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31の花言葉  作者: 夏川 流美
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25.キク

 初めてのことだった。密かに想い続けていた相手が、自ら私の席に足を運び、しかも『放課後、残ってほしい』などというメモをこっそり渡して去るなんて。


 こんな奇跡みたいなこと、初めてだった。



 中学からの同級生。高校で3年間続けて同じクラスになったものの、私は端っこから彼の背中を見つめていただけだった。


 ずっとずっと想っていた。きっかけになるような出来事は無くて、ただ、同じクラスの中で楽しそうに笑うその笑顔が。体育のバスケでコート内を走るその姿が。前からずっと、誰よりも輝いて見えていただけなんだけれど。




 放課後。クラスメイトみんなの背中を見送って、私と彼だけが教室に残る。


 どうしよう、私から話しかけにいったほうがいいのかな、などと考え、ひとりで狼狽えている間に彼が声を掛けてきた。



「急にごめん。どうしても他の人に聞かれたくなくて」


「い、いいよ。それで……どうかしたの?」


「クッキーを売ってるって聞いたことがあるんだけど、それって本当?」



 うるさかった心臓が、その一言で静かになっていくのが分かった。なんだ、クッキー目的か。告白だと、ちょっとでも期待した自分が恥ずかしい。


 確かに私はクッキーをネットショップで販売している。とはいえ販売業務は全て親。私は、好きなお菓子作りと、得意なイラストを組み合わせて、花のアイシングクッキーを作っている。


 花言葉を活かした販売をしていて、バレンタインや何かの記念日などで特に売れる。本物の花と違って食べれば無くなるところに、需要があるらしい。……そんなことを友達にぽろっと話したら、知らぬ間に話が広まっていた。




「……うん、作って、売ってるよ。欲しいの?」


「うん。ネットでサイトは見たんだけれど、直接相談して買いたいと思っててさ。贈り物なんだけど、なにがいいのかな」



 贈り物、と聞いて静かになっていた心臓は、嫌な緊張感で跳ね上がった。誰に、どういう目的で、贈るもの? 知りたくなくても、無下に断りたくもない。そんなことをして、嫌われるのこそ嫌だから。



「どういう目的の贈り物かによるよ。……例えば、喧嘩してる相手に贈るならネモフィラとか、お爺ちゃん・お婆ちゃんに贈るならユウゼンギクとか……いろいろおすすめはあるんだけど……」


「そっか、そうだよな。なんか、言うの恥ずかしいんだけどさ……好きな人に、告白が成功したら渡そうと思ってて……」



 最悪な予感は大当たり。わざわざ2人きりで、しかもクッキーの相談となれば、こうなるだろうとは思っていた。好きな人の好きな人に贈るプレゼントを決めなきゃいけないなんて、ちょっと、……いや、かなり息が詰まりそう。


 でも、こんな想いがバレたらきっと、買うのは勿論、相談も無かったことにされちゃう。無理矢理、口角を上げて声のトーンも上げて、せめて、良い女の子であるように。



「いいじゃん……応援、するよ! おすすめは、これかなぁ」



 ふたりでサイトを見ながら、プレゼントのクッキーを決める。花言葉の説明もして、決まった花は赤いチューリップ。『真実の愛』という普通の花言葉だが、そこが良かったらしい。



 そうして決まったあとは、飲み込めない苦い感情を、ひたすらに噛み続けて家に帰る。


――作りたくない。


 苦しい思いをしながら作らなきゃいけない理由がどこにあるの。わざわざ、好きな人の女のためなんかに。


 作りたくない。本当に、作りたくない。こうなったら嫌がらせでホコリでも入れてやろうか。バキバキに割れたクッキーを渡してやろうか。


 ……なんて、そんなことを思っても、そうできる私はいない。仮にそうしたって、私が嫌われて終わるだけ。分かってるから、やらないから、だから、思うだけ。少しでも良く思われたくて快く引き受けたフリをしたのも、自分自身だし。



 …………あぁ、もう!



 いい加減、考えるのをやめよう。


 彼はただのお客さん。私は売るためのクッキーをいつも通り作る。それ以上でも以下でもない。






 放課後の相談以降、一度も話す機会はなく、渡す約束の日時がやってきた。他のクラスメイトが帰っていく中で、私に目配せをした彼は椅子に座ったまま動かない。


 ひとり、ふたり。教室から出ていく背中に、誰でもいいから縋りたくなる。この後、私は笑ってクッキーを渡せるだろうか。


 クッキーを渡したら、彼は好きな人に告白しに行ってしまうというのに。私はそれを、引き止めずに応援できるだろうか。



 実は、お願いされたクッキーと別に、1枚だけ違うクッキーを作ってきた。やっぱりやめようと、何度も何度も思い悩んで、決まらないまま持ってきてしまった。別包装にされたそれを、手の中で大切に握りしめる。



 ついに私達以外、誰もいなくなった教室で彼が動く。



「……持ってきてくれた?」


「うん。……もちろん」



 私は別包装のクッキーを片手で隠したまま、もう片方の手で鞄からチューリップのクッキーを取り出す。アイシングが確認できるよう、透明袋でラッピングされているので、机の上に置くと彼はすぐに反応した。



「すっげぇ、イメージ以上だ! 本当に絵が上手いんだな。勇気が貰えるよ、ありがとう!」



 素直な言葉に、はにかんだ笑顔を返す。代金を机に広げる彼。それを受け取ると同時に、隠していたもう一枚のクッキーを机に置いた。



 これは? と、素っ頓狂な顔をして彼が目を合わせる。私は崩れそうになった笑顔をなんとか保って、上擦った声で言葉を吐き出した。



「試食用。贈り物のお客さん、みんなにあげてる」



 昨日から用意していた言い訳。試食用のクッキーなんて誰にもあげたことがない。


 結局、渡すのを諦められなかった。


 あわよくば、たった数ミリでも想いが届きますように、と赤いキクのアイシングクッキーにしてしまった。


 とはいえ、



「まじで! いいの!?」



 なんて無邪気に喜んでいる姿を見ると、恐らく届くことは無いのだろう。花の名前すら考えることなく食べてしまうかもしれない。



 それでいいんだ。


 私のクッキーで喜んでくれた。その事実で、胸がいっぱいだ。片想いは、もう終わりにしよう。何年経っても進もうとしなかったのは私だ。きっと彼は、好きな人と上手くいってしまうだろうから。私はひとりで、吐いた嘘を貫き通すだけ。





「上手くいきますように。行ってらっしゃい」






キク(赤)

『あなたを愛しています』

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