1章12話
12話~昔~
校舎3階の薄暗い理科室内。
俺とユズは廊下寄りの壁へともたれて地べたに座っていた。
室内へ入ってすぐは追われていて走っていたため二人して息を切らしていたが、数分も立てば落ち着いてきた。
アカネや雇われた集団があちこち探し周り、この教室へ入ってくるのはすぐではないだろう。
この高校は生徒数が多いだけあってバカみたいに広い。
何回か俺も行き来しているが、こっそり盗んだ地図なしでは本当に迷子になってしまいそうなほどだ。
この校舎なら、集団もすぐには俺達を探し出せないはずだ。
「──話しますね。私が、どうしてこんな事になっちゃうたのか」
ユズは可愛らしいながらも、どこか寂しさの混じる声でそう言う。
「ああ」
俺は簡素に答えると、数秒の沈黙。
だが、ユズは息を吸うとすぐに再び口を開く。
「………昔々、あるところに」
「待て待てストップ」
俺は左隣に座るユズの横顔へと手を向けて制止する。
「何だよその導入は。日本昔話か」
「私は日本生まれてですし、昔話ですから間違ってはいませんよ」
「そういう問題じゃない。普通にやれ、普通に」
俺はため息混じりに言うと、ユズは口元に手を当ててクスリと笑う。
「ふふ……はぁい」
「わざとだっただろ……」
後になって気付いたが、もしかしたら今のはユズなりの気配りなのかもしれない。
追われている立場にも関わらず、自分の事を話そうとするのだ。
少しでも、心が軽くなるようにしようとしていたのだろうか。
今度はユズは真剣な顔で、だが昔を懐かしむ表情を浮かべてポツリポツリと話し出す。
「……お母さんは、私が物心つく前に亡くなっていたんです。だから、ずっとお父さんと二人きりでした」
「け、けど……前に母親が完璧主義教育してるとか言ってなかったか?」
俺が疑問を浮かべると、ユズは困ったように答える。
「それは今の母親なんです。亡くなったお母さんとは別の」
「……そうか」
その後もユズは順番に、あったことを言葉で紡いでいく。
俺はそれ以降は何も言わずに、ただ聞くことにした。
──私は母と話した事はなかった。
まだ私が1歳に満たない頃にお母さんが交通事故で亡くなったとお父さんに聞いた。
お母さんの顔を見たことがあるのは、父の書斎の机にあった写真だけ。
綺麗な額縁に飾られた写真の中のお母さんは爽やかに笑っていた。
その顔だけは、手元に写真がなくても今も鮮明に覚えている。
そんな母親のいない家庭だったが、大した不満はなかった。
お父さんは強くて優しくて、たった1人の娘思いな人だった。
そんな父が大好きで、仕事が休みの日にはよく飛びついて遊んでいた。
けど、少しだけ不審なところがあった。
ある日、私が寝つけなくて、お父さんは夜遅くまで仕事をしていたため書斎を覗くと、父は血相変えて電話相手と話していた。
その内容は、なんとなくだが覚えている。
「──だから、言っているだろう!この作戦は周りを巻き込めない……アズサの事は、早野家の主である私が一人でやろう」
まだ8歳の私にはよくわからなかった。
〝アズサ〟がお母さんの名前だというのは知っていた。
だが、何故お父さんはあんなにも一生懸命にしているのか。
いつも温厚な父が、険しい顔で話している。
それだけは、まったく読めなかった。
そんな疑問を持ちながらも、特に日常に変化はなかった。
だが、その平穏な日々は私が小学6年生──12歳の時に崩れた。
その日は、何の変哲もない金曜の夜だった。
いつも通り、小学校へ行き、帰ってきたら宿題をやって父と談笑をする。
1日を過ごすと、私は寝る支度をすると早々にベッドに入った。
その時、私はベッドに潜り込みながら、心をウキウキさせていた。
「明日はお父さんと遊園地……久々だから楽しみです」
そう呟いていたが、どうにか心を落ち着かせて寝ようとしていた時。
「──なんだと!!」
家中に響き渡るくらいの父の野太い声。
どうやら、また電話をしていたらしい。
前に書斎で覗き見た時の声色と同じくらい真剣だった。
──どうしよう。気になるけど、寝ちゃった方がいいんでしょうか……
私は少しだけ迷った。
寝室から出て、父の様子を見るべきなのか。
だが、あんな怖い父は初めて見た。
それが理由なのか、私はそのまま寝ようとした。
だが、またすぐにドタバタと物音がする。
夜中にも関わらず、音を立てているのは父にしては珍しい。
そこでやっと、私は体を起こしてベッドから降り、寝室を出た。
パジャマのまま、こっそりと階段下の気配を伺う。
いつの間にか物音は静かになっていた。
するとその後、バタンとドアの閉まる音がした。
「今の音、玄関の……!」
私は何か嫌な予感がして、階段を駆け降りた。
廊下を通りすぎ、一度玄関ではなく書斎へと通じる方へと向かった。
書斎のドアを開けると、中には誰もいない。
更に、いくつかあったはずのお父さんの仕事の書類もなくなっている。
「お父さん……どこですか!」
私は書斎のドアを開けっ放しに廊下へと飛び出し、今度はリビングへと向かった。
そこにも人影はない。
だが、電気は付けっぱなしなため、ここにお父さんがいたのなすぐにわかった。
少し広めのリビングを見渡しても、お父さんの姿はどこにもない。
だが、テーブルの上に紙切れが置かれていた。
それを見つけると即座に書かれていた内容を読み上げた。
『ユズへ。
本当に突然、いなくなってすまない。
私にはやるべき事がある。
そのために……アズサの仇のためにもしばらく帰ってこれないんだ。
ユズを放っておくようで申し訳ない。
いつか、帰ってくる日になったら話そう。
父より』
わからなかった。
何故、何も言わずにいなくなってしまうのか。
何故、やるべき事を教えてはくれなかったのか。
何故、私を一人にするのか。
「遊園地……行こうって言いましたよね……」
私は涙声でそう呟き、その場にペタンと座り込んでしまった。
紙切れをグッと握り、涙を堪えていると、その裏に封筒が付いていた。
中には、私一人なら十分に暮らせるくらいのお金が入っていた。
「お父さん……自分のお金はどうするんですか………もう」
そうして、私は一人になった。
お父さんがいなくなり、私の心は完全に暗くなった。
1週間経っても父の行方はわからず、一度も帰ってこない。
学校では、その事はゆっちゃんだけに話すと必死に慰めてくれた。
「ユズ……大丈夫だよ」
「ありがとうございます……」
そう言って、優しく背中を撫でてくれた事は覚えている。
あの時、ゆっちゃんがいなければ本当に私はどうにかなっていたかもしれない。
「ねぇ、警察に言わない?ユズのお父さん、なんかの事件に巻き込まれてたりとかさ……」
ゆっちゃんは心配して、そう言ってくれた。
だが、私はゆっくりと首を横に振った。
「そうした方がいいのかもしれません……けど、それをしたらお父さんの邪魔になるかもしれないんです」
なんとなく、そう思った。
ただの勘なのかもしれないが、私が警察にそれを言えば、きっと何かが崩れてお父さんは家を出た意味がなくなるんじゃないかと。
──そうしてお父さんがいなくなって2週間が経った頃だった。
「早野……ちょっと来なさい」
睨んできたのは同級生の瀬川アカネさん。
今までは対した接点のなかった人だが、私は無理矢理にでも校舎裏まで連れていかれた。
私はわけがわからず、瀬川さんの後をついて行った。
すると、突然だった。
私の胸ぐらを掴んで校舎の壁に押し付けられた。
「あなたの父親、今どこにいるのよ!!」
瀬川さんは鋭い声で問い詰めてきた。
だが、私が知るわけがなかった。
むしろ、行方不明の父の居場所ならこちらが知りたい。
「に、2週間前……突然いなくなったんです。居場所はわかりません!」
そう答えると、瀬川さんは手を離した。
息苦しさから解放され、咳き込んでいると目の前の瀬川さんは忌むべき相手を見るようにして絶叫した。
「いなくなった!?まさか……あなた、今父親が何をしているか知らないの!?ふざけないで!」
「え……し、知ってるんですか!?」
私が思わず身を乗り出すと、瀬川さんは足を1歩近付けた。
「アンタの父親はね、殺し屋なのよ!!」
一瞬、頭が真っ白になった。
あの温厚なお父さんが殺し屋になった?
あれだけ優しく接してくれて、私とたくさん遊んでくれたお父さんが。
受け入れられない。
「早野の父親が私のお母様を殺したのよ!」
嘘だ。
実際に、父は人を殺めたのか。
「アンタは人殺しの娘なの!そもそも、父親がいなくなる前に止めなさいよ!」
そう、私が早く止めるべきだったのか。
そうすれば、お父さんが瀬川さんの母親を殺すことはなく、今でも普通の日々を過ごせたのか。
──私がいけない?
つまりは……私が、私に全部責任がある。
私がダメだった。
お父さんがいなくなったのも、瀬川さんの母親が死に、彼女が怒りと悲しみで埋もれるのも。
全てが私に責任がある。
「もういい!早野家は絶対に許さないわ!」
最後に、瀬川さんはそう言ってその場を離れた。
私は校舎の壁にもたれ、ズルズルと座り込んだ。
どうしようもなかった。
私がお父さんが家を出るのを止められなかったせいで、こんなにも瀬川さんの家庭を壊した。
それを今さら、問い詰められ、怒りをぶつけられた。
そして、それを優しく慰めてくれるような、支えになってくれるようなお父さんもいない。
「私が……全部………」
ポツリと呟いて、その場にうずくまった。
──誰にも頼れないまま、私はしばらく泣き続けた。
「──これが、瀬川さんが私を殺そうとする理由だと思います」
ユズは話し終えると、どこか遠くを見ていた。
俺はなんとも言えず、無言のままだった。
ユズの父親が殺し屋というのは以前、公園で聞いた。
だが、家を出ていったなんて知りもしなかった。
予想とは違い、小学生のユズには負担が大きすぎる。
──彼女は、それからアカネの殺意に耐え、ずっと過ごしてきたのか。
「あ、あの……ユキトくん?」
ユズが困惑したように声を掛けてくるので、ハッとする。
そこで気付いた。
俺は無意識にユズの頭を撫でていた。
「えっ……あ、いや」
「ど、どうしたんですか……急に」
ユズは少しだけ恥ずかしそうにしているが、俺はなんとなく、頭に置いたままの手はそのままだった。
「………頑張ったな」
ふと、出た言葉はそれだった。
自然と出る言葉と動作。
自分でもよくわからなかったが、こうするべきだと思った。
するとユズは目尻に涙を浮かべてからコクリと頷く。
「……はい………私、ここまで来ました」
「ああ。我慢したな。大丈夫、俺が死なせない」
今度は、ポロポロと。
今までに我慢していたものが溢れ出るように涙はユズの頬を伝っていく。
俺はユズが泣き止むまで、頭を撫で続けた。
しばらく……数分間だった。
理科室には責任を一人で抱え込んで来た少女の泣き声だけが響いた。




