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回帰列伝  作者: 鹿十
第一章 異能学園編
10/94

8 詠唱

「ゼェェ、ゼエエ、カッ……ハアハア」


「おーい一周遅れだぞ、クロガミ。なーにが体力には自信があるだ」


「約束、覚えてるよな? 今夜の晩飯かけたはずだぜ」


「ぎゃははははは」


 校舎外にあるこれまたバカでかいグランドと呼ばれる平地を体操着なるものを着せられ、真昼間の炎天下で走らされている男たち。

 なにが能力開発だ。ただの訓練と遜色ないではないか。しかもホワイトとデータ、あいつら無駄に体力がある。もうかれこれ12周は走っているのにまだまだ余裕そうである。

 颯爽とした走り方のまま、大声で笑いあっている。しかも彼らは13周目に突入している。都会の奴らは貧弱で老いぼれた爺みたいに虚弱体質な奴らだと思っていた。


「ハアハア、ああ、晩飯なんか、かけるんじゃなかった」


 賭け事はバカのやることだと知っていた。貧乏人ほど賭け事や博打をしたがる。そう把握していたはずなのに、どうして口走ってしまったのか。どうしてスープ一杯がこんなにも愛おしいのか。人は得てして、失って初めて気づくのだ。失った物の素晴らしさを。


「あ、諦め……」


 歩を止めその場に座り込む。学園に入れば豊かで楽な暮らしを享受できると思っていた。能力さえあればすべてがバラ色の人生を送れると思い込んでいた。

 しかし、俺に足りなかった物は、能力でも才能でもなく、根気であったらしい。つくづく思う、俺はもしかすると貧民街にいる方が性に合っていたのではないかと。







「お疲れー」


「俺らの勝ちだな」


 データとホワイトは俺よりも早く走り終わっており、日にあたらない階段に座り込み、仲良く対談をしていたようだ。


「ハアハア、お前ら……速すぎ……」


「クロガミが遅すぎだぜ。お前スタート時は先頭あたりにいたのに、時間がたつにつれてどんどんスピードが落ちていったよな。遅い奴の典型例だぜ、それ」


 痛いところをついてくるのはホワイトである。チャームポイントであるソフトモヒカンに似た髪型を汗で濡らし、落ち武者のようなだらしない様相になっている。


「てかさ、15周走ることと、ハア……能力に……何の関係性があるんだよ」


「そりゃあ、健康な肉体はいつの時代も必要だぜえー、俺も小さい頃はよく筋トレとかやらされてたもんなあ」


 ホワイトはいつも通りの覇気のない馬鹿っぽいトーンでしゃべる始めた。しかしどう考えても能力と筋トレや長距離走に関係性は見受けられない。


「まあその実、教師もわかってないんだよ。能力の発展のさせ方なんてさ」


 横から口を出してきたのはデータである。こいつも15周を走ったはずなのに、その様子からは疲れが見受けられない。ただただ爽やかなのが逆に癪に触った。


「能力は言ってしまえば完全に先天的な事柄だからね。どうしようもないのさ、だからこの異能学園では生徒にもっぱら一般常識の獲得や学力向上、礼儀作法取得に運動を行わせる。他の学校とそこまで大きくは変わらないよ」


「なんだよ。期待してたのに」


「まあでも、他の学校と大きく異なる要素もたくさんあるから……例えば学園祭なんて凄いらしいぞ」

 

「学園祭?」


「ああ、通称、異能祭さ。能力を用いつつ様々なことを行うんだ。疑似戦闘に異能を用いた様々な試合、ミスコンに屋台まで、様々な催し事をするんだ」


「へええ、ミスコンとかヤタイとか意味わかんねーけど面白そうだな」


「そうっそこで俺は能力をこうバッシュっと使っちゃってえ。リリーちゃんに言い寄られちゃったりなんだりしっちゃってえ」


 いらない妄想を繰り広げながら夢に浸っているホワイト。どうやら随分リリーに心を奪われてしまっているみたいだ。


「そういりゃホワイトもデータもどうゆう能力が使えるんだよ」


 気になる。バロッドも言っていたことだ、能力を知らなければこの先何もできないだろう。


「俺の能力は風を操るんだぜえ。こうヒョイヒョイとな、見てろよ」


 そう言って、ホワイトは近くにあった木の枝を指さす。すると数秒後、木の枝が風で舞い上がり、3秒ほど対空を続けた後地面へと落下した。


「ほらな、こんな感じ」


 風を操る能力か。そういえば、あの調停会という覆面の奴らも風を操る能力を持っていたような気がする。ありふれた能力なのだろうか。


「へえーホワイトのは、『現象操作系』か。指定領域が風っていうのは少し珍しいな」


「そーなんだよなあ、中々いなくてよ」


「おいおい、『現象操作系』っつうのはなんだよ」


「ああ、『現象操作系』は代表的な能力の一つさ。主に水、火、風、雷、光の5つの現象のどれかを操作できるっていう能力なんだ。詠唱も必要ないし、複雑な規則や発動条件も存在しないから、使いやすいし便利なんだよ。7人に1人は『現象操作』の能力を持っているといわれているくらいに代表的な能力なんだ」


 なるほど。それら5つの現象の内どれかを操ることが出来るっていう能力か。ということは俺の能力もそれに該当するのではないだろうか。


「なあ、俺の力も『現象操作系』じゃねえの?」


「ああ、多分そうだと思う。そういえばクロガミの能力も炎を操る力だったね」


「でもさあ、炎が出たり出なかったりするんだよなあ」


「それはお前の力量不足だぞっ」


「あ?」


 ホワイトは能力が常時発動できることを俺に誇るかのように力量不足といった。うざい、こいつに言われると少しムカつく。


「どれ、右手を出してごらん。僕の能力で計測してあげるよ、そうゆう力なのさ」


 データに言われた通りに右手を差し出すと、データは俺の右手をつかみ目を閉じ始めた。そのまま沈黙が流れること10数秒後、データは何かうめいている。苦しいような顔をしている。


「う~ん、ん? んん……あ? いや……う~~ん、違う? ひょっとして? でも……」


 ずっと呻き続けるデータ。ホワイトに助けを求めたが、彼も何がなんだか分からず茫然とデータを見つめている。


「……さっっぱり分からないよ、君の能力」


「いやいや何してたんだよデータ」


「ああ、ごめん。俺はこうやって数秒間触れると相手の能力の概要が分かる力を持っているんだ」


「ええ、なかなか凄いじゃねえか。第二領域クラスだろ、それ。」


 ホワイトは興奮した様子でデータに話しかける。データはそれを聞き、恥ずかしそうに頭を掻きながら笑った。


「いやあ、でも能力が分かるっていっても、ボヤっとわかるだけなんだ。例えばホワイト、君に触れたとしても、君の能力は何かを操作する系統の能力なんだな、ってくらいのことしか分からないものさ。

正確なことは分析できないし、条件や規則も知ることが出来ない、かなり曖昧で精度が悪い力なんだ。一応、第二領域ではあるけどさ」


 第一領域やら第二領域やらはバロッドが言っていたことと同じだろう。能力には第一から第三の領域まで区別されていて、数字が増えるほど複雑で強力な能力になっていくらしい。


「それより、こんな事初めてだよ。君の能力ほど不確かにしか分析できなかった能力はないよ。まるで見当もつかないな」


 データは驚きに満ちた表情をしている。目は初めて会った時と同様に好奇心で満ち溢れている。


「じゃあ、結局何もわかんなかったってことかよ」


「いやいや、一つだけ分かったことがある。一つだけ理解できたからこそ、意味が分からないのさ。君の能力は何かに『干渉』する能力だ」


「カンショウ……?」


「ああ、その何かは理解できないけど……まるで分からないよ、クロガミ、君は炎の能力を用いるんだろう? 何かに干渉する炎の能力なんて聞いたことがないな……」


 何はともあれ、俺の力が不可解な能力であることには違いない。しかしどんな能力であれ、発動できなければ意味がない。

 結局進展なしだ、一刻も早く発動条件やこの能力について調べ上げ把握しなければ今後襲われたりしたとき、今度こそポックリ死ぬ可能性がある。そして何よりも今後、人前で能力が使えなければ恥ずかしいじゃないか。


「……まあ、意味わかんねー能力っつうことはよ、大した事ねえってことよ」


 話を聞くこと飽きたホワイトはこうつぶやいた。


「何を……」


「集合!!」


 ホワイトに何か言い返そうと思った瞬間、号令がグランドに響き渡った。あの鬼教官、筋肉モヒカンゴリラの声だ。急いで向かわなければ。


「やっべえ早く早く」


 ホワイトは慌てた顔で立ち上がり、一目散に教官の元へ向かう。


「あの教官のデコピン、街が一つ吹っ飛ぶ威力だぜ」


「おい、待てよ」


 デコピンで街がふっとぶか、しかし怖い事には変わりないのでホワイトの後を走りながら追いかける。ちなみにデータはまだ腕を組みながら考え込んでいた。







「罰!!!!」


 大きくしなった中指から繰り出されるそれは、デコピンというよりむしろ鞭に近い。データの額に当たると、それはそれは大層な音を発した。

 鈍器で頭蓋骨を殴ったかのような音だ、パチンだの、ぺチンなどの可愛らしい擬音では到底表せない狂気に満ちている音だった。


「っっっってええ、グリム教官、これ体罰じゃないのですか?」


 額を抑えながらその場に座り込み、泣き目になって必死に訴えかけるデータ。珍しく、少し怒っているようだ。


「昔はどきつきまわしていたモノだッ!! これでもマシになったほうだぞッ! 俺の代では、30秒以内に集まらなかった奴は10連続の往復ビンタをされていたんだッ! 反論できる余裕が残っていることを感謝するんだな!! 」


「っいてえ、あの教官。時代が止まってるよ」


 こちらに戻ってきて、陳列された男子生徒の間に入り座り込むデータ。口からは教官に対する愚痴がこぼれている。


「えーまず、皆ご苦労であった。新学期始まって早々、最初の授業が身体強化で、しかも15週も走らされるとは思ってもいなかったろう? 俺も思っていなかったからな、やることがないから、とりあえず走らせたまでだッ! ガハハッ。悪かったな!」


 この教官はおそらく頭で考えず、勢いで解決するタイプの人間と見た。それを体現するかのように体中は筋肉でおおわれている。


「せんせーなんで女子は走らせないんですかあー」


 横にいるホワイトが馬鹿っぽいトーンで質問をする。それもそうだ、ここには女子の姿が一人も見えない。


「女子に走らせるとガチの抗議が来るんだッ!! あいつら本当に訴訟を起こす。ブルーハウダー校長に報告されたら、私は解雇まっしぐらだッ! さっすがに怖い」


「けえー、あいつ結構意気地ないぜェ」


 ホワイトは顔を近づけ俺に愚痴をささやいた。グリム教官は耳が遠いのか、はたまた生徒の話に興味がないのか、まったく気づく気配はなくご満悦な様子だ。


「えーっと、まだ時間が余ってるな。…………お前ら……率直に聞くぞ?……溜まってないか?」


 は? その場にいた生徒全員が頭になかでこうつぶやいたであろう。そしてグリム教官のこの問いを受けて数秒後、誰もが同じ結論を導き出したであろう。こいつもしかしてソッチ系なんじゃないかと。


「ほら、見ればわかるぞ……発散したいだろう? お前らもそろそろ我慢の限界だろう? 俺はその欲望を受け止める。早く二人組を組めェ!! む? 奇数か……余った者は 私 とだな」


 グリム教官はキメポーズをしながら、二カっと微笑み、筋肉で満ちた体を誇示して見せつける。周りの生徒たちは茫然としている。もうとっくに与えられた情報量が脳のキャパシティを超えているのだ、これ以上の情報が入る隙間すら残っていない。


「グ、グリム教官……それはさすがに……ちょっと」


 データが小さく手を挙げながらグリム教官に口を出す。よくやったぞデータ。皆誰もそんなこと望んじゃいない。見ろ、周りの連中はもう皆、雲を見つめている。現実逃避を起こしている。


「む? タランジスタ、俺とやるのか。俺は中々激しい攻撃をするぞ? もちろん手加減はするが……まあ、率先して教師とやりたがるというお前の向上意欲に免じて、相手をしてやろう。

こら、逃げるんじゃないッ!!」


 データは挙げた細身の腕を掴まれ、引っ張られていく。とても見てられない、というか見たくない。おそらくその行為を目に入れてしまった途端、今までの人生の中で最大級のトラウマになることは確実だ。貧民街での経験以上に見苦しいものであろう。


 「あああ、汚されるうううう」


 データはグリム教官の剛力の腕に掴まれなす術もなく運ばれていく。有難うデータ、短い付き合いだったけど楽しかったぜ。どうぞ、ゆっくりグリム教官と突き会ってくれ。帰ってきた頃も今までと変わらないように接してやるからな。


「あ~ん? お前何勘違いしてんだ? 今からやることは 対人戦闘訓練 だぞッ!!」


 グリム教官は不服そうな顔をしながら、データを地面に下す。下ろすというより、落としたという表現の方が適切だが。 

 するとグリム教官は足の踵を地面に突き刺し、そのまま地面に円を描き始めた、半径5メートルほどの円である。


「お前ら、前学期にやったことあるだろう? こうやって円を描いたら、この範囲内で格闘をしてもらう。まあ、格闘と言ってもただの喧嘩だな。もちろん、能力使用可能だッ!! お前らずっと能力ぶっぱなしたくてたまらなかっただろう? 溜まっていたんだろうな、俺もお前らの年の頃はそうだったぜ」


 紛らわしい言い方をするな。生徒たちは全員、能力が戦闘で使用できる喜びよりも、襲われる可能性が否定されたことに対する喜びが大きそうだ。


「ただし、能力を用いての直接攻撃はNGだぞッ。またある程度のケガならどうにかなるが……骨折や内臓損傷は困るッ。あくまで模擬試合であることを忘れないよーにッ。では相手を見つけ、戦闘を開始せよッ」


「なあ、クロガミ、やるか?」


 横にいたホワイトが俺に戦闘を申し込んできた。


「ああ、いいぜ。俺に挑むとは……度胸があるなあ……な?」


「ふんッ。あれを見ろ」


 ホワイトが自信満々に指をさした方向には階段があった。校舎に近い北東側の階段である。木によって日が遮られている。そしてそこにはまばらな人影が見えた。


「分かるか……女子が返ってきやがったッ。彼女は別の授業をおそらく受けていたんだろう。さながら保健体育とか、室内でできることをしていたと推測できる」


「……そうか……それが何だ?」


「とぼけるなッ!! 女子が見てるんだぜェ。彼女たちはきっと身もふたもない世間話をしながら、男たちの方を気にしてチラチラと見てきているッ! 正直気にはなるが、俺らに近づいて観察しようとすると恥ずかしいからな……だから彼女たちは遠くでさも気がないように振る舞わざるを得ないのだな!!」


 拳を握り締め力説するホワイト。さながら世界の穢れを知らないで夢を語る3歳児のようだ。実際にはもう17歳なのだが……。


「……ちょっと、それは自意識過剰じゃねーの?」


「いいや、違うね……彼女たちは俺らを観察し、俺らはそれに答える。これはいわばダンスだっ!! 彼女たちの魂と俺らの魂の共鳴、リンク。そして現在の俺らは雌に求愛行動をする動物に等しい状況下にあるのだッ。この意味が分かるか??」


「……早く始めようぜェ。飽きたよオー」


「とぼけるなよックロガミ。あそこにはおそらくリリーちゃんもいることだろう。お前は知らないかもしれないが、俺は今彼女にゾッコンだ! しかし、彼女はどうやらお前にしか興味がないようだ……現状はなあ」


「いや、知ってたぜ。リリーを見るときの目がガチだもんなァ。そりゃ嫌われるわけだ」


「な、何を。嫌われてはいない!! 多分……それよりだ。さっき言ったろ? 今俺たちは雌を取り合う獣だと……ここでお前をコテンパンに負かせば……どうなると思う?」


「どうなるって……さあ? 」


「こうゆうことだああああ」


 ホワイトは突然、叫びながらこちらに向かって全力疾走をしてくる。――と思ったのだが、右手で予め掴んでいた砂を俺にめがけてまき散らした、目に砂が入って思わず目を閉じる。


「隙ありだぜえ、終わりだああああ」


「あ、いて」


 ホワイトの右ストレートが炸裂したかと思いきや、あれ? あまり痛くないぞ。いや痛くはあったけど、強烈な一撃ではなかった。ポカっという擬音が当てはまりそうな可愛いパンチだった。


「きゃあああああ」


 何やら遠くで女子が少し騒いでいる。


「見たか? 見たか? どうだよっどうだよっ」


 ホワイトが嬉しそうに女子の方へ目線をやる。あの歓声は彼に向けられたものだと思っていたが、どうやら彼の物ではなかったらしい。遠くでもよく分かる。

 女子たちの前にはポケットに手を突っ込んで、気怠そうに歩く金髪の男がいた。高い身長だからここからでも目立つ。どうやら彼に向けられた歓声だったらしい。

 そして俺は、そいつが誰だか知っていた。数字が読めない孤高者。憎たらしさを全面に押し出した男、唯我独尊の体現者。一条響ーだ。


「な?! お前、何者だッ! こんな時間によく堂々と出てこれた者だなあ!!」


 威圧を押し出して一条に注意をするグリム教官。しかし、あの強力、体格、威圧感を前にしても、一条の存在感は全く薄れていない。むしろ勝っているくらいだ。金髪の髪をかきむしりながらダルそうにしている。


「なあ、先公。今、戦闘訓練やってんだろ? 俺も参加させろ」


「まずお前は何者だ……いや、その目つき……一条響一か……お前、授業に顔を出さないことで有名だそうだな。果たして一体なぜここに来た?」


「たまには体を動かしたくてね……まあ、ここにいる奴ら相手でも、準備運動にはなるだろう? そうだな、相手は 炎 を使う奴がいい。おや……最適なのがいそうじゃないか」


 一条の目線は俺に向けられた。サバンナにいるライオンのような目つきだ。冷たくてしなやかで、それでいて狂気的。思わず少し怖気づいてしまうほどに。


「炎……な。クロガミという者がいるが……」


「ああ、じゃあそいつでいいよ。何処のどいつだ? そのクロガミって野郎は?」


「あそこにいる者だ」


 グリム教官の指さす先には俺がいた。一条はゆったりと歩を詰めてくる、凶悪な威圧感だ。足取りは軽やか、いやむしろ優雅であるのに、それをかき消すかのように肌にひしひしと重圧を感じる。


「なあ、お前。俺が相手してやるよ」



「……いいぜ、やろう」


 もちろん二つ返事でOKした。ここでビビッて怖気づくわけにはいけない。そんなことをしたら俺は負けたのと同じだ。どんなに血みどろになろうとも、こいつに一発食らわせてやらねば腑に落ちない、熟睡できない。


「よし、では。合図で始めろ……」


「しょ、正気ですか?! やめさせるべきだっ!! 一条の能力は第三領域ですよっ?! しかも、クロガミはまだ自身の能力について無知です!! 勝負になりません!!」


 大声で抗議するのはこれまたデータである。先ほどまでお茶らけていたグリム教官も真剣なまなざしをしながら、データの発言は気にも留めない。


「ああ、大丈夫だぜ。データ、一発、入れてやるからな。こいつがどんな能力であってもよお」


 データは俺の発言を聞いてもまだ心配を隠せていない様子だ。それもそうだ、他の生徒たちも、もう皆固唾をのんでこちらを見守っている。先ほどまで騒いでいた女子たちも静まり替えり、こちらを見つめている。


「予め言っておくが、能力による直接行為は禁止だ。また重症につながる怪我を負わせても敗北となる。では……始めっっっ」


「能力を使って来いよ……」


「チッ」


 一条はいきなり動き出したかと思うと、滑らかに俺の両手を掴んだ。そして、思い切り俺のみぞおちに蹴りを加える。反応できる出来ないじゃない。ホワイトとは比べ物にならない瞬発力、流動性、体術、そして剛力。腹に衝撃が加わったかと思うと、その後、みぞおちに激痛が走る。  とても立ってはいられない。

 その場に座り込み、腹を抑え、小さく丸まった。声が出ない、呼吸ができない。苦しくてたまらない。


「……安心しろよお前ごときに、能力は使わねえ」


 蹴りを入れられた瞬間、耳元で囁かれたこの言葉が脳内で縦横無尽に駆け巡りながら、激痛にもがいた。数秒後やっと呼吸が可能になった。抑え込まれていた衝動が口から解放される。


「がああああああああ、キッ。くっああああああああああ」


「おら、立てよ。まだ始まったばかりだぜ。もう降参か?」


 俺の髪を持ち引っ張り上げる。頭がつられてあげられ、屈服しているかのような体勢にされた。地面に座り込みながら、顔だけは挙げられている。


 「……黙れバーーカ。顔が近えんだよ。どけ……」


 必死に煽り返すと、一条は逆上し、眉間にしわを寄せ、目は怒りでヒクヒクと動く。

地面の砂を握り締め、油断している一条の顔に放り投げる。砂は顔に直撃し、俺は座っている右足をほどき右横から、一条の脛にめがけて足払いをした――と思っていたのだが、振った右足は、一条の左手の肘突きによって止められていた。

 いや、確実に俺は砂を命中させたはずである。しかし、一条は正確に俺の足払いを防御した。見えていたということだ。


「舐めた真似を……」


 座って丸まった体勢であったので、俺は蹴るのに最適な形をしていた。足払いを止めた後、一条は大きく右足を振り、俺の胸に向かってキックを放った。咄嗟に両手でガードをしたが、それでも威力は収まらず、二メートルほど後方へ吹っ飛んだ。

 はたから見れば、俺はボールと何一つかわらない形相をしていただろう。


「き、ぎもちわるい」


 視界がぐらつき、周りの背景がどんどん歪んでいく。目に入ってくる光が煌めいては薄れ、煌めいては薄れるを繰り返す。瞼は痙攣し、やっとのことで息を吸う。

 周りの連中誰もが俺を憐れんでいて、データやホワイトはまだ教官に抗議している。校庭の中央で一人うずくまっている俺。すると皆の声が遠ざかっていくのを感じた、おそらく意識が朦朧としてきたのだ。

 微かに見える視界の内に、一条が優雅に歩き近づいてくる姿が見える。相変わらずポケットに手を入れて舐め腐りきった表情をしている。

 あいつにとってこの試合は戦闘でも、訓練でもなく狩りなのだ。狩人が冷静沈着に兎に向かって弓矢を放つかのように着実かつ当然に俺をいたぶっているのだ。


「準備運動にもなりやしないな。やっぱりお前はBー102に値する男じゃない」


「お……お前……まだそんな……つまらないことに固執してんのかよ……」


「つまらないこと だと? 何もわかりやしない凡人風情が。知ったような口を聞くな。なあ、そろそろ能力を使ってみろよ。じゃないとお前、下手したら再起不能になるぜ」


 小さく丸まっている俺に対して、かがんで子供に話しかけるかのような態度で語る一条。しかし、表情は到底、子供と話している者のように穏やかなものではない。むしろわだかまりや、鬱憤を抱え込んでいるかのような怒りに満ちた表情である。

 そんな一条に向かって唾を吐いた。一条の右頬には唾が滴る。表情は固まり、驚愕に似た面持を見せた。一条は左手の人差し指で右頬に発射されたその液体に触れ、確認する。


「こいつッッ」


 一瞬硬直した形相はその後すぐにとてつもない激怒に変わった。一条は冷静さを失い、頭に血が上った。顔は赤く染まり、身体は怒りで震えている。

 と思うと瞬間、一条の横におびただしい砂の壁が構築された。おそらく一条の能力だろう。砂を生成する能力? それとも物体を創造する能力か? 様々な解釈が浮かんだが、それらの解釈は虚しく、次の攻撃で全て否定された。


 〔虚無と実存、蒼と紅。対立する二つの事柄を統合し、我に啓蒙の称号を与えんことを望む。帰路を規定する使者よ、彼に栄光たる試練を与えたまえ。手始めに、迷える子羊に性質を譲渡奉らん。臓物は――愚直――〕



 一条の詠唱とともに構築された壁が自壊を始め、壁を生成していた単位である砂の粒が等間隔で広がっていき、それらの何千万もの砂の粒が一斉に、規則正しく、そしてシステマティックに美しく直線運動を始めた。

 その幾何学的な優美さは思わず見とれるほどだった。回避不可能な超広範囲にわたる弾幕。反応もできぬまま、高速で発射されたそれらの弾丸――正確に言えば砂の粒なのだが―ーは俺の体に1万発ほど命中する。一つ一つは大した大きさではないが、何しろ数が多い。命中した粒は体中に毛穴より数倍大きい程度の穴を開け、身体は散弾銃で打ち抜かれたかのような痛みが走った。穴は主に手と足、腹に分布している。

 一条が手加減したからなのか、砂の粒が脆かったからなのかは定かではないが、命中した粒の大半は体に穴を開けるに至ってはいない、しかし比較的大きい粒などはしっかりと俺の体にダメージを与えてきた。



 〔神のご加護に絶え間ない感謝と称賛を。得てして紡がれた愚者の魂に崇拝と恵を――還元―――〕


 一条の詠唱とともに砂の粒たちが辿ってきた直線上に沿って後退していく。俺の体に埋め込まれた粒も同じように体の穴から飛び出ていく。穴からは血が滴る。

 痛い、つらい、苦しい。最低の気分だ。だがしかし、同時に感じる。湧き出てくる力を。拳が燃え立ち、地面についた右手からは焦げ臭い匂いと、煙が立つ。


「決まったな…………降参しろッ。お前の負けだ」


 能力が発動された。相変わらず理解できない能力だ。肝心のところで発動できず、今になって起動されたこの力。一発も殴らないで諦められる訳がない。

 ここで降参をしたらきっと、もうこいつは俺の前には現れないであろう。死んだ兎には興味がない、ただ殺すこと、屈服させることに意義を感じている。それこそ、趣味でそれを行っている狩人のように。


「まだ……まだ……今から能力を見せてやる……よ」


 渾身の力を振り絞って、一条に向かって走り出す。動くごとに血が滴り、走った軌跡に血を垂らしていく。右の拳を強く握りしめ、パンチを繰り出そうとする。


「……馬鹿が……〔往来し交差する経路の道中において、生と死、有と無、反抗しあう二つの事象を統合し、万全たる思慮と無慈悲の愛を持って啓蒙せよ。臓物は――波浪]」


 詠唱とともに今度は砂は湾曲を描きながら高スピードで近づいてくる。またもや広範囲にわたる大規模弾幕。無論さけられるはずがない。もう血を見る覚悟は決まっている。そのまま突っ込むのみだ。


 「歩みを止めないのかッ、ではそのまま死ねッ」


 拳を一条に向かって振り下ろすより早く弾幕が俺に迫ってくる。波を描き、まるで蛇のように動く砂の粒の壁を挟み、向こう側に一条が立ちふさがっている。右手の拳は前に突き出され、他の体の部位よりも早く弾幕の壁に衝突しそうだ。

 ああ、わかってはいたことだ。この弾幕を受けたら文字通り俺は再起不能になるだろう。そして一発も一条に入れられることなく、その場に倒れこむのだ、地面を血で真っ赤に染まらせて。


 「ああ、糞……終わった……な」


 終わったと思った。全治2,3か月では済まない攻撃。下手するともう一生立ち上がれないかもしれないほどの視界いっぱいの弾幕。負けた。確実に敗北を覚悟した。

 しかし、突然拳は弾幕の壁をすり抜けたかのように見えた。否、弾幕の方が発火し、煙が立った俺の右拳から離れていったのだ。整頓され陳列しながら湾曲の軌跡を辿っていた砂の弾幕たちは突き出された俺の拳を中心に円を描くように離れていく。


「は? どうしt――――」


 前方の砂の弾幕が無くなり、拳は一条の顔面に到達した。その瞬間、電撃のような衝撃が体を貫くのを感じた。帯電に似た振動である。そして鈍い音、まるで大砲のような空気を大きく揺さぶる音を発して一条の顔面は歪む。

 拳をそのまま振り切ると一条はその衝撃で数歩後方へよろけた。鼻からは血が出ている。理由は分からないが俺は確かに一条に一発食らわせることが出来たのだ。一条も訳が分からず動揺しているように見える。


「何だ……熱いッ。熱いッ」


 一条は殴られた鼻を押さえ、打撃の痛みと熱の熱さにもがく。砂の弾幕は俺の後方で空中に静止したかと思うと数秒後には地に落ちていった。ただの砂と戻ったのだ。すなわち能力が解除されたということだ。


「ぎ、く……苦しいッ」


 一条の顔面は火に埋もれていく。火の粉として鼻の頭から発火した炎は、徐々に広がりを見せ、頬や耳にまで広がっていく。


「た、たすk――」


 助けを求めている一条。この言動から、ある記憶がフラッシュバックする。かつて夢で見た燃え盛る炎が無慈悲に延々と街の木々、家々から立ち上る様子。そして助けを求める女性。その女性を燃やし尽くす自身と、罪の意識を訪仏とさせる訛った少女。

 炎に燃やされていく一条を目の前にして、やはり憐れみを感じてしまった。どれだけ高飛車で自己中心的で利己的な者であっても、炎で焼かれていく様を見るのはつらい。


「まさに――業火ね――調停会はそがんこと上手く言い表しとっとね」


 少女の声が頭の中で鳴り響く。声の方向を振り向いたが、そこには誰もいない。


「……やめろ……見たくない」


 そうつぶやくと、それに共鳴するように一条の顔に立ち上る炎は消えていった。一条は膝をつきその場に倒れる。その顔には怒りや憎しみの様子はなく、ただただ何かに恐れる子供のような面持ちをしていた。


「……やった……ぜ」


 限界が来た。倒れる一条に連れられ、身体の重心が崩れ、地面に付してしまった。視界が暗くなる。データや他の生徒たち、グリム教官の心配する声がする。何か喚きあっている。そこからはもう覚えていない。ただ、大奮闘だった。どれだけ風穴が空こうが、その事実だけでもう、満足である。


 

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