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回帰列伝  作者: 鹿十
第一章 異能学園編
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12 苦しいことは俺だけが背負えばいい

「……なんだよ……ここ」


 はるか先を見つめるブルーハウダー。その眼には内に秘められた激情が隠しきれていない。思わず俺が声を掛けるのをためらってしまうほど険しい表情で、拳を強く握りしめ、下唇を血が出るほど噛むながら、瞬き一つもせず視線を 黒い何か に向けている。


「……ああ、すまないねえ。……らしくないことをしてしまったな」


 やっと我に返ったようだ。ブルーハウダーはやっと俺の存在を認知したかのように俺の方を向く。全く、ここに強制的に連れ出してきたのはお前なのに、そんな反応をしないでほしいものだ。


「ここ……どこだよ、それにあの……黒いのはなんだ……?」


 ブルーハウダーは一瞬ためらったかのように見えたが、再び言葉を紡ぎ始めた。


「言っただろ? ここは人類活動限界境界さ。言葉通りの意味だよ」


「その意味が分からねえんだよッ。こちとら魔術平衡系の基礎すら知らねんだからなァ」


 人類活動限界境界とは……生まれて初めて聞いた言葉だ。学園に訪れてから3週間がたった。しかしその間、一度もそのような言葉を仲間はもちろん教師からも聞いたことがない。つまり能力者ですらもそうそう知らない事柄であるということか。


「あの揺らめくカーテンから奥に私たちは侵入できないんだ。あのカーテンのようなものはカタストロフィラインと言ってね、私たちはあのラインに触れることすら許されない。あの闇にとらわれた者は確実に死ぬ、触れているだけで生気が絞りとられ、ゆっくりと衰弱していく」


「……」


「ここも立ち入り禁止区域だよ。まあ勝手に私の能力で侵入しているのだけどね」


 とんでもない禁忌に触れている気がする。あのカタストロフィラインという物はまさしく、この世の真実であり、確かに実在しており、鳥かごのように我々を取り囲んでいる。

 自分が考えていた世界の形、あり方、固定観念なるものたちが、ひび割れて崩れ落ちていく感覚に陥る。


「まさしく、あのラインは人類が活動できる限界を表す境界線なのさ。あれより東には誰も向かうことが出来ず、あの境界線より向こう側に広がる景色を見て生きて帰ってきた者は誰もいない」


「…………」


 紡ぐ言葉が出てこない。俺にできることはブルーハウダーの言葉に耳を傾け、ただ茫然と立ち尽くすことだけだ。彼女が何を語っているかを俺はまだ理解できずにいたが、今俺がこの世界の真理と対峙していることだけは理解していた。


「世の中に出回っている世界地図の東端の地形が不自然に直線になっているのは、このカタストロフィラインが原因なのさ、我々は文字通り、東の世界と 断絶 されている」


「断絶……」


 断絶 という文字が頭をめぐる。俺たち人類の状況を端的に表したこの文字が、不可避な重みとなって俺にのしかかる。


「……そしてね、さらに困ったことなんだが、この境界線はね、進行するんだ。長年に一度、周期的にそれこそ生物みたいに西へと動く。……これがどうゆうことかわかるかい?」



「俺たち人類は……長い時間をかけてこのラインに生存領域を略奪されてきた」


「そう、そしてその略奪の代償は大きく、歳を重ねることにさらに加速していく………………そして困ったことに、この境界線の進行周期が近づいている。時にして3年と5か月後、このラインはさらに西へと動き、我々の活動領域をこれ以上に著しく狭める」



「……どれくらい西に動くんだ?」


「さあ、その周期によって違うから一概には言えないけど……少なくとも異能都市マギコはきっと境界線に飲み込まれるだろう」


「はッ?! おいじゃあ、マギコにいる連中はどうなるんだよッ?!」


「きっと、もっと西の都市へ向かうか、その場に残るか……残った者たちは皆死ぬだろうがね」


「んなこと……あんまりだろ……」


 あれだけの美しい建築物の数々がこの闇に飲まれて消えゆくのを想像した。ゾッと身震いがする。数十年、数百年かけて築き上げてきた都市、文化、風習……すべてが消え失せる。それは一瞬の内だろう。スケールが多すぎて考えることすらできない。


「あんまりさ。だけどこれが現実だ。我々はいつも現実を生きている。目をそらしてはいけないよ、辛いことから。目をそらし続けているといつか、どうしようもないことになる」


「……そんな重要なことを……どうして俺に伝えた? ……俺には……何もできないぞ?」


 ブルーハウダーは顔を隠すようにそっぽを向く。そよ風でチリチリの髪がなびき、それと同時に草原の草木も揺れる。


「……私の夫が、あのラインを超えたの。もうずっと前のことだわ。84年も前のことよ……あの闇を抜けるとき彼は私に……必ず戻ると伝えてくれたわ、その時の頬のキスの感触が……今も残っている……」


 ブルーハウダーは哀愁を漂わせながら、若き日の思い出を語る。顔は見えないがおそらく、ノスタルジックにふけって優しい笑みを浮かべているだろう。


「……多分、死んでしまったわ。知ってる。分かってる、でも……時々信じられなくなるの。本当は明日にでもあの境界線からひょっこり顔を出して戻ってきてくれるんじゃないかと今でも思っている……もう84年間ずっと……そう信じている」


「……」


「バカな話ね、教師の面目丸つぶれじゃないの、ただの不良生徒に、こんなことまで語るなんて……」


「……」


 返す言葉はない。どんな言葉をかけてやっても焼け石に水だ。ブルーハウダーのこの儚くとも美しい希望は、彼女の中ですでに自己完結しており、俺が入る隙間はないだろう。


「88年周期で、カタストロフィラインは進行を始める。そして、進行を始める直前に、同時に、カタストロフィラインの向こう側に侵入することが可能となるの。

 その向こう側にあるとされている カタストロフィ という異形の生命体を殺せば、進行を留めることが出来る。しかし……確認されている歴史書の中で、カタストロフィを討伐できた試しは一度もないわ」


 「じゃあ、進行は確実って訳だ」


 「そうね……おそらくね……きっと、そうなるわ」


 今までの歴史の中で一度も、カタストロフィラインの進行を停止させることが出来ていないとは、カタストロフィという存在がどのようなものであるかは定かではないが、きっと人知を超えたものであるのだろう。

 そして俺らは、その人ならざる神のごとき存在によって、退却を余儀なくされるのだ。そして人類は、その退却の過程で、様々な損害と犠牲を被るだろう。それこそ、国一つ傾くほどの。


「……私の夫も……お前と同じ、黒色の髪をしていた……」


「!?」


「そして、あなたと同様に、炎の能力を持っていたわ」


 何を言っているのだ、ブルーハウダーの夫、すなわちカタストロフィラインを超えた人物が、俺と同じ髪色で、似たような能力を持っていただと? 


「果たして……ただの偶然かしらね……私は何か、運命めいたものを感じてしまうわ」


「……だとしたら俺も、先生の夫と同じように、あの向こうに行って帰ってこれなくなってしまうのかな?」


「…………さあ、未来のことは私も分からないし、お前と私の夫は全く似ていないからねえ。夫の方がよっぽど紳士的で、真面目で学業成績も優秀だったからねえ」


「っけ、なんだよ嫌味かよ」


「……だからこそ分からないってことよ、もしかしたらお前のような人物が案外、カタストロフィを討伐知っちゃったりしてねえ?」


「……期待はやめろよ、俺はただのしがない、貧民街出身の男に過ぎないからな」


 ブルーハウダーは俺の話を聞くと元気を取り戻し、こちらを振り向く。もう先ほどのしおらしい面持ちはしておらず、いつも通りの、うざったく、人を子馬鹿にするかのような目つきに変わっている。


「課外学習はここまでだよ、さあガキは寝る時間だ!!! 帰るよッ、治世騎士に見つかる前にねッ」


「へえへえ、俺のセリフだよ、そりゃあ」


 ブルーハウダーは俺の右肩に手を置くと、また同じように青白く輝きだし、気が付けば廊下に戻っていた。野原の草木の匂いも、心地よいそよ風の音ももう聞こえない。


「ふう、あ?! あるじゃあん、ラッキー」


 転移した地点は元いた場所とはずれており、運よく転移先の廊下に俺の物と見られる羽根つきのペンが落ちていた。羽の部分は誰かに踏まれたのか薄く汚れている。


「じゃあ、あまり夜更かしはしないことねえ、あと赤点取ったら……承知しないよッ」


「おい、そりゃないぜ。俺の勉強時間を奪っておい――――て、もう行きやがった」

 

 ブルーハウダーは俺の話も聞かず、廊下を進んでいき、夜の闇の中へと溶け込んでいった。とりあえず早く戻ろう、ホワイトとリリーを一緒にするのはなんだか気分が悪いし、リリーがかわいそうだ。第一あいつ、リリーにセクハラとかしてねえだろうな。少し心配だ、あいつならやりかねない。


 廊下を小走りで帰る。頭の中は、ブルーハウダーの悲しそうな横顔と、壮大に大陸にまたがるカタストロフィラインなるものでいっぱいだった。知ってはいけないことを知ってしまったような気がして少し罪悪感と恐れの感情が湧く。いつか来る終わりを意識してしまう。

 

 この異能都市マギコが、あの境界線に飲み込まれるのを想像すると吐き気がする。何人の人々が苦しみ、死に至るだろうか、数万はくだらないことは確実だ。

 いつか来る、進行。そして都市や地形が飲み込まる、まさに悲劇的大終焉の寸前に俺、いや俺らは立っている。すんでのところでギリギリ生きているだけで、いつ死んでもおかしくない。

 

「とりあえず……リリーには伝えられないな……」


 リリーに伝えてしまったら、彼女の学園生活が台無しになる気がした。きっと毎晩泣きながら過ごすことになるだろう。いつかきっと、その真実を知ってしまうときが来るのだが、それでもまだ、リリーにはこの一件を伝えたくない。

 伝えたら最後、もうずっと虚無感で満たされてしまうだろうから、そんなリリーの姿を、俺は見たくない。そしてこのことはデータ、ホワイト、エマ、マスタード……様々な人々にも言える。彼らは知らなくていい、この真実を。


「ただいまー」


 そんなこんな考えていたら、寮に戻っていた。扉を開けると、ホワイトの騒がしく浮かれた声が響いているだろう――と思っていたのだが、予想とは裏腹に、なにやらピリピリと張り付いた緊張感のある雰囲気で部屋が包まれていた。

 

 階段を降り、ローテーブルの方に目をやると、腕を組み頬を膨らませ、そっぽを向いているリリーと、対面で正座し小さく丸まりながら、申し訳なさそうな様子をしているホワイトがいた。


「な、なあどうしたんだよ……」


「……にいに、遅い……もうあれから5時間くらいたってる……」


「な?! 冗談よせよリリー、確かに時間はかかったが、1時間半くらいだろ、なあ――」


 そう言って、壁にかかっている時計に目をやると、午後11時54分を指していた。俺とホワイトがテストの件で話し合っていたのが、確か午後7時ごろだったから……本当だ……5時間もたってる。


「にいには、ペンを取りに行くのに、ずいぶん時間がかかるのね。それか、リリーと勉強がしたくないから、ずっと逃げていたのかしら?」


「あ? い、いや違うよ、リリー。あっれえ可笑しいなあ。時計、壊れてんじゃないのオ?」


「……クロガミ……あきらめろ……お前は5時間欠席した、これは揺るぎない事実だ。じゃあ、あとは……頼む……もう、限界……だ」


 ホワイトの顔はよく見ると干からびた死体のようにげっそりしている。あんなに覇気に満ちていないホワイトは初めて見た。


「な、何をしたんですか……リリーさん」


「ためになること。ホワイト君もすごく喜んでくれたわ、最初の1時間はね」


「……は、はあ」


「そしてこれから、にいにも同じことするの。ホワイト君よりよっぽど厳しくしごいてあげるから、ね? 楽しみでしょう?」


「お、お手やらわかに……ね」


 その後のリリーは圧巻だった。聞き取れるほどの饒舌で、訳の分からない用語を口から吐き続ける。そのおよ6割ほどしか俺は聞き取れなかった、そして理解できたのは、3割も満たないだろう。俺に勉強を教えるリリーはかなり楽しそうだった。その姿を見ているだけで俺は幸せだったが、教えられている当の本人である俺は全く楽しいものではなかった。

 

 例えるならお経をずーっと聞かされている感覚、それに近い。訳の分からない単語が入ってきたかと思えば抜け、入ってきたと思えば抜けを数十回繰り返した後に、俺の頭の中には結局、教科書の最初の数ページの基礎部分が残った。

 

 リリーはタクトを振る指揮者のように鉛筆を握り、指揮者のように俺を導く。まさに合唱、魂の共鳴、しかし問題なのが、演奏者である俺が力量不足で、指示通りに演奏することが出来なかったということである。


「――なので、魔術は現実に存在しないけど……ね、重要な教養……な……んだ……よ……」


 3時間ほどぶっ続けで授業をした後、力尽きたのか、リリーは教科書の上で教えながら寝込んでしまった。よだれで教科書が濡れている、もう熟睡である。俺とホワイトを立て続けに教えたことで疲労が限界にきていたのだろう。


「……へへッ、お疲れ……ありがとな、リリー」


 リリーに近くの椅子に掛けてあったタオルケットをかぶせ、俺はそのままリビングのソファに横たわった。手を頭の後ろに組みながら、高い天井を見つめる。天井には木造のシャンデリアがあり、そのシャンデリアの4本のろうそくの火の揺らめきをずっと見つめていた。

 月明かりが窓から差し込み、真夜中だというのに少しばかり明るい。大窓の外には、先ほど訪れた野原に似た庭があり、草木も同様にそよ風でなびいていた。


「……にい……に、……リリー幸せ……」


 横のローテーブルで寝ているリリーが寝言をつぶやく。教科書を枕代わりにして、よだれを流して眠る横顔は、幸せに満ちているように見えた。


 その横顔を見てやはり、カタストロフィについて伝えるべきではないと心に決めた。いつかは知ることにはなるだろうが、それでも、辛い真実をこの子に背負わせるべきではない。リリーが貧民街ではほとんど見せなかった笑み。この異能学園に来てからリリーはよく笑うようになった。そして他の人々とも、少しずつ打ち解けてきている。


 貧民街では俺にしか口を聞かないほどに引っ込み思案だったのに。そんなリリーの成長を嬉しく思うとともに、少しばかり寂しいような気もした。彼女が俺からどんどん離れている、そんな気もした。


「この笑顔を……絶やしちゃいけないな……」


 ふとこうつぶやいた。苦しいこと、辛いことは俺だけが背負えばいい。彼女はずっと、日の当たる平和の中で暮らしていればいい。

 心から、そう感じたのである。


 




 

 



 



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