31.バラ
月日というのは、なんてあっという間に過ぎるんだろう。幼い頃は、毎日が長くて仕方なかった気がするのに。今や、1ヶ月や1年の年月に「いつの間に」と思ってしまう。
そう、あっという間だ。私たちの関係も。
付き合って3年。結婚して1年。
結婚式の準備を始めてからも……あれよあれよというまに当日。
倦怠期で別れる寸前になったり、結婚式の打合せ中に大喧嘩して、結婚式を取りやめる話になったこともあるけれど、お互い諦めずに話し合いを重ねて、乗り越えてきた今がある。
身内は勿論、友人も上司も後輩も呼び、無事に終えた挙式。そして、みんなに見守られながら進んでいく披露宴。会場内の装飾は夫の夢だったみたいで、至る所に大量の赤いバラが飾られている。
純白のウェディングドレスを見にまとい、大好きな夫の横に居られる幸せ。それから、皆が笑って祝福してくれるこの時間に、感極まって涙を浮かべながらも、段々と閉会に向かっていくことを実感する。
さっき始まったと思った披露宴は、中座を終え、お色直し入場の時間まで進んでしまった。
天使のようなウェディングドレスとは打って変わって、会場のバラの色と同じ、夢だった真っ赤なドレス。おとぎ話のプリンセスのような、ふわふわの大ボリューム。ここだけは絶対に妥協できないと、私が一番時間とお金を割いた部分。
高揚する気分と相反して、入場への緊張が存在していた。
私が入場した後に、夫は別の出入り口から入場して。会場の中心で並んで。そして、ふたりで会場を一周して。それで、ようやく椅子に座る。そう、そんな段取り。
頭が真っ白になってしまいそうで、何度も何度も頭の中でイメージする。
「緊張してますね。大丈夫ですよ、私に着いてきてくださいね」
ずっと側に居てくれるスタッフさんが、私の面持ちを見てか、そう声をかけてくれた。幾分か心がほぐれ、肩を撫で下ろしてお礼を言う。
そうしている内にカウントダウンが始まり、開く扉。薄暗い照明の中で、いくつものキャンドルが淡い光を放っている。可愛い、とどこからか聞こえてきた声に、更に緊張がほぐれて自然と笑みが溢れた。
道を案内してくれるスタッフさんの後を、一歩一歩踏みしめるように歩く。みんなの顔を見れば、誰もが笑って拍手してくれていた。
そろそろ、夫も入場してくるはずだ。そしたら2人で並んで……。
と、また脳内でイメージして夫の入場を期待する。
しかし、予定のタイミングで夫は姿を現さなかった。
私の向かい側の扉から、同じように入場して歩いてくる手筈なのに、私が中心に着いてしまっても、夫は入場してこない。
一気に頭が白む。どうしたらいいのか、何が起こっているのか分からず、夫が出てくる筈の扉を真っ直ぐに見つめる。口角が下がり、胸に湧き出てくる焦燥感に瞳が揺れる。
なんで、と、喉から言葉が漏れ落ちそうになった、瞬間だった。
後ろから肩を叩かれ、びっくりして振り向く。そこには、待ちに待った夫の姿。
真紅のバラの大きな花束を持って、悪戯っ子の笑顔を浮かべていた。
「なんで」
と、先ほどとは違う感情からの言葉を漏らす。夫が後ろから来ることも、花束を持って来ることも、何も聞いていない。私は、知らなかった。
バラの花束の陰から、にこにこと嬉しそうな顔を見せる夫。そんな夫にマイクを手渡すスタッフさんも、心なしか悪戯っ子の笑顔をしていた。
「――僕と結婚してくれて、本当にありがとう。
僕と一緒にいたいと思ってくれて、本当にありがとう。
今日、この日、この一瞬まで。
君と過ごす一分一秒が心から大切な時間で、
どんな瞬間でも君が愛おしい。
いくら言葉にしても、何をしても、
君に愛を伝えるには足りないけれど、
ほんの僅かでもこの気持ちを形にしたくて
サプライズしちゃいました。
受け取ってくれますか?」
夫はそう言い終わると跪き、私へ花束を向ける。私は返事をしようにも、喉で言葉が詰まってしまい、かろうじて頷いて受け取った。
瞬間、会場内から溢れんばかりの拍手が巻き起こる。それをきっかけに、私の両目から涙がぼろぼろと落ちていく。
ずるい、こんなサプライズ。
結婚式でさえ不安にさせるのかと、文句のひとつも言えやしない。こんなことされたら嬉しすぎて、何もかも壊れてしまいそうだ。
あぁ、本当に、私はこの人に愛されてる。
この人に幸せにしてほしいし、
この人をこれからも幸せにしたい。
止まらない涙の中で、喜びに破顔する。
受け取ったバラの花束は、花とは思えないほど重く、私の両手いっぱいを埋め尽くす。
私の頬に手を伸ばした夫が、マイクを通さず、私だけに言葉をかけた。
「会場内のバラは900本。
この花束は99本あるんだ」
その言葉を聞いて、私はハッとした。夫がやけに会場の装飾に拘っていたのは、その時からこの演出を計画していたからだと、今ようやく判明した。
夫は花束を持つ私の手に、もう片方の自分の手を重ね、更に言葉を続ける。
「99本の花言葉は『ずっと一緒にいましょう』
999本の花言葉は……」
と、そんな夫の唇を塞いだ。
目を丸くして、ピタと動きを止める夫。会場内からは黄色い声が聞こえたが、どこか遠くに感じる。私は悪戯っ子の笑顔をお返しして、夫だけに届くように言った。
「あなたに同じことを思ってる。
だから、私に言わせて?
999本のバラの花言葉は――」
――何度生まれ変わっても、あなたを愛します。
バラ(赤)
『愛情』
99本のバラ
『ずっといっしょにいましょう』
999本のバラ
『何度生まれ変わってもあなたを愛します』




