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31の花言葉  作者: 夏川 流美
9/32

9.スカビオサ

 ブチン、と。

 命のキレる音がした。



 グシャリ、と。

 頭が潰れる音がした。



 初めて心に芽生えた感情は

 気付けば姿を変えた。






***




「あっ」

「きゃっ」



 小さな悲鳴が重なる。薄くて華奢な女性の肩と、勢いよくぶつかってしまった。



「ちょっとぉ……」



 下から睨みつけてきた彼女の言葉を遮るように、謝罪の言葉を繰り返す。ちょっと考えごとしてて。そう言ってまた謝罪を口にすると、ぽろと涙が落ちていった。



「ちょ、私が泣かせたみたいじゃん、なんで泣くの!? ほら、こっちおいで!」



 無理やり手を引かれて連れて行かれた先は、ピークを過ぎて暇そうなファミレス。俺は顔を伏せたまま案内を受け、壁際の席で向かい合って腰を下ろす。



「すみません、こんな、つもりじゃ……」


「別に、時間あるしいいけど。それで……どうしたの。辛いなら、話聞こうか」


「ついさっき、恋人に……フラれちゃって」



 目元をわざとらしく袖で拭うと、曖昧に笑顔を浮かべた。これは僕のせいに違いないのだから。そう、諦めているように見せたくて。


 困った顔の彼女が、同情の眼差しを向けてくる。グラスの中の氷を数回回して、水をひと口含むと、苦笑して返事をくれた。



「私も、1週間前にフラれたとこ。同じだね、気持ちわかるよ」



 彼女の言葉から、俺らは止まる間もなく話が進んだ。苦しかったこと、辛かったこと、だけど大好きだったこと。そんなことをひとしきり共有し終わった頃には、外は随分と暗がりだった。



「こんな時間までごめんね、家まで送らせて」



 伝票を手に取り、立ち上がる。財布を取り出そうとする彼女の動作を、右手で制止した。


 会計を済ませ、街灯のぼんやり照らす夜道を歩いていく。その間、沈黙が流れることもあったが、彼女はとりわけ居心地悪そうにしている様子はなかった。







 出会った日から翌週の休日。彼女の自宅前で連絡先を交換したおかげで、外出に誘うことができた。見たい店があると言うから、行き先は隣県のデパート。


 彼女が見たい店は、お気に入りのブランドの服屋だった。一緒に中に入ると、いろんな服の感想を求められる。気に障らぬように答え続けていた。最終的に、2着のワンピースで迷っているようだ。



 鏡の前でうんうんと唸っていること数十分。俺にも何度も意見を求めてきたが、答えたところで決まらない。仕方ないか、と片方のワンピースを優しく奪い取った。



「そんなに悩んでるなら、一着、俺に買わせてよ」


「えっそれは悪いよ! 安いものじゃ、ないし……」


「この服、君に着てほしいんだ。だめかな?」



 頬を紅潮させ、静かに頷く彼女。もう一着も諦めきれず、それは彼女自身で買うと言うので、共にレジに並ぶ。順番に会計を行う俺らを見て、店員さんがにこやかに話しかけてきた。



「おふたりお似合いですね〜!」



 彼女が虚をつかれた顔をして、否定しようとするので、その前に笑ってお礼を言う。付き合ってない、とか言うだけ面倒。


 店を出て服を渡すと、耳まで赤く染めた彼女はおずおずと受け取る。ありがとうの声も、消え入りそうなくらいに弱々しい。


 単純で、可愛らしいものだ。


 その様子に思わず髪を撫でてやると、更に恥ずかしそうな反応をするので、つい失笑をしてしまった。



「な、なんで笑うの……!」


「いーや、可愛いなと思ってね」



 調子のいい言葉が軽々しく口から飛び出ていく。弱いんだろ、こういうの。




――俺の嘲笑う目線を、彼女は知らない。




***




 もう頃合いだろうか。


 付き合わないまま外出を幾度か繰り返した。その度に彼女に好きになってもらえるよう、努力を惜しまなかった。それは全て、俺のため……恋人のために。



 ちょっと付き合ってほしい。俺は彼女にそんなメールを送り、ビオの庭園という場所に呼び出した。和風な庭園の中に、こじんまりとしたカフェもある隠れた人気スポットだ。この時期は、ちょうど花が咲き誇っている。



 彼女は呼び出された理由も何も知らぬまま、のこのことやってきた。嬉しそうな、幸せそうな、笑顔を浮かべて。


 庭園の中をぐるりと回るように、隣同士でゆっくりと歩を進める。紅葉が彩る道筋。川のせせらぎに懐かしさを感じる。



「私さ、あんまりここに良い思い出ないんだよね」



 ぽつりと先に言葉を吐き出したのは、彼女のほうだった。なんだ、言うとは思わなかった。驚いたのも束の間、すぐに言葉を返した。




「知ってるよ。――ここで、彼氏にフラれたんだもんね」


「あれ……私、その話したんだっけ」


「……よく知ってるよ。このベンチに座っていたら、別れ話をされた。君は泣きじゃくって彼氏に縋りついた。でも、彼氏は君を突き飛ばして、置いて帰った」




 彼女は表情の色を変えた。衝撃、不安、困惑、恐怖? 突然のことに対応できていない。当然だろう。彼女の口から、こんなこと一切聞いていない。


 だけど俺は知っている。どんな会話をしていたのかも、どんな別れ方をしたのかも、どんな服装をしていたのかさえも。



「ねぇ……なんで、知ってるの……?」



「スカビオサ。この庭園に咲き誇っている、花の名前。綺麗だよね、どの子も」



 にっこり微笑んであげた。でも、彼女は肩を強張らせたまま。声が届いているかさえも微妙だ。彼女の震える指先を、俺の指先に甘く絡めて、距離を縮める。声がちゃんと、聞こえるように。



「俺は元々、花としてこの世に生まれてきた。スカビオサとして、君たちが別れたベンチのそばで育った」



「花の一生は短い。だけど、死ぬまで一緒にいよう。そんな刹那の約束を交わしてくれた最愛の彼女が、俺の隣にいた」



「お前があの日、やったこと覚えてる? 彼氏に捨てられてひとり残されたお前が、やったこと」



 何言っているのか、わからない。そんな目をして首を振られる。そうだよな、人間には信じられない話かもしれない。でも、忘れるなんてことは許さない。俺は笑顔を崩さないよう保ちながら、話を続けた。



「お前は、乱暴に引きちぎって、踏みにじったんだよ。俺の彼女を。俺の最愛の花を。ひとつの命を」



 手にぎゅっと力を込めた。俺から逃げ出そうとしているのが感じ取れたから。細い足で、徐々に後退りをしている。



「信じがたいか? でも、ひとつとして間違ってないだろ。俺が言う、あの日の出来事のこと」


「だから、逃げんなよ。俺、この日を待ち侘びてたんだ。神様がくれた人間の体で、お前に




 復讐できる日を」





 必死な形相で逃げ出そうと試みを始める彼女。だがどんなに暴れても、絶対に俺からは逃がさない。愛する花を奪われた俺の気持ちなんか分からない奴を、生かしてなんか帰さない。



 悲鳴をあげようと口を開いた彼女の首に、一瞬で手をかける。誰にも気付かせてさえやらない。悲鳴は呼吸にすらならず、飛び出そうなほどに見開いた目が酷く醜い姿だ。




 まだ、まだ、もっと、もっと、もっと。

 力を込めていく。ありったけの力を。人間なんかのか弱い力じゃない、俺の持つ怨みの全ての力を込める。




 首は、絞めるんじゃない。

 折ってやるんだ。

 同じ苦しみを、味わわせてやる。






――手の中でバキリ、と。


 復讐の果たされた音がした。




 息絶えた女をその場に落とし、込み上げた笑顔は満足から成る。



 一際、強い風が吹いた。



 俺は、もう目的のなくなった人間の姿をやめ、風に身を任せて散った。






スカビオサ

『私は全てを失った』

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