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これは正しい婚約破棄  作者: 冬瀬
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散歩



矢田島から帰ってから、壱成と千影の間にはどこかそれまでとは違う雰囲気が漂っていた。

千影は相変わらず真香としてよくやっていたのだが、問題は壱成のほうで。


「壱成さま?」

「——なんだ?」


昼食の間、料理に向かう手が止まっている壱成に千影は声をかける。


「いえ。あの、私に何か?」

「いや。……そうだな。今日はどこかに出かけるのか?」


ここ数日、彼はこうして呆っとすることが増えた。

何かを考えているようでもあって、何も考えていないようにも見える。

島から帰って一週間、壱成は表向きは今まで通り過ごしていたが、裏では忙しそうに働いている。疲れが溜まっているのかと、千影は思った。

今日は休日。

壱成も仕事は無く、やっと一息ついていることだろう。余計な世話をかけないように、屋敷を出たほうがいいのかもしれない。


「ちょっと外の空気を吸いに、公園まで散歩にでも行こうかと」


気を遣ってそう答えたつもりだった。


「……俺も行く」


だから、壱成の返事は想定外。


「え?」

「迷惑か?」

「い、いいえ。お疲れの様でしたから、私に合わせて無理をされているのではないかと。ただの散歩ですし、ひとりで平気ですよ」

「気分転換に行くだけだ。無理なんてしてない」


そう言われては断る理由もないので、二人は散歩に行くことになる。

昼食のあと少し休んでから、コートを着て外に出た。

秋も終わりが近づき、冷たい風は道の落葉樹の葉をさらっていくが、日は出ているので、そこまで寒さは感じない。


「たまには、お散歩もいいですよね」

「そうだな。この公園も久しぶりだ」


千影は純粋にそう思う。

何をするわけでもなく、ぼんやり外を歩くなんて、余裕が無ければ出来ない贅沢なことだ。

よく手入れのされた大きな公園を進むと柵の向こうに白や赤の花が咲いていた。花の名前はよく知らないが、ひとつわかったのは山茶花。

その近くの道にはベンチが置いてあり、ふたりはそこに座った。

しばらく日に当たっていると、壱成が胸元を探る。


「なぁ。この男に見覚えがあるか?」


渡された紙を受け取ると、千影はそっとそれを開く。

そこに描かれていたのは、自分が伊代と交代した夜に使っている男装姿。

千影は目を見開く。


「その反応、やっぱりこいつが——」


「白須か」と言おうとした壱成の口を、千影が塞いだ。


『名前・言う・するな』


軍で使われるコードと手話を掛け合わせた暗号を、反対の手で表す。

壱成はそれに、我が目を疑った。


(何故彼女が、この手話を知っている?)


千影は合図を続ける。


『存在・知られる・親・男・殺す』


彼女はこんな絵が存在していたとは知らず、血の気が引いていた。塚田に知られれば、自分が男に扮して何をやっていたか、怪しまれるに決まっている。

残念なことに今日の見張り役は、伊代ではない。


(落ち着け……。あいつは照子さんを殺しはしない。殺せば私が死ぬまで復讐してくるとわかっているはずだ。でも……)


もしこれで、塚田の隠密部隊に協力者である伊代のことがバレたらと考えるだけで、胃が痛む。


『見張り・いる・それ・処分・頼む』


「そこから先は言わないでくださいな?」


千影の顔は笑っているが、目は全く笑っていなかった。


「……悪い」


壱成も千影の演技に驚きながら応えた。


「無粋な質問だった。詫びに、甘いものでもどうだ? いい店を知ってる」

「いいんですか? では、お言葉に甘えて」


ふたりはベンチから立ち上がると、場所を移す。


(失敗した。まさかあんな緻密な絵が描かれていたとは思わなかった。見張りのいた距離からは何もわからなかった筈だけれど、あれが知られたら、今までの苦労が水の泡だ)


考え込んでしまい、彼女の表情は深刻だった。


「真香?」

「はい?」


千影は咄嗟に明るく振る舞う。

この時の壱成が真香に向けたのは、自分に対する振る舞いへの疑惑の目ではなかった。彼女にあんな深刻そうな顔をさせる、自分の知らない男の存在に、彼は無意識に不快感を滲ませた。




壱成に案内されたのは、真環郡では目を惹く、和風の外装をした甘味屋だった。

彼らはすんなり個室に通され、畳の床に腰を下ろす。


「ここは軍も内密なやり取りに使う場だ。話が漏れることはない」

「お気遣いありがとうございます。助かりました」


壱成はメニューを千影に渡す。どうやら甘いものの話は嘘ではないらしい。

矢田島の時からイレギュラーばかり起きていて、嫌な想像ばかりが頭に浮かんでいたが、自分の尻拭いは自分で何とかしなくてはならない。気分を上げようと、遠慮なく抹茶のパフェを選んだ。

パフェが運ばれると、壱成は首を少し傾けて「で?」と話を促す。


「壱成さまのご想像通り、彼が白須黒夜さまです。黒夜さまとは初めて行った夜会の時にお会いし、それからずっと手紙のやり取りをしていました。

ただ、お父さまは身元がわからない彼のことをよく思っておらず……。

壱成さまとの婚約が決まりました。

それから黒夜さまとは連絡が取れなくなっていましたが、先日、助けていただいて」


「何の話をしたんだ?」


「……」


千影はその質問に頭を悩ませる。

黒夜にフラれたことにするか、愛を誓い合ったことにするか。

どちらの方が、都合がいいのか判断しかねる。


(まあ、婚約破棄するんだし、愛を誓い合ったことにした方が、彼も嬉しいでしょ)


彼女は後者を選んだ。


「お父さまの目が厳しくて中々会えないけれど、どうにかするからと。彼も強い人ですが、だからって、父の部隊を相手にするなんて心配です……」


「へぇ?」


意味深な返事に千影は眉をしかめる。


「それで。王子はいつ迎えに来るって?」


砕けた口調はいつもの堅さを感じないが、機嫌が良いようには見えない。


「……わかりません」

「そう」

「い、壱成さま。その、怒ってらっしゃいますか? ……私も婚約破棄を利用しようとしていたことを黙っていたことを」

「いいや? その方が都合がいいし、俺に君を怒る権利もない」


(なら、なんで、そんなに機嫌が悪いんだ?)


ふたりの間にぎこちない空気が流れる。

「それより」と壱成が話し出した。


「なぜ軍用の合図を知ってる?」

「昔、影に教えてもらいました」


即答した千影に、彼は額に手を置く。

重要機密がこんなお嬢さまに漏れているとは、笑えない話だ。


「それ、俺以外に絶対使うなよ?」

「わかっています。私も遊びで覚えた訳ではありませんし、使える人も限られていますから」


彼女はこくりと頷き、パフェを一口。

濃厚なアイスくりぃむと、餡蜜ときな粉に、わらび餅のモチモチ感。

死活問題に直面していたことも吹き飛ぶ。

頬を緩ませる千影に、壱成もため息混じりに目を細めた。


「美味いか?」

「はい。とても!」

「君は甘いものが好きなんだな」


言われてから千影は初めて自分が甘味が好きなのだと気がつく。金平糖が嫌いなのは変わらないが、塚田にいた時は好きに食べることも出来なかった甘いものに愛着があるのは確かなことだった。


「そうですね。私は甘いものが好きみたいです」


半分食べ終わったパフェをみて、彼女は応える。壱成は不思議そうにその様子を伺っていたが、ふとあることを思い出す。


「そういえば、もう少しで誕生日だろ? 何か欲しいものは?」

「え、あ——」


すっかり誕生日の存在を忘れていた。

千影は照子に名前をつけてもらった日を自分の誕生日だと思っているので、生まれた日に執着がない。双子だからと祝ってもらえることもなかったので、失念していた。


(誕生日か。何か欲しいものをもらう日だっけ?)


千影は自分の欲しいものを頭に思い浮かべるが、壱成にもらえるようなものはなかった。

しかし、塚田での任務途中に見た一般家庭の誕生日会の光景が脳裏をよぎる。


「美味しいケーキが食べたい、です」

「ケーキ?」

「はい」


誕生日ケーキとやらをお願いしようと彼女は思った。


「俺が聞いた話じゃ、よくお忍びで買い物していたようだが。ケーキだけでいいのか?」


「知っていらっしゃったんですか。お屋敷でじっとしていられなくて、ときどき外に出ていたんです。今思うとお忍びといっても、バレバレでしたね。……他に思いつくものもないので、それでお願いします」


手に残るものをもらっても、あとで処理するのに困るので、真面目にケーキだけでよかった。

それに、生まれた日を祝ってもらうだけでも、彼女にとっては十分なプレゼントである。

抹茶のパフェで口をもぐもぐさせている千影に、壱成は手を伸ばす。


「ついてる」


口元についたくりぃむを指で拭う。

千影は目を丸くしたが、次には壱成の腕を掴む。

意表を突かれた壱成は何ごとかと思えば、千影はスプーンをお手拭きに持ち替えて、彼の手を拭く。


「失礼しました」


ふたりの関係は、パフェのようには甘くないらしい……。





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