第二十話 囚われの令嬢と魔人達(side:ティアナ)
都市ベインブルクの西部の廃村にある、廃教会堂の地下にて。
一人の少女が牢の中に囚われていた。
絹のような滑らかな金の髪をしており、長い睫毛が彼女の宝石のような瞳をより強調していた。
彼女は誘拐されたタルナート侯爵家の子女、ティアナ・タルナートであった。
気品ある美しい顔立ちをしていたが、その顔には表情の色が欠けていた。
こんな恐ろしい状況にあっても、ただ自身の運命を受け入れているかのように、無表情でぼうっと壁を眺めていた。
「噂には聞いていたけれど、こんな目に遭っても取り乱した様子一つ見せないとはね。さすが〈人形姫ティアナ〉様だ」
牢の前に、エメラルド色の髪をした、羽帽子を被る美青年が姿を現す。
彼は〈静寂の風ダルク〉の二つ名を持つ、元王家の暗殺者だった魔術師である。
「この王国では、大きな力を持った者ほどババを引かされる……。あなたのこれまでの人生、お察しいたしますよ、人形姫。あなたは不幸なことに侯爵夫人達の中で最も位の低い女から生まれ……更に不幸なことに、最も高いマナの素質を有していた。散々政略に巻き込まれ、利用され、振り回され……こうして我々に誘拐され、しかし実の父親からは見捨てられようとしている」
ダルクは牢に手を触れる。
「フフ、しかし、この王国ではありふれた不幸だ。王家の争いは尚血生臭いものですよ、人形姫。だから私は、彼らの暗殺部隊を抜けた。私達に従いなさい、人形姫。あなたは王国に尽くす義理など何もないはずだ。身勝手に利用され……操り人形として生かされてきたのは、今日でお終いにしませんか?」
ダルクの言葉に、これまで無表情に壁を眺めていただけのティアナが、初めてダルクの方を向いた。
彼女のようやく見せた反応に、ダルクは口許を隠して微かに笑う。
「私の仲間達は、あなたを侯爵への牽制と、精霊への贄にしてしまえばいいと言っている。しかし、我らの目的は、この歪な王国の支配からの救済と解放にある。同じくこの王国に苦しめられてきた者を、使い潰して犠牲にするというのは、我らの組織と……そして、私個人の主義に反するところだ。私が守ってあげますよ、人形姫。さぁ、この手を取ってください。そうしていただければ、あなたは囚われの哀れな姫様でなく……私達の同胞ですよ」
ダルクは牢の隙間から、手を差し伸べる。
ティアナはじっとダルクの手を見ていたが、鼻で笑って目を逸らした。
「お父様の人形の次は、あなた達の道具になれって言うの?」
ティアナの言葉に、ダルクは唇を噛んだ。
「……わからないお人だ。私は命を助けて差し上げようと、そう提案しているというのに。あなたは、この〈静寂の風ダルク〉と……そして、あなたを誘拐した〈不滅の土塊ゼータ〉が見張ることになっている。まさかここまで助けが来るなんて、思ってはいないでしょうねえ?」
「思っていない。ようやく終われるのなら……それでも構わない。私は、もう疲れた」
先ほど同様、淡々とした声音で、ティアナはそう口にした。
「人形姫……まさかここまでだとは」
ダルクは苛立ったようにそう吐き捨てる。
「だから言っただろ? ダルク、その娘に懐柔なんて無駄だってな。難しいこと考えずに、贄として捧げちまえばいいんだよ」
ダルクの背後より、笑い声と共に一人の男が現れる。
ティアナと同じ金の髪をしており、もみあげの繋がった、ごわごわとした顎髭を有する、壮年の男だった。
「……トーマス、何故あなたがこちらに? ここの担当ではないでしょうに」
「釣れないねぇ、ダルク君。従兄弟の顔を見にきちゃいかんのか? なに、挨拶が済めばすぐに立ち去るさ」
トーマスは楽しげに笑う。
彼の顔を見たティアナは驚いたように目を丸くしたが、すぐに顔を伏せて、息を吐いた。
「そういうことだったの」
トーマスは元々、タルナート侯爵家の人間であった。
トーマスの父は現当主の弟であり、二十年前に激しい家督争いの末に処刑されることになったのだ。
当時、まだ幼い子供であったトーマスは温情によって命を見逃され、領地外への追放処分となっていた。
トーマスは不気味な笑みを浮かべながら鉄格子を握りしめ、檻へと顔を近づける。
「ティアナ嬢、俺様はぶっ殺された親父の正当性を主張し……こいつら闇組織の手を借りて、現当主へ刃を向けることにしたんだよ! はっはっ! 使えるものはなんでも使わないとな! 貴い血を引くこの俺様が、平民共と同じ暮らしをするなど馬鹿げている! そうだろう! 俺様は貴族の当主様になれる、こいつらは大きな支援者を確保できる。持ちつ持たれつって奴さ」
「そんな横暴が罷り通ったら、この王国は滅茶苦茶になる」
「彼ら……武装組織〈真理の番人〉は、この王国を滅茶苦茶にしたいのさ。俺様の血筋は本物……二十年前の真実など、生き残ったのが俺様だけになればいくらでも改竄できる。王家がいくら怪しもうと、貴族のお家騒動に首を突っ込むのは大事になる。表立って俺様を処分するには長い時間を要し……同時に、国に大きな混乱を齎す。俺様の目的は、最終的にはこいつらと共に国をひっくり返して、全部を手に入れることなんだよ! ハハハハハ!」
トーマスはそこまで言うと、身体を翻してティアナへと背を向けた。
「タルナート侯爵家の本家の人間は全員嫌いだったが、牢の中とはいいざまだ! なに、じきに貴様の親兄弟も、全員そちらに送ってやるぞ! なんと清々しい気分か! ダルク、そいつは適当に処分しておけよ! 未来の王からの勅命なり!」
トーマスは大口を開けて、高らかに笑いながら廃教会堂の地下を後にした。
「大層な理想を口になされていましたが、建前を掲げて権力を握るのが目的だったようですね」
「……大義の前の小義ですよ。ご理解いただけなかったようで残念です、人形姫」
ティアナの懐柔は不可能だと見たダルクは、そう言ってから口を閉ざした。
大貴族の人間は良質なマナを有する。
中でもティアナは、生まれつきマナの保有量が多く、百年に一度の才人だとされていた。
無理に懐柔せずとも使い道はいくらでもあったが、従順にしておいた方が使い道が多かったのだ。
ただ、ダルクはティアナの様子から、それは不可能だと判断していた。
ティアナがダルクの正義を信じていないのは些事である。
しかし、ティアナの無感動っぷりでは、彼女の琴線に触れて、心を掴むことはどう足掻いてもできない。




