1章8話
8話~話し~
「──仲良くしようぜ」
俺、稲垣ユキトはそう言って廊下を進む。
眼前に見えるのは手前にいる瀬川アカネと早野ユズ。
二人の会話は一部始終聞いていた。
アカネが何故、俺に暗殺を依頼したのか。
どうやらアカネの母親がユズの父親に殺された事での復讐のようだ。
アカネもアカネなりに苦しんでいたのだろう。
ユズを追い詰めていた感情は明らかに恨みが蓄積されているものをぶちまけていた。
もちろん、それを見た俺も考えなしに二人の間へと割って入ったわけではない。
「……あ、あなた何故こんなところいるんですか?」
アカネが戸惑い気味に訊いてくるので苦笑して答える。
「サボって帰ろうとしたけど忘れ物した。……よ、ユズ」
黙ったままのユズにも声を掛けると、なにやらハッとする。
「瀬川さんとユキトくんって知り合いなんですか……?」
「まぁな」
簡素に答えるとユズは「そうですか」と言ってそれ以上は聞いてこなかったが何か気になる事はあるようだ。
「ま、二人とも言い争ってたっぽいから間に入っただけだ」
「は、話は聞いていらしたんですか?」
アカネの質問にはユズも不安そうに俺を見つめてくる。
「……いや、内容はよく聞こえなかった」
ここではそう言っておく事にした。
今、内容を聞いてしまったと言えば、追い詰められるのはユズだろう。
現状、あんなに何かを怖がる顔をしているユズを見たのは初めてだ。
胸元で握った手が微かに震えているのも見える。
父親が起こした事件のせいで自分が追い詰められると言うのも相当な恐怖心が植え付けられるはずだ。
そんなユズを更に追い詰めてしまえば明日の作戦だって上手くいくか分からない。
「そんなに二人がいがみ合うなら明日の放課後にでも話し合えばいいだろ」
そう言って俺はアカネへと目を合わせる。
そこでアカネはハッとして頷いた。
「ええ。早野、少し言い過ぎたわね……明日の放課後に旧棟にでも行って遊びましょ」
「ええっ……せ、瀬川さん………何で……」
「あなたの事情も聞いておくのも大事よね。この人の言うことは大体、信用しても問題ないと思うわ」
アカネはそう言って俺を指す。
もちろん理由なんて嘘だろう。
だが、誘い込むなら距離感を詰めた方がいいのは明らかだ。
もしかしたらユズから見たらアカネの態度は不自然かもしれない。
それでも明日、誘き出せるならどんな形でもいい。
そうすれば仕事は完了に近付く。
すると、ユズは不思議そうながらもコクリと頷いた。
(ところで殺し屋さん、何故こんなところへ?何か情報の伝え忘れですか?)
アカネはこっそりと近付いて囁いてきた。
(いや。帰ろうとしたら、ここの校舎に沿う道からお前達の声が丸聞こえなんだったから)
(それは……まあ……申し訳ありません)
アカネは少しだけ恥ずかしそうにしていた。
だが、ユズは変わらず俯いたままだった。
「じゃ、俺は用事あるからサボる」
俺は特に用もなくなったので背中のケースを背負い直し、その場を去ろうとした。
「あ、あのユキトくん」
後ろから、ふと声がしたので振り向くとユズが顔を上げていた。
「何かまだあるか?」
「あの、いえ……もしかして本当は、その………」
珍しくオロオロしていたが、口ごもると再び目線を伏せてしまった。
「ごめんなさい、何でもないです」
「そう」
何を言おうとしたのかは分からない。
だが、考えたところでどうしようもないので俺は再び方向転換して来た廊下を逆戻りする。
すると後ろから少しだけ声がした。
「それでは、早野」
「は、はい」
そう言ってアカネが去る気配がした。
──これでひとまず収まったか。
一旦、この場が落ち着けば問題ない。
アカネを激情させて何かやらかせば作戦が全て水の泡になる可能性だってあるのだ。
「……さて、仕事行くか」
ーーーーーーーーーーーーーー
ユズの通う高校から出た後。
夕方、人気の少ない工場跡地にいた。
ここは基本的に人が寄らないので暗殺には持ってこいの場所だ。
それに、ターゲットを誘い込むにも向いている。
そんな錆びた鉄柵やコンクリートの壁が立ち並ぶ道を1人の男が駆ける。
そして俺もその男をダガー片手に追い駆けていた。
「死にたくない死にたくない!!」
眼前の男は絶叫しながら必死に逃げる。
だが、俺との距離は徐々に近付いている。
鍛え上げた身体能力ならその辺の一般人の腕を握れば簡単にへし折れるだろうし、足の速さも負けない自信がついた程だ。
俺はこのまま走ってても少し時間がかかると思い、2メートルはないだろう工場の塀を駆け上がり、上から男と並走する。
男を少し追い抜くと、そのまま塀から飛び降りる。
空中、ダガーを振り上げ──
「よっ!」
「ひ──」
男が恐怖で大声をあげる前にダガーで斬りつける。
刃は肩口から胸まで斜めに入った。
男はズシャッと音を立てて倒れ込む。
俺は片足から着地し、バランスを取る。
すると、男の傷から真っ赤な血が流れ出ていく。
出血は止まらず、うつ伏せに倒れた男から地面へと広がっていく。
見慣れた光景だ。
もう普通じゃない日常なのだから。
そう、これでいい。
今は。
生きられる場所が見つかるまでは。
そう改めて思い、ダガーを再び振り上げる。
まだ息をしている男の背の中心目掛ける。
「──これで、この仕事は完了になるな」
俺はダガーを勢いよく降ろした。
「──あー……終わった」
軽く伸びをしながら車通りのある道を歩く。
男の殺しの依頼を終え、痕跡も消した後は遺体を放置していつも通り帰る。
ユズの暗殺依頼は残ったままだが、普段のような仕事なら並立できる。
そうして夕日の歩道を歩いていた時。
左手の小道から人が出てきた。
「ユキトくん……?」
透明感のある聞いた事のある声。
声主の方へと振り向くと、そこには女子高生が立っていた。
「なんだ、ユズか」
通学バックを右肩に掛けているユズはおそらく下校中なのだろう。
ユズは俺を視認すると、パッと笑顔になる。
「あ、私服ですね!何か用事があるって言ってましたよね」
休み時間に見た俯いたユズとは一転、いつものように可愛らしい笑みを浮かべるユズだった。
「あ、あぁ……まぁな」
ユズが興味津々に見てくる俺の黒コート。
この服装は仕事用であるので、あまり見られると困る気もする。
「そうだ、ユキトくん。あっちの奥に公園があるので少しお話しませんか?最近、あまり二人でゆっくり話すこともありませんでしたから」
そう言って1つ奥の曲がり道を指す。
ユズの言う通り、確か道の奥には小さな公園があったはずだ。
特にこの後は用事もないし、拠点に帰ってもどうせリユに付きまとわれるだけなので構わないだろう。
「あぁ。構わない」
「やった!じゃあ行きましょう」
ユズは先導して進んでいく。
俺も当たり前のように後ろをついていく。
公園へと向かい、数メートル歩いたところ。
そこでユズは突然足を止めた。
「ユズ?どうした」
前を覗き込んで訊くと、ユズはくるりと俺へと振り返る。
「公園で、聞きたい事たくさんあるんです」
「例えば?」
「……あの時、話の内容聞いていましたよね」
ユズは何やら訳あり気な顔で。
そして申し訳なさそうな顔でそう言った。