終焉
壱成は隊を率いて、塚田の屋敷に向かう。
頭の中ではこれからの任務の進行と、真香のことをぐるぐると考えていた。
日は落ちて夜がやってくる。
いつだって、嫌なことが起こるのは夜だ。
胸騒ぎを薙ぎ払うように、彼は速度を上げた。
「統国軍月光だ。大人しく投降しろ!」
隊は本陣に突入。
その様子は異様だった。
屋敷には、全く人気を感じない。
「気味が悪いですね」
「ああ」
榎本に頷き、壱成は屋敷の中を駆ける。
「中佐! 祓い人たちは、皆、中庭で降参しました」
「何?」
部下の報告を聞き、壱成は窓から外を見た。
そこには専属の祓い人たちが、誰も反抗しようとせず、庭に出て白旗を掲げている。
「彼らは人質の保護を求めています」
「中嶋大佐に繋いでやれ」
「ハッ」
壱成は疑問符を浮かべながらも、屋敷を走る。
誰かの手の上で転がされているような、そんな感覚が拭えない。
「誰か! 真香さまが!!」
そこで、女性の叫び声が聞こえた。
「中佐!」
真っ青になったのは榎本のほうで、壱成はすぐさま声のする方へ飛び出していく。
パン!!と思いっきり開いた襖の先には、先ほど叫んだと思われる娘の背中。その膝の上には、誰かが横たわっている。
そして、
「はははっ。遅かったですね、先輩!!」
楽しそうに笑っている喜助が、手に血のついたナイフを握っていた。
壱成の瞳がみるみる開かれる。
遂に壱成は刀を抜いた。
喜助はすでに重罪犯。捕まえるのに生死は問われない。
「ちゅ、中佐!!」
榎本の叫ぶ声が聞こえる。
——わかっている、わかっているはずだった。
喜助が何故悪霊を操ることができるのか、解明されていない。
ここで彼を殺したら、再び同じ事が繰り返されるかもしれない。
悲劇が、いつの日かまた、誰かを苦しめる……。
わかっているが、一度振り抜いた刀を止めるすべを壱成は知らなかった。
ガキンッと刀が何かに打つかる。
壱成は目を見開いた。
そこには、鳥の面をした女が、黒刀で壱成の太刀を受け止めていた。
彼女は壱成の腹に蹴りを食らわす。
後ろの喜助にも流れるように峰打ちを叩き込む。
「随分、感情的に動くんですね」
「影風……」
蹴飛ばされた壱成は畳に膝をつきながら、彼女を見上げる。
「あなたのそれは、何のための炎ですか?」
それだけ言うと、影風は護符を取り出し、喜助の額に貼り付ける。あとは正太郎と同じく頑丈な縄で締めた。
「伊代。真香さまは」
「……再生しません」
「やはりそうか」
壱成はその会話にハッとした。
「まさか……」
床に寝かせられる真香に、壱成は一瞬、目の前が真っ暗になる。
「あなたのせいじゃない。再生しないのは、特殊な薬を飲んだから」
影風は机に置かれた手紙を、親指で示した。
「遺書だろう。恨むなら、白須を恨め。あいつが彼女を捨てたせいだ」
口では強気な言葉を発していたが、千影の面の下の表情は哀愁が漂う。
この数ヶ月、彼と一緒に過ごしてきた。
表向き真香としてではあったが、壱成の不器用な優しさも見た。
もし自分がただ純粋に彼に嫁ぎに行ったのならば、他の婚約者と同じように彼に想いを寄せただろう。
いや、そう思う時点で、自分も彼に好意を持っていたのかもしれない。
(こうしないと、彼は自分を責めるだろう。せっかく仇をとったんだ。余計な荷は載せたくない)
もう自分にできることは何もない。
千影は刀を背にしまう。
「あとは頼んだ」
伊代の肩に手を置いて呟く。
「はい」
伊代の声は震えていた。鼻をすする音もして、白い面の下では涙が流れる。
それは真香の死を悼んで流れるものなどではなく、長い戦いから解放されたことと、共に乗り越えた千影との別れを惜しむ感極まったものであった。
千影は部屋を出ようとする。
照子は事が起こる前に、塚田の敷地外の安全な場所へ移っている。あとは様子をみて助っ人とやらと合流して、国を出る。
「待て。どこに行くつもりだ」
そうとは知らない壱成が、端正な顔を歪めたまま彼女の前に立ちはだかる。
「通してくれ」
「行かせられない。君たちのことは、軍が保護する」
「“マークする” の間違いだろう」
千影は先を急ぎたいが、壱成も任務遂行のため、一歩も譲るつもりがないようだ。
不穏な空気が漂う。
千影は一瞬で壱成と間合いを詰めると、拳を繰り出した。
壱成も反応してその拳を受けるが、想像以上の力だ。受け流すために彼女の腕を掴んで投げ飛ばそうとする。
千影は転がされそうになった瞬間、腕を掴み返して壱成の体勢も崩す。
隣で榎本が飛ばした毒針が刺さるが、ありとあらゆる薬を試されている千影には効かない。
「嘘だろ」
即効性の麻酔だったが物ともせずに、壱成を締める。
しかし、壱成も月光で指折りの身体能力の高さだ。身体を回転させ、技を解く。
ふたりはすぐに立ち上がって、距離をとった。
「影風さま!」
「ちょ、君?!」
どこから持ってきたのか、伊代が棍棒を千影に投げる。
「ありがと」
それを片手で受け取ると、華麗に振り回して構えた。
誰の目に見ても、彼女がそれをちゃんと扱えることがわかる。
壱成も刀に手を置いた。
「手荒な真似はしたくない」
「それは同感ですね」
影風が引く気など微塵もないことがわかった壱成も抜刀する。
千影が攻めて壱成が受ける、という攻防が続いた。
しかし、突然その闘いにも終わりが訪れる。
ミシッ
千影が持っていた木の棒が、耐えきれずに悲鳴をあげた。
均衡を保っていた壱成の刀が、振り上げられる。
彼は相手を傷つけまいと刀の背を向けていたが、刀身は千影の顔を一閃する。
カタン、と割れた面が床に落ちた。
月の光に照らされて、千影の顔があらわになる。
「——ま、なか?」
頬から鼻を赤い線が走っていたが、その傷はすぐに消えた。
壱成の驚いた表情に、彼女もハッとするが、見られてしまってはどうしようもない。
隙ができた壱成の鳩尾に重い一撃を食らわせて逃走した。
(見られた、見られた、見られたッ)
走りながら布で顔を隠し直す。
千影は混乱していた。
壱成に、自分の顔を晒す気などさらさら無かった。
走って走って、照子がいる隠れ家に飛び込む。
「照子さん!」
「どうしたの? まさか、何かあった?」
照子は真っ先に抱きついてきた千影に慌てる。
「いいえ。ちゃんと上手くいったんです。塚田正太郎と芙美子は捕まったし、真香も死んだ。で、でも、さっき、徳永壱成に影風として私の顔を見られてしまいました」
彼女の言葉に、照子はポカンと表情を緩める。
「別にどうって事ないでしょう? 顔を見られるくらい。影って呼ばれていたのも、影武者だったからだと思うだけ。それでもし、千影が真香さまと入れ替わっていたとわかっても、あなたが困ることはないんじゃない?」
今度は千影が浮かない顔をした。
「た、確かに」
なぜ自分がこんなに焦っていたのか、よくわからなくなった。
「落ち着いた?」
「はい」
照子はにっこり頷く。
「よく頑張りました。あなたは本当に、よく頑張った。……わたしの自慢の娘です」
彼女はぎゅーっと千影を抱きしめた。
千影はだんだんと目に涙が溜まる。
「お、遅くなりました。今まで苦労をかけて、すみません」
「いいのよ。わたしは教育係として、あなたがどれだけ必死に頑張ってきたのか、ちゃんと見てきたんだから。わたしのために、ありがとう」
ポンポンと優しく背中を叩かれて、千影は安心してぽろぽろ涙をこぼす。
「て、照子さん。ひとつわがままを言ってもいいですか?」
「なに? 大したことはできないわよ?」
「これからは母さんって、呼んでもいいですか?」
「あら。照れちゃうわね。そう呼んでくれるの?」
千影は無言でこくこく頷く。
照子の前では、彼女もひとりの娘だった。
「さて。これから、外国に行くのよね?」
「はい」
照子はニッと笑う。
どんなに年を取っても年齢を感じさせない、明るい人だ。
「せっかく千影が準備してくれたんだもの、楽しまなきゃね! 人生、まだこれからよ?」
「はは。あまり無理はしないでくださいね。体調が悪くなったら、すぐに言ってください。私も婚約中に、ちゃんとした医学を学べたので」
「さすがね。頼りにしてるわ、千影」
「はい。今まで塚田で篭ってた分、取り返しましょう」
「その意気よ!」
千影は国を出る準備をする。
真香の顔でうろちょろするのはよくないので、白須黒夜に化けた。
ふたりは隠れ家を出て、騒動とは逆の方向に車を走らせ、穂高が指定したポイントへ。
「あ、来た! 影風さん!!」
そこでブンブン手を振っていたのは、横川澄香。蓮丹のときに助けた予知夢の能力者だった。
一緒にいる宍戸国明が、ぺこりと頭を下げる。
「君たち、わたしが誰だかちゃんとわかってるのか?」
男装姿の千影は無防備な彼らに顔をしかめた。
「わかってますよ。みましたから」
澄香が「バッチリ!」と親指を立てる。
どうやら予知夢で色々知っているらしい。
「そう。とりあえず。案内、頼むよ」
「任せておいてください!」
やる気満々の澄香に引っ張られて、千影たちは車を乗り換えた。よく見てみると、対悪霊用の車両だ。かなり値が張る車である。
「千影、あなたあの状況でお友だちが出来てたの?」
照子はびっくりした様子で、千影を見る。
「影風さんは恩人なんです! そして、わたしの憧れでもあります」
意気揚々に語る澄香。
少ししか話したことがないのに、ここまで懐かれるとは千影も不思議だった。
「もしかして、わたしのこと色々見た?」
「……実は、蘭西利加についてから、能力が変化して。過去、現在、未来が見えるようになりました。ときどき、白昼夢も見ます」
「そう」
もしかすると澄香の祖先には色々な能力者がいたのではないだろうかと、千影は思う。
先祖返りというやつなのかもしれない。
「すみません。勝手に……」
「別にいいよ。寧ろ、危ない未来なら前もって教えて欲しい」
澄香は落ち込んだかと思えば、ぱあっと顔を明るくする。
その隣で運転する国明は、呆れつつも優しい笑みを浮かべていた。
見知らぬ土地に飛ばされたふたりだが、なんとか元気にやっていたみたいだ。
千影はふと窓の外を見る。
夜空に輝く星を眺めながら、セカンドライフに想いを馳せた。




