誕生日
「大尉、今日は早上がりですか?」
「ああ。……一応、婚約者殿の誕生日だからな」
「そうでしたか!」
いつもよりガシガシ仕事を終わらせていく壱成に、榎本が声をかけた。
「プレゼント、何を用意したんです?」
榎本は興味津々で壱成を見つめる。
壱成は、短く息を吐くと、数日前のことを思い出した。
「え。まさか何も選んでいない、とは言いませんよね?」
榎本は、一気に心配そうな顔になる。
「ちゃんと選んだ……」
「そ、そうですよね??」
壱成の疲れたような表情には訳がある。
(琴吹とは、当分の間一緒に買い物に行きたくないな……)
真香が欲しいと言ったケーキの手配は簡単に済んだ。しかし、琴吹がケーキだけではプレゼントだと認めず、最終的に彼女に連れ回されることになったのだ。
「いいですか、壱成さま。たとえ真香さまがケーキが食べたいとおっしゃったとしても、誕生日にケーキを用意するくらい当たり前です。これでもし、真香さまが他の皆さまに『誕生日プレゼントは何をもらったのですか?』と聞かれたらどうするのです? まさかケーキだけとは答えられないでしょう。また、婚約破棄の噂が立ってしまいます。あなたの沽券にも関わる問題なのですから、せめてアクセサリーのひとつやふたつはお贈りしないと。ああ、これは失礼。別に装飾品でなくても良いのです。何を選んだとしても、誠意のこもったプレゼントを喜ばない方はいらっしゃいません。
で、す、か、ら。今日は真香さまに喜んでいただけるような物を、壱成さまの目で選んで、購入しましょうね」
「…………わかった」
「はい!」
琴吹の返事からは、言われていないはずの「よろしい!」という言葉が聞き取れた。
すでに車に乗って、出掛けさせられている時点で、壱成は逃げることなどできない。
商店街に、大きなデパート。
「今、女性の間で流行っている服は———」
「こちらが人気のブランドで、バッグに、ネックレス、ブレスレット、どれも喜ばれるかと」
「あ、香水やアロマグッズなんてどうでしょう?」
「紅茶のギフトもいいですね」
「あら! この化粧品、とてもいいんですよ〜!」
回った店の数は覚えていない。
とにかく琴吹の弾んだ足取りを追う壱成。
朝出かけたはずなのに、もう三時になっている。だが、肝心のプレゼントはまだ決まっていない。このままでは、夜になってしまう。
「琴吹……」
「はい! なんでしょう」
「少し、ひとりで回ってもいいか?」
「あら。そうですか? わかりました」
琴吹と別れはしたものの、どうしたものか。
ふらふらと街を歩いた。
考えてみれば、彼女の好みをよく知らない。
いつのまにか商店街を抜けていた壱成が足を止めたのは、シックな外装の店。
中を覗くと、本がずらりと並んでいる。
彼は扉を開いた。
「いらっしゃい。ゆっくりしていくといい」
年老いた男店主が、手にしていた本から視線をあげる。
他に客はいないようだ。
彼はゆっくり店を見て回る。
壱成の目を引いたのは、丁寧に置かれた万年筆。繊細な装飾が美しい。
「お気に召されたか?」
「はい。プレゼントにできますか」
「もちろん。少し待ってておれ」
包みながら、老父は話す。
「これはもう先に行った友が作った一点物でな。わしも思い入れのあるものなんだ。どんな人に贈るんだい?」
「婚約者に。もうすぐ誕生日なんです」
「そうかい。万年筆を贈るような女性であれば、ものをよく考える慎ましい方なんだろう。幸せにしてやるんだぞ」
「……はい」
複雑な心境で、壱成は包みを受け取った。
それからウィンドウショッピングを楽しんでいた琴吹と合流し、屋敷に帰るまで、彼は物思いにふけたのだ。
彼女とは、婚約破棄の時期を早めた方がいいと考えて……。
「大尉?」
榎本に呼ばれ、視線を彼に向ける。
渡そうと思っていた資料を手に取った。
「これ、よろしく」
仕事に戻った壱成は、黙々と資料を片付けていった。
*
「真香さま。たくさん贈り物が来ていますよ」
「……本当ですね」
たくさん部屋に置かれたプレゼントに、千影も言葉を失っていた。
中には皮肉にも初めて肉親からもらうプレゼントも混ざっている。
(“私” に渡されたものではないか)
社交辞令と打算に塗れたものとしか捉えることが出来ず、卑屈な自分に呆れてしまった。
真香との同化を進め、外では自分が真香という名前の存在なのだから、そう考え込まず喜んで受け取っておけばいいのに。と、照子ならそう言うだろう。
「嬉しい」
声に出して、自分に言い聞かせる。
「それは良かったです。壱成さまも今日はお仕事から早く帰ってきますから、夕食を楽しみにしていてくださいね」
「はい。ありがとうございます」
千影はそれからプレゼントを開けていった。
誰に何をもらったか把握しておかなければ、礼をすることができない。
夢うつつの状態で、自分に与えられたらしい装飾品や、服を手に取る。
ちなみに正太郎と芙美子からは、財布が送られてきた。どういう意味を込めてこれを寄越したかは知らないが、やはり純粋に喜ぶことはできない。
(売ったら、いくらになるかな)
しかし、そう考えると楽しくなってきたので、千影は機嫌がよくなっていく。そうして彼女なりに誕生日というものを楽しんでいると、日が落ちてくる。
扉が開き、「ただいま」という言葉と共に壱成が家に帰ってきた。
穂高の話では、鈴村たちの仕業と思われる行方不明者が増えているそうなので、彼も忙しいはずだ。
(婚約破棄する相手のために仕事を早く切り上げさせてしまって、なんだか申し訳ないな)
音八を検挙するための証拠集めも、吾妻鉄平と協力して、あと少しのところまで来ているようなので、もうすぐ一波乱あるだろう。
(真香を鈴村喜助に殺させるつもりなんだけど、その必要はなかったかな)
音八からアプローチすることで、喜助のほうも何とかなるのではないかと千影は思う。
(今更だけど、婚約破棄は統領戦の前にしたいって言ってたのに、何の意味があるんだろう? 適当かな?)
壱成の考えがよくわからない。
もし、彼が鈴村との鬼ごっこに婚約者を巻き込ませないためであれば、そうそうに破棄されていたはず。
(あ。女避けか!)
そういえば、徳永壱成が婚約破棄常習犯でも、引く手数多なことを考慮するのを忘れていた。
たしかに、危ない橋を渡っている最中に「結婚して!」なんて言われたら、やってられない。
ひとり納得していると、食事の時間がやってくる。
壱成は夜まで仕事なのが基本なので、夕食を一緒に取るのは久しぶりだ。
外に出ると面倒ごと(悪霊)が多いので、屋敷でのディナーではあるが、まるで高級レストランのような空間が広がっている。
毎日ここで食事をしているはずなのだが、いつもとは違う、より洗練された雰囲気だ。
「誕生日、おめでとう。今日は千歳郡から有名なシェフを呼んでいるんだ。食事を楽しんでもらえると嬉しい」
「そうなのですか! どんな料理がくるのでしょう? とても楽しみです。ありがとうございます」
慣れた手つきの風間がワインを注ぐ。
「「乾杯」」
カツン、とグラスが打つかった。
コースの料理は、どれも芸術作品のように皿の上で輝き、舌の上ではダンスを踊る。
どれも美味しくて、千影の表情はコロコロ変わった。
最後に待っていたのは、彼女がリクエストしていたケーキ。
部屋の灯を消したと思えば、シェフがバースデーソングを歌いながら、花火のついたプレートを運んでくる。
紅語で書かれた祝いの言葉に、苺がふんだんに使われたケーキが。
「「おめでとうございます!」」
風間や琴吹も共に千影を祝った。
「す、すごい! ありがとうございます」
こんなサプライズは、もちろん初めてだ。
彼女は花火が消えたあと、美味しくケーキを食す。
お腹も心も満たされたのだが、壱成がなにかを取り出した。
「誕生日プレゼント。色々考えたんだが、君にはこれがいいかと」
「えっ。よろしいのですか?」
「ああ。俺も君には世話になっているからな。これくらいさせてくれ」
それは白須を意識してた言葉なのだが、白須など好きでも何でもない千影は気がつかなかった。
「開けても?」
壱成が頷くのを見て、渡された包みを開く。
中に入っていたのは、金と黒に艶めく万年筆。
彼女は言葉を失った。
——それは、真香だったら決して選ばれることがないだろう品。
ずっと勉強して、努力してきた自分だから与えられたギフト。
目頭が熱くなって、込み上げてくるものがある。
「う、嬉しいです。大事にします。ありがとうございます」
泣きそうなのを堪えて、彼女は笑った。
それは、いつもの真香を真似した笑顔ではなかったのだが、壱成は目を見開き、耳を赤く染めて顔を逸らしたことを、この時の彼女は見逃していた。




