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31の花言葉  作者: 夏川 流美
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4.バーベナ

 蝉の声が、脳内を染め上げる。


 アブラゼミ。ミンミンゼミ。……ツクツクボウシは、いるだろうか。



 真夏の日差しは、道路を照らし、建物を照らし、草木を照らした。それから、僕の乗ってる車のことも。


 エンジンの止められた車内。涼しい風は勿論どこにも存在しない。窓から入ってくる太陽光を避け、隅っこで膝を抱えて、両親の入って行った建物に目を向け続ける。



『パチンコ』



 入り口そばに立てられたいくつもの旗に、そう書かれていた。他にも、難しい漢字を使っていろいろ書いてある。


 パチンコ、がなんなのか、僕には分からない。ご飯なのか、遊ぶところなのか、おもちゃなのかも分からない。だけど、お母さんもお父さんも大好きなんだってことは、よく知っていた。


 家にいるときも、パチンコの話しかしない。


 お出かけはいつも、ここに来る。


 それで、僕を置いて行っちゃう。


 つまり僕より、パチンコが好きなんだっていうのも、分かっていた。




 汗がだらだらと止まらない。背中に張り付いたシャツが気持ち悪くて、不快だ。拭っても拭っても、額から汗が落ちてくるし、時々目に入ると、すごく痛かった。



――早くもどってこないかな。



 建物から、お母さん達が出てくる様子はない。中に何があるんだろう。そんなに楽しいのなら、僕も一度でいいから行ってみたい。


 でも、連れてってとお願いしたら怒られるから、もう言わないんだ。お母さんもお父さんも、酷い剣幕で怒ってくる。ワガママは言わないって、約束もした。



 ひとりぼっちの車内は、とてもつまらない。何もすることがないし、お腹が空いても食べるものもない。暗くなるまで、待っていなきゃいけなかった。


 辺りをぐるりと見回す。青い空と、大きな白い雲。ざわざわと揺れてる細長い木。なんにも楽しくないな、って、建物にまた視線を移そうと思ったら。


 車から数歩進んだ先、草が生い茂っているところ。そこに咲いていた、鮮やかなピンクのお花に目を奪われた。



 あんなにきれいなお花、見たことない。



 僕は無意識のうちにドアを開けようとして、空振りの音でハッとなった。勝手に車から降りたら、怒られる。それを主張するかのように、左腕の痣が痛んだ。


 でも……。一目惚れしてしまったお花から、目が離せなかった。あのお花をお母さんにあげたら、喜んでくれるかもしれない。ずっと昔みたいに、ありがとう、って笑ってくれるかもしれない。



 鍵を静かに解除する。


 建物の入り口をよく観察してから、車の周りもしっかりと確認する。どこにもお母さん達の姿が見えないのを確かめて、ゆっくりとドアを開いた。



 鼓動が、今までにないほど煩く、全身に鳴り響く。心なしか息もし難く、手足は震えて力が入らない。


 バレたら、おこられる。


 圧倒的恐怖が、僕の足を竦ませる。それでも、喜んでほしいから。笑ってほしいから。褒めてほしいから。音を立てないようにドアを閉めると、意を決してお花の方へ駆け出した。



 途中でふらりと足元が揺れた。けれど無事に、お花の元に辿り着くことができた。近付いてみると、本当に綺麗で、可愛いお花だった。少しの間、見惚れてしまった僕は焦燥感に駆られ、お花の茎を折って手に入れると、車へ走って戻る。


 車内に駆け込むと、ドアをしっかり閉めて息を吐いた。周囲を見て、お母さん達はまだ戻ってきてないことに安堵した。



 手の中で強く握りしめたお花。よく見ると、小さなお花がいくつも付いて出来ていた。僕はその小さなお花に、どこか見覚えがある。


 どこだろう、どこで見たかな。頭をうんうんと悩ませて、すごくすごく悩ませて、それからやっと思い出した。


 前にお母さん達と一緒に、公園に行ったときに見た、桜だ。これは小振りの桜のお花に、そっくりだ。


 これは、喜んでくれるに違いない。特にお母さん。だってあの時、お母さんは「綺麗だね」って言って笑顔だった。



 早く戻ってきてほしくて視線を向けた建物から、誰一人出てきそうにはない。



 ぼんやりと、考える。このお花をプレゼントしたら、お母さんも、お父さんも、なかよくなるのかな。


 ぼくのこと、もうおこらなくなるのかな。


 また、前みたいに、手をつないでお出かけできるのかな。


 ……いっしょに、いたいな。








――そこで僕は朦朧としていく意識に身を任せ、

 重い目蓋に耐えきれず目を閉じて、

 だけど絶対にお花は手放さないぞ、って

 一生懸命に握りしめた。





***




「優真、おきて。ご飯できてるよ」



 目が覚めると、見慣れた天井があった。馴染みのある匂いと、空気。体を起こして辺りを確認すると、ここは紛れもなく僕の家だった。


 目を擦ると、次第に視界が明瞭になり、優しく笑うお母さんと目線が合う。お母さんが起こしてくれるなんて、何があったんだろう。


 不思議なドキドキ感に身動きが取れないでいると、お母さんの背後からお父さんが出てきて、楽しそうに僕を抱き抱えた。


 一瞬、身を竦めた僕だけど、抱っこされたまま何事もなく食卓に連れて行かれる。テーブルの上には、僕の大好きなハムエッグとウインナーが並べられていた。



 お母さんの隣に僕が座って、向かい側にお父さん。同時にいただきますをして、みんなで食べる。朝ご飯どころか、3人で食べるなんて、一体いつ振りなんだろう。どうして、急に?


 僕の気持ちなんてつゆ知らず、お母さん達はどんどん食べ進める。それを見て、僕も恐る恐るご飯を口に運ぶ。


 あったかくて、ほんのり甘いご飯。まだお米しか食べてないのに、涙が出そうなくらいに美味しくて。ハムエッグも、ウインナーも頬張るうちに、いつの間にか涙が溢れ出ていた。



「なぁに、どうして泣いてるの……!」


「おいおい、ママのご飯がそんなに美味しかったか?」



 お母さん達が慌てて僕を慰めてくれる。抱きしめてくれるお母さん。頭をわしゃわしゃと撫でてくれるお父さん。その温もりもまた、僕の涙に拍車をかけた。



 ……暫く泣き続けて、ようやく落ち着いてくると、お父さんが言った。



「早くご飯食べて、3人で公園行くぞ!」



 続けてお母さんも、にっこりと笑って言う。



「そうよ〜。だから泣くのはやめて、食べちゃいましょう」



 僕はその言葉に深く頷いて、目元を強く拭い、食事を再開した。



 ご飯と、着替えを済ませると、玄関で靴を履く。本当に、公園に行くのだろうか。いつも行くお店には、行かなくて良いのだろうか。


 置いていかれるんじゃないかと、不安な気持ちでお母さんを見上げる。お母さんは首を傾げてから、僕の右手をそっと取った。


 驚いて肩が跳ね上がったけれど、懐かしい優しさに、なんだか顔が紅潮する。


 続いて、お父さんが僕の左手をぎゅっと握った。僕は胸がいっぱいになって、泣きそうなのを必死に堪えて、3人で手を繋いだまま歩き出した。



 昔、桜を見にきた公園。辿り着くと、入り口の花壇には鮮やかなお花が隙間なく広がっていた。


 このお花は、僕がお母さんにあげようと思ってあの時摘んだのと同じだ。つい足を止めて、再びお母さんを見上げた。僕の行動に気付いて、しゃがみ込み、お花に顔を向ける。



「すごいね。とっても綺麗だね」



 お母さんが微笑んで言うと、僕の心は晴れ渡るようだった。


 そう、そうなの。このお花、すっごくきれいでしょ。お母さんにあげようと思ってたんだよ。





 ……そういえば、あの時に摘んだお花は、どうしたんだっけ。





 記憶を辿るけれど、全く覚えていない。まぁでも、今お母さんが喜んでくれてるから、いっか。



「ほら優真、こっちおいで!」



 ブランコの側で、お父さんが僕を呼ぶ。元気に返事をして、走り出した。





――お母さんもお父さんもなかよしで、ぼくもなかよし。


 ずっとずっと のぞんでいたこと。


 ずっとずっと ねがっていたこと。




 だから、


 今日は今までで いちばん しあわせだなぁ。








***








「…………XX市にあるパチンコ店の駐車場に車を止め、車内に長時間放置し、熱中症で死亡させたとして…………」






バーベナ

『家族の団らん』

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