朝会
朝会当日。
千影は部屋で軽食だけ食べて、すぐに支度に取り掛かった。
朝からめかしこんで、シンプルではあるがレースが品良く使われた薄桃色のドレスを着て準備は完了。紺色のドレスが良かったが、真香の好きな色を選んだ。
「お綺麗です。真香さま」
「ありがとうございます」
琴吹に褒められて、千影は微笑む。
これくらい男装に比べれば楽なものだ。
ヒールの高い靴だって、お手の物。
「おはようございます。壱成さま」
壱成が待つ部屋に入れば、彼はかっちりタキシードを身にまとい、髪も後ろに撫で付けている。
(……軍服のほうが似合うな)
タキシードが似合ってない訳ではないが、千影の好みでは軍服を着た壱成のほうがよかった。
「お似合いです。かっこいいですね」
一応世辞の文句を言っておく。
壱成はじっと千影を見てから、一言。
「君も似合っている」
なるほど。そのくらいの事は彼にも言えるらしい。
「ありがとうございます」
千影は素直に受け取った。
正太郎と芙美子が溺愛する真香と同じ顔だ。そこまで顔が悪くないし、どちらかといえば整っているはずだ。
名乗らずとも、どこかしらの令嬢には十分見えているだろう。
壱成にエスコートされて風間が運転する車に乗り、盛岡の屋敷へ。
表と裏の世界で権力をもつ盛岡家の住まいは、城と形容すべき佇まいだった。
会場中にはすでに人が集まっており、壱成の隣を歩く千影にも視線が注がれた。
(……婚約破棄の常連が女を連れてるのに加えて、それが塚田となれば視線を集めるのは仕方ないことか)
最初から目立ってしまったが、考えてみれば必然的にそうなることは決まっていた。
諦めて、千影は背筋を伸ばす。
少しでも見栄は張ったほうがいい。
「盛岡さんのところに挨拶に行く」
千影は朝会の主催者である盛岡源一郎と対面する。盛岡家の能力は、人を見極めることができるという。
これは一か八かの勝負でもあった。
壱成に言われた以上、盛岡と会うことは避けられない。
それに彼には自分がどんな風に見えるのか、千影には興味がある。
会場の奥へ奥へと進み、ついに壱成の足が止まった。
「ご招待、ありがとうございます。源一郎さん」
「ああ、壱成くん。よく来たね。それに塚田のお嬢さんも」
源一郎の黒い瞳に、紫色がちらりと見えた気がした。
「塚田真香です。本日は私までお招きいただき、ありがとうございます」
千影が挨拶する様子を、源一郎は見入る。
何の反応も得られず、千影はこてんと首を横にした。
「いかがされましたか?」
「ごめんなさい、この人、初めて会う人にはいつもこうなの」
源一郎の横にいた妻の洋子が顔を出す。
「妻の洋子です。今日は楽しんでいってくださいね」
「はい。お気遣いありがとうございます」
千影が洋子に感謝の言葉を伝えると、源一郎が大きくひとつ瞬きする。
「ごめんね、つい見入ってしまった。塚田さんが壱成くんと似たオーラをしていて驚いた。ふたりは相性がいいのかもしれないね」
「オーラですか?」
「ああ。盛岡の能力だ。君はとても芯の強い子なんだろう。オーラの色もはっきりしている。まだ婚約したばかりかもしれないが、ぜひ壱成くんを支えてあげて欲しい」
千影は「はい」とは返事をせずに、にこりと微笑みを代わりに浮かべる。
どうやら源一郎には、人には見えないものが見えているらしい。
とりあえず、千影が偽ってここにいると指摘されなかったので、そこまで源一郎が人を見極める力がないことはわかった。
見るだけで全てを見通されたら、ひとたまりもない。それで正体がばれて塚田の恨みを買いたくはないので、壱成とオーラが似ているという意味は気になったが、千影は彼にオーラの詳しい説明は要求しなかった。
「壱成くんも、ちゃんと将来のことを考えるんだよ? 勝之助さんも心配している」
勝之助とは壱成の父親の名前だ。
話を聞くに、源一郎と彼は交流が深そうだ。
「自分なりに考えています。ご心配には及びませんよ」
源一郎の表情が曇る。この様子からすると、壱成の言葉は信じていないようだ。
「無理はしちゃダメだよ」
「はい」
真剣な眼差しに、壱成はしっかり返事をした。
特殊部隊の大尉として、彼が今どんな仕事をこなしているか、この会話を聞いて千影は純粋に興味が湧く。
本人に聞けば、答えてくれるだろうか?
(それはないか)
自分で調べるしかないだろうが、今の状況からでは満足に情報収集はできない。
特殊部隊ともなれば、なおさらだ。
しかし、ある程度壱成の行動時間や範囲について知っておかなければ、彼の目を盗んで照子のことを確認するのは難しい。
(骨が折れるな……)
協力者が欲しいところだが、今のところそんなあてはない。できて、誰かを利用するくらいだろう。
「塚田さん……、真香くんと呼んでいいかな?」
「はい」
源一郎に呼ばれて千影はそちらを見る。
「たくさん視線を集めているみたいだね」
好奇の目に気がつかないフリをしていたが、どうやら逃れることはできないらしい。
「今まで表に出ることが少なかった分、ご挨拶しなくてはいけない方がたくさんいるみたいです」
壱成を犠牲にするのは忍びないので、あとでひとりになるべきだろう。
「君のお父上もあまり顔を出さない人だから、塚田家の人間は珍しく映る。ちょっと気をつけたほうがいいかもしれないね」
どこか遠くに視線を飛ばした源一郎。
彼には何かが見えたのか、忠告にとれることを言われた。
確かに身体に武器を仕込んでいる人間は何人かいるが、それは壱成も同じ。
まさか、こんなところで回復能力をみたいからと襲ってくるような人はいないだろう。
そこで違う客人が源一郎の元にやってきたので、壱成と千影は彼と別れた。
(……こう来たか)
立食があるので、千影は食事を楽しもうとしていたが、ひとりになった途端に次々と話しかけられる。
医学界のトップに名を連ねる塚田正太郎の娘だ。お近づきになろうとする気持ちは、わからなくない。その証に彼らは、壱成との関係については全然触れてこなかった。とにかく名前を述べられ、塚田には世話になっているとか、正太郎さんはどうしているのか、などと塚田のことに関して聞かされた。
もしかすると、千影がまた婚約破棄されると思って、壱成の話は避けてくれているのかもしれない。
大きなお世話だと言いたいところだが、まったくもってその通りなので、大人しく質疑応答に耐えた。
(それにしても多い)
ひとりやふたりならば、千影も快く応じたが、それが何十人にもなると疲れる。
滅多に姿を現さないと、こんな弊害が待っていたとは知らなかった。
きっと、一度夜会に出席して以来全く出現しないので、今日が会える最後の機会くらいに思われているのだろう。
最悪なことにダンスの時間が迫り、このままでは時間いっぱい踊らされることが明白だった。
(帰りたい……)
気分が悪くなったことにして、この場から離れてしまいたいが、壱成の面子があるためそれもできない。
我慢するしかないかと、諦めかけたときだった。
「失礼。彼女には先約がある」
ダンスに誘われそうになったところ、千影の背後から壱成が口を挟んだ。
今まで何をしていたんだ、と言いたくなったが、千影は耐える。
誘おうとしていた男性は目を見開いて驚いていたが、すぐにその場を去っていく。
能力者は寿命が短いため、この会場にいる人々は全体的に若い。彼には、他の人を当たって頂こう。
「一曲踊って帰るぞ」
耳元で囁かれて、千影は壱成に熱い目線を送っているお嬢様方に気がついた。
つまり、女避けに使われたのである。
都合のいいように使われて気が立つが、千影にとってもこれは救いの手ではあった。
無言で頷いて、壱成の大きな手に自分の手を重ね、ホールに向かう。
軍人である壱成は、ダンスも上手かった。
一方の彼にリードされて踊る千影は、男性パートまで完璧にこなせる。この理由については、お察し願いたい。彼女が壱成サマの御御足を踏むことはなかった。
素人が見ても上手に踊ってのけたふたりは、注目された。
「やっぱり似てるな、あのふたり」
「壱成さんと真香さんのことですか?」
「そう」
側からみていた源一郎と洋子はワインを片手に言葉を交わす。彼らは昼前に酒を飲むのに、もはや抵抗を感じはしない。
「どんな風に見えているのですか?」
洋子に聞かれて、源一郎は目を細める。
「そうだね。ふたりとも、濃い色で鉄壁の守りのように身を囲んでいるよ。感情の起伏があまりオーラに出ないタイプの人間だ。まぁ、色は白と黒で正反対なんだけれど」
「あら。確か、色が反対だと相性がいいんでしたっけ?」
「うん」
「真香さんが白で、壱成さんが黒かしら」
嫁いできた洋子には、源一郎のいう色は見えない。だがこうしてたまに、感覚的にその人が何色かを当てるお遊びを源一郎としている。何回もやっていると、だいたいどんな色が見えているか、予想できるようになっていた。
そうして、黒いタキシードと薄桃色のドレスで踊るふたりをみて、源一郎のみる世界を想像する。
「……いいや。逆だ」
「え?」
洋子はいつもより落ち着いた源一郎の声に、小首を傾げる。
「壱成くんが白で、真香くんが黒だ。……どちらも、珍しい色だよ」
ワイングラスに視線を移し、源一郎は口に入れる。
洋子はそんな夫をみて、再び壱成と千影を見た。
彼女に何かが見えるわけではなかったが、彼らをみる目は先ほどとは違っていた。
「今回は、婚約がうまくいけばいいんだけれどね」
源一郎には、壱成が結婚したがらない理由に心当たりがある。
それを考えればきっと壱成が今回も婚約を破棄することはわかっていたが、オーラの相違点をみたところ、また違う結果になるのではないかと、彼は感じていた。
(……無理はするなよ、壱成くん)
真面目で自分に厳しい男だ。
こちらが口で言っても、壱成は力尽きるまで止まらない。
源一郎は、暗号の書かれているであろう紙を、ポケットの上から確認する。
先ほど壱成とのやりとりで、こっそり受け取ったものだった。