26 異能合宿⑬ 死に戻り
「そろそろ……ハア……痛みにも飽きてきた……な」
「そうか? そりゃ残念だな。弾幕はまだ、たんまりとあるんだがな」
顔を汗まみれにして苦しそうに息を切らして発言する響夜とは対照的に、落ち着いた様子で汗一つかかず優雅に答える響一。響夜の浴衣ははだけて、右肩が露出している。響夜は和服をひっぱり、服装を正そうとする。
「やっぱ兄さんは鬼じゃ。可愛い弟に弾丸を何発も放っといてケロッとしとるのじゃけぇな」
兄さんという響夜の発言を聞いて一瞬瞼が痙攣する響一。
「しかし、お前につけた風穴は、全部無かったことにされているぞ」
「もうずっと、結果を「怪我をすること」に指定しっぱなしだ。なんぼ傷が治るといえども、身体に穴を開けられる一瞬は痛いんじゃ。おおかた400回は穴を開けられとる」
響夜は息切れしながら自身の体を愛撫するようにさすっていく。肩、腹、腕の順に触れていく。まるでそこに風穴を開けられたと誇張するかのように。
「じゃあ、今すぐ能力を解いて、降参し、動けなくなる程度に痛めつけられてから、お前が傷をつけたあの白い髪の少女に謝ることだな。そうすりゃ、許してやる」
響一の発言を聞いて、驚いた様子で口を開ける響夜。
「兄さんは随分と、あのカワイ子ちゃんに執着するね。もしかして惚れちまったのかい?
まあ、確かにあの少女は上物じゃ。下民出身じゃなけりゃあ、寵妃として娶ってやってもええ」
「……」
響一は響夜の挑発ともとれる発言に対して無言を貫くのみである。
「意外じゃのぉ、あがいな、奥ゆかしゅうて初心な子がタイプじゃったんかわれ」
「……ただの約束さ」
響夜の質問に対して、頑なに約束の一言しか発しようとしない響一の姿を見て、響夜はしびれを切らしたかのように、地面を蹴りながら、再び話し出した。
「兄さんは何も自分のことについて語ってくれんな、わしゃこがいなペラペラと、自分の能力まで明かしとるというのに」
「お前がお喋りなだけだぜ、能力っつうのは普通黙っておくべきなんだ、第三領域ならなおさらな……」
響一は響夜を諭すように話す。響一が向ける視線は、獲物を狙うような緊張感と、家族に対する愛情が混ざり合っている。それは絶妙な関係の中で混ざり合い、コーヒーにミルクを入れるかのようなアクセントを加える。
すると、響夜はいきなり臨戦態勢を解いて、足をそろえて模範的な姿勢のまま直立し、目をつぶり、手を合わせる。その様子はさながら、熱心な聖職者のような荘厳な輝きを放つ。
「……何をしている?」
響一が、およそ戦闘中とは思えない響夜の態度に疑問を感じ、その疑問をありのままに伝える。
「祈っとるんじゃ。これから消えゆく命に」
「お前がそんなに謙虚な奴だとは思わなかったな。血縁者の墓に余裕で放尿できるほど、腐りきったモラルを持つお前が、祈りなんて似合ったもんじゃねえ」
響夜はここで初めて、正真正銘の沈黙を貫いた。数秒間、音のない世界が到来する。響夜は何も喋らず、響一も彼の姿を見つめるのみである。
森に生息する虫の鳴き声、風で揺れ、こすれる木の葉の初々しい音。戦闘中には聞こえるはずもなかった、環境音で空間は支配されていく。
ここで、口からため息を吐き、響夜は目を開ける。迷いなき眼が、月の光を反射し、恍惚に輝く。
「もちろんこりゃ兄さんに対する祈りだ。なんぼ憎たらしゅうても、われは血がつながっとる兄貴じゃ。それなりの敬意は示しとこう思うてな。」
その祈りの意味を理解し、響一の戦意はそがれていく。今対峙している相手が他ならぬ血のつながった弟であるという事実を再確認し、押しとどめてきた、あるいはあえて無視してきた罪悪感や、恐怖の感情が沸々と沸騰するかのように煮えたぎってくる。
駄目だ。響一は心の中でそうつぶやく。気を抜いて勝てる相手じゃない、目の前にいるのは弟ではない、ただの敵だ。こいつを殺す、それだけのことに集中しろ、それができなければ、代わりに俺が死ぬのみだ。
俺が死ねば、リリーという少女を守る者はいなくなる、あのクロガミとかいう屑野郎では責任を全うできない。そしてリリー、彼女が死ぬということは、あの人との約束を破るのと同義である、それだけは何としても、避けなければならない。
「次の能力使用で、われを殺すでぇ。覚悟しろッ!」
「お前こそ、墓石の予約はしておいたか? 俺が毎週花を添えに行ってやるからな」
「ああ、抜かりなく。兄さん用のをな」
響夜は姿を消す、消える、闇に同化する、存在を無にする、虚無と一体になる――――。
「結果に到達する前に、殺してやるぜッ」
響一は大きく息を吐いた後、吐いた量以上の息を吸い込み、肺を酸素で満たすと、詠唱を唱え始めた。正真正銘、殺意が100%籠った詠唱である。
〔霞、啓蟄、春雷。言論を妨げ、双を成す。
炎暑、白書、蝉しぐれ。列に並び、罪をなす。
深淵を覗く少女と、それに付随する投擲、中絶、五月雨。
統合し、密着し、潔く流転を行え。臓物は――――――所轄――――――〕
かつてないほどの振動が大地を覆う。ついには地面全土が自壊をし始め、草木は己の運命を悟ったかのように、潔く、自ら朽ちていく。
瞬間、響一が指揮していた弾幕が、不規則に動き出す――のかと思いきや、実際は異なっていた。一見不規則に乱雑に動き回っているかのように見えるが、ある一定の規則性を保ちながら幾何学的に一定の軌道上を弾丸が通過している。
時には追尾し、時には乱雑に動き、そして時には直線軌道を動く。曲がりくねり、うねり、回転し、拡散し、収束する。
領域によって、弾幕の動きが異なっているのだ。そして次第に、その様々な動きはある一定の動きに統合されていく。ついには、弾幕は十字に配置され、その後勢いよく北西の方向に向けて拡散された。
「グフッ……がああああああああああ」
弾幕が向かった方向の終了点に響夜の姿が現れる。ビー玉程度の穴が、頭部に8個、腹部に32個、両腕に14個、両足に21個空いている、四肢の穴からは血が滴り、ホースから出る水のように後方に噴出され、腹部の穴からは臓物と思わしき赤い肉片がまろび出ている。
弾幕が命中した衝撃で斜め上に吹っ飛んだ後、思い切り地面にたたきつけられる響夜。
もう、叫び声すら出さない。
響一は、能力を解除する。すると空中に十字架の形をしたまま静止していた石の弾幕が重力の影響を受け地面に落ちた。
響一は倒れている血で赤く染まった響夜に向かってゆっくりと歩を進める。
弟をあのような無残な姿にしてしまったことに罪悪感を感じているのか、下唇を強くかみしめ、下唇が切れたことで生じた血が顎から首にかけて滴り、一つの赤い線を描く。
響夜の右腕はまだピクピクと、浜に打ち上げられた魚のように小刻みに動いている。
その右手を掴み、苦しそうな顔で静かにうなる響一。その姿は、彼が響夜に代わって祈りをささげているかのように見える。
「……これが……俺の本気だ響一。最終奥義 「所轄」軌道。お前に今まで見せてきた直線でも、追尾でも、湾曲でもない……俺が編み出した……俺だけの軌跡だ……」
響一は愛をこめて、憂鬱そうな顔をしながらしおらしく、それでいて優しく語りかける。
「……」
響夜は何も答えない。ただ小刻みに震えているのみだ、もはや肉片と化してしまっていている。響一はそれでも、かつて響夜だった肉片に話しかけるのをやめない。その様子はまるで懺悔を行う信者のようだ。
「兄ちゃん、これでもいつも手加減していたんだぜ。なんせお前、兄ちゃんが勝つと、泣き叫ぶほど怒り狂うからな」
「……」
「……「所轄」は、ある一定の範囲内を支配するという意味があるんだ。今まで弾幕が通過した軌道上全てを統括し、能力自体が自動演算を行う……」
「……」
「そして弾幕は自動的に、まるで意思を持つかのように試行錯誤を繰り返して、相手を倒す上で最適な「軌道」を己で見つけ出し、その最適軌道に沿って弾幕は放射される……」
「……」
「……お前が聞いたら、そんなのありかよって悶絶するほど悔しがるだろうな……」
「……――――」
響夜の震えが止まる、どうやら死んでしまったようだ。完全にただの肉の塊と化したことを、ここで初めて響一も実感した。響夜、自分の弟はもうこの世にはいないことを。
響一は涙は流さない、しかし、だからこそ深い悲しみを背負っている。涙を流したくらいでは、流しきれないほどの深い罪悪感を一身で受け止めながら、立ち上がり、響夜から目を離し、歩み始めた。振り返ってしまったら、もう彼から目を離せなくなってしまうだろうから。
服の汚れを確認する、着ていたワイシャツが響夜の血で赤く染まってしまっていた。
響夜の右手にしか触れていないはずなので、血がこんなにもかかるはずはないのだが、おそらく、彼が弾幕に貫かれたとき散った血が服に付着したのだろう。しかし、それにしてもやけに浴びた血の量が多い――――――――
――――視界が反転する。世界が回る、いつの間にか響一は地面に寝転んでいた。傷を負っていないはずの腹が痛む。ドクドクと何かがあふれ出しているのも感じる。
「今なぁさすがに泣きおらぶほど痛かったな」
??? 誰の声だ。聞き覚えのある声、ああそうだ、俺がたった今殺した弟の声だ。俺に殺された恨みで化けて出てきたのか。
だとしても少し早すぎはしないか。これからずっと、弟を殺してしまった罪悪感を抱えて過ごしていくことになるという贖罪を背負って生きていくことになるのだから、勘弁してくれよと呑気に考えていたが、数秒後、目の前にいるこの擦れた弟の姿が、幽霊ではないことに気づいた。そして擦れの原因が、弟ではなく、俺の意識が朦朧としているせいであることに気づくのにも数秒費やした。
「正直に言うか、ビビった。まさか兄さんにこがいな技量があったなんてな。本当、兄さんのこと舐め腐りきっとったよ」
「……ゴホッ……ガッ」
痰と涎が配合された血を吐血する。弟が生きていることに対して、焦りと憎悪を感じたが、同時に安心感も感じている自分に気づく。
「先ほどの「所轄」という技見事じゃったぞ兄さん。それに敬意を示して、嬲り殺すことなく、一撃で楽にしちゃる」
響夜の風穴で開けられた月のクレーターのような体は綺麗さっぱり、平地になっている。傷一つ見られない、能力を発動させたのだ。しかし、いったいどうして? そんな疑問が死にゆく響一の頭の中を巡る。
「だ……な、なぜ……確実に……殺し……たは……ず……」
「簡単な話だ。結果を「死」に指定しただけじゃ。実際に死んで、結果を達成できて、その死を兄さんが認識したことによって条件を満たし、能力が発動したんじゃ」
響夜はかつてないほど真剣な面持ちで響一の質問に答える、その様子からは確かに敬意を感じられる。
「そ……んな……無敵……じゃ……ない……か」
「わしも初めての試みじゃった。結果を「死」に指定して、実際に死んだ後に能力が発動できるかどうかは定かではなかったけぇな。まあ、この結果を「死」に指定するやり方は 死に戻る と表現するのが適切かもな」
「……き……完敗……か……能力においても……覚悟においても……」
「そがいなこたぁない。兄さんのあの一撃は、まさに驚きじゃった。あれほど美しい攻撃をわしゃ見たことが無い。まさに至高の一撃」
響一は、響夜の誠意からの称賛を受け、思わずニヤリと笑う。
「わしゃ今まで、凄いな思うた技はえっと見てきた、だが、美しい思う技は見たことが無かった。あのシステマティックな美しい軌道、わしゃ一生忘れるこたぁないじゃろう」
ああ、死んでもいいな、と思ってしまった。響夜の必死の称賛、それも情けや同情からの物ではなく、正真正銘本心からの枯れることない無尽蔵の讃美。これを受けながら安らかに死ぬことが出来たならば、どれほど気持ちが良いことだろう。武人としても家族としても最高の誇りを保ちながら死ねる。それは一つの理想形であり、ずっと恋焦がれてきた終末予想であった。
響夜が右足のつま先を地面に押し付けると、彼の靴のつま先の隙間から、カッターのような刃が出現した。この刃によってブルーハウダーも、クロガミもやられたのだと理解した。そして俺もその被害者の中に加わっていくのだ。
「せめて楽に……潔く」
俺の首筋当たりにその刃を押し付ける響夜、ここから見える彼の顔は、真剣そのものだ。曇りなき眼でこちらを見つめている、それは敵に対する最大の賛美である。
「……俺の分まで生きろよ……」
俺は痰が絡んだまま、つぶやいた。響夜はその呟きを聞き、ただ深く頷く。
目を閉じる、俺が目を開けて、見つめていると響夜が殺しずらいからな。体を彼に預け、首の力を最大限抜く。さあ、来い。お前に今ここで殺されるのも悪くないかもしれねえ。
ゴッという打撃音が響いた。驚いて目を開けると、響夜の額から血が滴っていた。と同時に石が地に転がり落ちる。
「兄弟喧嘩はそこら辺にしておけよオ、響夜。兄ォ殺す弟がどこにいるってンだ?」
目線の先には、クロガミという、俺がおそらくこの世で一番嫌いな人物がムカつく微笑みと余裕ぶった雰囲気を醸し出しながらポケットに手を突っ込み立っていた。
「やっとォ、響一。テメェの借りを返しに来れたぜェ~」
弱くて、もろくて、煩くて、面倒で、鬱陶しい存在、なのに『業火』の力に選ばれた稀有な存在であるチンピラが俺、一条響一には眩しくてたまらなかったのである。
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