34 八月八日のリボン
「ねえ、リリーちゃん」
「何? エマ」
二人の少女が長い渡り廊下を歩いていく。片方は白い長髪、もう一方は茶色のボブの髪型をしており、若干茶色の少女の方が背が高い。白い方はリリーといい、茶色の方はエマという名だ。廊下には西日が差し込み、リリーの白い髪を存分に照らし輝かせる。その様子があまりにも神々しく、美しかったのでエマは思わず見とれてしまう。
「あ、えーっと。合宿の時さ、リリーちゃん、一条君と一緒に行ったよね?」
「うん、そうだよ」
「踊ったりしたの? それか……他のことは?」
リリーはエマの発言を聞き、数秒静止した後、クスクスと笑い始めた。
「なんだ、そんなことね。特に何も、ちょっと話し合っただけ。踊ってもないし、その他のこともしてないよ」
「……本当?」
エマはリリーの発言を受けた後でも、少し口角を上げ、嬉しそうにしながら真偽を確かめようとする。
「本当だよ、何もないって。響一君もそうゆう目的で呼んだんじゃなさそうだったし。ていうか、何でそんなこと気になるの?」
「そりゃ気になるよ。知らないの? あのキャンプファイアーが終わって以降、もう学校中がリリーちゃんと響一君の話題でもちきりよ!! 私ね今日大変だったんだから。行くとこ全部で、その件について話しかけられたわ」
「そんな気にすることじゃないよ」
リリーはその話題に対して心底興味のなさそうな返答を送る。両手で胸に抱える数冊の教科書を強く抱きしめている。
「気にすることないって……リリーちゃんと一条君はもう公認カップルみたいな物になっているらしいわ」
リリーは知らないところで要らぬ噂話が広がっていたことに驚いた表情を見せた後、再び冷静に答える。
「へえ……」
あまりの不甲斐ない返答に対して、エマもエマで驚きを隠せないようだ。しかし再び好奇心に満ち足りた顔を取り戻し、噂話に花を咲かせる。
「で、どうなの?」
「どうなのって?」
「アリなの?」
「いい人だよ、響一君は。見た目とは裏腹にね。そこはにいにに似てるね」
エマは彼女の反応に対して、小さくため息をついた後、再び声を出す。
「クロガミが一条君と? 全然似てないわ」
「そう? あの目つきの悪さとかそっくりだけど」
「で、でも何というか。一条君の目線は百獣の王みたいでかっこいいじゃない? クロガミはどちらかというと……目に光がないというか」
「そう?……確かに。にいにの目つきの方が鋭い気がしていいよ」
エマはさらに大きなため息をつく。すると今度はリリーが声を出す。しかもその言葉には若干の怒りが含まれているような気がした。微々たるものではあったのだが。
「それよりさ、エマちゃんは結局誰と踊ったの?」
「え、い、いや。私はクロガミの看病をするって言ったじゃない! だからずっとリビングにいたわ」
「そう……でもリリー、エマがにいにと一緒に踊ってたとこ見たよ」
「そ、そう……ね。クロガミが起き上がった後、行くことになったのよ。別に深い意味は……ないし、彼に誘われたから行っただけ。どっちも相方がいなかったし、せ、せっかくのイベントを何もしないで過ごすのはちょっとかと悲しいかなと……思って」
エマは申し訳なさそうに俯きながら話す。一瞬沈黙が広がり、廊下は靴が床に当たりコツンと響く音だけが聞こえる。
「ごめん……ね」
「どうして………………謝るの? それに隠す必要もないよ。言ってくれればそれで終わり。誤ることは無いよ」
リリーはいつも通りの微笑みに戻った。口角が上がり、満面の笑みへと変化していく。
しばしの沈黙が広がる。次の教室までかなり距離がある。エマは何故か沈黙に耐えきれなくなり口を開いた。
「その青色のリボンさ、可愛いね。とってもよく似合っているわ。やっぱり白い髪は羨ましいわね、青色が良く目立ってきれいに映る」
「そう! これね、凄い綺麗でしょ?」
とリリーは急にテンションを上げてエマに話かけた。
「そうね、つける日とつけない日があるのは何で? 気分の問題?」
「大体そうだよ。一週間に一回はつけるかな。でも、今日この日は絶対につけることにしているの!」
リリーは無邪気な子供のように舞い上がりながら話す。エマはその様子を見てほほ笑んでいる。
「今日この日? 何か特別な意味でもあるの? あ、もしかして誕生日? ご、ごめん私、何も用意してなくて……」
「い、いや違うのエマ。もっと先よ、リリーが勝手に特別な日にしてるだけ」
エマは胸をなでおろす。何も準備していないという不安が解消されると、エマの興味対象は今度はその特別な日という意味に移った。聞きたい! というエマの瞳の輝きが向けられ、それを悟ったリリーはしぶしぶ口を開く。
「分かったよ、ちょっと耳寄せて」
エマに耳打ちをするリリー。エマは少し体勢を低くしている。ゴニョゴニョとリリーの唇が動く。それを聞き終えるとエマは驚愕した様子を見せた後、今度は動揺し始めた。
「――――ね、内緒だよ?」
「…………」
「どうしたのエマ?」
「あっ、わ、分かったわ。秘密にしておくね」
リリーは「へんなの」と呟いて、廊下を歩み進めていく。対照的に、エマはただ茫然とするのみだった。
「だあ~~。じゃ、授業始めるぞ。24ページ開けぇ」
椅子に座ってひたすら本を読んでいた教師が突然立ち上がり、生徒たちに声掛けをする。
4限目の授業が始まった。いつもよりは小さめの講義室で行われたそれは、後ろの席に行くほど段が上がって高くなる構造になっている。リリーは前から4番目の右端の席に座っている。この授業では席は指定制なのだ。
リリーはページをめくり始める。講義室内は沈黙が広がり、教師が黒板にチョークを突き立てる音が響く。するとリリーの4列ほど後方にいる男のペアがそんなリリーの姿を見て、何やら耳打ちをしあっている。
「あれが一条響一の?」
「らしいぜ、やべえよな。超かわいいじゃん」
彼らの発言に教師は気づいたのか「開始1分もたたずに話し合うとは何事だ」と二人の生徒を注意する。注意された二人の生徒は小さく縮こまり、急いで教科書を食い入るように見始めた。
そんな男子生徒の話をさらに後方で聞く女子生徒がいた。チークやアイシャドウをこれでもかというほどに塗りたくった生徒であり、どこか小生意気そうな風貌をしている。胸元のボタンも外されていて、何やら不機嫌そうだ。似たような様子をした女子が3名固まっており、リリーのことを見つめていた。その視線は好ましい類のものではなく、負の感情が添えられていたが。
リリーは彼女たちの視線に気づく。横目で後方の彼女たちに目を向けた後、再び教科書に目を移した。
「――――だあ~するとなあ。この物品が異能都市に流通するようになって~~」
「先生、もう授業終わってますよ!!」
「あ?……ああ、そうか、じゃあ終了!」
40台ほどの男教師は、終了! と強く叫んだ後、再び教卓の椅子に座り、ポケットの忍ばせてた本を取り、栞のページを開いて読み始める。
生徒たちは立ち上がり、ぞろぞろと講義室を後にしていく。リリーもノートをとってから遅れて教科書を片付け始めた。その様子をにやけ顔で見つめているのは先ほど注意された二人の男子生徒だ。頬付けを突きながらリリーの一挙手一投足に気を配っている。
「ああ、いいよな。やっぱ」
「ああ、一条響一が憎いな」
「でもよ、相手が一条家じゃあ……な」
「そうだよな……でも意外とお似合いかも……な」
男子生徒たちが、あられもない言動を綴っていると、突然男子生徒たちに声を掛けてきた者たちがいた。これまた先ほどリリーにしきりに視線を送っていた女子生徒たちである。
「なんだよ」と一方の男が声をだす。
「あんたたち、あのリリーって子がそんなにいいの?」
「そりゃあ良いに決まっているだろ、な?」
「ああ、純粋そうで可愛くて」
女子生徒の声掛けに対してお互いに確認し合う男たち。すると話しかけた赤色の髪の毛をした女子は「フン」と子馬鹿にするような発言をした後、再び口を開く。
「でもね……私聞いたんだけど。あのリリーっていう子、かなり男癖が悪いらしいわよ」
「あ? なわけないだろ?」
男たちは信じていない様子だったが、それでも赤髪の女の話に耳を傾けている。
「だと思うじゃない? あんなに清楚そうな雰囲気出しておいて、かなり激しく遊んでるらしいわ。私聞いたんだけど、あのリリーとかいう子、B寮の男どもを食い散らかしてるって噂よ」
「はあ? テキトーなこと言うなよな」
「テキトーじゃないわ、しかも男をたぶらかして、金品とかも謙譲させているとか」
「だとしたら腐ってんじゃんか」
「まあ、でもその噂は一理あるかもな。あんなに美人なのに男の噂が響一以外ないっつーのはおかしな話だ」
片方の男は赤髪の女の話に若干賛同を寄せ始めた。すると女たちは顔を見合い、ニヤリと感じの悪い笑みを浮かべる。
「リリーちゃん、帰ろうか」
「うん、帰ろう」
荷物をまとめ、リリーに近づくエマ。両者とも、後方にいる者たちの確証のないくだらない噂話には気づいていないようだ。リリーも教科書を持ち席を立った瞬間、赤髪の女の、わざと聞こえるように言いふらした声が響いた。
「だから、あのりりーとかいう子は、ただ男と遊びたいだけなの。免罪符として一条君と付き合い始めただけ」
その声を聞き、リリーは立ったまま硬直する、言われた内容を理解できていないようだ。いや、正確に言えば理解はしているが、衝撃で処理できていないだけ。エマは鋭い目つきを後方にいる女たちに向ける。
「ちょっと今なんて言ったの? リリーちゃんが男遊びしてるって?」
「そうよ、聞こえてるじゃないの。事実でしょう?」
三人の女たちは見下すように体を大きくして立ち上がっている。
「事実なわけないじゅない! 訂正して! そんなくだらない噂、誰がばらまいたのよ!」
立ち止まり硬直しているリリーに代わって、エマが猛烈な怒りのまま反論する。
「火のない所に煙は立たぬってね。あなたこそ誰?」
「レードル、あいつエマとか言う奴よ。リリーと同じ寮の」
赤い髪のレードルという生徒に向かって、女子生徒の一人が耳打ちをする。
「なるほどね。同じ穴のムジナってわけ? やっぱ似たような奴らで集まるのね」
「どうゆう意味よ! くだらない事ばかり言わないで。リリーちゃんがそんなことするわけないじゃないっ」
「一条君をゲットしたから、男あさりから手を引いて、清純さをアピールし始めただけね」
「何よ!」
エマは我慢できずに、レードルの元に近づいていく。すると体が動かないことに気づく。後方を見ると、リリーが苦しそうな笑みを浮かべながら、エマの制服の裾を引っ張っていた。
「エマ……いいよ。リリーは大丈夫。早くいこ、遅れちゃうよ?」
「リリーちゃん……」
エマは、そんな彼女の精一杯の笑みを見て、怒りが収まっていくのを感じた。先ほどまで体を貫いていた激情が引いていき、代わりにリリーへの同情と憐れみ、そして愛が心を支配していく。
「ふんっ」
と言って、エマはレードルたちに厳しい敵意の込めた視線を送った後、リリーとともに教室を後にしようとする。
無視されたことに対して、さらに怒りを感じたのか、レードルは去っていくリリーたちを横目で見ながら、小さい声でこう呟いた。それは誰も気づかないほどの声量であったのだが、リリーにははっきりと聞こえていた。
彼女の『五感強化』の能力が働いたのである。
「……くだらないリボンなんてつけちゃって、それもアピールのつもり?」
リリーの体がまた硬直する。その様子を見て、エマは動揺し、硬直した彼女に向かって「リリー?」と声を掛ける。
エマから見えていたリリーの横顔は、かつて見たことがないほど激怒している様子であった。ただでさえ大きい目をさらに大きく開き、歯を食いしばっている。そして何より今にも泣きだしそうな悲しげな表情をしていた。
リリーは突然、勢いよく階段状の道を駆け上がり、レードルの元に行く。レードルはその様子に驚いたのか、数歩後ずさりする。そしてレードルと対峙し、リリーは彼女の頬に思い切り平手打ちを食らわせた。
レードルは何をされたかも分からず、その場に立ち止まっている。右頬は赤い手形がつき、それを触って確認した後、自分が何をされたかに気づき、脳内の処理が追いついて、激情を露わにした。
彼女は怒りのままリリーの右肩をどつく。リリーはその衝撃で尻もちをつくが、リリーの顔はまだ怒りで満ちていた。
「訂正して!! 許さない!!」
リリー至上一番の大きさの声で叫んだ。頬杖を突きながら見ていた男子生徒たちも唖然としていたが、やっと状況を整理し終えて、怒りに満ちたレードルをなだめようとし始めた。
「オ、オイッ! 何やってんだよ、落ち着けって」
レードルは何も言わず、尻もちを突いたリリーに近づこうとすると、その瞬間、教卓から大声が飛んできた。本を読んでいた教師の声だ。
「コラァッ! お前ら、何やってんだッ!!」
彼の声により、レードルが正気を取り戻し動きを止めた。
「お前らァ、ちょ、ちょっと待て、オイッ!」
教師の声掛けも虚しく、レードルは「チッ」と舌打ちをした後、教室を後にした。彼女の取り巻きも慌てながら彼女の後を追いかけていく。
リリーは変わらずに、地面に尻もちをつき、両手を地面において俯いていた。エマは彼女に急いで近づき「リリーちゃん……」と気遣うような態度をとる。
「おい、大丈夫か君。全く、何があったんだ」
教師も手にしていた本を置いて、椅子から立ち上がりリリーの元に近づく。エマは彼女に手を向けると、それに気づいたリリーは、その手を取って立ち上がった。エマはこれまでの一連の出来事が終わった今、やっと、レードルに対する怒りを取り戻した。
「あいつ! 最低ねッ!」
それとは対照的にリリーはもう怒りを失っているようだ、いやそう見せているだけであろうが。リリーは下唇を見えないように噛んだ後、エマに対してまたいつもの笑顔を見せ、口を開く。
「ありがとエマ。先生も私は大丈夫です。ちょっとした言い合いですから……」
「あ、ああ? いや、今のは言い合い程度のものじゃないだろう? 取り合えず、他の先生にはこちらから離しておくから。寮に戻りなさい」
「はい、すいませんでした。あと、ごめんね、君たちも。巻き込んじゃって」
そう言ってリリーは男子生徒たちに向けてもぺこりと頭を下げた。男子生徒はその様子に見とれた後、頬を赤くしながら「あ、いやいや」と口を揃えて言う。
その後、荷物を再び持った後、リリーは何事もなかったかのように、平然と講義室を後にしようとした。その優美さからは、先ほどの出来事を微塵も感じさせない。
「ハア……全く……」
ため息をつき、エマは今度は動揺して赤くなっている男たちに目を向け、こう言った。
「この様子を見ても、さっきの噂話信じる……?」
得意げになってウウィンクをしながら言うエマを見て、男子生徒たちは、それはもう豪快に、大胆に、首を横に振って否定する。
そのあまりの同調の様子が、エマにはメトロノームのように思えて可笑しくて仕方なかったのである。




