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これは正しい婚約破棄  作者: 冬瀬
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朝会



ダンスを終えるや否や、源一郎にいとまを告げてすぐ屋敷を出た千影と壱成。

朝会の会場はカーテンが締め切られていたので、外に出てみるとまだ明るくて、千影は少なからず困惑した。

活動時間が余っているのは心が滅入る。今が夜なら帰って、風呂に入って寝るだけだったのに残念だ。

行きと同じく風間が運転する車に乗ると、気まずい沈黙が訪れる前に千影は口を開く。


「今日は楽しかったです。ドレスなどの準備に、ダンスのお相手まで、ありがとうございました」


ひっきりなしに自己紹介をされるという、最悪な場に連れて行かれたが、辛うじて感謝を伝えることを忘れなかった。

その隣で壱成はタイを外し、ワイシャツのボタンを開ける。

その動作が妙に目につくのは、言わずもがなこの男の美貌のせいだ。


「必要だっただけだ」


壱成はそれだけ言うと、怠そうに目を閉じる。ああいう場は、好きではないらしい。

息をひとつ吐いて、目を開いた彼は、ちらりと千影を見る。


「あれだけ声をかけられて笑っていられるのには、感心した」


(嫌味か……?)


見ていたなら婚約者として、契約者として、手を貸してくれてもよかったのでは? と心の中ではベラベラ不満が述べられる。


「皆さん、塚田に興味がおありのようで。今後ともお世話になりますから、無下にはできませんよ」


当たり障りのない解答だっただろう。

千影は苦笑した。


「一気に来られたら、覚えきれないだろう?」


「そんなことはありませんよ。一度ご挨拶してくださった方を忘れるわけにはいきません」


あれくらい秘密文書を暗記して盗んでくるのと比べれば、どうってことない。


「全員覚えていると?」


前を向いていた壱成が、うがった目で千影を見た。


「もちろんです」


そんなに馬鹿にしなくても、一介の令嬢として人の名前と顔くらい一度で覚えられる。

ムッとしたことを顔に出せば、壱成が少しの沈黙の後口を開く。


「燕尾服にステッキを持った、黒縁の眼鏡をかけた四十代くらいの男性は」


「少しふくよかな方であれば、榛名才蔵さま。身長が壱成さまより高い方のことであれば、篠宮梅吉さまです」


見事に言い当てられて、ぐうの音も出ない。


「違いましたか?」

「いや。あっている」


壱成は千影の思わぬ特技に、面食らった。

それも、彼女はそれが普通のことだと思っている様子。


「記憶力がいいんだな」


「そうでしょうか? 私の知っている人には、もっとものを覚えられる方がいましたが」


それは照子のことだったりする。

照子は瞬間記憶が得意だったので、祓い人としての能力者ではなかったが、若いころは暗部で重宝されていたのだ。


「……それは、会ってみたいな」


これだけの理由で、照子を塚田の屋敷から引っ張り出すことは難しい。

まだまだ照子との二人暮らしまで、先は長そうだ。



静かになった車内で、千影は俯いてただ膝の上に乗せた手を見つめる。

壱成と踊ったときに握られていた感覚がまだ残っていた。


(大きな手だった……。肩の筋肉もしっかりしていたし、相当鍛えてるな)


踊っているときの壱成は、まるでやりたくない仕事に耐えるようで、ひとつも笑わなかった。

誘ったのは彼の方なので、少しくらい演技して欲しかったが、いくら微笑みかけても壱成の表情はブレなかった。


(頭が硬い人なのか?)


喜怒哀楽の表現は、ちゃんとした方がいい。その方が人間らしさが出る。

千影だって、副交感神経を働かせてリラックスするために、一ヶ月に一回は涙を流すようにしている。

それはそれで、おかしいことなのだが、彼女は気がついていない。


(そんなことばかりしているから、疲れが溜まるんだよ)


目を瞑って腕を組んでいる壱成を盗み見た。

五感が敏感な千影だから、彼が熱を出していることに気がついていた。

熱を出されて屋敷にいられると、彼の書斎を漁ったりなど怪しい行動はできないし、一応先日助けてもらった借りがある。


(丁度いいか……)


あることを思いつき、千影は行動に出ることにする。


「風間さん、そこを左に曲がった薬屋に寄りたいのですが」

「わかりました」


薬屋に寄りたいと言ったからか、風間も思いの外すんなり承諾してハンドルを回してくれた。


「すみません。すぐに戻ります」


店の前に車をつけてくれたので、ドレスを着ていたがあまり気にしないで外に出る。

買う薬の名前はわかっているので、そう時間はかからない。

薬と水も買って、車の外で待機していた風間にドアを開けてもらい、中に入る。


「どうぞ」


壱成は首だけ動かして千影をみた。


「解熱剤です」


さも当たり前のように言われて、壱成は眉をしかめる。


「なぜ?」


確かに体調が悪かったが、誰にも悟られていないと思っていた。


「私は医者の娘ですよ?」


そう言われては、何も返せる言葉が見つからない。

壱成は大人しく蓋のあいた瓶を受け取る。

千影は袋から薬を取り出して、彼に渡した。


「帰ったら大事をとって、すぐに寝ることをお勧めします」


八歳の時に熱を出して監督責任として照子が罰せられて以来、ヤブ医者の実験でしか体調を崩していない千影にとって、体調管理は基本中の基本。

自分のことくらい自分で管理しろと思うが、病人を虐める趣味はない。


「……やることがある」


素直に薬を飲んだ壱成は、言い訳混じりにそう答えた。


「そうですか」


千影は気持ちがいいくらいはっきり返事をした。

虐める趣味はないが、助言を聞かない奴に、それ以上構うこともしない。

薬を飲ませたし、早く体を休めるようにと伝えた。これ以上壱成にすることは何もない。


切り捨てたような千影の物言いが、壱成も気にかかったようだ。

横目に彼女を見る。

千影は車窓を眺めて、くつろいでいるようにみえる。

自分の体調について、これ以上首を突っ込んでこないようだった。

いつかの婚約で体調を崩してしまったときは、それはそれは心配されて、付きっきりで看病されたことがある。

どうして婚約破棄する相手に、面倒をみられなくてはいけないのかと苛ついたものだ。


(日曜日は、悪霊が比較的増える……。祓いに行こうと思っていたが、榎本に頼むか)


千影の素直な返事に、毒気をぬかれた。

冷静に考えてみれば、ここで無理をするのは得策ではない。

悪霊祓いだけなら、部下に頼めばいいのだ。

悪霊は人間の負のエネルギーで生まれてくるので、休みが明けて仕事が始まってしまう日曜日には、数が増える。

夜の巡回は特殊部隊の一番の仕事だ。

部下も等級のある祓い人。任せておいて問題ないだろう。


(明日は、吾妻と会う予定があるからな)


顔なじみの新聞記者を思い浮かべて、壱成は今夜の祓いを辞めた。





屋敷に着くと、千影はドレスから着物に着替える。ヒールのある靴は音も出るし、疲れる。


「いかがでしたか、朝会は?」


「楽しかったですよ。たくさんの方とお話しすることができました」


「それは良かったです」


琴吹に茶を淹れてもらい、ほっと一息つく。

暖かい春の日差しが窓から部屋にあふれるのを眺めて目を細めた。


(……何を渡していたんだか)


千影は壱成が源一郎に紙を渡していたことに気がついていた。

わざわざあんな形でやり取りするとは、何かを隠しているに違いない。

隠すとなると、“何” から隠しているのかが重要になってくる。

もちろん何が書かれているかも気になるところだが、回収は難しい。


(弱味を握れるか?)


調べてみる価値はある。

壱成を操ることができれば、九ヶ月もここに縛られる必要はない。


うまい具合に、あの薬屋に寄ることができたので、依頼はしてある。


(穂高に顔は知られてしまったが、あいつも馬鹿じゃない。裏切ることはしないはずだ)


先ほど解熱剤を買った「薬屋 穂高」は、千影として真環郡に来る時に個人的に情報のやり取りをしている場所だ。

店主の穂高紀夫は、裏では有名なやり手の情報屋である。

いつもは顔を隠して裏口に回って、交渉場に行くのだが、少々強引に正面突破させてもらった。

真香の姿で軽く脅したので、ものすごく驚いた顔をされたが、影のときに使っている合言葉を言えば疑いつつも依頼を受けてくれた。

穂高には任務途中で得た情報を売ってやっていたので、贔屓にしてもらっている。


「壱成さまは、お部屋でお休みなさることにしたそうです。夕食はおひとりになられるかと思います」


基本的に予定が合えば、一緒に食事をしている千影と壱成。

どうやら、壱成は忠告を受け入れて休むことにしたらしい。

千影は湯呑みを置いて、琴吹に言う。


「わかりました。水分をたくさん摂るようにしてあげてください。できれば、ただの水ではなく食塩とレモンの絞り汁に砂糖か蜂蜜を加えたものが好ましいです」


「かしこまりました。伝えておきます」


壱成には今日中に体調を治して、元気よく仕事に行ってもらいたい。

千影はエールを送った。




「失礼いたします」


風間はトレーに千影から指示をもらった飲み物を乗せて主人の部屋の扉を叩く。

中に入れば、入浴を終えて寝間着に着替えた壱成が、ソファに腰掛けていた。

頬が赤いのは風呂上がりと、熱のせいだろう。


「真香さまから、差し入れでございます」

「差し入れ?」


風間は頷く。


「真香さまの伝言通りに作らせましたので。普通の水より、熱で汗がでる今はこちらのほうが良いと」


塚田真香は医者の娘ではあるが、彼女自身が医者であるとの情報はない。

しかし、今日の様子をみたところ、医学の心得は多少あるようだ。

彼はグラスを持って、それを飲み干す。

契約したからか、真香は今までの婚約者と比べて接しやすい。彼女も適度な距離を保ってくれているとも取れる。


「もう寝るが、明日はいつも通り起こしてくれ」

「かしこまりました」


壱成は明日に備えてベッドに潜る。

身体は正直で、目を閉じればすぐに眠りにつくのだった。










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