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31の花言葉  作者: 夏川 流美
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18.スズラン

 そろそろ昼食を食べようか、カップラーメンで済ませてしまおうか。どこかでお弁当を買ってきてもいいけれど、買いに行くのが面倒だなぁ。



 そんなことを考える、ゴールデンウィーク真っ最中の5月1日。時間としては正午少し前。ピロン、とスマホの通知が鳴った。見ると、もう4年も同棲している彼氏からのメッセージだった。


 今日は早めに昼休憩が貰えて暇してるのだろうかと思ったが、内容はそうではなかった。



『今日の夜、ご飯食べに行こ!』



 久しぶりの外食のお誘いだった。ここ数ヶ月お互いに様々な支払いが重なっていたせいで、節約しなくちゃ、と半泣きだった彼だったが、我慢の限界がきたのだろう。


 今日の夕飯は豚平焼きにする予定だったが、彼がそう言うから『分かった』と返事をした。



『なにか食べたいものある?』



 続いて彼からメッセージが届く。夜に食べたい物……と考えても、まだ昼食すら済ませていない私の頭には、なにも思い浮かばない。


 返事を遅らせ、なんだろうなぁと考える。お腹は空いているけれど、具体的に、と言われると和でも洋でも中華でもない気がして。決めるヒントになれば、と何気なくテレビに目を向けた。


 テレビでは『ゴールデンウィークに行きたい観光地特集』が放映されていた。ちょうど紹介されていたのは各県の有名な水族館だ。


 ギラギラに輝く銀色の鱗で泳ぐ巨大なマグロ。光に合わせて大移動をするイワシの大群のショー。今の水族館は、イワシでショーなんてやるのかと感心しながら、私は浮かび上がった思いをそのままメッセージにした。



『マグロとイワシが食べたい』


『え? まって、マグロとイワシ?』


『そう。というか魚が食べたい、回転寿司に行きたい』


『回転寿司かぁ……わかった、じゃあ今晩は回転寿司にしよう!』


『やった! 帰り待ってるね!』



 そこで彼とのやり取りは終わった。マグロとイワシを見て回転寿司に行きたいなど、自分でも苦笑してしまう発想だが悪くない。そう思うと、なんだかマグロのたたきの軍艦が食べたくもなってきた。


 彼が帰ってくるまでは、まだまだ時間がある。ひとまず今は昼食をどうするか決めなければいけない、と思考を切り替えた。







 彼が帰ってきた音がした。というか、彼の車が駐車場に着いた音が聞こえた。うとうとと聞いていた音楽を止めてスマホを放り出すと、玄関まで小走りで出迎える。


 もう4年も同棲していると出迎えるタイミングもばっちりで、私が玄関に来たと同時にドアの鍵が開いた。だが、僅かに開けられたドアがそれ以上は動かない。


 こんなことは今まで一度もない。いや、何かしらの理由で出迎えられなかった時にあったのかもしれないけれど、私の知る限りでは彼はいつも、普通にドアを開けて元気良く「ただいま」と抱き付いてくるんだ。


 だから姿をいつまでも見せてこない様子に、ちょっとした不安と胸の騒めきを覚えた。靴下のまま土間に一歩下り、声をかける。



亜樹(あき)……?」



 名前を呼んでも、様子は変わらない。また一歩、もう一歩と進み、開けようと慎重にドアノブに手を置いた。その時だった。




 前触れも無しに、突然思い切り開け放たれるドア。小さく悲鳴をあげて一瞬で手を引いた私の目に映るのは、紛れもない彼の姿。


 そして

 彼の胸元で抱えられた白い花束。




「えっ、なになになに! びっくりした、なに!?」



 驚き慌てふためく私に、彼は仕事の鞄を足元に置くとそのまま跪いた。優しい微笑みで、でも真剣な面持ちで私に花束を差し出す。




「泣かせちゃったり、怒らせちゃったり、不安にさせちゃったり、いろいろあったけれど、それでも離れないでいてくれてありがとう。これは、俺からの感謝の気持ちです」




 改まって言われると、なんだか緊張してしまう。突然のことに戸惑うことしかできていないが、恐る恐る手を出してそっと花束を受け取る。


 持った瞬間に、清潔感のある爽やかな香りが一気に香ってきた。花は全て見たことのある、まあるい鈴の形をしたスズランだ。こんな可愛い花束を貰ってしまってもいいのだろうか。


 じわじわと抑えきれない喜びが胸を満たしていく最中で、彼はひとつ笑みを見せ、ポケットからまだ何か取り出した。


 それを――その小箱を、跪いたまま私に向かって開いた。息を吐いて、それから一言。







「結婚、してくれますか?」







 小さなダイヤが飾られた、華奢な指輪が箱の中から現れる。彼の言葉は確実に耳に入ったのに、なぜだか理解が追いつかない。一気に数百の話を聞いているみたいな、出来事の詰め込まれ方に、なにも追いつけていない。



 目からどばっと涙から溢れてきた。


 わかる。私、今なんにも分からないけど、なんにも分からないのに、わかる。私は今、すっごくすっごく嬉しいんだっていうこと。


 思わず声が抑えきれないくらい泣いちゃう程、大きな嬉しいって感情が生まれたんだっていうこと。




「泣かないでよー、まだ返事聞いてないよー?」




 笑いながら私を抱き締め、頭をゆっくり撫でてくれる彼。私は声で返事をする代わりに何度も何度も頷いた。肩で涙を拭いているんじゃないかと勘違いされてもよかった。それでもいいから、抱き締められたまま何度でも頷いた。




 どのくらいの時間が経ったかは分からない。号哭がようやく落ち着いてきて、目を見て話せるようになった。スズランの花束をしっかり抱えると、彼の正面に立ち直す。


 よく見たら、朝仕事に送り出したときとネクタイが違うことにそこで気が付いた。黒と赤のストライプのネクタイ。それは彼が私に告白してきた時にも着けていたネクタイだった。


 すぐそうやって格好つけるんだから……なんて、そんなところも大好きだった。


 唾を飲み込んで、ついでにまだ溢れそうな涙も飲み込んだ。今度は、私がちゃんと返事をする番だ。






「……はい。ずっとずっと、よろしくお願いします」






 なんとか詰まることなく言い切ると、彼が私の左手を取り、ゆっくりと指輪を嵌めてくれた。また感極まって泣きそうになる私だったが、必死に目元を拭って最小限に留める。



「ほら、お寿司食べに行こ?」




 未だ感情が昂っている私だったが、その言葉に強く頷く。花束は一旦机の上に置いて、崩れに崩れたメイクは諦めて全部落とした。



「明日にでも、めっちゃ良いところの美味しいもの食べに行こうね?」



 私の顔を覗き込むように彼は言う。本当は、今日という日のお祝いに、最低限でも焼肉あたりに行こうと考えていたらしい。けれど私の食べたいものがマグロとイワシときたものだから、それはそれは困ったと。



「じゃあ明日は目一杯おしゃれするね」





 今日という日が、人生でとても大事な幸せな日になった。彼という人が、もっと深く愛おしく、大好きになった。


 そんな想いを、繋いだ手に込めて。






スズラン

『幸福の訪れ』

イギリスやフランスでは5月1日にスズランの花束を贈る習慣があり、贈られた人は幸福に成ると言われている

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