3-6 やっと眠れる
「一番奥の部屋が空いているので、お使いください」
宿屋の店主に金銭を渡した後、私達は言われた通りに部屋へと進んだ。
さほど古くなく、かといって豪勢な雰囲気でもない宿屋である。
この島を訪れる客はあまり多くないため、宿屋といえばここくらい。
だが、その割には空いている部屋は1つだけであった。
「どんな人が泊まりに来てるんだろ」
「さあな。我らが気にすることではない……が、空警団の者である場合もある。いつでも逃げられるようにせねばな」
「えー、私1回寝たら起きられないよー」
「その時は我が担いで逃げるとしよう」
「ほんと?私寝相悪いから殴っちゃったらゴメン……ん?どうしたのツルギ」
「資金難じゃ……お主ら今夜は逃げながら金を稼ぐ手立てを考えておけ」
「大袈裟だよ。言ってもまだそんなに困ってないでしょ?」
「明日はどう頑張っても朝飯しかろくな物が食べられん」
「……え?」
「晩はパン一個じゃ。覚悟しておれ」
「……それ、死ぬじゃん。終わった」
「大袈裟じゃ。お主がもう少し食べる量を抑えられればもう少しは_______________」
私が絶望していると、さっきまで見えていたツルギの姿が突如消える。
目の前から歩いて来ていた者にぶつかったのだ。
尻もちをついたツルギに、手を差し伸べたその男は異様なほど派手な頭髪をしていた。
「悪ぃ。前見てなかった」
「す、すま……すみません。儂……私の不注意でした」
立ち上がりながら、ツルギは小鳥のように甲高い、作った声で返事をした。
どこから声が出ているのか、姿相応の幼な子のような声だった。
「怪我はねぇか。すまねぇな、そこのご主人さんにも謝っとく」
「あ、はい」
「ここんとこ、この島は物騒だ。護衛は少なくとも女子供より多く連れた方が良いと思うぜ」
それじゃあな、と言うと、派手髪の男は手を振ってフラッと歩き去っていった。
「……ツルギ、なんともなかった?」
「うむ。ただの気の良い人間だったの」
「いや、あの人普通の人じゃないかも」
その物腰から、私は男が戦いに身を置いている者だと分かっていた。
常に片手は空いた状態で、ツルギに近づく瞬間も、私やザッドからは一定の距離を置いていた。
そして派手な長髪で隠れて見えなかったが、その目は常に私を警戒していた。
恐らく、私が1番強い人間なのだと理解していたのだ。
「でも、鎧着てなかったし騎士じゃないかな」
「そうとも限らないだろう。着てなかっただけかもしれん」
「少なくとも、空警団に儂らの顔は割れてないというわけじゃ。今宵は部屋から出ぬようにせねばな」
周りにあるドアはどれも閉まっていて、その先には確かな人の気配がする。
今の私達は奴隷で、追われる身。
妙な緊張感を覚えながら、1番奥にある部屋へと入っていった。
〜〜〜〜〜〜
それは、今じゃずっと昔の話じゃった。
この世界に浮いた島が現れるよりずっと前の話。
この世界には大きな“陸”があった。
今よりもずっと大きく、どこまでも続いているような“陸”が。
その頃は海と“陸”が世界を半分ずつ満たしていた。
そして“亜人”という言葉は存在していなかった。
人ならざる生物。
人間に似て非なるもの。
そんな扱いをされている生き物はおらんかった。
エルフだの、獣人だの、リザードマンだのと、今とは違う呼ばれ方をしておった。
そして、それぞれが同じ地で生活しておった。
異種族同士いがみ合うことがあろうと、喧嘩することがあろうと、それが戦争にまで発展することはなく。
それぞれが同じ街、同じ建物で息をしておった。
それだけ。
本当にそれだけの話。
今とは違う、遠い過去の話。
『見るんだ……これが今の、この世界の神だ』
今は違った。
「_______________っは!!」
勢いよく身体を起こす。
気づけば儂の身体中から、汗が吹き出ておった。
「い、いかん……嫌なことを思い出しおった……」
巨影。
底知れぬ鉄紺に沈む巨大な影を思い出してしまった。
アレは何度見ても、何度思い出しても慣れない。
ゾクリと背筋を伝うような悪寒がいつだって走るのだ。
アレが動き出せば、アレが目覚めてしまえば、この世界はどうなってしまうのだろうか。
思い描いただけで、身震いしてしまう。
スーッ……スーッ……
赤子のような息遣いに視線を移す。
そこに居たのは、儂よりも少し大きいくらいの色白な少女。
儂の配下その一、マーマ・カントである。
「ん……もう、ちょっと、食べたいんだけど……むにゃ」
口をモゴモゴさせながらうわ言を呟くその姿に苦笑した。
よく見ると鍛え抜かれている二の腕から、ある種の頼もしさが感じられる。
どうりでああやって動けるワケだ。
窓から見える街の朝靄から、今がもう夜明けであることが分かる。
外は肌寒いくらいの風が吹いているのが見て取れるが、この宿の中ではそれを素肌で感じることはない。
宿をとった甲斐があったのに気づけたのは、少し幸運か。
「ふあぁ……どれ、これだけ朝早くなら少しくらい外に_______________」
軽く身体を伸ばして、外に出ようとドアに目を向けたその瞬間。
「……。」
「ん?」
ドアの前にザッドが立っていた。
強ばった表情で、こちらを見ていた。
「……?ど、どうしたんじゃ?起きていたのなら声をかけんか」
「_______________わ、我が主よ」
目を凝らしてよく見ると、ザッドの背後に何者かが立っているのが分かった。
ザッドの首元に何かを突きつけている。
いるのは1人、その何者かが分かった時にはもう遅く。
「結構、マズイ」
「……!」
ヒヤリと赤い花。
朝の寒さに凍ってしまうような赤い花が。
銀光が走ったかと思うと、ザッドの首元は真っ赤に染まったのだった。




