10 君は彼女の何なの?
「何してるの? 早く行きなさい」
爆撃女子にも言われる。データとホワイトとは異なり、彼女が俺に向ける眼差しは厳しく、それでいて鋭い。もう皆、俺が怪我人であることを忘れている。ああ、もうしょうがない。とぼとぼ歩いてリリーが入っていった部屋に入る。正確にはこの部屋は女性専用の部屋であり、男は立ち入り禁止である。
全く、入ってはいけないのだったら、それを喚起する張り紙の一つでも張ってほしいものである。おかげで背中が今でも痛む。しかも、この背中の傷は治っていない、十時間以上前につけられた傷だからだ。能力の対象外である。
ノックもせず扉を開ける、そこにはクローゼットとやけに大きい洗面台と鏡があり、室内は芳香剤や、花の香水の匂いが広がっていた。さらに扉を挟んだ向こうの部屋からリリーのせせり泣き声が聞こえる。一瞬入るのを躊躇したものの、再びノックもせず侵入した。
寝室の中は男のそれと同様に二段ベットが二つ設置してある。しかし、周りの装飾が幾分男の寝室より豪華であり、かつ部屋のサイズも大きく、内装や家具も煌びやかだ。
「……リリー、おい……リリー」
二段ベットの下の段で、枕を抱き、顔を隠しながらせせり泣くリリーの姿がそこにはあった。枕はリリーの涙を吸収し、シミが出来ている。
「ごめんな、リリー。兄ちゃん少し、無理しすぎたわ」
「…………」
何も反応を返さない。俺が発言するときだけ泣くのをやめ、俺の声を聴いている。しかし発言が終わるとまたせせり泣き始めた。
リリーはたまにこうやって意味も分からず泣き出すときがある。これで覚えている限り4回目だ。1回目は奴隷として売られていた彼女を俺が買い取った時だ。あまりにもかわいそうだから、理由をつけて2か月ほどおっさんの酒場に預けていた。
その間、何を語りかけても、誰が語りかけても反応せず、端っこの方で体育座りをしながらひたすら泣いていた。
およそ涙など残っていないほど、身体中全ての水分を涙として放出した後、期間にして2週間ほどたった後、急に立ち上がり「おしっこ」とつぶやいた彼女の姿を鮮明に覚えている。
あれだけの涙を流しながら、あれほどの励ましを与えられながら、初めて発した言葉が放尿を誇示する言葉であったことには失望したが、それでもリリーが初めて心を開いてくれたような気がして、とてつもなく嬉しかったのを覚えている。
二回目は、俺が数日間帰らなかったときだった。リリーが来てから2年ほどたった時、奴隷を買いに来た貴族の馬車に積まれていた果物を盗もうと馬車に潜入したのだが、運悪く俺を乗せたまま、馬車が発進してしまい、結局二つ先の町まで俺は運ばれてしまった。
何とか人に聞きながら、数日間かけて貧民街に戻った時、リリーは起こりながら涙を垂らし続け、2日は口をきいてくれなかった。
三回目は俺が酒場にいた爺の財布を盗んだ時だった。結局爺に見つかり、その爺の数人の仲間と酒場のおっさんに追われていた時だったな、家の屋根にまで上って、屋根を伝って逃げようとした時だった。
別の屋根に乗り移るために大きくジャンプしたが、雨でぬれていて足を滑らせ、およそ7メートルもある屋根から真っ逆さまに落ちた時だった。
数日間気を失っていたので記憶はあいまいだが、気が戻って顔を上げた時に、ベットで寝込んでいた俺の横に看病してくれたリリーと酒場のおっさんがいて、リリーは俺に抱き着きながら喜んでいたが、俺が無事なのが分かると、その後は全く面倒を見てくれず、ひたすら冷たく当たられ、部屋の隅の方でめそめそとしていたのを覚えている。
こう思い返すと、いつも俺が何かをやらかして、リリーが泣くという図式になっている。
そして今回もぴったりこの図式に当てはまる。リリーの知らないところで俺が無茶や馬鹿をして、傷ついた俺をリリーは見守っていてくれて、俺が元気になるとリリーは打って変わったかのように泣き出し、俺とは話をしてくれなくなる。
俺は何度もこうして彼女を泣かせている。何度も心配を掛けさせてしまう。そのたび少し悪い気持がして反省するけど、何度も同じことを繰り返してしまう。
「なあ、リリー。今回は悪かったよ。今回ばかりはさすがに俺が悪かった。無茶する必要のない所で、勝手に無茶をした。分かっていたはずなのにな」
「…………今回 も でしょ? …………」
「あ、ああ。そうさ、今回もさ。そして今までも、ずっとリリーを泣かせるのは俺だ」
「…………わかってるなら、何で無茶するの?」
「…………」
沈黙が流れる。しょうがないのだ、こうやってその場その場の感情で動いちまうのは俺の性だ。急に激しい感情がわいてきて、激情してしまう。誰も止めることはできないし、俺自身でも止めることはできない。
「……リリー、にいにがいるだけで良かったのに。ここに来た理由は、リリーとにいにが安全に暮らせると思ったからだよ? にいにが能力使えるようになって、やっと抜け出せると思った……不安に満ちた生活から……」
「ああ」
「でも、真逆。むしろ危険になった。こんなことなら、もうここにいたくない、ずっと貧民街で生きていればよかった」
「……ごめん」
「リリーは、にいに、いや 君 がいるだけでいいの。それなのに、どうしていつも遠くに行っちゃうの?」
「……いつも……近くにいるよ……ずっとリリーのことは見ている」
「見てくれてないよ……」
「…………許せなかったんだ。売られた喧嘩は買わないと、生きてこれなかった、俺らはずっと、そうゆう環境にいた」
リリーは黙っている。枕で顔を隠し、その白色の長髪はベットに覆いかぶさって広がり無造作になっている。しかし、しっかりと俺の声を聴こうとしている。
「……これからも、そうだ。ずっと戦っていなくちゃ、俺らは泥水をすすることになる。俺らは元から、恵まれていないから、自分で勝ち取らなきゃいけない。だから無茶をする。俺のためだけじゃない、リリー、君のためにも」
「……」
「でも、時々想像する。君が遠くに行ってしまうことを。それを思うといつも胸が苦しくなる。俺の大切な一部が欠けて、無くしてしまったような喪失感に苛まれる」
「……うん」
「その寂しさを、喪失感を、君も、俺がいなくなるたびに感じているとしたら……そりゃあ、怒りたくなる、怒り狂って涙を流したくなる」
「……」
「ごめんな、俺が傷つくたびに、君はより深く傷ついていたんだな。そんなくだらないことすらも俺は気づけなかったんだ」
リリーは完全に泣きやみ、枕を顔からはがし、起き上がる。もともと大きくて輝きに満ちている目は涙により潤いを増し、涙を流したことによりさらに赤く膨れ上がっている。
「そして……有難う。いつも心配してくれて」
「……頬っぺた、ひっぱって」
「え?」
「早くして」
リリーはこう言いながら、涙が滴り濡れた右頬を近づけてきた。右頬は白く透き通った色をしながらほんのりと赤く染まっている。
「え、あ、ああ」
言われた通りにリリーの頬をつまみ、伸ばす。思ったよりもよく伸びる。柔らかく、それでいてふくよかな感触。リリーは決して太ってはいないのだが、頬はなぜか驚くほど柔らかい。伸ばせば伸ばすほど、柔らかみを帯びていく気がした。
限界まで引っ張った後、手を離すとゴムのように頬の肉は戻っていく。パチンという肉と肉が触れ合う音が響き、リリーは少し声を出す。
「いて」
「ああ、ごめん……」
「……ぷっふふふ」
リリーは突然笑い出した、全く状況が把握できず、ただひたすらリリーの笑っている顔を見つめる。リリーの笑い声はどんどん大きくなっていき、ついには腹を抱えて笑い始めた。
罪の気持ちよりもだんだん、恥の気持ちが勝っていき、俺も頬を赤くして恥ずかしがり、リリーから目をそらした。
「ふふふふふ」
「何だよ、な、何がおかしいんだ?」
「にいに……いつもそう。周りの人たちには問答無用で強く当たったり、ケガさせておいて何も悪くないかのような顔をするくせに、リリーを傷つけた後だけは、本当に心配して……その心配する顔が本当におかしくて……」
「……なんだよ、恥ずかしい……」
「今のは夢かどうかの合図、頬っぺたを引っ張って痛くなかったら、夢じゃなくて現実。よかった、ちゃんとここは現実で、にいには本当に無事に帰ってきましたとさ」
「何を当たり前のことを……」
リリーは元気よく立ち上がり、今にもスキップをしだすほど軽やかな足取りで部屋をあとにしようとする。部屋の電気をつけ、リリーの気分と鼓動するかのように部屋も明るさで満たされていく。
「今日のことは許してあげる……特別に、でも今度は……無いよ」
「ああ、分かったよ」
「それと…………」
「あ? なんだよ、改まって」
「リリーは好きだよ、君が……」
「へ?」
体が硬直する。今彼女は何と言った? 好意を伝える二文字を確かに彼女は放った。その言葉は軽く、単調で、深い意味はない純粋な愛の表現技法のひとつである。そう俺は理解している。
しかし、この時は、この言葉がやけに重く、重大なものに感じた。否、俺がそのように受け止めてしまったのである。
「……もちろん、家族としてね。ぷぷっ……何を意識してるの? こんな言葉、子供の時はよく、にいにに言ってたじゃん」
「あ? し、知ってるよ。あんだよ、改まってよお。早く行けッ」
「ばーか」
暴言とともに部屋を後にするリリー。この言動もまた、相手を罵倒する二文字であるが、今回ばかりは、侮辱のひとかけらもその言葉には込められていなかった。俺がそう受け取っただけ?
否、実際にそうだったのである。
「あれ? エマちゃん、こんなところで何してるの?」
リリーが寝室を後にすると、そこにはエマという女がいた。他でもない昨日クロガミを爆撃した女性である。エマは電気もつけず、寝室の扉の右横で腕を組みながら壁に寄りかかっていた。
「え? い、いやちょっと……ね。それより気分は大丈夫」
「うん全然平気、むしろ絶好調だよ」
「!!……そっか……」
リリーは鼻歌を歌いながら、その部屋の扉を開け出ていく。そんなリリーの様子を見てため息をつくエマ。
「!!……ああなんだよ、爆撃女か……」
「ちょっと、爆撃女って私のこと?」
リリーと入れ替わるように寝室からエマのいる部屋に入ってきたクロガミ、腕を組んでいるエマを横目でさも鬱陶しいに見ながら、猫背でエマを爆撃女と言い放った。
「ああ、お前以外に誰がいる? お前のせいで俺のシミ一つない背中に大きな焼け跡が残っちまったぜ、しかも治療不可だそうだ。お前のせいで、始業式に遅れるわ、一条に絡まれるわで災難続きだったんだぜ」
「はあ? だってあなたが勝手に入ってきたからでしょう? 私たちが着替えている時に!! それに、一条君に絡まれた件は私に一切非は無いわ」
「あ~ん? じゃあなんで俺は一条に喧嘩売られたんだよッ?!」
「知らないわ、ちょ、ちょっとそれ以上近づかないで。あなたの目つきが悪かったからじゃないの?」
「ケッああいえばこう言いやがって」
「早く部屋を出て、私これから寝るのよ」
「はいは~い」
クロガミは舐め腐った返事をしながら歩を進める。猫背でポケットに手を突っ込みながら横暴そうに歩く。
「……ねえ、ちょっと待って」
「何だよ」
「……あなたとリリーちゃん、どうゆう関係なの?」
「え?」
「悪いけど、あなたとリリーちゃんの会話をずっと聞いていたわ」
「おいッ。ハズイハズイ」
「……リリーちゃんは少し引っ込み思案だけどいい子よ、美人だし、愛想がいいし、誰とでも仲良く接しようとする。謙虚で、ひたむきで、努力家。勉強熱心だし……ほんと、あなたとは大違い」
「なんだよ……呼び止めておいて説教か? もう聞き飽きたんだよなあ」
「いや……違うの。聞いて。リリーちゃんはいい子よ、本当に。それこそ、私たちが何をしても、何を言っても、文句ひとつ言わず、顔色一つ悪くしないくらい。あれだけ美人だと、少しくらい調子に乗ってもいいと思うんだけどね」
「はは~ん、そうだろお? 俺の妹だからな。リリーは」
「……でも血は流れていない」
「……なんで分かった?」
「え? 本当に言ってる? だってあなたたち全く似てないじゃないの。髪色なんか正反対
、黒い髪色なんて私初めて見たわ」
「何が言いてえんだ?」
クロガミはだんだん飽きてきたような表情をしている。あくびをして、今にも帰りたいとせがんでいる様子すらある。
「……謎ってことよ。全く顔色一つ変えず、いつも微笑んでいるリリーちゃんが、あなた相手だと逆上したり冷静さを失って激情をあらわにするわ。あなたが倒れてからのリリーちゃん、人が変わったようだった」
「……へえ」
「あなたたちに深い絆があるのは分かったわ、そして、あなたがリリーちゃんにとってなくてはならない存在だということも。だから……あなたのことを私はそれほど好きじゃないけど……あなたを信じる、リリーちゃんを信じて、あなたを信用することにした。だから……」
エマは恥ずかしそうにもじもじしながら、一呼吸を置いた。
「昨日はごめん……そのことをずっと謝りたくて……」
「……ハハッ。なんだよ回りくどいな、最初から謝りたいって言えばいいってことよ。まあ、許すぜ。俺も悪かったしな、じゃあ、そうゆうことで」
「……待って」
「ああああ???? なんだよ何回も何回も!!」
さすがに何度も呼び止められて、クロガミは不満を露わにしている。やはりこの二人は根本的に合わない性格をしているようだ。どちらも意地っ張りでけんかっ早い。
「……これはその……余計なお世話なんだけども……あなた、気を付けた方がいいわよ。扉越しに聞いていたけど、あなたとリリーちゃんの会話、誰が聞いても恋人同士のそれと同じだったわ。しかもかなり、濃密な恋人関係ね?」
「っく、なんだよ。黙っておけよ……」
クロガミは耳まで真っ赤にして、顔を見せないよう後ろを振り向き再び歩を歩み出した。恥ずかしさで動揺している様子が見て取れる。
「……全く……部外者の口出しで悪いんだけど、決断した方がいいんじゃないの? 放っておくと、リリーちゃんモテるだろうから取られちゃうわよ?」
「何を決断する必要があるんだよ」
「君は彼女の何であるかを、そして彼女は君の何であるのか……をよ」
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