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これは正しい婚約破棄  作者: 冬瀬
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理由



「真香さまは、手先が器用なのですね」


琴吹に声をかけられて千影は顔をあげた。

徳永の屋敷に来てから、彼女はすることもなく、琴吹に勧められた刺繍を嗜むことにした。

最近外国からの輸入が多くなったシルクでできた布に、綺麗に染まった糸で模様をいれる。

最初は慣れずにいびつなものが出来上がってしまったが、少しすればコツを掴んで黙々と作業するようになる。ただ、暇つぶしにはなるが、それが楽しいとは思えない。


「そうですか? まだムラがあると思うのですが……。今度、上手にできたら壱成さまにお渡ししようかと考えているのですが、琴吹さんはどう思われますか?」


千影がなんの理由もなく刺繍なんてものに励むことはなかった。もう少し刺繍が上達したら徳永家の家紋を入れたハンカチを壱成に贈るつもりだ。

普段使いできるよう、シックな意匠にするつもりだが、彼がどんな反応をするのかは渡してみなくてはわからない。最悪の場合捨てられるだろうが、ハンカチ一枚くらいは犠牲になっても構わないだろう。

それにこれは、自分の能力の証明も兼ねている。

針を指に刺したところを琴吹に見せて、回復するのを壱成に報告させていた。


「凄くいいと思います。完成するのが楽しみですね」

「はい」


照れ隠しのように笑ってみせ、千影は練習中の刺繍に視線を戻した。

ここに来てから五日が経つ今日。彼女は屋敷の外に一歩も出ていない。手入れのされた庭に出ても、植物を観賞する程度なので変わったことはない。

千影として忙しく仕事をしていた時との差が大きく、真香はつまらないな、と感じていた。

針を刺しては引っ張って、刺しては引っ張る。

集中力は上がりそうだが、他に暇を潰せるものを考えた方が良さそうだ。

欲を言えばここ最近、体を思いっきり動かすことがないので、夜にでも屋敷を抜け出して悪霊を祓いたい。

今思うと悪霊祓いは日々の鬱憤を晴らせたので、楽しかったのかもしれない。


(統国軍特殊部隊か)


千影からしてみれば、壱成の立場というものは非常に羨ましいものだ。具体的な仕事内容まではわからないが、特殊部隊は悪霊を相手していることまでは知っている。

彼もそれを生業としていると言っていたし、仕事の時間が遅いことからしても、間違ってはいないだろう。

初日は十時くらいに帰ったので、悪霊を払ってはいないようだが代わりに壱成は人間の返り血を受けていた。何をしているのかは怪しいが、人を相手にしていたのは確実。その日の帰宅は偶然早かったらしく、次の日から夕食は一緒に摂っていない。

人を相手する時は帰りが早く、悪霊を相手にするときは帰りが遅くなる。こんなところだろう。


(人を相手すると恨みを買うから、悪霊のほうがマシだよな)


今日はどちらかわからないが、勤務時間が夜である分、朝ゆっくりしているので、特に、無理をしているのでは? などと心配はしていない。ただ、徳永の男であるから壱成が簡単に死ぬとは思っていないが、そんな職についていて子どもはいらないのだろうか?

もしもの時に後継者を決めておかないと困るだろう。


(……弟の貴之さんには子どもがいるから、その子に継がせるつもりか)


そんな情報は手に入っていないが、他に心当たりは無い。壱成には子どもは必要ないのだろう。そのつもりならもっと結婚を焦っているはずだ。要するに、彼との身体の関係を怖れることはない。

結婚なんて見かけだけにして、どちらにもウィンウィンな関係になればいいのに、と千影は思う。

女避けとして使ってくれれば壱成はこれ以上婚約に悩む必要はないだろうし、千影も何とかして照子をこちらに呼べさえすれば、塚田には何の未練もない。


(結婚が嫌なのか、女が嫌いなのか……)


見極めるべきはそこだ。

うまくやれば、彼と取引きができるかもしれない。

となると、頭のさえないフリはしていられない。怪しまれない程度に “真香” の質をあげようと千影は決めるのだった。


「そうだ。壱成さまは毎朝新聞を読まれていますよね。私も目を通すことはできますか?」

「もちろんです。気がつくのが遅くて申し訳ありません」

「いえ。……あ、あと、本も読めればなと」

「かしこまりました。すぐに準備いたしますね」


とりあえずは外の世界を把握して、塚田のことも忘れないように振る舞う。

ここに来てからの朝刊と一緒に、親切にも今日の夕刊を買ってきてくれた琴吹に感謝をして、千影はそれに目を通す。

塚田家が関与しているものには、今のところ何も動きは見られない。

ほっと一息ついて、新聞をたたみ今日の一面に戻る。


『統領戦、2大財閥ガ優勢』


国の政策を握る “統領” を決める、5年に一度の選挙が年明けに迫っている。現統領は、保守派である堂安岩雄が務めている。彼の政策は保守派でありながら外国との交流にも力を入れており、均衡のとれたうまい政治だと国民からの支持は厚い。しかし、法律で連続して統領を務めることはできないため、次の統領に注目が集まっていた。

新聞にも取り上げられる2大財閥とは、盛岡財閥と鈴村財閥をいう。

盛岡は堂安と同じく保守派であるが、鈴村は革新派。堂安の外交政策にもっと力を注ぎ、統国の財政を潤し、国民にもその恩恵を、というのが鈴村が掲げている公約だ。

50年前に奏国との間で起きた統奏戦争のときに造船で頭角を表した、いわゆる成金である。

その成長は著しく、今では海外への輸出入に使う船の大半は鈴村が牛耳っている。

塚田が開発した薬なども輸出していると千影は把握していた。

鈴村から立候補をしている御歳52になる音八(おとはち)。成金とはいえ、その経済力と経営力は目を見張るものがある。

一方の盛岡財閥は、盛岡源一郎が出馬。

36という若さでありながら、盛岡財閥を統率する敏腕経営者である。大学院を修了しており、法に詳しい男だ。

盛岡の歴史は古く、遡れば六百年前にも及ぶ。長い時代を生き抜いてきたお家だ。人々からの信頼も厚い。


(塚田は盛岡に票を入れるんだろうな)


千影にはわかっていた。

もっと言えば、徳永も盛岡寄りだろう。


なぜなら、盛岡財閥は悪霊祓いを裏から支えている中枢であるからだ。

堂安や盛岡は陰で働く悪霊祓いたちの支援を行っている。盛岡については彼ら自身も悪霊祓いの一族なので、裏の世界の現状をよくわかっている。

年々数が減りつつある悪霊祓いの一族に対して、守るべき人間と倒すべき悪霊は増えていく。人間の憎悪に釣られて悪霊は湧いてくる。首尾よく悪霊祓いたちを任務に就かせないと、混乱の夜が始まってしまうのだ。

そこで悪霊祓いたちをまとめる役割を担っているのが、盛岡家であった。

千影ももちろん、盛岡家に塚田の戦闘可能な祓い人として数えられている。塚田家が住む周辺はよく悪霊が出る地点なので、千影は特別にそこを担当していた。基本的に悪霊祓いは男性であれば統国軍の部隊に所属することがほとんどである。


お偉いさんが集まる統国軍の上司たちに婚約の挨拶くらいしたほうがよい気もするが、壱成はそんな話を出さない。

婚約が成立したときに彼の父親と顔を合わせているが、彼らもうまくいくことは最早期待していない様子だった。特に申し訳なさそうに眉を寄せて、よろしくお願いしますと言ったことは印象深かった。


「真香さまのご趣味の本はわかりかねましたので、街まで買いに行くのはいかがでしょう?」


琴吹が日本茶を急須で注ぎながら尋ねる。

勉強嫌いな真香が読む本と言えば、恋愛小説くらいだ。いつか王子が迎えに来るの、なんて惚けた感想を述べていたが、それは雲を掴むくらいの確率なのではないだろうかと千影は思っていた。まず、外に出ようとしない彼女に王子なんて人物と会う機会がないに等しい。たとえ対外用真香、つまりは千影が社交の場で誰かの目に止まっていたとしても、それは本来の真香ではないので迎えに来られたら困るのは彼女のほうだ。

かといって千影は特に決まった趣味はない。

家庭教師たちと勉学に励んで以来、気になったことを調べるくらいにしか本は読まなかったし、そもそもゆっくり読書するような時間がなかった。


(ちょっとした長期休暇だな)


一応この屋敷の女主人ではあるが、彼女に任せられたことは何もない。

こうして一日中自分のために時間が割けることは、千影にしてみれば休暇も同然。

照子のことを考えると心が痛むが、致し方ない。ここは彼女に言われた通り婚約を利用して楽しむのもひとつの手なのかもしれない。


「是非、行きたいです。ここは塚田と違って港が近く、街の様子も全く違いますから気になっていたんです」


ここは統国の中心、真環(しんかん)郡。

洋風の建物がずらりと並び、整備された道には路面電車が走る。洋服を着た人々が優雅に街を闊歩し、夜も街灯が道を照らす。

千影も情報集めによく来る場所だった。

塚田の屋敷はここから北東に位置する山白(やましろ)郡。薬を作るのに適した綺麗な水が取れる山の近く。馬を使って三時間ほどの距離がある。古風な街並みで、和装が多い山白からすると、ここは別の世界のようだ。

壱成は軍に所属しているので、本部がある真環郡に屋敷を置いている。徳永の本籍はここより西の赤嶺郡にあるので、そこに弟の貴之と父親は住んでいるようだ。


「わかりました。壱成さまにはわたしから伝えておきます」


琴吹は微笑んで、真香の好きな金平糖を差し出す。角が星のようにみえて様々な色に輝くそれを噛めば、じゃりじゃりして甘ったるい味が舌にこびりつく。


(しょっぱい煎餅が食べたいな)


千影は口直しに程よい渋さの茶を飲み込む。

婚約破棄される前にじっくり真環郡の街を見て回るついでに、金平糖以外の菓子を好きになったことにしようと考えるのだった。






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