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31の花言葉  作者: 夏川 流美
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22.クレオメ


「夜になったら外を出歩いてはいけないよ」

と母は昔から口を酸っぱくして言ってきた。夜になると吸血鬼が外を出歩くから危険だと、そう言った。



 だけど僕には、



「やあ、こんばんは」


「やあ! おはよう!」



 吸血鬼の友達がいる。






 150も無い小柄な身長に、黒くて艶のある足元まで垂れたツインテールを揺らし、くりくりとした丸い瞳を月明かりで赤く光らせて、漆黒の羽を控えめに見せながら嬉しそうに寄ってくる女の子。笑うと吸血鬼の牙がしっかりと見える。


 僕よりもはるかに年下に見えるが、やはり吸血鬼という種族なだけあってかなり年上だ。正確な年齢を聞こうとすると「レディーに年齢を聞くのは」どうのこうのと言い始めるので聞けたことがない。少なくとも100年は生きているよと言われたことだけはある。



 そんな彼女――レイカに出会ったのは塾の帰り道。いつもより遅くなったがまだ日は出ているからと呑気に歩いていたら、視界の端になにかが映った。覗き込んだ路地裏に、レイカはいた。お店の室外機に座っていた。


 外見の幼さと、薄暗くて羽が見えなかったこともあり「どうしたの」と心配になって声をかけてしまったのが始まりだった。


 向こうからすれば、「吸血鬼に自ら話しかけてきた変な人間」だったらしく、あまりの珍しさに気に入られてしまった。吸血鬼だと気付いたときには、もう逃げられる雰囲気ではなかった。



 とはいえ、そもそも初めて出会った吸血鬼相手に逃げたいと感じたわけでもなかった。可愛い女の子という印象が強く、襲われたわけでもない。僕もレイカのことを気に入ってしまった。



 それからというもの、僕は夜になるとこっそり家を抜け出し、家の前の通りの角で待ち合わせする。お互いにお喋りしながら街をただ歩く。


 家に居ないことがバレてはまずいので、30分もあるかないかの短い時間だが、レイカはいつも楽しそうにこの時間を惜しんでくれていた。



 ある時の散歩で、知らない人の家の玄関先の花壇を指差し、「あの花の名前が知りたい」とレイカが言った。僕の家に花図鑑があるので、それを持っていく約束をして、次の時間は図鑑を見る時間になった。


 その中でレイカが指をさしたのが「クレオメ」。秘密のひととき、という花言葉が「私たちみたいだね」と言う。



 僕はレイカに恋をしていた。いつの間にか、好きだと思っていた。愛嬌のある好奇心旺盛な性格。互いの種族を関係なしに屈託無く笑う顔。名前を呼んでくれる声も、細くて小さな指先も。



 だけどそう自覚してある日突然、レイカは待ち合わせにこなくなった。




 


 僕は何か酷いことをしてしまっただろうか。もやもやした気持ちを抱えて数ヶ月経った頃、レイカのことを同じ路地裏で見かけた。


 ほっと深い安堵を感じ、いつものように声をかけると、レイカは見たこともない険しい表情を浮かべた。眉間に皺を寄せ、歯を見せた。



「近寄るな!!」



 初めて見る迫力に、僕は思わずたじろぐ。どうして、という言葉が口からこぼれ落ちる。そんなに……そんなに嫌われてしまうようなことを、僕はいつの間にやってしまったのか。



 震える指先を片方の手で宥めながら、話をさせて、と懇願する。レイカは暫く黙ったあと、表情を変えないまま「このままの距離で話せ」と答えた。


 お礼を言って、ずっと抱えていた、モヤモヤした言葉を問いかける。



「なんで、来なくなっちゃったの。僕なにか、嫌われるようなことしちゃったかな……?」


「違う。お前が良い匂いするからだ」


「良い匂い……?」


「それと!! ……私からも匂いがするからだ」


「どういうこと?」



 聞き返すと、レイカは再び黙り込んだ。眉尻を下げて、言いにくそうに口をむずむずさせている。先程とは違い、長い長い沈黙が流れた。



「……人間からの好意は、甘い匂いに感じられる。それは、堪らなく食欲を刺激してくる匂いだ。


 …………そして、人間へ好意を抱いた吸血鬼からも特有の匂いがする。その匂いは、他の吸血鬼を酷く苛立たせるような、気に障ってしょうがない匂いだ」




 それって、つまり、


 僕が、君を、




「――好きになってしまったから?」




「――そして私も、お前を好きになった」




 途端に、辺りの騒音が一斉に消えた。いや、レイカの声以外が耳に入らないと言う方が、正しいかもしれない。



 信じられない。

 まさか、レイカに好きになってもらえただなんて。



 不安が一蹴され、僕の気持ちはどんどん高揚していく。



「でも! じゃあ両思いってことだよね。嬉しいよ。両思いなら、君にいくら血を吸われたっていい!」



 レイカは僕の言葉に、目の色を変えて怒鳴り出す。



「何言ってるのかわかってるのか!? 吸血鬼に血を吸われるってことは、死ぬまで吸われるか、人間をやめるかしかないんだぞ!」



「知ってるよ、調べたことある。それでも、僕はいいよ。君になら血を吸われたって良い」



 一歩、レイカに近づく。レイカは後退りする。僕は、それよりもっと近付く。


 目の前に立ち、笑う。






「いいよ。レイカに、吸ってほしい」






 苦しそうな、辛そうな、そんなしかめっ面をして、居ても立っても居られない様子で僕の首に口を近づけた。


 だが、一瞬たりとも痛まない首筋。あれ…と思っているとレイカは急に抱きしめてきて、その温度を返す間も無く、突き放された。



 レイカは顔を背けて



「もう、夜は出歩くな」



 と言った。



 僕は引き止めようと声をかけた。去っていく背中を追いかけた。でも追いかけた背中に追いつくことはなく、ぱっと闇の中にいなくなってしまった。








 それ以降、彼女とは会えていない。夜は相変わらずこっそり抜け出して角で待ってみた。塾の帰りに路地裏に寄ってみたりもした。でも、彼女の姿を見ることはなかった。


 僕は、他人の花壇に咲いたクレオメを見るたびに思い出す。


 どうしようもないまま心の内に秘めてしまった、叶わなかったこんな恋の話を。






クレオメ

『秘密のひととき』

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