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31の花言葉  作者: 夏川 流美
3/32

3.アネモネ

 机上に並べた物に、眉を潜める。


 鉢植えと、土と、ジョウロと、アネモネのポット苗。


 初めての試みに、胸が踊るような、踊らないような。育て方は調べたものの、いったいどうしたら良いのか分からない。



 事の発端は、ショッピングセンターで買い物ついでに、花屋を覗いたことだった。


 綺麗な花が並ぶなぁ。もう、この花の時期かぁ。なんて見ていたら、忍び寄ってきた店員さんに突然声をかけられた。


 いかんせん、花に興味などなかった私には『ここの花屋には押しの強い店員がいる』なんて情報を、知り得ているわけもなく。


 結果、見事に罠にかかってしまった。



「お姉さんお若いですね〜! 高校生? 大学生さんくらいですかぁ?」


「あ、いえ……中学2年です」


「中学生さんでしたか! とても美人なので分かりませんでしたよぉ。ところでお姉さん、お花に興味、ある感じですか?」


「あ、いや……そんなに、ない、ですけど」


「えーそうなんですかぁ! もったいない〜! そうだ、折角だしこの機会に、お花を育ててみるのはどうですかぁ?」


「あ、それは……難しそう、だし……」


「そうですねぇ。アネモネなら、初心者でも簡単に育てられて、お勧めですよ! いかがですか? お姉さんのために、必要な道具も一式揃えてお渡ししますよ?」


「…………じゃあ、買います」


「ありがとうございます〜! ではレジのほうへどうぞぉ〜!」



――こんな具合に。


 ここで断れるのなら良かったが、私にはノーと言えなかった。代わりに、買おうと思っていた本を2冊諦めることになってしまったけど。



 動画を見て必死に真似ながら、人生初めての植え付けをなんとか済ませる。ジョウロで優しく水をあげると、窓を開けて窓際に置いた。


 外から入り込んだ氷のような空気が、すぐさま肌を撫でていく。部屋の暖かさは瞬時に消えてしまい、私はひとつ溜息を落とした。


 これで合ってるのか分からないけど、多分間違っていないはず。何にせよ、買ってしまったものは育てるしかない。


 綺麗な花が無事に咲けば、友達に自慢してやろう。そう思うと同時に、身震いをした私はその場を離れた。







 さて、時間は早く、アネモネに出会ってから、1ヶ月を過ぎた。ただの草まみれだった鉢の中で、アネモネは今や花開こうとしていた。


 あれから、気温が低くないと開花しない情報を入手して、アネモネだけを外に出していた。さらに、寝る前と起きた後に毎日様子を見に行くうちに、自然と話しかけてしまうようになった。


 親にバレないように小声だけれど、その日あった出来事や、愚痴、悩みなどを聞いてもらっていた。アネモネの隣に座って空を見上げながらだったり、じっと見つめながらだったり。


 時々、柔らかく揺れてくれるのが、私の言葉に反応しているみたいで、嬉しく思えた。


 なんだか、私のたった一人の親友みたいだった。




 そして、ある日の朝。まだ学校に行く時間ではない、明け方に目が覚めた。いつもより断然早い。どうしてこの時間に目が覚めたのか。寝ぼけている私だけど、なんとなく分かっている気がした。


 目を擦りながら、真っ先に外へ足を運ぶ。すると私の予想通り……昇ったばかりの眩しい太陽の輝きを受け、アネモネは――私の親友は、綺麗に花びらを広げていた。



 大輪の、一重咲き。どこまでも真っ赤で、目を奪われる明るさと力強さ。私はしばし、そこから動くことができなかった。



「咲いてくれたんだ……。とっても、綺麗だね」



 しゃがみこんで、極力目線を合わせると、話しかける。壊れそうな薄い花びらを愛おしく思い、そっと撫でた。嬉しそうに揺れた、ような気がした。


 しかし、咲いているのは一輪だけだった。調べた情報には、たくさん咲くと書いてあったし、そもそも昨日まで、咲きそうな花はいくつもあった筈なんだけれど……。


 もしかしたら私の育て方が下手で、開花しなかったのかもしれない。その子達には、謝らなければいけないだろう。だけど今は、美しく咲いてくれた親友に、心からの感謝をして、大切にしなければ。



 私はこんな朝早くから、植木鉢を持って自室へ帰る。窓を全開にして暖かい空気を逃し、初めて家に来た時と同じように、窓際に鉢植えを置いた。


 日光はいささか当たり辛くなってしまう。けど、一切当たらないわけではないし、きっと、大丈夫。


 初めて育てた花の開花に、全身の冷えなんて感じなかった。本当は、今すぐいろんな人に自慢してまわりたいくらいに、嬉しくて、嬉しくて、幸せで。



「ねぇ、これからずっと一緒だよ」



 気付けば、そんな言葉を掛けていたのだった。







 ……私の心に、気味の悪い感情が芽生え始めている。


 そうと気付いたのは、親友が花開いてから4日程、経った頃だろうか。


 毎朝、毎晩、欠かさずに話しかけ続けていた。暖房を諦め、ずっと部屋で一緒に過ごしていた。短い命だから、離れている時間が勿体ないだけ。自他共に、そう説得していた。本当は、そんな理由じゃないんだって、薄々分かっていた。



 でも、認めたくなかった。


 誰に言っても、どうせ理解されないから。これは普通じゃないから、異常だから。持ってはいけない感情だから。叶わぬ想いだから。


 随分と引き篭るようになった、と母に咎められた。親友に話しかけているのがバレ、不気味だから止めろ、と父に怒られた。


 ついには、自分より花を優先するなんておかしい、とまで言われた。



 だけど私は何も変えなかった。側を離れることも、話しかけることも。


 ただずっと、自分の気持ちに見ないフリを突き通して、ただずっと、親友だよって言い続けていた。







 自分の気持ちと共に、見ないフリをしていた事実がある。


 親友の命は、かなり短いこと。


 私はそれを、間もなく突きつけられようとしていた。日に日に色に輝きがなくなっていくことが……花びらに力が無くなっていくことが、別れの近さを告げていた。



 だから私は、学校を休んだ。親には、体調が優れないと嘘をついて、一日中部屋に引き篭もった。


 だけどそんなの、3日目になると通用しなくて。



「あんた、本当は仮病使ってるでしょ。お母さんには分かってるんだからね!」


「いいじゃんか、放っておいてよ……」


「あんたはずっと学校休まずに行ってたから、中学校の少しくらい休んでても、お母さんは構わないのよ。でも、理由だけは正直に話してちょうだい」



 そう言われて、たじろいだ。話すべきか、否か。いくら寄り添ってくれているとはいえ、理由を正直に話したら馬鹿にされるんじゃないか。笑われるんじゃないか。


 怖い。不安で、苦しい。


 それでも、言わなければ側に居られない。


 もし言って、理解されなくて、学校に行けと言われてしまったら。そうしたら、親友を連れて家出しちゃおう。



 よし。絶対に離れないと心に誓い、意を決して口を開く。それまでの間、母は静かに待っていてくれた。



「私ね、この子が好きなの」



 窓際で外を見つめる親友を、抱え上げた。声が震える。大丈夫だよね、伝えても、大丈夫だよね。まるで親友に言い聞かせるように、心の中で何度も唱える。



「好きって……つまり、どういうことなの?」


「この子が、大好きなの。恋愛として。私、恋しちゃってるの。ずっと、離れたくないって思ってる」



 母の顔は、見られなかった。俯いて、親友だけを視界に入れる。


 何の応答もしてくれない母。やっぱり引いてるだろうか。目頭が熱くなって、心臓の音がやけに煩く聞こえてきた。



「わかってるんだよ、こんなの普通じゃないって。普通の人は、異性に恋をして、普通に恋愛をするんだって。でも、私はこの子に恋しちゃったの……嘘でも、勘違いでもないんだよ……」



 絞り出した言葉を並べる。まるで言い訳みたい。否定されるかな。怖い、怖い。怖い。





 ……強張った肩に、そっと手が置かれた。


 顔を勢いよく上げて、母と目を合わせる。私の予想とは違い、温かい眼差しで私と親友を見ていた。


 知らぬ間に、口から安堵の溜息が落ちる。柔らかく笑う母は、肩から私の頭へと手を乗せ変えた。



「なんだか素敵なことじゃない。お母さんにその気持ちは分からないけど、あんたの気持ちも、お花も、大切にしてあげなさい」



 優しい声音でそう言われ、潤んでいた目から涙がぼたぼたと溢れていった。まさか、そう言ってもらえるなんて思っていなかった。否定されるとばかり、思い込んでいたのに。


 落ちた涙が、親友の葉を滑っていく。母は困った様子で私の頭を撫で続け、泣き止むまで黙って隣に座っていてくれた。







「……だけど、もう枯れちゃうでしょう」



 泣き止んで、沈黙が流れた後だった。母は突として深刻そうに言った。


 ズキリ。胸の奥底が酷く痛む。母の言葉が、鉛のように重くのしかかってきた。


 私がどうしたって変えられない運命。


 分かってるよ。小声で吐き出すと、親友を力強く抱き締める。



 離したくない。

 離れたくない。


 別れがくるなんて、信じたくない。

 それならいっそ、このまま時間なんて止まってしまえばいい。


 それくらい、想っているのに。



 止まった筈の涙が、再びこぼれ落ちていく。食いしばった口元から、嗚咽が漏れ出していく。



 親友の花弁を微弱な力で、壊さないようにと、優しく撫でた。


 だけど親友は、くすんだ赤色の花弁を、簡単に一枚落としてしまった。


 

 頭が一瞬にして真っ白になる。胸が騒ついて、指先が震える。落ちた花弁を拾い上げ、親指で広げた。


 もう、保たない。


 分かっていたのに、本当はずっと前から分かっていたのに、突き付けられた現実が、あまりにも急に思えて。



「死んじゃ、やだよぉ……」



 親友をまた、力強く抱き締めた。情けない声しか出なかった。母は口を噤んで、隣に居てくれた。







 時刻は午前0時半。襲いかかってくる睡魔と戦いながら、私はまだ起きていた。ベッドに横になって、隣に置いた親友を見つめている。かれこれ1時間になる。


 今朝落としてしまった花弁は、左手で優しく包んだまま。




 今日、寝てしまったら。次に目を開けたときには、親友はもう、居ないような気がした。その考えで頭が一杯で、親友から目を離したくなかった。ずっと見ていれば、きっとまだ生きててくれる。そう信じてたから。



 ねぇ、私、あなたにいろんな話をしたよね。



 不思議と、脳裏に思い出が次々と流れてくる。思い出といっても、私の側でいつも話を聴いてくれたことくらいだったけど、大切な、大切な思い出。



 辛くて泣いたときも、何も言わないでずっと隣に居てくれたよね。



 何も言わないなんて当たり前だと、誰かは馬鹿にするかもしれない。でも、それがどれだけ心地良くて安心できたことか。



 朝起きたら、今日は何の話をしようかなって考えてたよ。



 いつからだったんだろう。親友に話しかけないと気が済まなくなったのは。挨拶だけじゃ物足りなくて、寂しく感じられて。気付けば、話しかけるのが毎日の楽しみになっていた。



 夜眠るとき、あなたのお陰で「明日も頑張ろう」って思えるようになったよ。



 最初は、花になんか興味なかった。店員さんに押されて、渋々買って、とりあえずの責任として育て始めただけだった。それなのに、まさか、好きになるなんて思わなかった。



 嘘でも、偽りでも、勘違いでもない。何度でも言うよ、私はあなたのことが好きだよ。



 親友は決して応えてはくれない。弱々しい姿で、じっとこちらを見下ろしている。親友以上にはなれない。この事実が、何度私の胸を締め付けたことだろう。




 だから、お願いがあるの。




 これも応えてはくれない。そうと分かっていても伝えたい。最期の話として、叶えてくれればいいのに。


 ふと意識の向いた枕は、私の涙でぐっしょりと濡れていた。あぁ、私、ここ最近で一番苦しいかもしれない。


 浅い呼吸を繰り返して、拳の中の花弁の存在と、目の前の親友の命を確認して、か細く、声を吐いた。




「死んじゃうくらいなら……私も連れていってよ」




――なんてね。


 自嘲気味に笑みを浮かべて、親友を傷付けないように気を付けながら、植木鉢を抱え込む。



 悔しさと、苦しさと、悲しさと、寂しさと。親友がいなくなってしまう恐怖と、不安と、焦りと。いろんな感情が、どこまでもぐちゃぐちゃに絡み合って、私の涙は止まる様子が無くて。




 ……知らぬうちに、私は夢の中へと落ちていった。





***





 翌朝のことだった。目覚まし時計を止め、背伸びを行い、カーテンを開け、それから娘を起こしにいった母親は気付く。


 部屋に、娘の姿が無いではないか。


 ベッドの上にも、クローゼットの中にも、机の下にも。


 トイレに起きていた父親とリビングで合流を果たすと、娘の所在を聞く。しかしリビングにも娘は居らず、起きてから見かけてもいない、と父親は答える。



 母親の顔は青ざめた。何故、突然いなくなってしまったのか。靴を見に、玄関へ駆け出す。慌てて見に来た母親は、どの履物も昨日から変わらずそこにあることに、疑問を抱いた。


 自ら出て行ったとするならば、裸足でわざわざ外へ出向くだろうかと。だが、家のどこにもいないのもまた事実。



 母親は今にも泣きそうな表情で、父親に縋った。娘が何処にもいないのよ。


 それを聞いた父親は血相を変え、怒鳴るように言いつけた。俺が外を探してくるから、お前は家で待っていなさい。



 携帯と財布、車の鍵だけを手に家を飛び出す父親。母親はその場にへたり込んでしまったが、小鹿のように震える足に鞭を打ち、もう一度、娘を探し始めた。


 風呂場、トイレ、台所、リビング、父親と母親の部屋、物置。


 だがどこにも娘の姿はない。最後に娘の部屋に入り、再び部屋中を探していた時だった。母親は、ひとつの違和感に気付く。



 ベッドの上に放置された、娘の大好きだった花。家を出ていくなら、あんなに大好きだった花をこんな場所に置いていくだろうか。…………否、違和感は、そこではない。


 母親は恐々と花に近付き、顔を寄せた。記憶が間違っていなければ。夢じゃなかったのならば。この花は、殆ど枯れていた筈だ。




 なのに今、この花は枯れる気配さえ見えない。真紅の花弁を天井に大きく開き、堂々と咲き誇っているではないか。




 花弁が一枚欠けている。これは間違いなく、娘が育てていた花である証拠だ。


 何故。いったいどうして。母親は眉根を潜めた。考えても、考えても、まともな理由は浮かんでこない。


 その中で母親を納得させたのは、常識外れで、非現実的で、まるで信じたくない理由だった。それでも、きっとこれが正解なのだろう、と思うと、母親は父親に、家に帰ってくるよう連絡をした。



 連絡を済ませた母親は、泣き崩れる。花の前で、居たであろう娘の温もりを求めるように、ベッドに顔を伏せて。


 花を引きちぎってしまいたいような怒りと悔しさと、娘が居なくなってしまった悲しさと辛さと苦しみに。




「連れていって、しまったのね…………」




 母親はその場で、延々と涙を流し続けた。






***





 少女に『親友』と呼ばれたアネモネは、何十年もその状態を保ち、咲き続けたと言われている。


 一度も枯れることなく、他の花を咲かせることもなかったらしい。



 これの真偽は定かではない。しかし少女の母親と父親が、寿命で亡くなるときも、アネモネは確かにそこにいた。


 まるで悲しむように花が揺れたと、誰かは言った。






アネモネ

『恋の苦しみ』

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