9 消えない焼け跡
「炎症の傷はどう?」
「……ああ、大分マシにはなりましたよ。まあそれでも数週間は痛むでしょうが……それよりも危惧すべきなのは、能力のほうかもしれませんね」
「やはり、共鳴波を一身に食らったのが行けなかったのかね」
「そうですねえ。はっきり言って異常ですよ。これだけの共鳴を食らうことはそうそうありません。能力の方はかなり……いや、はっきり言ってどうなるのかも分かりませんね」
「……」
ブルーハウダー校長と、白衣を纏った女性が話し合っている。ブルーハウダーは腕を組みながら壁に寄りかかっており、白衣を着た女性は椅子に座りながら、パーテーションに囲まれたベットを気にしているのか、何度もチラチラと視線を送りながら話す。
「とりあえず、他の関係者には黙っておいてくれないか?察しのよいエンヴェロープ先生なら理由は言わなくてもわかるだろう?」
「……わかりましたよ…………それよりブルーハウダー先生。分かっていますよね!! この二人の治療施術にいくら苦労したことか。私、ボーナスくらいもらってもいいじゃないんですか?」
「……エンヴェロープ先生。私たちの給料は国から出てるんだ。ボーナスなど誰が出すんだ? それに十分な量をもうもらっているはずだろう?」
「……口止め料ですよ。私を口止めさせたのは誰ですか?」
「分かったよ。はあもう……強欲な女ねえ」
「へへへ、校長ほどじゃありませんよ」
「考えておくよ、じゃあ。よろしく」
ブルーハウダーは部屋を後にする。ガラガラという扉の音が空間を切り裂いた。
「!!!」
目を覚ますと、白く光沢した天井が見える。俺たちの寮とは異なり、明るい照明で照らされ、しゃれているとは言えないものの、清潔で整頓された部屋だ。
「いたたた……」
起き上がり腹をさする。いつの間にか薄緑色の病衣に着せ替えられていた。驚いたことに痛みを感じるのだが、腕や足、腹には弾痕が見られない。あるべきご苦笑サイズの毛穴に似た穴の数々がすべてふさがっており、血の一滴も流れていない。
一条に蹴られて負傷した打撲も痛みは感じる者の跡が確認できない。痣くらいできていると覚悟していたのだが。
「嘘……なんでだ……」
「気が付いたようだね……」
パーテーションをめくりながらある女性が入ってきた。見覚えのない女性である。しかし、一言で言って極めて整った顔立ちをしていた。茶色の長髪は、ランプの光と窓から差し込む日の光によって照らされ美しく輝く。瞳は青色で透き通っていながら、その中に他を寄せ付けない孤高の凛々しさを感じる。
美しさの中に少しばかりの色気が見られ、それがこの女性にスパイスに似たアクセントを与え、底深い魅力につながっていた。
「え……あ、……えーっと、は、はい。あ、あのここは……?」
これだけ美しい女性を前にして少し挙動不審になってしまった。恥ずかしい。
「ここは保健室と呼ばれる場所だよ。まあ、手術から健康診断、人生相談まで幅広くやっているよ。ちょっとした総合病院だと思ってくれればいい」
「俺は……そうか、あの後気を失ってしまったのか」
「そうだね、びっくりしたよ。あの筋肉でいっぱいな――ああ、思い出したグリム教官が二人を担いできてね。重症だー助けてくれーって泣きついてきたのよ。あの教官があんなに動揺している姿初めて見たね。
君は体に穴が開いていたし、一条君は首から上が凄い火傷をしていたからね。いやー結構悲惨だったわ、久しぶりに能力を使わなきゃって思ったよー」
けがの跡が見られない理由はこの先生が俺のことを治療してくれたからか。ということは一条も同じようにほぼ無傷なのだろう。
まあ、一応安心といった所か。あいつの顔面が真っ黒こげになっていたら、見るたびに少し、ほんの少しばかり心が痛んだかもしれないからな。
「治療あざす。あんなに風穴が空いていたら、何かを飲むたびに穴という穴から液体があふれ出してくるところでしたよ。でももう、安心っす!!」
元気になったことを誇示するかのように腹を自分で思い切りたたいた。すると、おかしなことに傷一つない腹に激痛が走る。
「いててえええええええ」
「おいおい、君の傷は治ったわけよ。無理しちゃいけないわ。正確にはね君は10時間前の姿に戻っただけなんだ」
「戻った?」
「そうよ、今の君は10時間前の君なの。もちろん外界の部分だけね。私のはそうゆう能力なの
」
「ど、どうゆうことっすか?」
「聞いたことない? 結構有名なのよ『外界逆行』。目に見える部分だけ最大で十時間巻き戻すことが出来るのよ。ただし、巻き戻せるのは目に見える部分だけ。だから内臓損傷や骨折は直すのが面倒なのよ。いちいち解剖しなくちゃならないからね。
しかも、私は 痛覚 などの感覚は見ることが出来ないから、痛みは変わらないわけ。まあ、その痛みも数日後には、脳が体の損傷が治ったことに気づいて引いていくから平気よ」
「……はあ、だから痛むのか……よくわからんが治っただけよかったぜ」
「そうよね。やんなっちゃうのよ、皆、治療した後治ったと勘違いして体を動かして激痛にもがいて、いつもそれで私に不満を垂らすのよ。嫌になっちゃう、そんな上手くいくはずないのにねえ」
「そうですよねえ。あと、一条も無事なんですね、まあ一応、一応聞いたまでなんすけど」
「…………」
饒舌に語っていたはずの女性は急に黙り込む。黙った姿まで絵になる容貌をしている。できることならこのまま空間事くりぬいて絵として寝床に飾っておきたい。
「一条君は……理由は分からないけど、完全には治らなかったわ」
「え? なんで」
「私はいつも通り、能力を発動したつもりだったのよ。大部分は元に戻ったわ、しかしあなたが触れた鼻と眉間の間、そこの焦げ跡だけは残ってしまったの」
「10時間前に戻したのに? 能力発動ミスじゃないですか? 俺も良くやりますよ」
「いいえ、しっかりと発動したはず……だからこそ不可解なのよ。なぜ、そこの焦げだけは残ったのか……」
深刻な顔をしていたが、白衣を着た女性は身を乗り出し顔を近づけてくる。近い、恥ずかしい。でも、悪い気はしない、近くで見ても綺麗だった、いやむしろより美しく見えた。
「だから……少し興味があるのよ……あなたに」
「え? ええ?! はっはは。 そうですかあ」
「そう、10時間前に戻したはず。あなたが彼と交戦し終わった時間は今から8時間と12分前。10時間前に指定したのだから、一条君に傷跡が残っているはずはないわ。私、調べたのよ」
「な、何をですか?」
「ええ、まずあなたは11時間34分前に起床、寝ぼけながらだらだらと準備を開始して、同じルームメイトのホワイト君やマスタード君と駄弁りながらB錬を出たのが10時55分前、そこから一限目のために第二学習部屋に向かう、しかしここで道を間違え、左に行くところを誤って右に曲がる。似たような間違えを2回した後、目的地に到達したのが10時38分前、そして中央右の椅子に座り授業が始まる。近代魔術師の入門を教わるが開始22分で睡眠、10時12分前に教師に叱られ、愚痴を垂らす。その後痒みからか隠れて自分の局部をいじったのが10時10分前。そして一つ席を挟んで後ろのホワイトに丸めた紙を投げられ、それが後頭部に直撃したのが10時2分前。やり返そうと紙の一部をちぎり丸めて投げ返そうとした瞬間が10時間前ちょうど。だから、その時のあなたは、一条君を殴っていないし、それどころか彼はまだ学園にすら来ていないわ」
長い。長い。
「てっ、何でそんなこと知ってるんですか」
色っぽい唇の動きをずーっと見つめていたが、よくよく聞いてみるととんでもないことを言っているぞ、この美人。もはや犯罪者だ。俺がもし女子生徒で、この美人がおっさんだったら確実に通報されている。
「当たり前でしょ、知りたいことがあったら納得いくまで調べ上げるのは。それより、今の話を聞いていて理解できたでしょう? 彼の顔に焦げ跡が残っているのが不可解な事実であるということを……」
「ま、まあ、そうっすね……」
こんな美人が俺のことを事細かく知っていることへの嬉しさと、飽くなき探求心から生徒を調べ上げる狂気に対する恐れが入り乱れ、俺はいったいどのような返答をすればよいのか分からなくなっていた。だからとりあえず肯定しておくことにした。
「……考えられる事柄は一つね…………君の能力、その炎は時間に干渉されないということ。能力それ自体が他と独立した存在であるということ」
「え? は、はい」
「君の炎は決して防げないということだよ。君の燃え盛る炎は完全な 事実 としてあるということだ。燃え盛ったら最後、消えることはない、それだけ強力だということ。
今回は運よく一条君の五体すべてが燃え尽きてしまう前に消えたからよかったものの……もし君の炎があのまま消えることが無かったら?
おそらく彼は確実に死んでいただろうね。そして私でもきっと治せない」
よくわからないが、干渉 という言葉は俺の能力を分析したデータも放っていた言葉だ。
「ただの『現象操作系』ではないよ、君の能力は。これからは使う相手を選ぶこと」
人差し指を伸ばし、子供をしつけるように語りかける白衣美人。
「は、はい。ん――」
分からない。分からない。なんだこれ。俺の唇と白衣美人の唇が触れ合う。これは噂に聞くキスというものだ。酒場のおっさんからは、愛し合っている者同士でしかやらない行為と聞いた。生まれてこの方、女性とそのような関係になってこなかったので知らなった。唇の柔らかさを。
「君の唇に切り傷が残っていたから……こうやってね、負傷した部位同士を触れ合わせると、直りが劇的に早くなるんだ」
「あ、ああ。はい」
「他言無用だからね、君の能力についても、この一見についてもね」
その後はよく覚えていない。ずっと触れた唇の柔らかさを思い出しながら。おそらくはたから見たらバカっぽい、とろけた顔で保健室を後にした。顔が赤くほてり熱い。あれが大人の女性、俺は一つ階段を上ってしまったようだ。
「さてと、これであの子は、能力について話すことはないだろうな」
クロガミが後にした保健室内で、椅子に座りなおして落ち着いた様子で独り言を放つ白衣の女性。その表情はクロガミとは対照的に落ち着きで満ちている。あのキスなど意にも介さない。
「なあ、一条君。起きているんだろう? 」
クロガミのベットから3つ左にあるベットに向かって話しかける白衣の女性。
「……治療については一応、感謝くらいはしてやる」
「傲慢だねえ相変わらず。一条家の皆さまは皆プライドが高いのかな? それより火傷の跡が残ってしまったのは一応、謝るべきかい?」
「……いや、いい。この傷があればいつでもあいつのことを思い出せる。クロガミ……といったな、どこのどいつだかは知らないが、親族もろとも極刑にしてやる。一条家に恥をかかせやがって……」
一条もクロガミと同じように病衣を身にまとっている。ベットから降り、スリッパをはき、近くの机に積んである元の衣服を手に取り、そのまま部屋を後にしようとする。
「恥……ねえ。一条家に泥を塗ったのは彼じゃなくてあなたの方じゃないの?」
「……発言に気をつけろ、この治療の一軒が無かったらエンヴェロープ、お前は今頃地面にはいつくばっているぞ」
勢いよく扉を閉める一条。それを見つめながら近くのティーカップで紅茶を飲むエンヴェロープ。
「……もう、男ってどうしてああも戦闘的なのかしら。クロガミ君くらい素直な子ならいいんだけどね、あの子にはキスは効かないわ」
いつの間にか俺はB棟の扉の目の前にいた。道中の記憶がない、あれからずっとキスの一軒が頭の中を駆け巡っている。女っ気のない人生だったからかあの感触がずっと忘れられない。口の中に爆薬を入れたかのような衝撃と初めて母親と触れ合った赤子が抱いたかのような包容感が混ざり合った接吻。いささか17歳の男子には刺激が強かった。
おそらく間抜けな様子をしていただろう、その気の抜けた顔のまま部屋に入る。扉の軋む音が室内を響くと同時に、深刻な雰囲気を感じる。空気が刃のように肌に重圧感を与えてくるような厳めしい佇まいがこの空間にひきめしあう。
「糞ッ俺がいながらッ、俺があの時能力を使っていたら、あいつは死なずに済んだのに……」
「ああ、僕が代わりに戦えばよかった。僕としても一条に勝つことは難しいかもしれないが、一発、いや二発は奴にたたきこめたはずなのに……僕は、まるで蝶のように華麗に奴の弾幕を避け、まるで演劇のような華やかな一撃を奴の顔に向けて放っていただろうに……」
「ああそうさ、もし俺が戦っていたとしtら風を操り、あの空間を支配していただろう。一条の野郎の砂の弾丸も俺のタクト通りに動き、奴はなす術もなく地に付していただろう。その様子はさながら、会場を沸かせる指揮者――のように壮大で優雅に奴の目には映ったはずだ……」
階段下のリビングのソファに対面で座り、机に両肘を立てて寄りかかり両手を口元に持ってきて下を向きながら悲しそうに会話を続けているのはデータとホワイトだ。
データに関してはB棟の寮生ですらないのだが、なぜかここに驚くほどうまく溶け込んでいる。
「……あいつ……目つきは悪いし、口調も悪いし、意地も悪いけど……いい奴だったのにっ」
「ああそうだね。ついでに頭も悪そうで、根性もないけど……中々面白奴だったな……」
「……なあ、お前ら。少し言いすぎだぞ、こりゃ何のドッキリだ?」
「は?!」
まるで信じられない物を見たかのような驚愕を隠しきれていない様子のデータとホワイト。何度も目をこすっては目をかっぴらいて俺を確認する。
数回繰り返した後、二人で顔を合わせた後大声で騒ぎだした。その騒ぎ様に驚いたのか、奥の部屋からリリーと、俺を爆撃した女子が出てくる。
「幽霊だッ!!」
「いや、生きてるから。ほら見ろよ、五体満足だぜ」
「本当だ……だけど、グリム教官は死んでしまったって大慌てしてたぜ」
「……あの筋肉ゴリラ、せっかちなんだよなあ」
頭の中に俺と一条を左右の肩に担ぎながら、大声で叫び狂い、大慌てで保健室に向かうグリム教官の様子が浮かぶ。それはそれで見ものだっただろう、片方の肩に担がれている人物が俺でなければな。
「……あんなに穴が開いてたのに、マジで死んじまったと思ったぜ」
「知らねえのか? この学園には怪我ならなんでも直しちまう魔女がいるんだぜ。しかも超絶美人」
「そうなのか?」
「あーそうだぜ。あの美人教師と一対一で話せるなら、もう一度くらい、身体が穴だらけになってもいいぜ……それくらい美人なんだよ」
そう思うと、あれほどの重症を負わせてくれやがった一条にも少し感謝を感じれるかもしれない、まあだからといってあの金髪成金の一挙手一投足が癪に触るということに変わりはないが。すると、データがため息をついた後、面と向かって真剣な面持ちで語った。
「何はともあれ……君はあの一条家に一発食らわせてやれたんだ、これは誰も成し遂げられなかったことだ、随分と汚い泥試合だったが……ナイスガッツ」
データはウウィンクをしながら右拳を突き出してくる。笑いながら俺も拳を出し、軽くグータッチをした。
「そうだぜえ、こりゃめでてえことだ。今夜は飲むしかないな、もちろん酒じゃねえぜ、俺はァそうゆうとこはきちんとしてんだな、な!!!」
ホワイトはNAの発音とともに俺の腹を手のひらで思い切りたたいた。手加減なしの馬鹿力。頭で考えずにノリで発せられる暴力。普段ならば、一発軽くたたき返して終わる程度の、なんてことはない他愛もないじゃれ合いだが、この時の俺は違った。
「いってええええええええええ、馬鹿ッこいつ」
「ガハハハハ、今頃病人ぶるなよ、クロガミ」
傷口に塩を塗りたくられたような激痛、思わず腹を抱え、その場に座り込み、悶絶してしまうほどの苦痛。一条の時よりも強くこいつを殴りたいと思った。
すると奥の方からすすり泣く声がした。腹を抱えたまま前かがみの姿勢で右横を見ると、そこにいたのはリリーだった。リリーは青色の瞳から出た数滴の涙をぬぐった後、元の部屋へと駆け戻っていった。
横の女子が声を掛けようとするが、その心配も虚しく、扉が閉まる。今までおちゃらけていたデータとホワイトも真剣な表情に戻って、立ったまま硬直している。
「あー、泣かしたな」
「良くねえな。リリーちゃんを泣かすのは」
データとホワイトはリリーが泣いた原因を俺だけにあてがおうとしてきた。裏切りやがって、全く調子のいい奴らだ。
「何してるの? 行きなさい」
爆撃女子は強い眼差しを向けてくる。
もう、どいつもこいつも俺が怪我人であることは忘れ切っている。
ああ、こんなことなら……ずっと保健室に閉じこもっているべきだった。ずっとあの白衣美人を見ていればよかった。傷口をさすりながらふと思った。しかし強く、そしてかつかなり真面目な願いだったのである。
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