第二十八話 開戦の狼煙(side:黒武者)
夜深く、タルナート侯爵邸の地下にて。
暗色の甲冑を纏い、鬼の面を付けた男が通路を歩いていた。
〈真理の番人〉の一人、黒武者である。
彼の背後には、タルマン侯爵の私兵達が血塗れで伏していた。
「あまりに弱し……。戦いを求めて〈真理の番人〉に身を置いたが、この国に某の求める武士はおらんと見える」
この先に、マルクという少年に敗れた同胞のゼータが拘禁されている、という話であった。
黒武者はそれなりの見張りがいるはずだと期待していたが、見当外れだったらしいと落胆していた。
そのとき、前の扉より壮年の男が現れ、黒武者の許へと向かってきた。
「ふむ、某の力量を見て、なお姿を表すか」
「お前のような奴に備えて特別に雇われた身でな。尻尾巻いて逃げ出すわけにはいかんのだよ」
男は大槍の尾を床へ叩き付ける。
彼はラコール、冒険者ギルドのギルド長である。
このベインブルクの冒険者の中では最も腕が立つ。
〈真理の番人〉への対抗戦力として、タルマン侯爵の兵として一時的に臨時で雇われていた。
「纏わりつくような、黒い殺意……。殺人狂とは何度か戦ったことがあるが、その中でもお前は別格だな。対峙しただけでわかる」
「そこまでわかっていて、なお某の前に立つか。風雅な男よ。この館にはつまらぬ輩しかおらんかったが、そちのような忠義の士に会えてよかった。某は黒武者……人を斬る、黒き鬼。かつての名は既に捨てた身だ。名乗れ、槍使い」
「生憎、お前のような下衆に名乗る名はない」
「左様か。さて、無粋な立ち話はここまでにして、来るがよい」
黒武者はこきりと首を鳴らすと、その場に棒立ちになった。
「そちの高潔さ、実に風雅、天晴れなり。ただ一太刀で落命しては、主に申し分けが立たぬだろうて。一打目はお譲りいたそう」
ラコールの額に一筋の汗が垂れた。
黒武者は今なお、武器に手も掛けず、無防備に立っている。
油断ではない。
ゴブリンを恐れるドラゴンはいない。
それに近しい程の絶望的な力量差があることを、ラコールは黒武者の佇まいから実感させられていた。
(この一太刀で、有効打を与えるしかない……か)
ラコールは黒武者が腰に差す刀を睨み、思案する。
敵から譲られたこの初手を活かさない手はない。
自身が斬り掛かれば、黒武者は戦闘態勢に入り、刀を抜いてラコールの槍を防ぎに出るだろう。
それを踏まえた上で、どうすれば少しでも黒武者にダメージを与えられるのか。
「雷魔法〈雷纏装〉!」
ラコールは大槍を天井へと掲げる。
魔法陣が展開され、大槍は雷の光を纏った。
「ほう、雷を槍へと纏うたか」
黒武者が楽しげに口にする。
ラコールは地面を蹴り、黒武者へと正面から接近する。
黒武者の目前まで来ると、床を蹴って瓦礫を飛ばした。
「むっ……」
黒武者の目が、瓦礫へと向いた。
その刹那、ラコールは斜め前方へと跳び、壁を蹴って黒武者へと死角より飛び掛かった。
自身の最強の技を正面から愚直にぶつけると見せかけて、飛び道具を用いて気を逸らし、死角へと回り込んで飛び掛かる。
これがラコールの策であった。
ラコールの目は黒武者の刀へと向いていた。
刀の防御さえすり抜けるが、強引に押し込めば、黒武者に一撃を与えることができる。
死角を取ったのが幸いしたのか、黒武者の反応は大きく遅れていた。
刀の防御は間に合わなかった。
雷を纏ったラコールの大槍は、黒武者の左肩を捉えていた。
「よし、当たった……!」
「そのような真似をせずとも、一打目はお譲りいたすと申したはずだが」
黒武者の左肩に当たったラコールの大槍の穂先に、亀裂が走っていた。
黒武者の甲冑には傷ひとつない。
彼は仰け反ることさえせず、その場に仁王立ちしていた。
「馬鹿な……〈雷纏装〉の一撃を受けて、こうも平然と……」
「魔鎧〈闇竜〉……。あらゆる衝撃を殺し、マナを通さず、熱を遮断する。万物を受け止める無敵の甲冑。某の故国、ヒイズルの宝具である。いや、しかし、悪くない一撃であった」
黒武者は籠手を握ると、ラコールの大槍を殴り付けた。
亀裂の走っていた穂先が砕け散り、柄がへし折れた。
その延長にいたラコールも、籠手の拳に殴り飛ばされ、床を転がることになった。
「がはっ、ごほっ!」
壁を背に打ちつけたラコールが、血の混じった咳を吐き出して失神し、ぐったりとその場に倒れた。
「む……刀を抜きそびれていたか。まぁ、よい、これも運命か」
止めを刺そうかと刀へ手を伸ばした黒武者だったが、途中で止めて前へと歩み始めた。
「では先へ進ませてもらうぞ、槍使いよ」
黒武者は失神したラコールの横を通り、ゼータの囚われているであろう先へと向かう。
黒武者はすぐに行き止まりへと行き着いた。
大きな魔法陣の描かれた床の上に、鎖で雁字搦めにされた少女がいる。
少女は布で目隠しをされていた。
黒武者は魔法陣へと目を向ける。
囚人のマナを乱し、消耗させる類のものであった。
強大なマナを持つ者を安全に拘束するための仕掛けである。
「そちが某の同胞、〈不滅の土塊ゼータ〉か。中身を見るのは初めてであるが、かような少女であるとは」
黒武者が刀を抜き、素早く振るった。
全身を拘束していた鎖が綺麗に砕け、続いて目隠しが床へと落ちた。
「貴様……黒武者か」
ゼータは床に膝をついたまま、黒武者を見上げる。
「左様。ヨハン殿は計画を早めるおつもりだ。〈真理の番人〉の力を誇示するため、今すぐこの場に大きな破壊を齎すことを望まれている。ゼータ殿による侯爵邸への攻撃を開戦の狼煙とする予定である。拘禁されていたため消耗していることかとは思うが、頼めるか?」
「無論だ。それが主の……ヨハン様のご意志であるのならば」
ゼータは口許に笑みを浮かべると、ゆらりと立ち上がった。