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31の花言葉  作者: 夏川 流美
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2.シラー

 数分置き。……酷いときには、数秒置きにきていた連絡が、ぱたりと途絶えた。俺が返信したのを最後に、何も連絡がない。


 あぁ、やっと分かってくれたのか。もしくは、他に慰めてくれる男でも見つけたんだろう。返信しなければいけない呪縛から、2年ぶりに解放された。久しぶりに、息ができる感覚だ。



 だけど、少しの不安が無いと言えば嘘になる。どれだけ喧嘩していても、どれだけ俺が突き放そうとも、怒涛の連絡を寄越してきたアイツが、今回に限って、いきなり既読スルーをするのか?


 精神が非常に弱く、自傷癖があることを知っている。そのことが、余計に胸をざわつかせた。



 くそ。せっかく解放されたと思ったのに。なんでアイツのことなんか心配しなきゃいけないんだ。考えないようにしても、脳裏に悪い想像がチラつく。


 壁に引っかけていた、アイツの家の合鍵に目をやった。このままなら別れることだろうし、鍵を返す名目で家に行くか。そうしたら、俺だってもう何も気にする必要は無くなるから。



 そうと決まれば、さっさと準備を済ませて車を出す。わざわざ鍵を返しにいく面倒臭さに、道中で腹が立ったりもしたが、それくらいは、と自分を説得させながら到着をした。


 溜息をひとつ吐いて、一応インターホンを押す。確かな手応えはあったが、鳴っているのかどうかは分からない。中から物音さえもしない。



 仕方ない。合鍵で玄関を開けて、足を踏み入れた。相変わらず、いくつもの靴やサンダルが散乱していた。それらを踏まないように気をつけながら、ドアを閉めると、何か鼻をつく異臭を感じられた。


 生臭い……吐き気を催す臭い。台所に放置された生ゴミのような、そうじゃないような臭い。なるべく息を吸い込まないようにして、リビングを確認するが、異臭の原因も、アイツの姿もなかった。



 じゃあ、自室にいるか、そもそも家にいないかだろうな。風呂場など、全部屋見てどこにもいなかったら、鍵を置いて帰ってしまおう。


 そう思いつつ、自室のドアを開ける。


 そこで俺の目に映ったのは、確かにアイツの姿で、それは間違いなく異臭の原因だった。



 お気に入りだと言っていた、白いフリルだったシーツが敷かれたベッド。そこでコイツは、死んでいた。



 シーツには、乾き果てた赤黒い血が、腕を中心として広く染み渡っていた。まるで寝ているように横になって、動かなかった。肌は元の色が分からないくらいに変色していて。



 それから何より、ベッドの上でコイツを囲むように、薄紫色の小さな花が並べられているのが…………なんだか、どうしようもなく、不快だ。



 自分のことを、最期まで可愛いと思ってるんだ、コイツは。こうすれば、構ってくれると思ってたんだろうな。





 あぁ。





 あぁ。





 溜息がでる。






 人が死んでるのに。彼女だった奴が死んでるのに。俺は。




 ただ、どうしようもなく、










 コイツが気持ち悪い。







『もういい。死ぬから』



 既読がつかないまま送った10件の連絡。最後にそれを送りつけた後、画面を消した。


 がじ、と親指の爪を噛む。


 寂しい。なんで返信してくれないの。いつもそうだ、カレはいつも私のことを蔑ろにする。他に女の子がいるんだ、きっと。



 暫くの間、膝を抱えて爪を噛み続けた。少しだけ気持ちが落ち着いたところで、棚の上の花瓶に目を向ける。花瓶には、一輪のドライフラワーが挿してあった。


 花の名前は『シラー』と言う。薄紫色が可愛い、小粒のユリがたくさん集まったような花。私はその花を手に取ると、ベッドの端っこに優しく添える。いつの間にか、シラーの数はベッドの上で一周する程にまで増えていた。



 可愛いなぁ。乾いた花弁を、壊さないように愛しみを持って、ゆっくりと撫でた。この子達だけが、私の気持ちを分かってくれる存在だ。ずっとずっと、大切にしてあげる。



 でも、もう花瓶が空っぽになってしまった。もっともっと、私の側にシラーが欲しい。シラーを買いに、行きつけの花屋に行くため、私は簡単な準備を済ませる。


 季節は、春と夏の狭間。じめじめとした空気と、まとわりつく暑さがある。だけど私は、半袖のワンピースではなく、長袖のパーカーに着替えた。


 カレと付き合ってから、半袖を着なくなった。カレに、腕を見せてはいけない、と怒られたことがあったから。その為に新しい洋服を何着も買う羽目になったけれど、カレに嫌われるよりも、ずっとマシだった。




――周りの人に見られている気がする。そんな居心地の悪い視線を、前後左右から感じて花屋まで辿り着いた。


 初めて見かける店員に、ドライフラワーの有無の確認をお願いした。店員は屈託のない笑顔で返事をすると、裏へと姿を消す。


 店内には他に、カップルが1組だけいた。彼女の趣味だろうか。彼女が色んな花を見ながら、楽しそうに彼氏に説明している。彼氏はそれを、鬱陶しがる様子なく聞くだけだ。



 いいな。



 心にぽつりと現れた思い。私には絶対叶わないんだろうなと思い、目を逸らしたタイミングで、スマホが通知を知らせた。


 素早く通知を確認すると、それはカレからの返信だった。待ち望んでいた返信。だけど、その内容は相変わらずで。



『どうせ死なないくせに。勝手にしなよ』



 ぎゅっ、とスマホを握りしめる。目頭が熱くなるのと同時に、心が深く痛い音を立てた。



『なんで? 私のこと好きじゃないの?』


『私なんか死んでもいいって思ってるの?』


『他に女がいるんでしょ、だから私なんかいらないんでしょ』


『知ってるんだから』



 4件の返信をしてから、すみません、と先ほどの店員を呼ぶ。慌てて戻ってきた店員は、不思議そうに首を傾げてきた。



「シラーのドライフラワー……やっぱり20本にしてもらえませんか」


「はい、かしこまりました! 在庫があるのは確認致しましたので、すぐにお持ちしますねっ」



 それだけ言うと一度裏に戻り、両手に大事そうにドライフラワーを抱えて出てきた。会計を済ませて帰路につこうとしたところで、店員がまた首を傾げて、声をかけてくる。



「お客様は、ドライフラワーでどんなものを作っていらっしゃるんですかっ?」



 突然の問いかけに、私は思わず肩を跳ね上げてしまった。何か作っているんじゃなく、ただ慰めてもらっているだけだ、なんて言えるわけがない。


 必死に思考回路を動かして「花束です」と、それだけ答えると、返答を聞く間もなく、小走りで家に帰った。




 玄関先にて長く溜息を吐く。花屋に行っただけなのに、疲れてしまった。いつもの店員なら、余計な詮索はしてこないのに。


 花束、なんて普通そうな回答ができたことに、我ながら凄いと思ってしまう。花束なんて一度も作ったこと、ないのにね。





 ……買ってきたシラーを、そっと抱き締める。



『寂しい』



 私がシラーに夢中になったのは、花屋でこの言葉を見たからだった。


 花が、寂しい?

 疑問に思って、飾られているカードをよく読むと、これはシラーの花言葉なんだと知った。



 そっか、貴方も寂しいんだね。

 私たち、一緒だね。



 そうしてシラーのドライフラワーを手に取ったのが、始まりだった。


 寂しい、と感じる度にシラーを側に置いていく。そうすることで、私の心の穴を、代わりに埋めてくれるような気がした。気休めだ、分かっていた。


 でも、私が縋れるものは、

 他に何も無かった。







 シラーを花瓶に挿して、夜を迎える。案の定、カレからの返信は来ていない。夜ご飯を食べる気にはなれなくて、昨日買ったお肉は、今晩も冷蔵庫の中のまま。


 花達を潰さないように、慎重にベッドに寝転ぶと、スマホを開く。カレからの連絡が来ないかと、待ち続ける。いつ返信が来るだろう。もしかしたら、今日はもう来ないのかも。



 考えれば考えるだけ、カレのことしか見えなくなっていく。私がもっと可愛かったら。私がもっとイイコだったら。私がもっと従順だったら。…………カレも、もっと構ってくれるのかな。



 視界がぼんやりと揺らぎ始めて、画面が暗くなってしまったのも気付かない。やっぱり、私って、ワルイコなんだなぁ。


 弱々しく、顔の横にあるシラーへ手を伸ばす。この子はそろそろ死んじゃうだろうか。確か、最初のほうに買った子だった気がする。



 ドライフラワーとはいえど短い命に、寂しさ、悲しさ、それと等しく憧れを抱いた。綺麗なままで死ねることが、羨ましい。


 ベッドに落ちていく涙に、知らぬふりを突き通していると、不意にスマホが鳴った。カレからの返信だった。袖で強く目を擦ると、すぐさま返す。



『被害妄想激しすぎ。ほんと疲れるお前』


『妄想なんかじゃないもん。本当のことでしょ? 私なんか、どうでもいいなら放っておけば?』


『どうでもいいとか、死んでもいいとか、そんなの一言も言ってないだろ』


『思ってるくせに。勝手にしなよって言ってたじゃん!』


『それはごめん、でも死んでもいいとか思ってないから』


『いいよ、嘘つかないでよ。どうせ私のこと嫌いなくせに。別れたいくせに!』



 嫌われる。そうわかっていながらも、強気な言葉が出て行ってしまう。入力しながら、涙がぼろぼろと溢れていく。嫌だ、好きだって言ってよ。寂しい思いさせてごめんねって、言ってよ。



 食いしばった唇から、嗚咽が漏れ出す。耐えきれなくなって、枕の下からカミソリを取り出した。体を起こして、腕の内側に押しつける。



 別れてほしくない、離れてほしくないよ。

 放っておかないでよ。


 ゆっくりと、カミソリを引いていく。血がぶわっと腕に広がっていく。お気に入りのシーツを汚していく。


 いつからか、こんなことに痛みは感じなくなった。でも、心だけは痛くて。カミソリで切るよりも、ずっとずっと痛くて、苦しいままだった。ワルイコな自分への罰と、この傷でカレが私を見てくれる願いを込めて、何回目かも分からない切り傷を作る。



『嘘ついてないし、別れたいと思ってもないよ。いい加減にしなよ』


『嘘だ。嘘ばっかりだ。嘘つき。嘘つき。嘘つき!!』



 このイライラも、悔しさも、悲しさも、寂しさも、苦しさも、辛さも、痛みも。今は誰に対してなのか、何のためなのか、分からない。だけど、それらの感情の行くあてがないから、自分にぶつける。



 何回も。何回も。何回も。


 押しつけて、引いて。


 でこぼこの腕を作り上げていく。




『ごめん、付き合いきれないわ』


『ほら。そうやって捨てるんじゃん。なんで? 私が悪いの?』


『いつも我慢してたけど、もう無理。お前も別れたいんだろ?』


『嘘、別れたいなんて私言ってない。やだ、捨てないでよ』







――あ。



 ちか、と視界が光った。突如として、手の力が抜けて、カミソリを落とす。意識が曖昧になってきたのに、気付かないわけじゃなかった、けど。


 切りすぎちゃった、みたい?


 ベッドに倒れ込んで、シラーを目に映す。やばい、私、ダメかも、なんて、誰にも届かない。シーツがすっかり赤く変わって、さらさらの感触は跡形もなかった。



 ねぇ、シラー。

 側にいてくれるのは、あなた達だけみたい。

 私のせい、だよね。



 スマホが、ぽこ、という音と共に、カレからの返信を告げる。助けて、死んじゃう。打ち込みたくても、そんな力が出なくって。最後の力を振り絞って、返信を目にすることが限界、だ。




『ごめん、別れよう』



 ねぇ、シラー。






 私、やっぱり、寂しい、な…………――






シラー

『寂しい』

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