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これは正しい婚約破棄  作者: 冬瀬
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電話



「昨日はすみませんでした」

「いえ。頭をあげてください、琴吹さん」


守りきれなかったことが気にかかっているらしく、千影は朝から琴吹に頭を下げられていた。

琴吹は自分の身を守る程度の技術は持っているようだが、誰かを守りながら戦うことはできなかった。千影も琴吹が武術をかじっていることはわかっていたが、もう少しできるものかと思っていた。

きっと実戦経験が少ないのだろう。

無論、それがわかっているからと、琴吹に強くなれとは言わない。


「次に外出する際は、朝出かけましょうね」


昨日の一件で外に出られなくなるのだけは困る。彼女は何とか琴吹を慰めようとした。


「……はい。壱成さまからも、そのようにと」


思ってもみない人の名前が出てきて、千影は目を丸くする。


(仮にも婚約者が怪我でもしたら、面倒なのは彼のほうか……)


真香のことばかり考えていて、壱成の立場というものを忘れかけていた。

そこでハッとした。

まさか、正太郎に昨日のことを報告していないよな、と千影は焦る。


「こ、琴吹さん。昨日の件は実家に連絡してしまいましたか?」


「いえ、昨日は夜も遅かったので、今から壱成さまがご連絡を」


——それだけは、まずい。


「壱成さまはどちらに?」

「電話機のほうかと」


この屋敷の構造は暗記済み。電話機がどこにあるかわからないほど抜けてはいない。

千影はなりふり構わず、小走りで玄関のほうへ。


「壱成さま!」


受話器を手にした壱成の名を呼ぶ。

壱成は少し驚いた顔で、千影を見た。

耳のいい千影は、まだ塚田家とは繋がっていないことを確認する。


「父の耳に入るとどうなるかわかりません。昨日のことはどうかご内密に」


早口で伝えてしまったがちゃんと理解してくれたらしい壱成が、受話器を戻したのを見てほっと息をつく。

これだけ焦らされたのは、久しぶりだった。

顔を見せるなと言われてから、一ヶ月も経っていないのに、正太郎に壱成から「真香を怪我させた」なんて連絡されたら、機嫌を損ねるに決まっている。

何、面倒なことを起こしているんだ、と。

まぁ、見張り役を通して知られることになるだろうが、余計な刺激は避けたい。


「いいのか?」


着物姿の壱成に、千影は強く頷く。


「父を心配させたくないのです。昨日のことからしても、連絡は控えていただけると。私のほうから定期的に手紙を出すことにしていますので」


「わかった」


話が早くて助かる。

昨日の契約が、こうも役立つとは。


「朝からお騒がせして、すみませんでした」


軽く会釈して、千影は踵を返す。

そこでふと今の自分はすっぴんであることを思い出した。


(……慌てすぎた。契約したからと言って、品のない女だと見捨てられないように気をつけなくては)


フゥと小さく息をつけば、あとを追ってきた琴吹と視線が合う。


「化粧をしていないことを忘れていました。お恥ずかしい」


困ったように眉を下げて、彼女に小さく告げる。こういった恥じらいは忘れてはいけない。

塚田の仕事では、潜入の捜査も多かった。

特に女を買うような場所では、男は酔った勢いで大事な情報を喋ってくれたりする。

そのときに、店の女性に「女は恥じらいを捨ててはいけない」と教わったのだ。

ひとつ補足しておくと、千影は潜入捜査だからと身体の交わりをもったことはない。それなりの知識はあるが。


琴吹と共に部屋に戻ると、身だしなみを整えて朝食をとりにいく。


「おはようございます。先ほどは、ありがとうございました」


いつものように、新聞を読みながら待ってくれている壱成に挨拶する。


「礼を言われることはしていない」


彼は新聞をたたみ、視線をあげる。

昨晩悪霊に襲われて震えていた割に元気な千影が気になったが、怯えて付きまとわれるよりかはいい。壱成はすぐにその違和感を忘れた。



「いえ。私も父にお叱りの言葉をいただくのは嫌だったので」


ふにゃりと笑って、席に着く。

結婚しないと宣言したのにも関わらず、こうして食事を一緒にとるのは不思議だ。

この屋敷は、朝食が一番手が込んでいる。

栄養が考えられている献立を、壱成はたくさん食べる。

歳をとって少しずつ食欲が落ちてきた照子とは対照的だ。

それでも、きっと彼は照子より長生きすることはできない。

それが能力者の運命だ。

そして、その運命を覆してしまった、あの医者が唯一成功させた被験者である自分は、やはりどう考えても表舞台に立つことはできない。


(正太郎さまは「幻薬」を偽物だと切り捨てたけれど、もう少しで完成したのにな)


勿体ないことを、と千影はあの医者の記録簿を思い出す。

最後のページは、千影が医者と同じ筆跡で「被験者死亡」と書いて締めくくってある。記録が見つかってしまったときの保険だ。


(……照子さんと一緒にいられれば、そんなことはどうでもいいか)


能力者が早死になのは、昔から決まっていること。彼らもそれは覚悟しているはずだ。

千影はそれ以上例の薬について考えるのはやめた。


「来週、朝会に出ようと思っている。君も一緒に来て欲しい」


「朝会、ですか」


「ああ。盛岡さんの主催だ。俺の招待状に君の名もあった」


壱成から渡された手紙に千影は目を通す。

盛岡源一郎から、真香もご指名されている。

朝会は夜会と違って、能力者たちが集まるパーティのことだ。夜は悪霊が湧く時間なので、彼らは朝に集まるのである。

塚田家の一員として真香も招待されたのだろう。


「喜んでご一緒させていただきます。まさか盛岡さまにご招待いただけるとは。これも壱成さまのお陰でございますね」


大物にお目にかかることができるとは。

千影も盛岡源一郎には興味があった。

塚田に与えられた任務の途中で、彼の名前は何度も耳にしたことがあったが、どんな人物かは知らない。一度会ってみたいと思っていた。


「彼には世話になっている。色々言われるだろうが、うまくかわしてくれ」


ちょっと困った顔をする壱成。

こんな表情を見るのは初めてだ。

きっと、徳永である壱成でも盛岡には頭が上がらないのだろう。

もしかすると、本当は真香を朝会に出したくないのかもしれない。


「わかりました。私も朝会に出るのは初めてなので、うまく立ち回れるか心配ですが頑張ります」


朝会は来週の日曜日。

会場は盛岡の屋敷だ。

やることは一般人が行う夜会とそう変わらない。問題はないだろう。


「準備については琴吹に指示してある。外出は長くとも三時までにしてくれ」


「はい。昨日はご迷惑をおかけしました」


「わかっているならいい」


壱成は目を伏せて湯呑みに口をつける。

長い睫毛がどこか色気を感じさせて、千影はそっと視線を逸らした。

朝会となると、彼もそれなりにドレスアップするだろうが、この美丈夫のことだ。何を着ても似合うはず。

その隣を歩くとは気がひける。悪目立ちしないように心がけなくてはいけない。



千影はこの1週間、朝会に向けて琴吹と一緒に準備を進めた。

ドレスや靴、装飾品など、必要経費だからと壱成が全て負担してくれて、千影には感謝しかない。

着物は精神を病んだ芙美子のおかげで、良いものを持たせてもらっていたが、ドレスまでは用意がなかったのだ。


(装飾品なら、簡単に運べるから売りやすいな)


壱成に感謝しながら、そこそこ値段がするものを買った。

一緒に買い物をした琴吹には、遠慮はいらないと言われたが、流石に一番高いものを買ったら引かれる。千影は自制を利かせておいた。

質屋の場所も、外出した際に確認済み。

とても充実した日々を送っていた。


「真香さま?」


その日は、化粧品を買いに来ていた。

大通りを歩いていると、低い男の声に名前を呼ばれて千影は振り返る。


「もしかして、野宮先生ですか?」


「ああ、やはり真香さまでございましたか。お久しぶりでございます。大きくなられて……」


丸眼鏡をかけ、白い髪が混ざるこの男性は、真香の家庭教師をしていた人だ。

ここでいう真香とは、千影のことを指している。

家庭教師たちは皆、千影を真香だと思って教えているので、たとえ6年の月日が経って姿が変わろうと、千影を真香だと判断できる。


「真香さま、こちらの方は?」


琴吹に尋ねられ、千影は答える。


「昔、家庭教師をしていただいた野宮忠先生です。野宮先生、こちらは今私がお世話になっております徳永家にお仕えしている琴吹さんです」


紹介に合わせて、ふたりは適当に言葉を交わす。

野宮は嬉しそうに、眼鏡の奥の目を細めた。


「ああ、婚約のお話は耳にしておりました。まさか、こんなところでお会いできるとは。6年ぶりではございますが、すぐ真香さまだとわかりました」


「ふふ。先生も昔と変わらずお元気そうで何よりです」


「わたしもだいぶ歳を取りました。おっと、失礼。お話したいことは沢山ありますが、この後予定がありまして……」


腕時計をみて、野宮は慌て出す。

千影は彼に別れを告げた。

機会があれば、また会えるだろう。

野宮は家庭教師の中でも、優しい部類に入る人間だった。勉強の教え方もうまかったし、できないからといってすぐに手を上げるようなことはしなかった。


「真香さまは、お屋敷の方でお勉強なさっていたのでしたね」


琴吹がさりげなく探りを入れてくるが、千影は気にせず話す。


「はい。野宮先生には社会を教わっていました。彼は統国大学の教授を務めていらっしゃったこともあり、詳しいところまで教えていただきました。……懐かしいです。野宮先生は鉱物が好きで、よく宝石の原石などを見せてもらいました」


「そうでしたか」


そのときの真香が、別に名前を持っているというだけで、この話は全て正しい。

千影は偽って話す必要がないことが、可笑しくて内心では笑ってしまう。


(私って、つくづく真香だよなぁ)


自分と極一部にしかわからないであろう、この考えは至って真実だ。


楽しそうな琴吹を眺めて、この日もあっという間に過ぎていった。






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