2-30 心中
沸き立つ歓声を背に、薄暗い通路を進む。
試合を終えたオレはニクスを背負いながら、観客席へと戻ろうとしていた。
「……げ」
「終わったか。ご苦労」
壁にもたれかかるようにして、ヨハンがそこで待っていた。
何やらシリアスなムードを漂わせている。
「アンタがオレの迎え……今日は槍でも降ってくるんスかね」
「くだらない冗談を言うな。ニクス様を渡せ。医務室まで届けておく」
「は、はあ、わざわざどうもすいません。これはご主人の判断スか?」
「私自身の判断だ。無防備な状態になってる名家の人間を、奴隷の貴様に預けるワケにはいかんのでな」
「ご立派な判断スね」
ヨハンは軽々とニクスを担ぎあげ、何事もなく歩き始めた。
しかも、わざわざオレの横に並びながら。
怖い。何を企んでるんだこの人。
「む。何をオドオドとしておる。勝者ならもっと堂々としろ」
「オドオドはしてないっス。オレに何か用スか?」
「……そうだな。ミィン様がいる前じゃ、そうそう聞けないからな」
「……?」
「貴様、何が目的だ」
目は向けず、オレへの警戒は一切緩めない。
何も信用していない調子でヨハンは続けた。
「奴隷の貴様が、己の都合でなくミィン様の都合で動くわけがない。何か目的があるはずだ」
「何のことスか」
「しらを切るな、あの竜人族のことだ。今まではエイン様に脅されているという前提があった
。だが、今回の件は違うだろう」
「オレには何か裏があって、それでプレアを取り戻すため奮闘していると?」
「そうだ。でなければ納得出来ん」
険しい表情のまま、ヨハンは歩幅を合わせてくる。
まあ、そう思うのも仕方がない。
オレとて周りに信用されるよう振舞っているのでない上、オレの“陸”での境遇はやや複雑だ。
コイツのインガウェークでの立場は知らないが、ただの奴隷をご息女様に近づけるのは気が気でないか。
ため息混じりに指輪を見せた。
「奴隷の付けてる首輪と同じ仕組みの物っス。これがあれば逆らえないって分かってますよね」
「それが尚更に信用出来んのだ。命を握られているというのに、貴様には恐れの色が全く見えない」
「……いや、キチンとビビってますけど」
「そういう人間を幾度も見てきた。貴様はそうには見えん」
全くといっていいほど信用されていない。
インガウェークに流れ着いて1ヶ月になるが、どうやら微塵も信用されていないようだ。
「さあ、話せ」
「貴様のその腹の内、今全て吐き出せ」
「はぁ……それでオレが良からぬ輩だったとして、ヨハンさんはどうするんスか」
「ミィン様には悪いが、殺すぞ。どんな手を使ってもな」
冗談ではないとハッキリと伝わってくる。
ウソでごまかすか?
いや、コイツ相手じゃすぐにバレる予感がする。
伊達に年を取っていないのか、ヨハンの洞察はそれなりに鋭いようだ。
「正直に話せば殺さないんスか」
「内容によるに決まっているだろう。仮に貴様がミィン様に恋心を抱いているのであれば……」
「万が一にもないっスね」
「死にたいのか?」
「えぇ……?いやでも、そういう情に絆されたような理由ではないっスね」
「……ほう」
「なんていうか、ある種の誓いなんスよ」
“陸”の最期の光景。
上空に現れる巨影に、突如現れた広すぎる世界を前に、オレ達は何も出来ないでいた。
崩れていく地面に吸い込まれていく村民達……マサムネやナルカもその中にいたはずだ。
それ以外に残った、状況も飲み込めないままでいる者達はこうして、奴隷となって生きている。
もう村なんてものは、この世に残っちゃいない。
そんな光景をもう見ないように、オレは。
「オレは今あるこの暮らしを、どうにかして維持する。そうすれば、オレは望むように生きられる」
「……なんだそれは」
「オレって、そんな酷い扱いでもないでしょう?オレは無事、周りも、今見えている光景も平和だと断言できます。これでいいんです」
本当に、これ以上は望んでいない。
オレの手の届く範囲が平和ならばそれでいいのだ。
例え世界中に不幸な者があふれるほどいようと、オレの見えている光景が平和なら。
その平行していく世界を乱す者がいないのなら。
「本当にそれだけか」
「え?はい、それだけっスけど」
「……なるほどな。自分の事と言えど、何もかもとはいかんワケだ」
「は?な、なんの話スか」
「いや、こちらの話だ。とりあえずだが、今はその言い分で納得しておいてやろう」
「ちょ、なんの話スかって。聞いてるんスけど」
「いいから早く来い。ミィン様の所まで戻るぞ」
急に話を濁すと、ヨハンは足早に歩いていった。
はぐらかした内容には答えてくれないまま。
だが、さっきまで向けられていた射貫くような殺気は少しばかりか和らいでいた。
並んでいた足並みも、ヨハンが随分と先を行っていた。




