1.ラベンダー
ねぇ、知ってた?
今日、7回目の結婚記念日なんだよ。早いなぁ……初デートとか、プロポーズされた日とか、なんだかもう、遠い過去って感じする。
あ、でもでも、告白された時のこととか、プロポーズの言葉とか、ちゃーんと覚えてるからね。そこは安心してくれていいよっ!
だけど、思い返してみると……やっぱり懐かしい。私たちが出会ったのは、高校生の時だったよね。
お互い、名前も知らぬ中学校から来たクラスメイトで、一緒に生徒会に立候補して。クラス内での関わりは全く無かったのに……何故だか、生徒会室に行くとよく喋ってくれた。
なんでだろうなぁ、ってずっとずっと疑問だったの。そのまま大人になって、ようやく理由を聞いたら「女子に話しかけているのを、友達に見られるのが恥ずかしかった」なんて言ったんだっけ。思春期らしい理由だったんだぁって、思わず笑っちゃったんだよね。
あと忘れられないのが、初デートかな!
私が、貴方しか見えなくなった出来事のあった日。……うーん、もしかしたらこれ、言ってなかったかも。
あの日、私が遊園地行きたいって言って連れてってもらったのに、行く途中に突然降り出した雨で何も出来なかったんだよね。アトラクションも、殆どが休止に変わっちゃって。
他に何も考えてなかったし、貴方に迷惑かけちゃってる事実がすごく苦しくて。降り止む様子のない雨を見つめたまま、頭が真っ白だったの。どうしよう、どうしよう、って焦って、とても不安だった。
貴方が隣で、スマホに夢中なのを知ったときは「つまらないよね、怒ってるよね」と思って、いよいよ泣きそうにもなった。どうにかしなきゃいけないのに、どうしたら取り返せるか、何ひとつとして思い浮かばないのが悔しかった。
そしたら、貴方がさ。
「ねぇ、ここ行きたい! 今から行かない?」
って、にこにことした笑顔でスマホの画面を見せてくれて。スマホの画面には、イルカショーが有名な水族館の写真が表示されてたいた。
絶対に怒らせてるものだと思ってたから、提案に答える前に私、怒ってないの? って聞いたよね。貴方は私の気持ちを見透かしたみたいに、優しい笑みを浮かべて答えてくれた。
「好きな人と一緒に出掛けられることが嬉しくて、幸せなんだよ。怒るわけないでしょ?
……だから、君もそんな泣きそうな顔しないで。遊園地は、次行こうね」
その言葉に私が大泣きしたの、覚えてる?
なんて優しくて、かっこよくて、素敵な人なんだろう。そう思いながら、私はあまりの安心感に涙が止まらなかったんだ。ぎょっとした表情で、慌ててハンカチを取り出す貴方の姿は、今思い返すと、ちょっと面白いかも。
それで行った水族館は心の底から楽しかったし、1日を通して大切な思い出になったよ。
あとは、そうだなぁ。プロポーズされた日のくすぐったい雰囲気とか。今でも結構好きなんだ。
貴方は朝からちょっとだけ雰囲気が違ったよね。妙に目が合うと思えば、すぐに視線を逸らしてくるから……今日のメイク好きじゃないのかなって、トイレ行くたびに鏡と睨めっこしてたよ。
そんな調子で夜を迎えた。高級そうなレストランを貴方が予約したと聞いて、私は不思議と胸の高鳴りを感じたの。レストランに対してもそうだけど「もしかしてプロポーズ?」なんて思っちゃって。
いつもより時間の流れがのんびりに思えて、ぎこちなく料理に手をつける貴方が微笑ましくて。この時間が、この空間が、いつまでも続けばいいのに。そう思ってた。
料理を食べ終えた貴方は、ナイフとフォークを静かに置いて、私を見据えた。何か喋るわけでなく、慈しむような瞳で、私が食べ終わるのを待っててくれた。
そして、私もナイフとフォークを揃えて、一息ついたとき。貴方は笑顔なのか怒ってるのか、よく分からない固い表情で言ってくれた。
「今日まで恋人として、僕の隣にいてくれてありがとう」
最初の一言。私、これ聞いたとき、一気に胸の奥が冷える感覚がしたんだ。あれ、まさか、別れを告げられるのかなって。ちょっと怖かったよ。
でも、続きの言葉を聞いて、安心した。
「どうかこれからも…………ずっとずっと、隣にいて、くれませんか。
――結婚してください」
言い終わると同時に差し出された、指輪。その瞬間、全身を駆け巡った幸福感と喜びに、私この時も、泣いちゃったんだっけ。
涙ながらに、はい、って返事したら、周りのお客さんとか、店員さんがみんな拍手してくれて。貴方らしい、素敵なプロポーズだったよ。本当に幸せだった。これも、絶対に忘れないからね。
……さて。じゃあ、そろそろ帰ろうかな。あんまり長居すると熱中症になっちゃうかもしれないし、私は明日も仕事だし。
あ、そうだ。忘れるところだった。
これ、置いていくね。……特に意味はないよ。綺麗だったから、つい、買っちゃっただけで……。……うん、気にしないで?
それじゃあ、ばいばい。お盆になったら、また来るからね。
*
蝉の声が、彼女を現実へと引き摺り戻した。透き通る青い空と、雄大な白い雲。乾いた夏の匂いが、鼻腔をくすぐる。
名残惜しそうに……何かを訴えるように、一度だけ振り向くと、彼女は頬を伝う汗を拭い、他に誰もいない墓場を去って行く。
無人となった墓場。そこには、ひとつの墓前に添えられた、一輪のラベンダーだけが、寂しげに残されていた。
ラベンダー
『沈黙』『私に答えてください』