16.ネリネ
私の友達。肩くらいまでの髪は艶があってさらさら。目はぱっちり大きくて長くて濃い睫毛が目立つ。頬が少し、なんというか、ぽってりしていて可愛い。
確か、今月で3年の付き合いになる筈だ。それなりの期間になるんだなぁと、改めてしみじみ考える。
ただ――月の綺麗な冷たい夜風の今日。私は、大切な事を伝えに会いに来た。それだけのために、待ち合わせをした。
「大切な話があるの」
話を切り出すと、不安げな上目遣いで私を見る彼女がぎこちなく頷く。そんな目をしないで、と、話を逸らしたくなる気持ちに蓋をした。
「病気が見つかったんだって」
途端、彼女は黒目を小さくさせ肩を強張らせた。そんな反応をするだろう、そんな反応をしてくれるだろうと、予想はついていた。この子は必ず、真剣に受け止めてくれる。そう信じていたから、話にきた。
「化学療法でひとまず治せるらしい。でも、早くても1年。長いと3年くらいかかる。その間、私は入院しなきゃいけなくて」
治せる。そう聞いて安堵したのか、か細い息を吐く音が聞こえた。それでも尚、目に涙を浮かべ心配そうに私の顔色を伺う様子の彼女に、居心地の良さを……変わらぬ安心感を胸に抱く。
「入院は明後日から。本当は今日からだったんだけど、明後日にしてもらったの。まだあなたに、ちゃんと伝えてなかったから」
「……そ、か。しばらく会えなくなっちゃう、のか」
「うん。……ごめん」
「謝ることないよ、むしろわざわざ教えてくれて嬉しい。入院して、ちゃんと治そう。治せる病気なんだからさ」
伝えにきたことが悪いとか、病気になったことが悪いとか、そういうのじゃないと分かっていても、私は酷く重い罪悪感に苛まれた。
味方してくれている彼女の声が、寂しそうに掠れているから、目が見られなくて。靴先に視線を落として石ころを足裏で転がした。
「さよならに、ならないよね。
また、会えるよね?」
私は俯いたまま、問いかけた。
1年も会えなかったら、彼女が消えてしまう気がした。もう二度と会えない気がした。きっと彼女はここに居てくれると思う。それでも、恐怖が拭えなくて。
彼女は、答えなかった。
「また明日、会ってくれる?」
この問いには、彼女は答えた。短く、うん、と一言だけ。
「じゃあ」
「また明日、ね」
ようやく目線を交えた先には、私以上に怖がっている彼女がいた。目が覚めるような思いだった。あなたは優しいから、こんなにも怖がってくれている。そうと知って、僅かに気を取り直した。
明日、彼女のためにプレゼントを送ろう。
私が戻るまで彼女の希望になるような、そんなプレゼントを。
***
翌日の月は、雲に隠れていた。薄暗い中で彼女と合流する。会話はとても淡々としていて、お互いがお互いの顔色を伺っているような状況だった。何を話せば良いのか分からない。けど、今は静けさが怖い。きっと彼女も、同じことを思っていた。
私は、後ろ手に持っていた花を、プレゼントとして差し出した。まんまるく見開いた目で驚きのリアクションをしてくれた。それから、堪えきれない様子で顔を綻ばせる。
細い指筋を伸ばし、慈しむように撫でるフリをする彼女。そっと隣に置くと、ありがとう、と満面の笑みでお礼をされた。
「ありがとう。これ可愛いね、なんのお花?」
「ネリネ。あなたが寂しくないように選んだのよ」
「それはもっと嬉しい!」
先程までとは打って変わって、にこにこと笑顔を溢してくれることに、ほっとした。あぁ、喜んでくれて良かったぁと、胸が温かくなる。雲の向こう側で光輝く月に目を向け、話しかけた。
「病気が判明してから、ずっと考えてたことがあるの。もし……死んじゃったら、どうしようって」
「治るってお医者さんも言ってるけど、怖くて怖くて、堪らなくて。万が一、治らなかったら私は、死んじゃうのかなって」
頬に涙が伝う。家族には言えなかった不安を言葉にしてみると、自分が病気なんだという現実を認識させられる。
治るけど、治さなかったら死ぬ。お医者さんも家族のみんなも、大丈夫だって言うけれど、結局死ぬ可能性はあるんだ。病気だから。私は、病気になっちゃったから。
「ねぇ、もしも」
夜の闇に吸い込まれそうになりながら、話を続けた。寒さなんて感じていないのに、声が震えて、詰まった。
「もしも私が死んじゃっても、また会ってくれる? ……探しに来てくれる?」
彼女は、ううん、と答えた。首を横に振ったほうの答えだった。
▽
私の友達。突き放したように思えても、本当は私のことしか考えてない。優しすぎるくらい優しくて、3年もずっと仲良くできたのに、どうして出会ったのが遅かったのだろうと悔しくなる。
私の友達――彼女は幽霊。
出会ったその日には、もう死んでいた。
△
「必ず病気を治して、生きてまた会いにきて。絶対に、絶対に私と同じにならないで」
彼女は力強い声でそう言いながら、私の両手を取る。――――否、取るように、手を重ねた。感じるわけない手の温もりを感じて、彼女の優しさに目の奥が熱くなるのを感じて、散々号哭した。
そして最後、
「じゃあ」
「また、ね」
私の声に、彼女は答えなかった。
ネリネ
『また会う日を楽しみに』




