24.ユウゼンギク
「すみません、生1杯!」
「あいよ! 生一丁!」
こちらの注文を店員が明るく復唱すると、ものの1分程でジョッキに注がれた生ビールが置かれた。それを一気に半分まで飲み干し、テーブルにドンっと置き直す。
「しっかしよぉ、まさかお前が海外進出だなんてなぁ、立派になったもんだなぁ」
「本当に、昔の俺からは想像がつかないよ。自分で言うのも何だけど」
「学生の頃は一緒にやんちゃしていたのに、俺は未だ平凡なサラリーマン。かたやお前は副社長として海外進出……。かー、なんだそれ! 羨ましすぎるぞ!」
残っていた生ビールを勢いよく飲み干す。
「すみません、生1杯!」
俺とは違い、梅酒をちみちみ飲み進める目の前のスーツの男は、こっちの言葉に苦笑いを向けた。
「運が良かっただけ。環境にたまたま恵まれていたんだ。俺の実力なんてどこにもないさ。大介も、平凡とは言ったって順調に出世してるじゃないか」
「まぁそりゃ、大きなトラブルもなく出世は進んでるけどよ……。友達がこれだけの大出世してるの見せられるとなぁー!」
冗談めかして言い、あっはっは、と笑う。スーツの男が、ぐびっと一口分の梅酒を飲み込んだ。店内の喧騒に相乗りするように、俺らの会話はヒートアップしていく。
学生の頃のやんちゃの話。大恋愛の末、大失恋した過去の話。もう連絡を取らなくなった友人の話。成人式の日の飲み会や、時々こうして集まっては飲み食いをしている俺ら2人の話。
「店員さん、梅酒ひとつ!」
「あいよ! 梅酒一丁!」
中には、これまでに何度か繰り返した話もあるだろう。だが、すっかり酔いの回った俺らにそんなことはどうでもよく、ただこうして2人で盛り上がっていることが心地良い。
「でもよ、これが最後になるんだろ」
会話の一瞬の隙を突いて俺は言った。まだ明言はしていなかった、が、薄々感じていた。これが、俺らの最後の飲み会になるのだろうと。
「……やっぱ、分かる?」
「そりゃ分かるわ。何年の付き合いだと思ってんだよ」
男は眉尻を下げて俺を見据えた。グラスに残っていた梅酒を全て飲み干すもんだから、俺も一緒に生ビールを飲み干した。
「すみません、生と梅酒1杯ずつ!」
「あっ、生ふたつにしてください!」
お前も生飲むの? という視線を向けた。滅多にないことに目を丸くしていると「最後だからね」と男は歯を見せた。
「日本に戻ってくる予定は?」
「今のところは無い。向こうで生涯を終えるか……そこまで考えているわけじゃあないけどね」
無い、の言葉に僅かばかりの息苦しさを感じ、グラスの取手を握りしめる。俺らの間に、押し黙る時間が初めて流れた。
男が生ビールを口に含み、今にも吐きそうな顔をして飲み込む。
「やっぱビールは不味いな」
「ばーか、お前が子供舌なだけだろ」
そんなやり取りに、お互いが頬をだらしなく緩ませて笑った。
「女々しいんだけどさ、大介にプレゼントがあるんだ。貰ってくれ」
そう言って、カバンから取り出し俺に渡してきたのは、両手くらいの紙袋だった。思いもよらぬ出来事に、俺は恐る恐る受け取って紙袋を覗く。
「いいよ、今開けて。好みじゃなかったらごめんな」
言われるがままに紙袋を開け、中に入っていた小さな黒い箱と、1枚の便箋をテーブルに並べる。男の顔とそれらを交互に見てから、俺は黒い箱を開けた。
「おま、おお、お前これ……!!」
中には、某高級ブランドの腕時計が鎮座していた。ブランドなんて一切見ない俺でさえ知っている、世界的有名なところのやつだ。飲み屋には似合わない光沢を出している。
「俺ができる限りのお礼ってこんなことしかできないからさ。遠慮なく受け取ってほしい。別に売り捌こうと閉まっておこうと構わないから」
「ばっっっかお前、こんな大層なもん売り捌くだなんてするか! ……ありがとうな、大切に使うよ」
見慣れない高級感に、心臓がばくばく言っていた。壊しそうで怖い気持ちもありながら、折角だし、と有り難く腕につける。サイズはぴったり。でも、今の格好には全くと言っていいほどそぐわない。
しかし、腕時計をつけた俺を見て嬉しそうに目を細めるもんだから、気恥ずかしいながらもこのまま付けっぱなしにすることとした。
そして、便箋にも目を通そうとすると
「て、手紙は家帰ってから読んでくれ! 流石に……ここで読まれるのは酒が入ってても恥ずかしすぎる」
と慌てふためいて止められてしまった。酒のせいか否か顔を赤くして必死に制止してくるから、その様子をツマミにビールを煽る。
「すみません、生1杯!」
その後、海外進出や最後の飲み会である話は一切触れずに、何事もなかったかのように別の話題で盛り上がった。
男は飲み会の最後まで生ビールをちみちみ飲み進め、俺はそれを馬鹿にしながら堂々とビールを飲み干していく。
あっという間だった。仕事終わりから終電までの時間は、本当に短かった。
「そろそろ解散するか」
時間を見て男が口に出す。いつもと同じ台詞。いつもと同じ時間。俺らの心情だけが、いつもと違う。
「俺が払うよ」
「いや、いつも通り割り勘でいいよ?」
「今日くらい、奢らせてくれ」
「……いいや、今日だからこそ、いつも通りにしたいんだ」
俺の申し出を、男は丁寧に断った。奢らせてほしい気持ちはあったが、そう言われては返す言葉もなかった。男の気持ちが、痛いほど分かってしまったから。
俺らは、いつも通り割り勘にして店を出た。店から数歩進んで、いつもの解散場所で顔を見合わせる。何か言いたそうにこちらを見つめる男に、拳を突き出した。
「頑張れよ」
男が肩を撫で下ろし、緊張のほぐれた顔をする。俺らは拳同士を突き合わせた。
「大介もな」
力強く頷いて答える。いつかお前より立派になってやる、などと頭に浮かんだ冗談はしまい込み、拳をおろした。
「じゃあな」
「あぁ、じゃあな」
互いに、背中を向けていつもの帰路を辿る。
名残惜しい、と思った。
無性に寂しくもあった。
言いたいことは山ほどあった。
体調に気をつけろよ。ちゃんと寝て、ちゃんと食べろよ。たまには連絡しろよ。無理するなよ。辛くなったら日本に帰ってこいよ。
それから、社長になったら俺を高月給で雇ってくれよ。……なんてな。
これらの言葉の全ては酒と共に飲み込んだ。
あいつなら大丈夫。俺らなら大丈夫。
なんたって、俺らに余計な言葉はいらない。そして、思っていても全てを言わない、それが男ってもんだ。
きっと、お前もそうだったんだろ。
――じゃあな、親友。
『大介へ
今まで長いこと、俺と友達でいてくれてありがとう。学生の頃は一緒に悪さしたり、一緒に怒られたり、無茶苦茶やったよな。
高校や大学、社会に出てお互いに新しい友達もできたけれど、それでも一番気を許せる友達は大介だったよ。大介は、俺の大親友だ。
心の底から、ありがとう。
願わくば、また飲み会やろう』
――便箋の隅には、親友らしい器用さで、一輪の花の絵と、その名前である『友禅菊』の文字が書かれていた。
ユウゼンギク(友禅菊)
『老いても元気で』




