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グリザイアファントムトリガー vol.8 感想

作者: 藍谷 紬


                      (注意!!)


アニメ化になって大変たくさんのアクセスを頂いております。最後までのネタバレを含んでいますので、本編をプレイしようと思っているけれど未プレイの方、アニメを見ようか迷ってここにたどり着いた方はとりあえず本稿をご覧にならないことをオススメします。


初見で本編(アニメなり原作なり)を楽しむのが最高です!近々アニメの感想も書きます。


1有坂「先生」とパトリック「センセイ」

2ナタリーとパトリック

3選択とバッドエンド

4頭の上の紙コップ エニシとクロエ

5生かすこと、殺すこと

6まとめ



1有坂「先生」とパトリック「センセイ」 

 最初に出てくるのは美浜ではなくTFAの住民パトリックとブルーノ。パトリックは臆病で平和主義者、たいしてブルーノは大胆不敵でたくましいと反対の性格をしている。プレイした人なら誰でも感じたであろうが、パトリックは言ってみればTFA視点の有坂先生のような人物。人に強く出れない割にはどこか頑固。青臭い平和への信念を持っていて、暴力ではなく話し合いで解決しようと図る人。ブルーノは友人であるからそこまで強くは出ないけれど、時には彼にイライラしていることもあった。

 パトリック達が地下から逃げ出てから再び安全な場所へと戻ろうとする過程で随伴する兵士とシスター見習いたちのほとんどは死ぬ。保護していたシスター見習の女の子達は無残にも殺されていく。流れ弾、射殺、発狂。果実での天音ルート、エンジェリックハウルを見せられているような気持だった(BGMもほぼ同じ)。私はそういった耐性が強くはないので見ているとぐったりしてきたほどだ。こういった中でパトリックはずっと武器を取らずに耐えていく。ずっと一緒だったブルーノさえもおかしくなって敵に向かって突撃していき、殺された。パトリックが武器を手に取ったのは彼をかばったナタリーの死によってだった。しかしそれはナタリーの個別的な復讐などということではない。トーカが言ったように「戦争の全てを憎んで」いたのである。彼が乱射した銃が誰かに当たったかは分からないが、それを終わらせるためにトーカは彼を撃ったのだった。しかし奇跡的に生き残っていたパトリックは聖域の山の子供たちに拾われ「センセイ」と呼ばれることになる。この後の部分は2以降で詳述するが、トーカ達を殺すかどうかの選択を迫られることになり、これがこの作品の最も重要なポイントの一つとなる。

 全てが終わり、トーカ達を殺さなかったパトリック「センセイ」はその山の子供たちに新しく名前をつけ、色々なことを教え、彼らが山から卒業できるように教育をしていくことになる。狩猟時代から農耕時代、最後には工業時代へ。彼らは文明人として大事なことを知る前に銃を手にしてしまった。「その不平等を少しでも平等にすること」(有坂先生の表現)、そしてこの子達が悲しい思いをしないようにと祈る。同時に、全員が生き残って帰ってきた美浜側では、学園長の一縷がハルト二号を作ってしまっていた。ファントムトリガーの面々が見ていたように、いやアオイが見ていたように有坂‘‘先生‘‘は自らアイリスと名付けたその子の面倒を見ることになる。アイリスを抱いた有坂先生は「この子が自分自身を守れるようにしよう、そしてこの手にある小さな命が悲しい思いをしないように祈ろう」と思いをはせ、物語は幕を閉じる。戦場では相対していたはずの勢力の中に、全く同じ思いを抱き、子供たちを想い、教え、育み、祈ろうとしていた人達がいたのである。この場面で流れていたBGMは、「祈り~子供たちのために出来ること~」。

 有坂先生はこの巻までずっと「身勝手な正義」「迷惑なお荷物」として扱われてきた。特に四巻でTFAが北丘大学を占拠した時が顕著だった。あの時は野上先生には馬鹿と言われ、トーカにも手厳しく非難されていた。確かに、「少し賢くなっちまった大人たち」にはそれが青臭く、口だけの理想だと思われるだろうし、プレイヤーのほとんどは有坂先生の気持ちが分かりつつも、どちらかといえば野上先生たち側の気持ちだったのではないだろうか?

 確かに、その気持ちが鬱陶しく、邪魔であることもある。有坂先生は戦闘の現場ではお荷物であるし、それは三巻、六巻、七巻で嫌というほど我々に見せつけられる。彼女は実際的な仕事としては、ニワトリの世話と洗濯しかできなかった。しかし、それは彼女の役割ではないからであって、彼女はあくまで外部教員なのである。一巻でハルトが言ったように、有坂先生は美浜にとっての「窓」の役割を持っているのであって、いわばSORDが聖域の山の子供たちと同じようにならないために存在しているのである。そういう意味で言うならばパトリックは子供たちにとっての窓とも言えるだろう。またその「窓」は同時に、エニシが言うところの「頭の上の紙コップ」なのだと思う。平和のための考え方など鬱陶しく、現場を邪魔するばかりで、仕事に迷いさえ与えかねない。実際、現場の子達は迷ってはならないのだから。しかし、この紙コップを復讐のために捨て去ったエニシはテロリストとなってしまった。美浜にとって少し鬱陶しく感じる紙コップである有坂先生は、平和のためには本当は一番必要な人なのである。SORDが暴走しないための重石、そしてそれはパトリックも同じこと。彼女たちの派手な戦闘と華麗な技術は有坂先生のような人がいなければ、ただの暴力装置。しかも今以上に酷い装置となりえてしまう。自分たちを守るという意図だった山の子供たちが近づく人を殺していたのと同じことをしかねないのである。判断をするのが大人か子どもかは関係ない。少年兵とSORD、パトリックと有坂先生。この作品で一番重要な人物は有坂先生とパトリック「センセイ」であり、戦闘がいくらできても、この先生たちを代替することはできない。そしてこの最終巻に限るなら、パトリックが最重要人物なのである。

※追記

 重要なことを見逃していた。後述のナタリーとパトリックの選択の方が個人的には印象が強かったが、有坂先生がトーカの弾込めを手伝っていなくても全滅してしまう。つまり、有坂先生とパトリックのそれぞれの選択によってSORDと子供たちの運命が左右されるのである。これは「6まとめ」で書いたものと綺麗に対応している。(これを見逃していたとは恥ずかしい)


2ナタリーとパトリック

 ナタリー。作中ではほとんど喋らず、返事以上の言葉を喋ったのは死ぬ少し前、パトリックを守る、と発言した時だけだった。彼女について、一体何から書けばいいのだろう…。シスター全員が狂っていく中、泰然として死に向かったのはこの子だけである。ある子は恐怖の中で命を刈り取られ、ある子は銃を手にして敵に放ち、ある子は銃で自殺し、ある子はシャベルで敵兵を殴り殺そうとした後、グレネードで爆破された。最後まで正気を保ち続け、人を助けるために死んだのは彼女だけだ。ナタリーの笑顔を見ると、天音が一姫に助けられた時に聞こえたと感じた「これでよかったのだ」という言葉が彼女から聞こえてくるようだ。狂ってしまえば、または楽になりたいという気持ちで命を捨てるならば、これは難しいことではないだろう。それはもう絶望が死の恐怖を凌駕してしまっているからだ。しかし、正気なままで死に敢然と立ち向かうことはどれだけ恐ろしいのだろうか?どれだけの勇気が必要だったのだろうか?それは楽な道とはまるで反対だ。ましてや彼女は兵士ではない。教会で育てられた幼い少女でしかなかったのである。出会って間もないパトリックを救うためだけにその尊い命を投げ出したのだ。彼女を安直な自己犠牲と片付けるのは簡単だ。しかし私にはそれはできそうもない。それはパトリックの、いやSORD全員の命運を変え、ひいては戦局すらも変えたのだから。パトリックは山小屋の中で子供に選択を迫られる。生きるために戦うべきか、それでも戦うべきではないか、と。戦場に出るまでのパトリックならば、この戦場を見せつけられて、嫌いだったはずの「仕方がない」という言葉で戦うことを認めただろう。それを変えたのはナタリーの笑顔だった。どうあっても戦ってはならない。自分を守るという名目ならば何でもしていい訳ではない。そうして始めれば復讐が起こる。それは終わらない連鎖で、一度始まればだれにも止められない。そもそも彼らの惨状の発端はエニシの復讐にある。実際、戦う選択肢を選び、トーカとグミを殺してしまえば、パトリック含め山の子供たちは聖エールによって皆殺しにされる。死ぬまで終わらないのである。それを止める決断をして、全員を救ったのはパトリックであり、そしてナタリーだった。

 彼女こそが、福音だったのだ。


3選択とバッドエンド

 バッドエンドは、果実を思わせる、いやそれ以上に残酷に見えるルートだったかもしれない。なぜかというに、SORD全員が無残な死亡、トーカに関しては事実上の自殺である。私には余りにもショックだった。今まで七巻という長い間を通して、危ないことはあっても死ぬことはなかった。その彼女たちがあっさりと死んでいく。雑なほどに死んでいく。そして極めつけはその呆然としたままに新しいクラスが始まるところだ。その新しいキャラクター達のちょっとビビッドな色をした、役割を変えただけのような雑な感じ(あくまでメインキャラクターに比して、という意味である)もよりえげつなさを増させる。ただ、ちゃんと考えなければならないのは、美浜の学生もいつかはそうなる可能性が高いということだ。バッドエンドの後、有坂先生とイチルとの会話でイチルは「今回死んだ彼ら彼女らは、犯罪者かそれに準ずる社会不適合者だ」と言う。そして我々が今呑気に享受している平和も、先人が血を流して手に入れたものだとも。冷静に時間が経ってから再び見ると、彼女らが死んでしまったからこそ、イチルの言葉は重みを増すのであるし、矛盾と悔しさ、悲しさ、もどかしさが本当の意味で感じることができる(当然ながら、一回目にはそんな余裕はない。訳が分からないまま、エンディングに突入するのだから)。

 戦場で放った銃弾は自分に帰ってくる。全員ロクな死に方はしない。だから有坂先生は今回は生存ルートであっても、いつかその体験するかもしれないのである。たまたま今回の戦いで死ななかっただけ。そう思うからこそ、その絶望はより重くのしかかる。確かにレナは自分たちは狂犬で犬死にをすると言った。確かにそうかもしれない。しかし、見ている側からすればもう耐えられない。正直に言うと、最初にたまたま生存のルートに行けたので、その後で全滅ルートを見たとき、見なければよかったと心から思った。もう本当に、トーカのシーンは思わず目をそらしたほどだった。確かに生存ルートでもトーカはそうなりかけたのだが、実際そうなってしまうことがどれだけ心を抉られることか。見さえしなければ、そうすれば恐ろしい彼女たちの死にざまを見ないで済んだのにと思った。しかし、「見てしまえば見なかったことにはできない」、そしてしばらく色々考えて、逆に良かったと思った。なぜなら、全滅を見たからこそ、彼女たちがパトリックとナタリーに救われたことが分かるからだ。そして、それがなぜなのか、どういうことなのか。きっと全滅ルートを見なければ考えもしなかっただろうし、ナタリーはパトリックのみを救っただけだと思い込んだだろう。そんなもので済ませてよいはずがない。余りにも痛みを伴ったルートだったが、それは今作の一番大事なことの輪郭を描いてみせる点描として、欠くことはできなかったと今なら言える。


4頭の上の紙コップ 正義と復讐 エニシとクロエ

 六巻でエニシはこう言った。「私にとって正義なんてものはね、頭の上の紙コップのようなものなんだよ」と。私はエニシがとても好きである。六巻でのエニシはたしかに「まともな大人」だった。正直者は一番損をしない、という言葉には賛成できるし、彼の穏和な態度が嫌いな人も少ないと思う。だからこそ、彼の裏切りは衝撃が大きかった、というか、相当な恨みを持っていたことを推察させた。きっと、車の中で岡田三佐と話し、クロエに奥さんのことを隠されていたことを知って笑った時には、もう紙コップは落ちてしまったのだろう。すると途端に、彼の穏和な態度とコミカルな雰囲気は狂気の色を帯びて見えるようになる。しかし、ブルーノ達のような戦争で狂った人々とは全く違う。彼は理性的に裏切っているのであるし、理性的に復讐の戦争をしていたのである。今までの戦場での惨劇を見た後ではエニシの死は確かに因果応報であるし、一縷が助けなかったのも当然だ(彼の目的が戦場で死ぬことだったのならば、一縷はそれを完遂させたことになるけれど…)。アオイを殺したクロエがハルトによって殺されるのもまた同じである。しかし、何かやり切れない思いがするのは私だけだろうか?クロエはただ、エニシといたかっただけであり、立場は違えどもハルトに対するレナと全く同じである。私はクロエにトドメを刺せなかった。一途にエニシに付き従い、最期には彼の亡骸の上で大声をあげて子供のように涙を流すクロエに対して「ざまあみろ」とは私はどうしても思えない。やっていることの正当性というのは容易には決められないからだ。自分の正義を疑い続けることは難しく、少し揺らげば、規模は違えど誰でも簡単にエニシのようになってしまうだろう。貧困層を見て「私は絶対にこうはならない」と思いこんで貧困層を怠惰だと誹謗するような人達は、きっとエニシ達も純粋な悪だと誹謗するだろう、「私はそうはならない」と思い込んでいるのだから。二巻でレナとマキが戦ったが、三巻で「お互いそういう立場だっただけ、謝ることじゃない。」とケガとバイクについてお互いがそう言い合っていた。ロシアンマフィアとTFAはどこか違うと言うのだろう?もしクロエを誹謗し、殺せと叫ぶならば、マキもそうされなければならない。しかし人は言うだろう。「クロエはアオイを殺したんだぞ」と。だがそれではCIRSに妻を殺され、個人的な復讐のためにCIRSに弓を引いたエニシと同じではないか。エニシとクロエを弾劾できる人は、絶対に復讐も恨みもしない人だけであろうし、実際そういう人達は悲しい顔をするだけで、彼らを弾劾しようとは思わないのではないだろうか?罪が許される訳ではないけれど、袋叩きにしようなんて到底思えないのではないだろうか?選択肢が無かったとしたら、ナタリーを失ったパトリックは復讐を決して選ばなかっただろうし、有坂先生もまた選ばないだろう。

 頭の上の紙コップは見事な表現だと思う。もはやファントムトリガーに通底する精神と言ってよく、いわば攻撃権の事実上の放棄である専守防衛のようなものだ(沈黙の艦隊)。それを持ち続けるのは並大抵のことではない。なまじ力がある場合には特に難しい。有坂先生もパトリックも力のない一般市民であって、個人での復讐などできる力を持っていない。だからこそ傷つけられたくないし、傷つけたくない。かといって現実には力を行使しなければならないことがある。戦争なんてものはトーカのいうように「もっと理不尽」なのである。バッドエンドの最後の有坂先生のセリフ。新しい生徒であるラエル達に対して、命の価値を説く。当然ながら、それはラエル達には理解されない。トーカが聞いていたら本気でキョトンとして呆れるような言葉であろう。異常な美浜の中での換気窓であり紙コップ。「無力な綺麗事でも構わない、私は愛する努力を忘れないようにしよう。誰にも愛されることがない子供たちなら、私だけでも誰よりも愛そう。いくら分け与えたところで減らないどころか逆に増えていくのが愛というものなのだ。」これは、学生たちが生き残ったグッドエンドの最後のセリフと本質的には全く変わらない。どれだけ惨い現実を目にしても、苦しいことがあっても、"綺麗事"を絶対に最後まで貫く。それが有坂先生なのである。ある意味では、登場人物たちの中で一番強いのは、有坂先生なのかもしれない。写真と共に蘇る思いとともに涙が溢れていようとも。


5生かすこと、殺すこと

 麻子は雄二を生かした。そして雄二は麻子に受けた恩をあの五人へと返した。そして度々出てきた「殺すより生かすほうがずっと難しい」という言葉、ファントムトリガー第一巻のトマトに水をやるシーンでのレナ(正確にはハルト)の「殺すだけが人生じゃない、何かを育てることは豊かさの証」という言葉、アオイの「殺すためじゃなく、生かすために生きているのかもな」という言葉。血生臭い戦場を駆け巡り、人を殺しているキャラクターから出てくるこの言葉はとても重い。そもそも何のために殺すか、ということは国防装置としては悩んでいけないものではあるけれど、その目的が根本から無くてもいい訳ではない。やはりそこには誰かを守る、等の一種の建前、もしくは事実がなくてはならない。前段でクロエについて書いたが、クロエはエニシの為ならなんでもしただろう。しかしエニシは生かすのではなく、殺すことに舵を切ってしまった。そのことについてはクロエは悩まない。だから私は思う。もしエニシがアオイの言っていたような「生かすために生きること」を選べたのなら、まだ美浜で皆と笑えていたのではないかと。そこにはクロエもアオイもいて、いつもの下らない会話が続いていたのではないかと。あれほど人を殺したエニシもクロエも、私としては心の底から憎み切れないからこそ、そして復讐という感情が決して他人事ではないからこそ、こういうことを思ってしまう。生かすことも殺すこともどちらも必要なのだろう。それは理想と現実なのかもしれない。


6まとめ

 八巻におけるSORD面々の細かい動きについてはほとんど書かなかった。というのも、この巻はまさに総力戦であって、だれか一人ずつに注目するようなものではないと私は感じたからだ。少なくともこの感想の主眼ではない。プレイヤーには今までイメージだけで示されていただけの戦争の矛盾と悲惨さが、ナタリーとパトリックの部分でむき出しで見せられる。今までのファントムトリガー七巻までは、この最終巻のための準備でしかなかったと思えるほどに、八巻の完成度が高い。グリザイアシリーズは、平穏な日常と悲惨な非日常で作られている。そして悲惨な非日常によって平穏な日常が守られている。果実で顕著だったのだが、共通ルートでキャラクター達の表層的な性格を、様々な面からキャンバスにデッサンをするようにしつこく描写し、その後それぞれの個別ルートでそのキャンバスの絶望的な裏面をベロリと見せられた。ファントムトリガーもその形式は同じだ。しかしどちらかといえば、八巻までは表キャンバスである日常の比率がかなり高かった。それでも描写はもっと欲しかったとも思ったりするが、それでも相当綿密に日常が描かれていた。その悲惨な非日常は、各巻でひょいっとだけ顔を見せた程度だ。ただ、この最終巻にあって、ナタリーの死と全滅ルートというキャンバスの裏面が露骨なまでに見せられた。そこまでして初めて我々は、今まで描かれてきた呑気なまでの日常がいかに得難いものかを知る。結局痛みを知らないと治らないし、死なないと分からない場合もあるのが人間なのである。

 有坂先生とパトリックを見て、またSORDと山の子供たちを見て、今作は単純なTFAと政府の対立構造ではないことが分かる。誰が悪者で、だれが正義の味方なのか等という簡単な話ではない。復讐の衝動とその結果生まれる悲惨さ。正しさとその煩雑さ。これは私個人の意見であるが、最も偉大な作品とは、スカッとするものでも、単純な教訓を与えてくれるものでもない。融和しがたい本質的な矛盾を描き出し、それでいて我々は何をすべきかを考えさせられる作品である。ご都合主義で気持ちよく終われるのはフィクションだけだ。それではただ一時の気晴らしになるだけで、暗鬱としている現実を乗り切るには時間も量も足りない。この作品は果実・迷宮・楽園という元の三部作と比べて劣るとある所で見かけた。海外では雄二がいないことに文句を述べる人もいる(雄二人気は海外では相当らしい)。確かに分作ということもあって、インパクトが足りない部分があるのは否めないし、それぞれのキャラクター達の深堀りももう少し欲しいところではあった。しかしそもそも三部作と比べるのは筋違いだと思うのは私がおかしいのだろうか?確かに同じ遺伝子としての血が流れているが、ファントムトリガーはもっと悲惨さを見せている。キャラクター達もどこかドライに見えて、かといってその連帯は口に頻繁に出されるような浅い絆でもない。伝えたいことがまるで違う。性的な描写を前提とした恋愛ではなく、戦場の善悪の話なのだから、色が違うのは当然ではないか。どこかで「説教臭い言葉が多い」というのも見た気がするが、それを説教と思うのが不思議だ。含蓄に富む、なるほどと思う言葉が多く、それが無理やり挿入されることもない。まぁ、説教が嫌いな人は多いのかもしれないが、自らの人生の糧にできるという点としては、ファントムトリガーは三部作と同等か、上回るとすら私は感じる。そして細かい言葉の教訓だけではなく、作品全体で示される、上述した戦争の矛盾と悲惨さは何度噛みしめても十分ということはないだろう。しかしそれは今までの巻をじっくりと味わった上で、この最終巻を読んで初めて完成するものだ。途中でプレイを辞めた人もいるだろうが、本当に勿体ないと思うし、私自身もっと早くプレイすればよかった。この最終巻はこのシリーズの総決算であり、疑う余地のない最高傑作である。そしてこの作品が我々に与えてくれるのは驚きではなく感動である。矛盾と煩悶。きっと飽きることなく、触れるたびに深まっていくだろう。

 作品で示されてきた矛盾の出来事に対する人の態度は以下に分けられる。簡単に覆る無知な理想を口にする者、理想では何も解決しないと力を使って解決する者、そしてそれを全て分かった上でそれでも理想を掲げる者である。きっと作品が始まってしばらくは有坂先生は最初の人だと思われていただろうし、SORD学生は二番目だっただろう。いや、間違っているとかそういうことではない。実際先に書いたように、力を使わねばならないことは避けられないのだから、それは必要ではある。しかし、それだけで染まることは危険極まりない。それは力ではなく志を誤った暴力なのである(麻子)。そして最終巻まで通して有坂先生は最後の人であることが分かった。そしてもちろんパトリックも。綺麗ごとが言いたい訳ではない。アオイのいうように「世界中の人が少しずつ優しくなったら世界は平和になるなんて嘘だ」ということを否定したい訳でもない。ただ、暴力の現実を受け止めた上で、それでも、と言える人間であることが大事なのだと思う。「戦場で辛くても苦しくてもナニクソと歯を食いしばって立ち上がれる」ような、「どんなに辛くても、どんなに苦しいことがあっても、自分にできる精一杯をできる」ような、「どんなに困難な状況でも、周りの人がすべてあきらめて絶望していても、それでもと立ち上がれる人間」であるということが。グリザイア三部作から受け継がれる平和への希求と、それを守るための努力はファントムトリガーにおいて銃弾の如く貫かれきった。

 私たちも有坂先生とパトリックがそうするように、他人を排して殺すのではなく、生かし、育て、祈ろうではないか。子供たちがもう悲しい思いをしないで済むように、と…。

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