13 訛った少女と窃盗犯
「――でな、俺はそこで言ってやったんだ。百年早いぜ……ってなァ!!」
食堂で野菜スープを時々口にかきこみながら、それはもう熱心に力説する男がいる。カツラのような不自然なソフトモヒカンがチャームポイントの、四六時中武勇伝を語るこの男、名前はホワイト=レオナード。知的、インテリ、繊細、思慮的、これらの言葉から最も遠い男である。
今日もいつも通りの大声で、いつも通りの内容――大体自慢話、たまに女性関係――をさも素晴らしい福音かのように語る。そして恥ずかしいことに、俺のルームメイト兼、友達であるのだ。
俺は今日もホワイトの話を冗談半分で聞きながら、まるで興味の一かけらもないような相槌を打つ。具体的には「ほー」と「へー」と「なるほど」だ。そろそろ相槌のレパートリーも無くなってきた。たまには「おええええええ」とか「あああああああ」みたいな、通常会話ではあり得ないような相槌を打ってみようか。その時ホワイトがどのような反応をするかは見物である。
「それでえ、グリム教官の拳をひらりとかわして、空いた右腹に渾身の一撃を――」
「おええええええ、なるほどなああああ」
「そうそう、渾身の一撃を食らわせたのさ。グリム教官はそりゃもう真っ青になって――」
無駄であった。かなりの声量で叫んだはずなのだが、そうそう の四文字で返される。俺の必死の抵抗がたったの四文字で爆殺されたのだ。もう何者もこいつの雑談は止められないだろう。あきらめて野菜のスープを口に入れる。食堂は昼時であるのでかなり混み合っており、5列並んだ10メートルほどの長いテーブルのほとんどの席はもう埋まってしまっている。
右奥にはラウンジ、さらに外のベランダにも飲食スペースはあるのだが、ここから見回した限り、そのほとんどの席は空いていない。様々な人たちがひきめしあっているので、やけに大きいホワイトの声さえも、他の人々の声でかき消されている。
「はあ……どうしたもんだか……」
ため息をつきながら斜め左のカウンターの方に目をやると、そこには小柄で長髪の女性がいた。身長は150㎝にも満たないほどであり、女性というより女の子という表現が適切であろう。何より目を引いたのは、紫色の長髪だった。ここからでも確認できるほど潤いと艶で満ち満ちた美しいロングストレートの髪であり、彼女が左に動くたびに爽やかに揺れる。
「……この学園ってさ、14歳くらいの子もいるのか?」
熱心に語っていたホワイトに向かい急に話を振る。ホワイトは話を遮られたことに対して若干不機嫌な顔を見せるものの、持ち前の引きずらない性格により、すぐ機嫌を直して質問に答え始める。
「いや、この学園に入学できるのは16歳からだぜ。それより下の子の大半は異能学園と繋がってる異能教育所に行ったり、たまに無能力者と同じ一般学校に行ったりする奴もいる。どうしてそんなこと聞いたんだ?」
「いや、あそこのカウンターにいる子、あの紫色の髪の子だよ、やけに小さいなと思ってさ」
「あ~ん? あの子か……ただ小せえだけだぜ」
「ふーん」
目の間の野菜スープに目を戻し、胃に入れる作業を始める。ホワイトは再び何かを猛烈な勢いで語り始めたが、それがどのような内容であるかはちゃんと聞いていなかったので分からない。
「――でよお、あ、さてはお前、その顔は信じてねえなあ? 怪しくてたまらない顔をしているなッ! いいだろう、特別に証拠品を持ってきてやる。ここで数分待ってろよ? 今持ってくるからさあ!!」
ホワイトは勢いよく立ち上がり、小走りで食堂を出ていく。立ち上がった時、テーブルに膝が当たり、その振動でテーブルが揺れ、ホワイトのスプーンが地面に落ちる。そのスプーンを拾ってやり、ホワイトのおぼんに乗せ直す。
「……さて、帰るか……」
野菜スープを食べ終わった俺は、ホワイトを置いて帰ろうとする。立ち上がるためにテーブルに両手を置き、力を籠めようとすると、誰か知らない者の声がする、透き通った声だ、しかしどこかにあどけなさが残る声である。そして何より、聞いたこともないような訛りを多量に含んでいた。
「ちょっと君、横お邪魔していいばいか、他に空いとー所はのうてしゃ」
「……」
「何で無視すると」
「あ、もしかして、俺に言ってます?」
「そうばい」
「……バイ?」
話しかけてきた人は、先ほどちょうど話題にしていた紫色の髪を持つ少女だ。彼女は両手におぼんを持ちながら、熱々の野菜スープから立ち上る蒸気を顔で受け止めている。
しかし困ったことに、彼女の言う言葉が理解できないのだ。おそらく俺らの言語と違いはないとは思うのだが、少しばかりイントネーションや語句の形が異なっている。おそらく訛りというものであろう。
貧民街でも、そうゆう訛りのある言葉を話す奴がいたが、この少女の話す訛りは効いたことがなかった。
「ああ、えーっと、ここをどいて欲しいのかな? じゃあお兄さんもう食べ終わったから、ここに座っていいよ。あ、そうだ。そのうち目の前に変なお兄さんが来ると思うけど、気にしなくていいからね。彼は虚言癖の病気お兄さんなんだ。困ったら、そのソフトモヒカン、イケてますねって褒めれば、きっと何とかなると思うから、じゃあ」
引き続き席を後にしようとした。もう帰りたい、もたもたしているとホワイトが返ってきてしまう。この少女には酷だが、俺のために犠牲になってもらおう。
「待って、何で逃げようとすると? それにうちゃ18歳や、敬語ん一つでも使いんしゃい」
この少女におそらくここに留まるように要求された。それに18歳だとか何だとか言っている気がする、18? 嘘だろう? 俺よりも年上だ。
「それにあんた、黒か髪ばしとーね、今後うちと関わることもあるやろう? ここらで仲良うしといた方が得やなか?」
??? 黒い髪のことに触れられたことは理解できる。黒い髪をしているから、仲良くしようと言われたのか? 少女はおぼんをテーブルに置き、スカートをつまみながら右横の席に座った。スープの蒸気で隠されていた顔が露わになる。見れば見るほど18歳には見えない容貌である。小さい顔に大きい紫色の瞳、頬は赤らんでいて華奢な体つきをしており、顔だちは整ってはいるが、どこかあどけなさが隠せない。
「ふーふー……熱かッ」
彼女は野菜スープをスプーンですくい、口を小さくすぼめて息を吐き、スープを冷ます。しかし、十分に冷ますことが出来なかったのか、口に入れた瞬間、おそらく熱いと叫んだ。
「……なあ、お前誰?」
「うちゃ わかば、聞いとったまがらんでな、あん一織家んわかば ばい」
「あーウチャワカバさん、俺もう帰りたいんですけどね」
「違うよ、うちん名前は わかば うちゃは私って意味と」
なるほど、この子の名前はウチャワカバではなく、わかばと言うらしい。ウチャはおそらく私という意味で、俺がその二つをごっちゃにして考えてしまっていたのだ。しかし、ウチャワカバの方が、時代の最先端を行っているようでかっこいいのではないかと思ったことは黙っておこう。俺の感性が可笑しいだけなのかもしれないからな。
「わかばちゃん、じゃあこれで、俺はやることがあるから」
「ちゃん ば付けりなしゃんな。さん ば付けんしゃい。それとあんた、一織と聞いとったまがらんのね」
「え? たまがらん? 何それ?」
「たまがらんは驚かないのか、という意味と」
「あーイオリと聞いて驚かないのかってこと? まあ、そうだな。まず一織って何だ? お前の苗字の何が珍しいんだよ?」
「たまがったわ、あんた珍しか人ね。黒色ん髪ばしとーちゅうことは転生因子ば持っとーちゅうことなんにね、それなんに、一織家ば知らんなんて、あんた何者と?」
転生因子? こいつ今、転生因子と言ったか? その言葉は、あの憎き舞踏武道と、謎の覆面集団の調停会が話していた単語だ? なぜこいつがその言葉を知っている?
「お前今、転生因子って言ったな?」
「そうばい、あんた転生因子も知らんのか、ほんなこつ謎ねえ。ますます興味が湧いたばい。
」
このわかばという少女は、スプーンから手を離し、テーブルに肘をついてその上に顔を乗せ、こちらをその曇りなき眼で見つめてきた。紫色の瞳の中に、俺が反射し移っている。口についたスープの汚れをベロでふき取り、数秒間見つめ合う。
そろそろ恥ずかしくなってきた。すると、彼女は俺の顔を両手で両方から挟みながら、さらに顔を近づけてくる。
「一重、黒か髪、少し黄色に染まった肌ん色……あんた、やっぱり転生因子を持っとー」
「ッッツ。はなせッ」
「まあよかばい、そん内、また顔ば合わしぇることになるやろう。そん生意気な性格、気に入ったわ」
恥ずかしがって、彼女の両腕を掴んで、俺の顔から離させる。力はなく、いかにも女性的な細い腕であった。わかばは二ヤリと笑い、その後再びスープをすくって食べ始める。
その笑いは、おそらく彼女的には精一杯の威圧感を与えるつもりで行ったのだろうが、年齢にそぐわない、彼女の顔の作り――いわゆる童顔――によって、ただのいたいけの無い少女の微笑みと化していた。
「ふーふー熱ッ」
再び息を吹きかけてから、スプーンを口に運ぶが、同様にスープの熱にやられているようだ。
俺はその場をやっとのことで立ち上がり、空になった皿を乗せたおぼんを持ってわかばの後ろを通る。
彼女の後ろを抜け、おぼん返そうとカウンターに向かった瞬間、俺の背中が引っ張られているのを感じた。振り返ると、わかばが俺の背中のワイシャツを引っ張っていた。
「なんだよっ」
「転生因子ば持つ者は惹かれ合うんばい。慣習的にも、本能的にもね」
「……はいはい、その転生因子っていったい何だよ」
「国家機密や、一般人には教えられん」
「はあ……じゃあ言うなってんだ、オラ、離せ。じゃあな」
わかばの脳天にチョップを食らわした後、カウンターに寄っておぼんを返した後、食堂を後にしたすると、食堂を出た廊下で、小走りのホワイトと出会う。
「ゼエゼエ……ああお前!! クロガミじゃねえかっ!! 」
しまった。ばれてしまった。あのわかばとかいう少女に絡まれていたせいだ。また食堂に戻ると、わかばとホワイトに絡まれることになってしまう。二重苦である。何とか言い訳を考えなければ。
「げ、ホワイト」
「げ って何だよ」
つい本心が出てしまった。しかしこいつ、何しに行ってたんだ? 何かを取りに行くと意気込んでいたが、それらしきものを持っていない。
「なあ、お前何しに行ってたんだよ」
「ああ、えーっとな。さっきの話の通り、俺が山吹熊を一人で討伐した証拠を見せようとな。山吹熊の爪のかけらを見せようと、寮に取りに戻っていたんだ。だけど、見つからなくてなァ。
机の引き出しにずっと入れておいたはずだから、無くなるはずが無いんだけどなァ。お前盗んでないか?」
「盗まねえよそんなもん」
俺は山吹熊がどうゆう動物かも知らないし、お前が爪を持っていることも知らないし、爪が引き出しに隠されていたことも知らない。まあ、こいつのことだ。きっとどこかで落としたりしたんだろう。それよりも、今すべきことは、食堂に戻らない言い訳を考えることだ。
「なあ……お前が外に出ていったあと、俺は飯を食い終わっちってよ。暇だなと思ってぼーっとしながら待ってたんだ、するとな、さっきのさ、綺麗な紫色の髪をした子がいたろ?
その子がさあ、それはもう丁寧でおしとやかな声で、ここを譲ってくれませんか? って言ってきてさあ……俺困っちゃったけどさあ、お前との約束があるしね? だけどさあ、その少女があまりにも可愛かったからさ……俺いいとこ見せたくて席譲っちまったんだ」
「だからなんだよ」
「お前、よく考えてみろよ? 今、お前の席の前には、その少女が座ってるんだぜ? ああ、あと数分したら帰っちまうだろうなァ。そしたら、その子と面と向かって食事はできないだろうなァ、悲しいことに……」
「……なるほどな!! これはいかんな。急いで向かわないと!! あ、今回のことは特別に許してやるぜ!! じゃあな!!」
廊下をかけてきた以上のスピードで、食堂に駆け込んでいくホワイト。先ほど、彼の悪い所を網羅してしまったが、そんな彼にもしっかり良い所がある。それはあの単純明快さである。
思い切りがよくうじうじ悩まない、いやおバカすぎて悩めないといったところか。鶏と同じだ、三歩歩けば、綺麗さっぱり忘れてしまう。苦しいことも悲しいことも。
「……馬鹿だなあ」
そうつぶやいて、ポケットに手を入れ、猫背の姿勢でとぼとぼと廊下を歩いていく。昼休憩の時間だからなのか、廊下の右横の中庭では、数名の男女がボール遊びをしている。
何もやることがないので、寮に戻って昼寝でもしようと考えながらB棟に向かっていった。日差しが中庭を経由して廊下に入り、地面を照らしている。その光の道筋はまるで、俺を導いているかのような輝きを発していた。
「ただいまあ……って誰もいないか……」
領に戻り、玄関の扉を開けると人っ子一人いなかった。電気もついていなければ、生活音の一つもしない。絶好の昼寝環境なので、そのまま階段を下りリビングのソファに勢いよくダイブするとボフッというクッションの弾む音と同時に「きゃあ」という女性の悲鳴に似た音が聞こえた。
木脚の軋む音でもない音、何の音かと気になっていると、ソファにある無数のクッションの下から、顔が覗いた。その顔に見覚えがあった。確か同じルームメイトのエマとかいう奴だ。生意気で口うるさい女、茶色の髪の毛にボブの髪型をしている。
「……なんのつもり? 誰もいないからって襲おうってわけ?……」
「い、いや違うっ。だ、だって、誰もいなそうだったから……それよりお前も、変な寝方してんじゃねえよ」
「こうやって何かに挟まれるとよく眠れるの!! いいでしょ、人様の寝方くらい、いちいち口出さないでよ、ていうか早くどいて!!」
「ケッ」
ソファの最下層にはエマ、その間にクッションを挟んで、俺が覆いかぶさっている。はたから見れば、俺がエマに襲い掛かっているようにしか見えない。エマは恥ずかしそうに口元をクッションで隠しながら、目をそらして口答えをする。俺はソファについていた両腕を離し、起き上がった。
「俺もそこで寝たいんだけど……」
「あんたは、自室で寝なさいよ……私が先着なの!! 絶対譲らないから」
「いいや、もっとお前がずれてくれれば俺も一緒に寝れるはずだね、それ言い訳でしかないぜ」
「な……い、一緒にってバカじゃないの?! そんなことできる訳ないじゃない」
「俺はいいぜ。な~~んも気にしないけど」
エマはもっと恥ずかしがって顔を赤らめる。口元だけではなく、顔までクッションで隠し始める。しかし、本当に嫌そうであったので一緒に寝ることは諦めた。少しだけ心に来る。
「冗談だよ……じゃあ」
「……それとアンタ、私の化粧道具奪ってないでしょうね?」
「……ハア?」
「化粧道具よ、白い円柱の形をしたやつ、ちょうど10㎝くらいの大きさの」
「知らねえって、なんだよ、ホワイトといい、お前と言い、物を無くしたら真っ先に俺を疑いやがって」
「だって……アンタ怪しいんだもん」
ため息が出る。俺は人の物を盗むほど、凶悪な人間じゃない。まあ、貧民街にいた時はしょっちゅう、酒場に来る客の服や食い物を盗んでいたが……このことは置いておいて、この異能学園に来てから、そのような行為は断じてしていない。
「……化粧品だろ? リリーが勝手に使ったんじゃねえの? 俺は使わねーよそんなもん」
「リリーちゃんがそんな勝手なことするわけないじゃないの」
「じゃあ俺ならしそうってか?」
「……そうね……うそ! 嘘よ、冗談冗談、疑って悪かったわ。じゃあおやすみなさいね、4限が始まる前には起きるのよ!!」
エマは後半焦りながら無理やり俺との話を遮った。冗談……と彼女は言ったが、おそらく半分本気で疑っていただろう。解せない。
「……はあ」
寝室に戻り、二段ベットの上段に上る、ワイシャツのまま、ネクタイだけ外し、机の上に投げる、そのまま1分後、すぐに睡眠に入った。
「……きて、……きてクロ……起きてクロガミ!!」
エマの声で目を覚ます。俺の体を必死に揺さぶるエマ、どうやら彼女は俺を起こしに来てくれたらしい。
「もう4限始まっちゃうよ!! 早く早く」
「ああ、サンキュー。今行く」
「もう、先行ってるからね」
エマがため息をつき、寝室を後にする。時計を見ると、4限開始まであと数分しかない。エマはこんな時間でも俺を起こそうとしてくれたのか……初めてエマに好意を抱いた。そういや、あの茶色のボブの髪型似合っているな……今度お礼に褒めてあげよう。
そう思って、ベットから降り、急いで身支度をする。てさげのバックに教科書と羽ペンを無造作に詰め込み、寝室を後にしようとする。おっと、そういえば、ネクタイを忘れていた。
ドアノブに手をかけたところでそれに気づき、机の上を振り返る。しかしそこにはあるべきネクタイが存在していなかった。
「…………あれ……? 俺のネクタイは???」
寝室で一人つぶやく。ネクタイの黄色という快活な色を無くし、少しばかりの虚無感で満たされていた寝室の姿が、そこには茫然とあった。
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