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31の花言葉  作者: 夏川 流美
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24.ユウゼンギク



「すみません、生1杯!」


「あいよ! 生一丁!」



 こちらの注文を店員が明るく復唱すると、ものの1分程でジョッキに注がれた生ビールが置かれた。それを一気に半分まで飲み干し、テーブルにドンっと置き直す。



「しっかしよぉ、まさかお前が海外進出だなんてなぁ、立派になったもんだなぁ」


「本当に、昔の俺からは想像がつかないよ。自分で言うのも何だけど」


「学生の頃は一緒にやんちゃしていたのに、俺は未だ平凡なサラリーマン。かたやお前は副社長として海外進出……。かー、なんだそれ! 羨ましすぎるぞ!」



 残っていた生ビールを勢いよく飲み干す。



「すみません、生1杯!」



 俺とは違い、梅酒をちみちみ飲み進める目の前のスーツの男は、こっちの言葉に苦笑いを向けた。



「運が良かっただけ。環境にたまたま恵まれていたんだ。俺の実力なんてどこにもないさ。大介も、平凡とは言ったって順調に出世してるじゃないか」



「まぁそりゃ、大きなトラブルもなく出世は進んでるけどよ……。友達がこれだけの大出世してるの見せられるとなぁー!」



 冗談めかして言い、あっはっは、と笑う。スーツの男が、ぐびっと一口分の梅酒を飲み込んだ。店内の喧騒に相乗りするように、俺らの会話はヒートアップしていく。



 学生の頃のやんちゃの話。大恋愛の末、大失恋した過去の話。もう連絡を取らなくなった友人の話。成人式の日の飲み会や、時々こうして集まっては飲み食いをしている俺ら2人の話。




「店員さん、梅酒ひとつ!」


「あいよ! 梅酒一丁!」




 中には、これまでに何度か繰り返した話もあるだろう。だが、すっかり酔いの回った俺らにそんなことはどうでもよく、ただこうして2人で盛り上がっていることが心地良い。





「でもよ、これが最後になるんだろ」




 会話の一瞬の隙を突いて俺は言った。まだ明言はしていなかった、が、薄々感じていた。これが、俺らの最後の飲み会になるのだろうと。



「……やっぱ、分かる?」


「そりゃ分かるわ。何年の付き合いだと思ってんだよ」



 男は眉尻を下げて俺を見据えた。グラスに残っていた梅酒を全て飲み干すもんだから、俺も一緒に生ビールを飲み干した。



「すみません、生と梅酒1杯ずつ!」


「あっ、生ふたつにしてください!」



 お前も生飲むの? という視線を向けた。滅多にないことに目を丸くしていると「最後だからね」と男は歯を見せた。



「日本に戻ってくる予定は?」


「今のところは無い。向こうで生涯を終えるか……そこまで考えているわけじゃあないけどね」



 無い、の言葉に僅かばかりの息苦しさを感じ、グラスの取手を握りしめる。俺らの間に、押し黙る時間が初めて流れた。


 男が生ビールを口に含み、今にも吐きそうな顔をして飲み込む。



「やっぱビールは不味いな」


「ばーか、お前が子供舌なだけだろ」



 そんなやり取りに、お互いが頬をだらしなく緩ませて笑った。



「女々しいんだけどさ、大介にプレゼントがあるんだ。貰ってくれ」



 そう言って、カバンから取り出し俺に渡してきたのは、両手くらいの紙袋だった。思いもよらぬ出来事に、俺は恐る恐る受け取って紙袋を覗く。



「いいよ、今開けて。好みじゃなかったらごめんな」



 言われるがままに紙袋を開け、中に入っていた小さな黒い箱と、1枚の便箋をテーブルに並べる。男の顔とそれらを交互に見てから、俺は黒い箱を開けた。



「おま、おお、お前これ……!!」



 中には、某高級ブランドの腕時計が鎮座していた。ブランドなんて一切見ない俺でさえ知っている、世界的有名なところのやつだ。飲み屋には似合わない光沢を出している。



「俺ができる限りのお礼ってこんなことしかできないからさ。遠慮なく受け取ってほしい。別に売り捌こうと閉まっておこうと構わないから」


「ばっっっかお前、こんな大層なもん売り捌くだなんてするか! ……ありがとうな、大切に使うよ」



 見慣れない高級感に、心臓がばくばく言っていた。壊しそうで怖い気持ちもありながら、折角だし、と有り難く腕につける。サイズはぴったり。でも、今の格好には全くと言っていいほどそぐわない。


 しかし、腕時計をつけた俺を見て嬉しそうに目を細めるもんだから、気恥ずかしいながらもこのまま付けっぱなしにすることとした。


 そして、便箋にも目を通そうとすると



「て、手紙は家帰ってから読んでくれ! 流石に……ここで読まれるのは酒が入ってても恥ずかしすぎる」



 と慌てふためいて止められてしまった。酒のせいか否か顔を赤くして必死に制止してくるから、その様子をツマミにビールを煽る。



「すみません、生1杯!」



 その後、海外進出や最後の飲み会である話は一切触れずに、何事もなかったかのように別の話題で盛り上がった。



 男は飲み会の最後まで生ビールをちみちみ飲み進め、俺はそれを馬鹿にしながら堂々とビールを飲み干していく。


 あっという間だった。仕事終わりから終電までの時間は、本当に短かった。



「そろそろ解散するか」



 時間を見て男が口に出す。いつもと同じ台詞。いつもと同じ時間。俺らの心情だけが、いつもと違う。



「俺が払うよ」


「いや、いつも通り割り勘でいいよ?」


「今日くらい、奢らせてくれ」


「……いいや、今日だからこそ、いつも通りにしたいんだ」



 俺の申し出を、男は丁寧に断った。奢らせてほしい気持ちはあったが、そう言われては返す言葉もなかった。男の気持ちが、痛いほど分かってしまったから。



 俺らは、いつも通り割り勘にして店を出た。店から数歩進んで、いつもの解散場所で顔を見合わせる。何か言いたそうにこちらを見つめる男に、拳を突き出した。




「頑張れよ」




 男が肩を撫で下ろし、緊張のほぐれた顔をする。俺らは拳同士を突き合わせた。




「大介もな」




 力強く頷いて答える。いつかお前より立派になってやる、などと頭に浮かんだ冗談はしまい込み、拳をおろした。




「じゃあな」


「あぁ、じゃあな」




 互いに、背中を向けていつもの帰路を辿る。




 名残惜しい、と思った。


 無性に寂しくもあった。


 言いたいことは山ほどあった。



 体調に気をつけろよ。ちゃんと寝て、ちゃんと食べろよ。たまには連絡しろよ。無理するなよ。辛くなったら日本に帰ってこいよ。


 それから、社長になったら俺を高月給で雇ってくれよ。……なんてな。


 これらの言葉の全ては酒と共に飲み込んだ。



 あいつなら大丈夫。俺らなら大丈夫。



 なんたって、俺らに余計な言葉はいらない。そして、思っていても全てを言わない、それが男ってもんだ。



 きっと、お前もそうだったんだろ。




――じゃあな、親友。
















『大介へ



 今まで長いこと、俺と友達でいてくれてありがとう。学生の頃は一緒に悪さしたり、一緒に怒られたり、無茶苦茶やったよな。


 高校や大学、社会に出てお互いに新しい友達もできたけれど、それでも一番気を許せる友達は大介だったよ。大介は、俺の大親友だ。


 心の底から、ありがとう。


 願わくば、また飲み会やろう』




――便箋の隅には、親友らしい器用さで、一輪の花の絵と、その名前である『友禅菊』の文字が書かれていた。






ユウゼンギク(友禅菊)

『老いても元気で』

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