26.はなきりん
――ただ、君に触れたかったんだ。
君の声はどうにも、脳に響く。僕の頭をクラクラとさせる。それは、甘くとろけさせる媚薬のように。
早朝の鳥の囀りのように、切なく美しいその声が、君以外を考えられなくした。
君の視線は、金縛りへと導く。頭の先から足先までを、ぴしりと動かなくさせる力がある。そう、君に見つめられると動けなくなる。
奥ゆかしく光の入る潤んだ瞳に、僕の中身が吸い込まれて、君以外を考えられなくした。
君の手は、電流を走らせる。君に触れられたところが、熱い。熱い。熱くて堪らない。まるで魔法のように、びりびりと痺れて熱を帯びる。
無機質に白くて艶めかしい指先に、絡め取られて動けなくなって、君以外を考えられなくした。
――ただ、君に触れたかったんだ。
それだけなんだ。君からじゃなく、僕から、君へ。手を伸ばし、そっと触れ、ガラスを扱うように静かに愛でるだけ。
そうしたかっただけなんだ。
そう。
たった、それだけできれば。
……できれば、良かったはずなのに。
こんな、筈じゃぁ、なかった。
君が、倒れていた。
僕の目の前で。
手の中には、小さなナイフがあった。
君の首筋には、絵の具が固まっていた。
おかしいな。
思い返してみた。
呼び出したんだ。そうそう、君に想いを伝えたくて。君に触れたいと、言いたくて。
いつも僕にくれる声も、視線も、手も、僕だけのものって信じていたから。
でも、君には相手がいた。
僕じゃない、他の奴にとっくに触らせてたんだ。何もかも。君の全てを。
あんなに僕だけに囁いていたのに。
あんなに僕だけを見つめていたのに。
あんなに僕だけに触れていたのに。
全部、本気じゃなかったんだ。
だから、ああ、そうだ。
ポケットに入れていたものを手に取った。
いじめてくる奴らを、いつか殺すための折りたたみナイフ。僕のお守り。
それをつい、君に振りかざしてしまって。
満月の夜、狼の遠吠えのような寂しそうな声を君が出すから、聞きたくなくて3回振りかざした。もう、二度とそんな声を出せないように。
そうして僕たちの周りには、君の首から溢れ出た、赤いはなきりんが散った。
物音ひとつしない2人きりのこの世界で、僕は君に、そっとキスを落とした。
ただ、君に触れたかったから。
はなきりん『早くキスして』




