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これは正しい婚約破棄  作者: 冬瀬
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急転



「話がある」


失踪事件が起きた週の休日。

千影の部屋の扉が叩かれ、壱成が彼女を呼んだ。

大事な話があるみたいだが、千影はその内容がわからない。

書斎に通されると、彼が口を開く。


「しばらく、塚田の屋敷に戻っていてくれるか?」


それは、千影にとって喜ばしくない提案だった。

婚約破棄まで、あと一ヶ月はあったはずだ。

いつ婚約破棄されてもいいように、それなりに手は打ってきたが、できることなら伸ばしたい。


(いや。待てよ?)


塚田真香を鈴村喜助に殺させるという策には、真香本体の死体が必要になる。

塚田の体は死後も腐らないので、地下室に保管されているので、それを利用するつもりだったのだ。

流石に伊代ひとりでは成功率が低くなってしまうので、この際、自分が塚田に戻ってやった方がいいのではないか?


(穂高の話じゃ、鈴村喜助を殺る気にさせるのは簡単だってことだけど……)


『え? 塚田真香を殺すように仕向けるにはどうすればいいかって? そんなの心配いらないですよ。オレに任せておいてください。煽りに煽っておきますから!』

『どうやって?』

『そんなの、徳永壱成が……。おっとぉ! これから先は企業秘密です』

『はぁ?』


ニヤニヤ笑う穂高との、先日の夜の会話を思い出す。


(あの人、最近本当に楽しそうだよな)


千影は頭を振った。

気を取り直して、壱成を見る。


「それは何故でしょう?」


彼は少し考えたあと、迷いながら言葉を選ぶ。


「俺の近くにいると、危ない目に遭わせるかもしれない。塚田のほうが君を守るのに適した環境が整っているはずだ」


壱成は矢田島に行ってから、婚約破棄の時期を早めることを考えていたが、北条の一件でとにかく真香を安全な場所に送ることのほうを優先しなければならないと思ったのだ。


「……そう、ですか。わかりました。これ以上、壱成さまのご負担になるわけにはなりません。私は塚田に帰ります」


千影は塚田でこき使われるのを代償に、照子に会えることを選んだ。


「具体的に、期間は?」

「落ち着いたら連絡する。それでいいか?」

「はい。あまり、ご無理はなさらないでくださいね」

「……ああ」


これでもし契約期間を過ぎれば、ふたりの婚約は破棄になって、自然消滅。

千影の中では、彼とはもう会えなくなるような予感がしていた。


「お世話になりました。明日には、出発できるでしょう。ちゃんとご自分の身を大事にしてくださいね?」

「君もな」



別れは、季節が秋から冬になるのより呆気なかった。









「まずいな。ひじょーうにまずい」


男は、グラスに溢れるほどのワインを注ぐ。


「設計図が消え、帳簿も消える。うちの警備はどうなっているのかな?」


ダンッと、机にボトルを叩きつけたのは、鈴村音八だった。


「ひ、ひぃっ」


音八に悪い知らせを告げた男は、震え上がる。


「父さん。そんなに怒らないであげてよ。彼らには、普通の人間じゃ相手にならないんだ」


ヒョイと顔を出したのは、音八の息子。

甘いマスクに笑顔がセットの彼は、そう言って父親を宥めた。


「でもな、喜助。そうは言っても、どうする? このままだと全部がパァだ」

「んー。そうだね。やっぱり今のままだと盛岡の方が優勢だ。……だったらさ、盛岡源一郎が土俵に登れないようにすればいいと思わない?」

「そうしたいのは山々だけどな。あいつは癪だが頭が切れる。そうそうミスはしない」

「そうだよね。でもさ、父さん。人間って、そんなに理性のある生き物じゃないんだよね。僕たちは、僕たちのやり方を突き通せばいいんだよ」


音八は何かを企んでいる息子の顔を見て、冷静に考えた。

そして、彼が何を言おうとしているのか、理解する。


「そうか! やっぱり、出来た息子を持ってわたしは幸せ者だ。盛岡には社会的に消えてもらおう。家族を殺して、あいつに殺しをさせるんだ」

「さすが父さん、わかってる。僕がなんとかするから心配しないで」

「ああ。頼むよ」


音八は上機嫌でワインを飲んだ。

喜助は部屋を出ると、独り言にしては大きな声で話し出す。



「こんなところにまで、大きなネズミが出るなんて。ちゃんと処分しておかないとね」



息を殺して鈴村たちの動向を探っていたのは、吾妻鉄平。


(バレたっ)


彼はすぐに脱出を試みる。

何とかこの情報を、壱成に伝えなくてはならないと必死だったが、その背中には無情にもナイフが刺さった。









「大尉〜?」


榎本に名前を呼ばれて、壱成は我に帰る。


「お疲れですか? 最近、心ここに在らずなことが多いですけど」

「……」


壱成は黙ったまま、作業に戻る。

外はすっかり暗くなり、月光に所属する軍人たちは、寒い夜に仕事しなくてはならないことで、この季節は嫌われる。

毎日顔を合わせていた真香が居なくなって、早一週間。

鈴村を捕まえるために奔走しているものの、彼女がいなくなったということは、彼に埋められない穴を開けていた。


「コーヒーでもどうぞ」


御機嫌斜めの上司に、榎本はコーヒーを淹れる。


すると唐突にジリリリリと、電話が鳴った。


「徳永大尉。電話です……」


電話に出た部下が、眉間にしわを寄せているのを見て、壱成も怪訝な表情に変わる。


「どこからだ?」

「それが、名乗りもしないで、徳永壱成を出せと」


壱成の合図で、部屋は物音一つ立たなくなる。部下たちも耳を澄ませた。

その様子を確認してから、壱成は受話器をとる。


「はい」


『一度しか言わないからよく聞け。筒賀町の三番地で、お前の相棒が瀕死だ。鈴村が盛岡一家を殺害しようとしている。ちゃんと陽光のやつも連れてけ。慎重にやらないと逃げられるぞ。あ、あと、炎を絶やさないこと。じゃ』


そこで電話は一方的に切られる。


「大尉、これは……」

「何かの罠かもしれませんよ」

「悪戯にしてはタチが悪い」


部下の言うことは勿論正しい。

しかし、


「吾妻は筒賀に潜入中のはずだ……」


壱成はこれがただの悪戯電話などではない事がわかった。


「責任は俺がとる。筒賀に一と二班、盛岡に三と五班が向かえ。四班は犯行声明が出たことにして、陽光に話をつけて来い」


「「「ハッ!」」」



歯車は、急に回り出す。






電話をかけた男は一仕事終えて「ふう」と息をついていた。


「吾妻鉄平、死なないといいなー」


面では薬屋。裏では情報屋をやっている穂高が、のんびりと茶をすすった。


「根性だよな。彼のお陰で『開かずの間』に隙間ができた。まさか、こんな近いところにちゃんとした防音施設があったとは知らなかった。影風さんはお家に帰っちゃったし、どうしようかと思ったけれど、流石に盛岡家が殺されるのはなー。面白くない」


ボリボリと煎餅を齧って、穂高はこたつでぬくぬくする。


「こっちは何とかなりそうだけど、影風さん、大丈夫かなー。山白はオレの領域から外れてるから、様子がわかんないんだよ……。せっかく、面白くなってきたところなのに、まさか家に帰っちゃうとはねぇ?

例の計画も、徳永壱成は塚田真香に本気だって鈴村喜助に煽っておいたけれど、どうなっちゃうことやら?」


彼は茶を飲むと、目をつぶって耳をすませた。


「どれどれ。徳永壱成は、筒賀のほうに行ったか」


実際に起きている光景が、眼に浮かぶ。

筒賀町の三番地にある鈴村の隠れ家に、軍人たちが突入している。吾妻のものと思われる血の匂いがしたのだろう、判断に迷いはない。

警告通り壱成は青い炎で一帯を囲い、鈴村喜助が悪霊を使えないようにしている。

向かった先には、鈴村たちの悪事を証明するものがズラリ。


「一人も逃すな!」


徳永壱成がそう叫ぶのが頭に響く。


(影風さんの出番はなさそうですよ。でも、ここで鈴村喜助が捕まったら、あの人、塚田からどうやって逃げるんだろ? まさか一族皆殺し?!)


鈴村家が潰れて塚田家も潰れる。これは重大な決断を適当にしてしまったのではないのか? と穂高は気がつく。


(やばい。オレ、そんなつもりじゃなかったんだけど……)


後悔は先に立たない。

アワワワ、と口に手を置いた


(ま、どうしようもない!)


が、諦めは早かった。

現場のほうは、次第にほとぼりが冷めていく。

盛岡の屋敷のほうも、侵入者が取り押さえられた。


「あっけないなー。これで終わり? なんだか拍子抜けだな」


お縄にかかった鈴村音八と喜助は、暴れる様子も見せない。

穂高は不満だった。

またボリボリと煎餅をかじる。



喜助が口角を上げて嗤っていたことに、誰も気がついていなかった。





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