2章7話
7話~未知~
滝澤さんに連れられてプールへと屋台のバイトに行き、ユズ、アユと遭遇した日の翌日。
昨日は殺人事件があったり、初見の組織と出会ったりと慌ただしかったが、それ以降は変わりない。
今日も仕事を1件受け、暗殺した後は拠点に戻って過ごす。
俺は円形のテーブルに備え付けてある椅子に座り、のんびりとパソコンを使ってネットサーフィンする。
ぶっちゃけ、暗殺依頼がない限りは暇だ。
いつもスマホかパソコンをいじって過ごしている。
そして時間があればトレーニングに行くというくらいで、毎日忙しいほどでもないのだ。
滝澤さんは何やら毎日働きまくっているが、リユやアオトもその理由はわからない。
そんな日々だが、今日は右隣にもう一人座っている。
今日は水着ではなく、ワイシャツにリボン、丈を短くしたスカートの制服─いつの間にか変わった夏服─を身に付けているユズだ。
時々、桃髪を揺らして消しゴムで字を消したりしている。
「? あの、何かありましたか?」
思わずガン見してしまった。
ユズはノートに走らせていたペンを止め、首を傾げる。
「ああ、何でもない。てか、その問題難しそうだな」
「そんな事ないですよ、わりと簡単なものなので。ユキトくん、解いてみますか?」
そう言って、解いていた問題集をこちらに寄せてくる。
──ユズはこうしてちょくちょくこの拠点にやってくる。
恩を返すためにも何かする事があるかもしれないと言っていたが、ここにいても特に何もない。
最初はリユや俺とも会話をしていたのだが、それを感じたのか、テスト前になるとこうして勉強するようにもなった。
家でやればいいのではと言ったのだが、「ユキトくんがい……ああっ、いえ。その、殺し屋がいる方が捗るので」という意味不明の理由を言われた。
別に俺達にとっても支障はないので好きにさせている──
が。
「全然わからん」
問題を読んでも全く理解できない。
数学なら暗殺業でも役立つため解けるだろうが、今解いている国語がわからない。
「ダメだなぁ、ユキトは。僕なら解けると思うよ」
突然、会話に割り込んできたのは俺の左隣に座っている関口アオト。
さっきまで大人しくテーブルに突っ伏して爆睡していたというのに、いつの間にか起きていた。
寝起きでも元気なアオトは問題を読み上げ……
「全然わかんない」
俺と同じ答えを出した。
「そんなに難しくないと思うんですけど……〝この時のAの
様子について最も当てはまるものを答えよ〟ですか。これ、答え2番ですね」
俺達二人に比べ、ユズはスラスラ解いていく。
やはり、ユズは高校に通っているし、俺とアオトは中学までしか通っていない。
それが差だろう。
うん、きっとそうだ。
「ユキト、これが女子高生と殺し屋の心の違いさ。人の心を持てばこれくらい解けるだろうね」
「言うな。悲しくなる」
アオトが現実を突きつけてくるので、耳を塞ぐ。
すると、その様子を見たユズが苦笑する。
「じゃあ、こっちはどうですか?これなら中3の復習の範囲があるんです」
ユズがカバンからもう一冊、問題集を取り出す。
今度は国語ではなく、数学。
ユズがページをめくり、俺は適当に出された問題に目を通し──
「x=-3±√5」
「速くないですか!?」
俺が答えを出すと、ユズが驚愕する。
するとアオトも覗き込んで問題を読むみ、俺と同じ回答をする。
ユズに答えを確認すると……
「あ、合ってます」
戸惑い気味で言う。
数学や理科なら、仕事に役立つ事も多い。
それに、俺は元々理系は得意だった。
両親と生活していた頃は勉強くらいしかする事がなかったため、成績も悪くはない。
その甲斐もあるだろう。
国語の成績は昔からよろしくなかったのを思い出しそうになるが、頭を振って記憶を追い出す。
「すごいです。この問題、捻ってあって私もなかなか解けなかったんですよ」
「へぇ……理系なら面白いかもな」
「あっ……ほんとですか!?なら、一緒に解きましょう」
ユズは何やらご機嫌になり、国語の問題集を仕舞い、数学や理科の問題集を出す。
俺もこうして問題を解くのは悪くないと思うので、パソコンを閉じてユズからペンを借りる。
二人で問題集に目を走らせ、解いているとアオトが肩を突っついてくる。
「そんな事してて楽しいかい?僕、勉強だけは嫌だな」
「別に好きってわけでもないけどな。まぁまぁ楽しいっていうか……解けると快感」
「わかります!難しい問題なんか解けると、ストレスが飛んでいくんです」
「むしろ勉強してたらストレスが溜まるよ」
アオトはよくわからないといった顔で一人唸っている。
そう言えば、リユは勉強は得意なのだろうか。
彼女はもう二十歳だが、実は学生時代は真面目だったということは……いや、考えられない。
あのバカ元気が成績優秀だったらひっくり返りそうだ。
実際、射撃が得意という才能もあるが。
そうして雑談を混ぜながら、数分問題を解いていると拠点の扉が開く音がする。
反射的に─敵対者が侵入してくる可能性もあるため─俺とアオトがそちらに視線を移す。
すると、入ってきたのはくすんだ桃髪を持ち、黒コートに身を包んだ滝澤さん。
俺の場合、夏季は暑いためコートは着ずにワイシャツとズボンだけだというのに、真っ黒に身を包んでいるのを見ると、それだけで暑くなる。
滝澤さんは俺達に気が付くと、こちらに寄ってくる。
「やぁ。ユキト君、昨日はありがとう」
「どーいたしまして。後半は遊んでばっかでしたけど」
「いや、仕事もあったんだろう。お疲れ様だ、うん」
滝澤さんから昨日のバイトのお礼を言われたが、もしかしたら大人しく屋台で過ごしていれば死体を発見したり、依頼を受けずに済んだのではないかと思ってしまう。
──もしかしたら、ガチでそうなんじゃないか。
「ユズとアオトくんもいたんだね。リユちゃんは……?」
「あ、ここに来る前にさっき会いました。新作パフェが発売されたから食べてくるそうです」
「アホか」
ユズの口から出るリユの行動に思わず呆れる。
どうしてアイツはこうも殺し屋らしくないのだろうか。
いや、逆に表向きとして振る舞うためか。
射撃をした時の彼女の雰囲気はプロのそれだったし、そういう事もありえるが……
「いや、あれはガチだな……」
「?」
俺の呟きにユズは首を傾げるが「何でもない」と答える。
すると、滝澤さんとユズが話し始める。
こうして見ていると、二人は本当に親子なんだと思う。
──そう言えば、滝澤さんの私情の事は話し合ってないんだったな。
滝澤さんがユズの前から消えた理由は、まだ話せていないらしい。
だが、こうしてまずは仲を戻すことが先だろう。
全てを話すのはもう少し先でも大丈夫なはずだ。
そう考えていると、ユズの視線が自身の足元に移るのが見えた。
徐々に、顔が青ざめていき──
「いやぁぁぁっ!!」
珍しく悲鳴をあげて、俺に抱きついてきた。
アカネと敵対した時も悲鳴をあげる事なんてなかったのに何があったのかと思うと、床には1匹の虫が。
「虫!虫です!こ、殺して下さい!追い出して下さい!」
必死に叫び、俺の首に腕を回してくっついてくる。
アオトや俺は思わずユズを呆然と見ていたが、滝澤さんは苦笑いだ。
「……虫、苦手か?」
「世界から消えちゃえばいいと思います!」
世界中の虫が可哀想な発言をして、ユズは俺から離れない。
ぶっちゃけ、邪魔なのだが。
「依頼料払いますからぁっ!」
「100万で殺す」
「わかりました!!」
「うちにそんな金あっかな!?」
俺の冗談にも関わらず、ユズは本当に金を出してきそうなほど怖いらしい。
滝澤さんはそれをわかっているのか、心配そうなツッコミを残してくるが。
「めんどくせぇ……」
このままではユズがパニックのままなので、俺はため息をついて虫に近づこうとするが。
「お、おい……ちょ、ユズ邪魔。てか苦し……」
勢いのまま力を込めているのか、俺の首が絞められる。
というか、こんなバカ力持ったやつに首を絞められたら一発で逝ってしまう。
「ゆ、ユズ落ち着くんだ!ユキト君が死んでしまうよ!?」
「ユキト、キミの死は無駄にしないよ」
「おいバカ止めろ」
アオトは見守っているだけだが、ユズの実力を知らないからこそそんな態度を取っていられるのだ。
この傍観者を殴りたいが、ユズが邪魔で動けない。
というか、本当に苦しい。
「ユズ……ちょ、マジで離せ。死ぬから……」
「嫌です!虫殺して下さい!!」
無意識なのか、涙目で巻き付く力を強めてくる。
「いい加減に……しろッ!」
このままでは窒息死すると思い、俺は虫を踏み潰す。
おもいっきり潰したので、確実に死んだはずだ。
「ほら……ユズ。虫死んだぞ」
俺が指すと、ユズは恐る恐る床を見る。
虫の死骸を確認すると、安心した様子で俺に抱き付く力を緩める。
「よ、良かった……ありがとうございま………」
ユズはもう一度俺の方を振り替えると、語尾が弱まっていく。
そして、だんだんと赤くなって……
「あっ、いや、あの………その……ごめんなさい!!」
ものすごい勢いでテーブルに突っ伏した。
額がテーブルと衝突する音がしたが、気にする素振りもせずに耳まで赤くして一向に顔をあげない。
「何なんだよ……」
俺はわけもわからず、首を傾げていると滝澤さんが苦笑しながらユズの隣へ座った。
「ユズは昔から虫が苦手だったね、うん」
「ううぅ……」
アオトがその様子を見て、「可愛い」とぼやくので俺は軽くゴツくとすぐに悶えて喋らなくなる。
伏せるユズは放っておいて、俺は滝澤さんへと視線を移す。
「滝澤さん、ちょっと聞きたいんですけど。『ライフ』って知ってます?」
すると滝澤さんは途端に真剣な表情になる。
アオトも気になったのか、頬杖をついてそれとなく聞くつもりだ。
ユズも顔は伏せたままだが、一瞬だけこちらを見た。
「確か、『ライフ』っていうのも殺し屋組織だったかな、うん……それがどうかしたのかい?」
「昨日会ったんですよ」
俺の発言が予想外だったのか、3人は一瞬だけ驚いたが、すぐに切り替える。
「何かあったかい?交戦する事になったとか……」
「いや、仲良くしてくる態度でしたよ。ただ……気持ち悪い」
そう、『ライフ』は気味が悪かった。
こう言っては失礼だが、事実だ。
殺しについて詳細に語り、笑う様子は正気ではないだろう。
殺し屋としてはああやって狂気になって仕事をするのは向いていない。
あの様子で殺しを続けていれば、いずれ暴走して証拠を残してしまい、捕まるだけだ。
それに、気になる感覚があった。
裏で『ライフ』のあの気味の悪さを作り上げるような。
洗脳のような──
「そうか……妙な集団だね、うん」
その事や昨日の事を伝えると、滝澤さんは考え込む。
数秒の沈黙のあと、顔をあげて真剣な表情そのもので口を開く。
「私もちょっと気になっていたんだ、『ライフ』という組織がね。今度、少しだけ調べてみるよ」
「そうですか。なら、俺もちょっと……裏に調査依頼してきます」
俺が立ち上がるととするとユズが裾を掴んできた。
おそらく、彼女は今から俺が向かうところを解っているだろう。
そこにいる人物に会いたいからこそ、こうやって止めているのかもしれない。
「私も、行きます」
ゆっくり顔を上げ、こちらを見つめてくる。
最近わかってきたが、ユズは一度決めたら譲らない。
「ダメだ」と言っても付いてくるだろう。
俺はため息をついてから渋々頷くと、ユズはパッと笑顔になる。
先程のテーブルに突っ伏して真っ赤になっていた様子はどこへ行ったのか、どこかやる気な様子だ。
戦争にいくわけでもないのだから、そこまで気力をいれなくてもいいと思う。
が、彼女にとっては、俺がこれから会うやつとは気軽に会えるような仲じゃないため、仕方ないかもしれない。
そんな事を思いながら、出していた勉強道具を仕舞うユズを待っているとアオトが肩を叩いてくる。
「ところでさ、さっき抱き付かれた時のユズちゃんのおっぱい、どうだった?」
ユズは問題集を落とし、滝澤さんはコーヒーを吹き出し、アオトは俺が食らわせた腹パンで悶えた。




