16 異能合宿③ カレー
閑話休題
「カレーって何だ?」
目の前に広がるのは一面の野菜たち。緑と黄色、茶色と赤の美しい色彩を持つ野菜と肉。ところで、赤や緑などは赤色、緑色とわざわざ表記しないが、黄色や茶色を黄や茶と呼ぶ者がいないのはなぜであろうか。なぜ黄色や茶色だけ、わざわざ色という字と付随して表記されるのだろうか。全く永遠の謎である。
そんな疑問もふと頭に浮かぶが、それも目の前の問題に比べたらとるに足らないものだ。俺たちが取り組むべき唯一の問題は結局のところ……カレーとは? という単純な疑問に集結する。
「カレーね……昔、本で読んだことがあるわ。確かある東の国の伝統的な料理だとか」
「ああ? 何言ってんだよエマ。今俺たちがいるここが極東だぜェ? ただでさえ異能都市マギコは東に面しているんだ。俺たちゃ、今マギコよりさらに東にいるんだぜ。馬鹿か?」
「し、知らないわ。本にはそう記載されていたのよっ!」
「それよりさあ、俺ァ、カレーっつうのはさ、きっと肉巻きみてえなモンだと思うんだよ。きっとさ、このにんじんやジャガイモの周りに肉をまいて焼けばいいんだぜェ」
先ほどから言い合っているのはエマとホワイトだ。
「じゃあ、この大量のスパイスは何に使うのよ……」
「だァかァらっ、味付けだって」
「味付けに、ここまで色んな種類のスパイスが必要だと思っているの?! 一つで十分でしょう? それに焼くだけなら、鍋じゃなくてフライパンで十分だと思わない?」
「何をオ、別に鍋でも焼けないことはないぜェ? なあ、クロガミ?」
急にホワイトが俺に話題を振ってくる。俺が知るわけがない。カレーがただの肉巻きだと仮定しても、さすがにこの量のスパイスはいらないだろう。しかし、かといって別の案が浮かんでくるはずはなく、ホワイトを頭ごなしに否定はできなかった。
「あ? あ、ああ、でも鍋があるってことはなんか煮込むんじゃねえか?」
一応、当たり障りのない回答をしておこう。
「ハア……そうよね、やっぱり何も分からないわ……」
困り切った様子でため息をつくエマ。
なぜ俺らはこんな問題を抱えているかというと、カレーなるものが作れなければ、俺らは夕飯にありつけないからだ。各班に材料と調理器具が配給され、それらを用いてカレーを作るようにと教師から指示された。しかし、誰もカレーなどという料理は知らない。唯一聞いたことがある程度の者がエマ一人だけ、しかも彼女ですらも調理法を知らないし現物さえも見たことが無い。
すると坂道を登ってくる二人の姿が見えた。マスタードとリリーだ。彼らは山のふもとにある図書館にまで行ってカレーなるものを調べに行ってくれたのだ。
「ハアハア、見つけたぜ。図書館を見つけるのに10分、本を探すのに6分、カレーのページを探すのに4分かかったが……見てくれよこれをッ」
マスタードは片手で分厚い書を抱えていている。マスタードは机の上にその分厚い書を置き、リリーと一緒にページを開く。するとそこには、野菜や、肉、肉巻きとは全く関係のないものが移っていた。そこにはこのように記載されていたのである。
カレイのムニエル まずカレイの魚と塩コショウ、レモン汁にバターを用意します。
必須ではありませんが、パセリやキャベツがあると飾りつけにな
り、より食欲が湧きます。
場が静まり返り、その沈黙をエマが切り裂く。
「これカレーじゃなくてカレイでしょう?」
リリーとマスタードは顔を合わせる。すると少しがっかりした顔をしあった後、こうつぶやいた。
「……あんまウケなかったな?」
「ね」
どうやら二人のくだらないジョークだったようだ。思いのほか滑ってしまったようだが。この絶妙なセンスはおそらく……マスタードだ。彼が提案してリリーがそれに乗った形なのだろう。
少し勢いが足りなかったことが失敗の理由だと思う。俺ならもっと嬉しそうに、楽しそうに思いっきり走ってきた後に、カレイのページを見せただろう、まあそんなことはどうでもよいのだが。
「早くカレーの作り方を教えてよ」
冷静沈着な様子でカレーの作り方を知りたがるエマ。彼女はおそらく先ほどの一軒がジョークだということすら気づいていないようだ。本当に間違えたのだと思っているのだろう。だから彼女のこの質問も皮肉から生まれたものではなくて、むしろ本心からの質問だったのであろう。
であるからこそ、一番ひどい。ジョークを言う者にとって一番つらい反応は滑ることでも、沈黙でもなく、無視であるからだ。これは人間関係にも言えることだろう。
「ああこれだよこれ、勘弁してくれって」
そう言ってカレーのページを開くマスタード。そこには煮込まれてどろどろとした茶色い液体の中に、ゴロゴロとした野菜が見える料理があった。これがカレーか。そして驚いたことに、いや全く不可解な事実なのだが、俺はこの料理を、すなわちカレーを見たことがあった。
正確に言えばどこかで見た記憶があった。小さい頃、よく見ていた景色に似ている場所に訪れた時、ふいに過去の景色を思い出してしまうかのような感覚、いわばデジャブ的な感覚に俺はこのとき陥っていたのである。
「やっぱり煮込むのね、カレーって」
腑に落ちた様にいうエマ。
「でもさあ、これ困ったことにレシピが書かれていないんだよなァ。この本、料理本じゃなくて写真集だからな」
マスタードの言う通りそのページ一面にはカレーの写真と、簡易な材料が書いてあるだけだった。
「でも、ありがとう。これがあれば大体のことは分かるわ」
エマは制服の袖をまくり始め、料理に取り掛かろうとする。エプロンを着て、髪を後ろで束ねているので、見た目はさながら若い主婦のようだ。
まあこの様子なら、まともな飯が作れそうだ。とりあえず安心と言ったところか、俺はそこらで時間を潰していようか――と思って、その場所を後にしようとしたのだが、なぜだろうか。歩こうとしているのだが、前に進まない、むしろ後ろに引っ張られている気がする。ふと、後ろを向くと、俺のワイシャツを引っ張っているリリーの姿があった。
「もちろん、にいにも手伝うよね?」
優しく、かつ威圧感を与えるようにつぶやくリリー。結局俺も野菜を切ることになってしまった。しかも、人差し指を切った、血が出てジャガイモが赤色に染まり、エマに叱られた、普通こうゆうときは俺を心配するんじゃないのか。一条との喧嘩の一軒から、どうやら俺は異常に体が強く、ちょっとのケガは問題ないというイメージがついてしまっているらしい。
だから皆、俺をぶつとき異様に力がこもっている気がする。特にエマ、こいつは俺を意識のないサンドバックか何かだと思っているのか、実際は意識もあるし、サンドバックでもない。
そんなこんなで料理を続けた。ハプニングはあったがきっと、しっかりとしたカレーが作れるであろう。皆で作り上げたという事実により、それはきっと実態よりもさらに美味しく感じられるものになるだろうからな。
夕食作りが終わった。他の寮生は、写真とは若干異なるものの、カレーとは認識できるものを作っていた。
では俺のB寮はどうであろうか。机に並べられた料理は3つ、他の寮生は1つなので、この点では彼らに勝っているといっても過言ではないだろう。しかし、並べられたその三つの料理の質を問われたとすれば……どうやら完敗と言わざるを得ない。
焦げた固体の異物と水のように薄いスープ、そして唯一ちゃんとした野菜の肉巻き この三点の料理がそれはもう豪快に机の上に存在している。
俺らはいったいどこから間違えたのだろうか。そして一体どこから語ればよいのだか……。
きっかけは単純なことで、最初にエマとホワイトが言い合いを始めたところだ。やれジャガイモの皮をむくだの、むかぬだの、そのレベルの取るに足らない言い争いだった。ホワイトはジャガイモをむかないことを主張していた。しかも彼は泥まみれのジャガイモを洗わないという決断までしていた。
彼の言うところによると、カレーの茶色は、このジャガイモの泥によるものらしいのだ。この点に関しては俺も真っ向から否定したい。
しかしかといって、エマのようにジャガイモの皮をむくべきだという意見に躍起になる必要性も感じなかった。
どちらも強情で、一歩も引かず、10分ほど言い合った後に、埒が明かないので、各自好きなものを作ろうという意見が出た。
その結果、各自が思い思いの料理を作ることになり、なぜかここで関係のないリリーがやる気を出し始めた。俺はここで嫌な結果になるだろうということが想像できた。
リリーは決して料理が下手ではない、野菜だって俺より上手く切れるし、リリーは何より几帳面であるので、俺なんかよりよっぽど料理に向いてる。
しかし、貧民街の悪習慣がここでも出てしまう。彼女は大量にある食材や、調味料を渋り、まったく使おうとしないのだ。もはや節約が癖になっており、何度声を掛けても、材料を必要以上使いたがらないのだ。その結果、うっす~いスープが完成した。
そして、俺がリリーのことを気にかけている間に今度はマスタードとエマが口論を始めた。ホワイトはエマに論破されたのか、座り込んでいじけながら地面の砂をいじっていた。多分、マスタードはエマに言いすぎだのなんだの抗議して、また言い争いが始まったのだろう。
しかし、折角上手く進んでいたエマのカレー作りがそこで止まってしまった。いや、ただ止まるだけならよいのだが、鍋で煮込んでいるまま、討論を始め、料理を止めてしまったのだ。
予想通りに、必要以上に熱されたカレーと思わしき液体は、異形の固体に形を変えていた。
表面が黒い焦げでおおわれた、握りこぶし程度の大きさの固体。絶えず煙を発していて、気が付いたときにはもう手遅れになっていた。
結局、持ち前の切り替えの早さで、元気になったホワイトが、エマとマスタードが喧嘩をしている陰でコソコソ作っていた肉の野菜巻きのみが唯一の料理と呼べるものとして、俺らに配給されたのである。
皆暗い顔をして黙り込んでいる。俺はスプーンを手に取り、リリーのスープを口に入れる。
「……ウッス……」
思わず反応も薄くなってしまう。貧民街にいた時、すなわち数か月前には食べ慣れた味であったのだが、この学園にきて肥えた俺の舌では、物足りなさを感じてしまう。次にエマが作った固体に手を出す。スプーンを入れるとザクッという音がした。カレーがザクッという音を放つか。
「……コイナア……」
下がしびれるくらい苦いし、辛い。体中が震えるほどの超刺激。こりゃ食えたもんじゃない。
「で、っでも……これさあ、リリーのと一緒に食えば……い、いけるぜ……ハハッ」
エマがあまりにも悲しそうな顔をしていたので、思わずフォローしてしまう。なぜ俺がこんなことをしなくてはならないのか……右の指を怪我し、エマに叱られ、お湯に似たスープを飲み、爆薬に例えられるほどの刺激を放つ個体をほおばり、沈黙に耐え、愛想笑いをし、フォローをする。
初めての合宿要素がこのような仕打ち、早く学園に帰って、食堂でおいしい飯が食べたいと心から感じた。夕食後の肝試しが不安だ……もうこの2泊3日が、すべてうまくいかないような気がしてたまらなかったのである。
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