1-1 獣耳の女
落ちる。落ちる。俺の体。
さっきまで住んでいた世界は遠ざかり、本当の世界が広がっていく。
空と海と浮遊する陸だけの世界。
崩れていく常識は受け止められず。
宙へと投げ出された俺は、頬を抜ける風と流れていく雲を感じるのみ。
だが、言葉を失った俺など無視して時間は進んでいった。
「!!」
察知したのは、落ちる先。
下にある浮遊する大地が俺に迫って来ていた。
高所から落ちた人間がどうなるかなど、誰にだって分かる。
「やば、どうする俺……!」
ぺしゃんこにはなりたくない。
世界がひっくり返ろうと、生への執着が乾くことはなかった。
俺は地が迫るまでの時を全て思考する時間に当てた。
今の俺に出来ること。
そんなの決まってる。
俺の今の今まで学んできたものなんてこれくらいだ。
「頼むぞ、せっかく手に入れた力なんだ!!」
念じ、唱える。
地に触れるまでのわずかな時間にピッタリの魔術を発現させた。
「_______________“空波風”!!」
前方に打ち出された突風が衝撃を生み、俺の体を上方へと押し戻す。
それでもなお、勢いは止まらない。
「っ、う、うわあああぁぁぁ!!」
視界を埋めようとする大地に絶叫しながら、何度も同じ魔術を放った。
押し戻す衝撃と落ちていく感覚の中、俺は
「あああ!!あ!あ、ぁ……」
突如気を失った。
それは魔力的なものなのか疲労的なものなのか。
ともかく、迫ってくる地面を最後に俺の視界は暗転したのだった。
〜〜〜〜〜〜
「ねえ、メネちゃん。アレなんだと思います?」
「ん?何、アレって」
「アレですよアレ!ほら上から落ちてきてるじゃないですか!」
「んー?……全然見えないわ。アンタほど目は良くないからね」
「えー!絶対見えますって……アレ?こっちの島に落ちてきてる気が」
「だから見えないって」
「もう……じゃあワタクシ見に行ってきますね!」
「あ、ちょっと!私も行くから待って!」
〜〜〜〜〜〜
「う、うう……ん?」
重々しい瞼を開いた。
モヤがかかった視界にまず見えるのは木製の天井。
目覚めた時に見るいつもの光景だ。
「……夢だった。ってわけでもないか」
だが、それはいつもの天井ではないとすぐ気づく。
匂いといい木の色といい、違和感は何となく感じ取れた。
常識は依然として崩壊したままだ。
「にしては無事だな。なんで_______________」
「あの!大丈夫ですか!」
「うおっ!」
「あっ、ビックリしましたか!ゴメンなさい!」
横にいた女は深々と頭を下げる。
雪のように白い肌に金色にきらめく長髪。
首元にチョーカーらしき物を付けた、顔の整った女だった。
「い、いや……ええと、君の名前は?」
「ワタクシですか?ワタクシはナンバー046です」
「ナ、ナンバ……?まあいいか。ここは一体どこなんだ」
「島のナンバーはC-06ですよ」
「??」
「……?」
話が通じない相手なのか。
名前と場所を聞いたのに返ってくるのは数字と記号のみ。
どうしようもない状況に戸惑っていると、なぜだか体の前面が全体的に痛みだした。
特に頭の辺り。
「痛……何だ、これ」
「ああ、まだ体が痛むのですね。もう少し体を休めた方が良いかと」
「怪我?どうして俺、頭に包帯なんか……」
「忘れたんですか?人間様が上からこの島に落ちてきたんですよ。ワタクシがこう、ギリギリで助けたんですけど少し取りこぼしてしまいまして」
「へ、へえ……」
「んん?……どうしたんです?ワタクシの胸ばかり見て。何か付いてます?」
「!!あ、いや……」
付いてます。
何とは言いませんが。
思わず引き寄せられた目線を逸らした。
「ん゛ん゛……俺はマサムネ・トキタ。アンタのことはなんて呼べばいい?確かさっきナンバー何とかとか」
「名前だったら一応、ノルン・ノランシーという名前がありますけど……」
「えぇ?なんでそっちを先に言わないんだ」
「?それは、当然じゃありません?」
「……そう、か?とりあえず、俺のことはマサムネでいい」
「ワタクシのことはノルンと、よろしければお呼び下さい」
よく分からないノルンの話に首を傾げる。
名前よりもよく分からない数字を先に?
初対面に“人間様”?
これから俺は己の中の常識から変えていかなければならないのか。
「む、んん……」
「どうしました?随分と難しい顔をしてますけど」
「いや、気にしないでくれ」
「……あ!もしかして、マサムネ様は亜人を見たことがないのでは!?」
「亜人?」
ほら、とノルンは自分の頭を指す。
見るとそこにはフサフサの毛を生やした三角の耳が2つ付いていた。
見たまま、獣の耳だった。
「この耳、マサムネ様にはありませんよね?」
「あ、ああ。これはノルンの耳なのか?」
「はい!ワタクシは獣耳族という亜人なのです!」
「亜人。すごいな……見たのは、多分初めてだ」
「……触ります?」
「ああ」
即答してノルンの獣耳に手を伸ばす。
触れた途端ピクリと身を震わせたので、ゆっくりと手を近づける。
手触りはふわふわと、それでいて温かみがあった。
「ん……どう、ですか……気持ち、いいでしょう……ぅん……」
「ああ、凄くいい……激ヤバかもしれない……」
「ふぅ……ふぅ……ん、ぁ……」
俺はこうして動物に触れることに憧れていた。
全身から毛を生やしている生き物など、村内では魔物くらいだった。
遭遇すれば即戦闘、戯れる時間などない。
触れることなんて魔術師の俺には叶わないことだった。
そんな俺が今こうして……。
「……。」
「あ、の……マサムネ、様?もう……そろ、そろ……」
「もうちょっと」
「あぅ……その、ちょっと……くすぐったい、です……」
口を手で押さえ頬を赤らめるノルン。
様子がおかしいが、俺の方がどうにかなってしまいそうだ。
16年に渡る俺のもふもふ欲は今まさに最高潮に達していた。
「もうちょっと……もうちょっとだけ……!!」
「そん、な……もう少し、優しく……ダメで、す……マサムネ様_______________!!」
ガ タ ン !!
至福の時間は、突然開けられた扉の音と共に現れた影によって終わりを迎えた。
「ノルン。どう?クソ人間は起き、た……?」
「……?!」
「ぁ……メネちゃん」
現れた女は部屋に入ると同時に視線を巡らせた。
ベッドの上で口を押さえて赤らめるノルン→触られている耳→耳を弄くり回している手→同じベッドの上でやや興奮気味の俺。
何かを察した女の表情はみるみる怒りに染まった。
「っ、ノルンに何してんのよ!!このクソ人間!!」
「待て、何か誤解」
容赦ないビンタが俺の頬を叩き飛ばした。