急転
鈴村音八と喜助が逮捕されたことは、すぐさま国に知れ渡った。
壱成と吾妻が掻き集めた資料が、彼らの悪事を動かぬものとし、鈴村の失脚は確実に。
喜助のほうは、犯行の際に殺した人の所持品を残して飾っていた場所が発見され、その狂気が報道されると世の中の女性たちは騒然とした。
矢田島の施設についてもすぐに捜索され、戦争の準備をしていたことも証明される。
壱成もやっと肩の荷が降りたのだが、喜ぶことはできなかった。
「吾妻……」
病室で横たわる親友を見て、壱成は拳に力を込めた。
吾妻は救急搬送され治療を受け、一度目を覚ましたがそれ以来、目を覚ましていない。
この状態が続けば、命が危ないことは明らか。
医者も手は尽くした。
あと頼れるのは、吾妻の体力と、塚田の力……。
壱成の眼に決意が灯る。
「徳永中佐ですか? 参謀本部から連絡が」
パタパタと早足でかけてきた看護師が、壱成を呼ぶ。彼は鈴村の一件で、大尉から中佐に昇進していた。
吾妻を一瞥して、部屋を出る。
(至急本部に戻れ、か)
何か嫌な予感がして、壱成は先を急いだ。
呼ばれた部屋には気難しい顔をした中嶋が。
「月光、徳永中佐です」
「来たか、いや、来るよな……。入れ」
中嶋は意味のわからない言葉を並べたが、覚悟を決めた顔で中に入れる。
「昇進おめでとう。祝いをしたいところだが、またまた嬉しくない知らせだ」
壱成は中嶋の前で、眉をしかめる。
「……つい先ほど、捕まった鈴村喜助が偽物だと判明した」
「な!!」
驚愕の表情を浮かべた壱成。
「どういうことですか?!」
彼は身を乗り出し、中嶋に迫った。
「蓮丹のとき、第三支部の小島 華梨沙が失踪しただろう。あいつが入れ替わっていた」
「じゃあ、あいつは今?!」
「……どこにいるのか、わからない。もちろん全力で探している。言い訳でしかないが、取り調べを陽光側からやった。発見も遅れた。すまない」
壱成は歯をくいしばる。
中嶋は、視線を落とす。
「それだけじゃないんだ……」
「まだ何か?」
壱成の眼光は鋭くなるばかり。
付いて来い、と中嶋は彼を連れ出す。
向かった部屋の扉の前では二人の軍人が警備を固めていた。身分証明書を確認してから、入室が許可される。
壱成は益々、怪訝な顔になった。
そこにいたのは白衣を着た男と、丸眼鏡をかけ白い髪が混ざるこの男。
見たことはない。
「彼らは?」
「……塚田からの客だ。救助を求めてきた」
「は?」
——訳がわからない。
「とりあえず、座れ」
中嶋にすすめられるまま、壱成は席に着く。
「説明を」と中嶋に言われた、丸眼鏡をかけた男性が話し始める。
「わたしは塚田の屋敷で昔、娘さんの家庭教師をしておりました野宮 忠。こちらの彼は、佐々木 愛善。塚田で人体実験をさせられることになった科学者です」
壱成は声も出ない。一体自分が何の話をされているのか、わからなかった。
そんな様子が見て取れた中嶋が会話を進める。
「佐々木殿は、塚田に勧誘されてある薬の開発に携わっていたそうだ」
「はい。……その薬というのが、能力者の寿命を延ばす『幻薬』。前任者が完成直前まで至ったようですが、何か重大な失敗をして殺されたそうです。わたしは、世紀の大発明をしないか? 実験台は死なないから安心しろ、と言われてこの話を飲みました。し、しかし……。わたしが作った薬が、買収された貧しい能力者に使用され、死者が出ていることを知り、居ても立っても居られず……。そんな時に野宮さんに助けていただいたのです」
「薬を作っていた前任者というのが、縁を切った息子だったのですよ。縁を切ったと思っても、切れないのが親子というものなのでしょうね……。わたしが塚田に家庭教師として雇われ、息子が怪しい薬を作っていることを知りました。何だかんだ元気にやっていると知って心の何処かで安心したのですが、わたしが塚田を離れ、数年ぶりに顔を出したら、息子はいませんでした」
野宮は続ける。
「怪しんで、統国大学時代の友に協力してもらいながら調べを進めたところ、どうやら息子は死んだらしいことがわかりました。
わたしは、塚田の悪を裁きたい。それがあの子に苦労させた最後の報いだと思って、佐々木くんを連れ出しました」
これが、その薬の記録簿です。と野宮は机に分厚い冊子を広げる。
「徳永。大丈夫か?」
「はい」
中嶋の心配そうな声がかかるが、壱成はどこか自分とは全く関係のない話だと思って、それを素直に受け止めた。
「実験台は死なない、というのは?」
壱成は佐々木に質問する。
「これを見ればわかります。塚田の人間は、滅多に死にません。彼女は確か、『影』と呼ばれていました」
「影……。影風のことか?」
彼は広げられた記録簿にざっと目を通す。
「酷い……」
幼い時から身体を調べ尽くされ、さまざまな薬を打たれて、悶え苦しんだ様子が示されている。
「わたしも、息子がこんなことをしていたとは思いもしませんでした。今からでも、正してあげなくてはなりません。被害者の人にも、謝らねば」
野宮は遣る瀬無い顔で、目をつぶった。
「塚田は裏で強大な力を握っている。病院なんて場所はよく悪霊も具現化するから、専属祓い人たちの登録も多く、能力審査は塚田の申請だけだ。おれたちの目の届かないところで色々やってたらしい」
「彼らの目を盗んで、佐々木くんを連れ出すのは苦労しました」
「あの人が手助けしてくれたんです。鳥の面をした、彼女が。その専属祓い? という人たちも、病気の家族を人質に取られていて、抜け出したくても抜け出せないみたいなんです。早くしないと、わたしが逃げ出したせいで、また人が殺されてしまうかもしれません!」
佐々木は震え上がる。
「お願いします。あの家を何とかしてください。あそこは、おかしいんです!」
彼は壱成にすがりついた。
「本当は、お前抜きでやりたいところなんだが、鈴村のこともあってな。塚田真香については捕まえるわけじゃない、事情を聞くだけだ。できるか?」
「はい。わかっています。大丈夫です」
彼女には、すぐにでも会いに行くつもりだった。壱成は強く頷く。
野宮はそれで、ハッとした。
「もしや、あなたが真香さまの婚約者、徳永さんですか?」
壱成は曖昧に首をゆっくり一回縦に振る。
「そ、そうでしたか……」
野宮はバツの悪い顔をした。
自分が塚田を摘発したせいで、真香の婚約が無くなるかもしれないと気がついたからだ。
「今の話だと、早く行った方がいいでしょう。現場に向かいます。許可を」
「行ってこい。おれは塚田の系列の病院を調べて人質を把握する」
「ハイ」
ついに塚田にメスが入ろうとしていた。
*
その頃、塚田の屋敷では。
「もしもし? 穂高?」
『え。その声、影風さんですか? 電話なんて掛けて平気なんですか?』
「監獄をぶち壊したから、今なら大丈夫。そっちはどうなってる?」
『監獄……ああ。佐々木愛善の出頭ですね。例のパノプティコンがやっと崩れたんですか。軍も動き出しましたよ。もう少しで塚田に着くと思います。あ、で、鈴村喜助は替え玉だったのは知ってます? オレの耳だと、本物の彼、塚田真香を殺しに向かってますから、ドンピシャですね。さすが、旦那!! 見事な采配です』
電話の向こうで拍手が聞こえる。
「そんなことになってるの? それは流石に想定外だ。まだ色々準備しておかないと……。カオスだな。他は? そういえば、穂高が気にかけていた吾妻鉄平はどうなった?」
『重傷で、まだ寝てます。徳永壱成は、大尉から中佐になっても、親友は目を覚まさないわ、鈴村は捕まらないわ、塚田の悪事も明るみに出るわ、で可哀想ですね』
「大体、わかった。逃走経路の確保、今からできる?」
『ふふーん。もうバッチリですよ。心強い助っ人が迎えに来てくれるので、安心して待ち合わせ場所まで来てください』
「……それは楽しみにしてるよ」
千影は一気に不安になったが、穂高を信じることにする。彼もまだ首は繋がっていて欲しいはずだ。
『はい! あれ? そういえば、あなたの協力者さんの方は大丈夫なんですか?』
「伊代は今、塚田の隠密組織の破壊活動で忙しい。軍が着く頃には、塚田の犬は誰も飼い主の言うことは聞かないだろうね。妹ちゃんの呼吸器を止められることもない。彼女には他の家族もいるし、統国に残るよ。そろそろ切る。私は真香の方を何とかしなくちゃいけないから」
『はーい。ご武運を』
千影はガチャリと受話器を置いた。
これから沢山の客をおもてなししなくてはならないので、準備に忙しい。
壱成に塚田の屋敷に戻れと言われて、彼女は正太郎の命令で影として帰宅。
策は尽き、逃亡の準備も整ったので、遂に正太郎を手にかけようかと思っていたのだが、佐々木愛善の不審な動きに気がつき、彼の逃走を手伝った。
彼女のシナリオは、佐々木の告発で正太郎は軍に捕まり、芙美子もそれなりの処罰を受け、真香のほうは死体を発見してもらい死亡したことを確認させて、自分は晴れて自由の身になる、というものだった。
照子と離れ離れになるだろうから、自分が軍に保護されることだけは御免だ。下手をすると、今のところ唯一の成功例である自分が、待遇の良い軟禁をされる可能性も否定できない。また、傭兵として殺しの罪は目を瞑ってもらえたとしても、今度は軍に奉仕することになるかもしれない。
彼女は平和なセカンドライフを望んでいた。
(真香はとっくに死んだんだ……)
これで全てが終わる。
やっと、照子とセカンドライフを楽しむことができる。
大分時間がかかってしまったが、これで本当に終わりだ。
千影は最後の一仕事に取り掛かった。
何度も往復した廊下を進み、襖をスパンと開く。
「なんだ、貴様」
正太郎は最後の晩酌をお楽しみ中。今この屋敷で何が起こっているか、ご存じない。
「報告です。佐々木愛善の逃亡により、軍がこちらに接近中」
「何をしている!!」
彼は憤怒した。
「早く片付けろ!」
「御意」
千影は面の下に蔑みの表情を隠し、正太郎の体を縛り付けた。
「貴様、何のつもりだ!?」
何もできずに拘束されてジタバタ暴れる男。
こんな男に縛られてきたのか、と彼女は呆れる。
いや、この男は実際、自分では何もできやしない。
「もう誰もあなたの言うことなど聞きませんよ」
少し遅れた反抗期だ。その分鬱憤はたまっているが、甘くみて欲しい。
「さようなら」
千影は別れの言葉を告げた。
殺さなかったのは、彼女のお情けだった。




