、順治に答える。
「KTが暴れてるから、エコリンに出動して欲しいんやと」
「HT(Hito‐Type)じゃなくって、KT(Kemono‐Type)ですか?」
「ああ。
ゴリラ型なんで、KTやけどHTにも近いから、KT課も対処に困ってるんやろ」
高則が、口を挟む。
「どこですか?」
「あんぱん屋ステーキ店のビルらしい」
「あんぱん屋ステーキのビルって言うと、あの、先がとんがったビルですか?」
「ああ。
そのビルの屋上で、前足だか腕だかを、振り回して暴れているらしい」
高則と順治は、バルセロナのパス廻しのように視線を交し合って、お互いうなづく。
ガサゴソと着替え出し、出動準備を始めた二人に、室長は声を掛ける。
「今日も一日、よろしく」
ちゃぶ台の前に再び腰を落ち着けた室長は、朝刊を開ける。
一面の記事は、[ゴミ処理量、二年連続減少]の記事だった。
{了}